バージンロード ( No.1 ) |
- 日時: 2011/09/25 13:49
- 名前: ラトリー ID:moSw.CaM
アクセルペダルを踏みこむと、景色が一気に加速する。 お気に入りのCDをラックから取り出し、カーステレオにセット。パソコンで編集した自家製だ。食らいつく後続車を引き離し、再生ボタンを押す。 一曲目。重く、金属めいた質感を思わせる硬い音がはじき出される。Liquid Tension Experiment《Acid Rain》。ギター、ベース、キーボード、ドラムによる超絶技巧のインストゥルメンタル。最高の音楽を得て、風景はますます溶けるように流れ去る。 きっと、あんたはこの時間が嫌いじゃなかった。あたしが運転するといつも子供みたいにはしゃいで、後部座席から緑あふれる山並みを気楽そうにながめていた。 蛇のように曲がりくねった山道は、何も気にせず乗っている人間にとっては楽しいか、たんに車酔いするだけのアトラクションでしかない。でも、運転する側にしてみればどんな時でも気が抜けなくて、あたしはいつも神経をとがらせながらハンドルを握っていた。 事故の発生件数は県下でも随一。トラックを筆頭に大型車両がひっきりなしに行きかい、乱暴な運転を繰り返す荒くれドライバーも多い。それなのに、あんたはとりとめもなく思ったことを次々と口に出し、こちらの気分を毎度いらだたせたものだ。 『山がきれいだなあ』 『冬でも森は元気だなあ』 『今日も空が青いなあ』 『おい、川が流れてるよ』 『あ、鳥だ。どこへ行くんだろう』 『みんな危ない運転するなあ』 『お前も気をつけろよ』 あんたはどこまでも他人事だった。後部座席におさまっている自分は安全で、あたしに運転を任せていればどこへなりと好きな場所に行ける。それを信じて疑わないかのように、どんな日でもマイペースな態度を崩さなかった。 そんなやつを毎週一回、欠かさず病院へ送らないといけなかったあたしのことなんて、あんたは聞きわけのいい召使いかペットくらいにしか見ていなかったんだろう。 もちろん、今となっては確かめようがない。仮にあんたがまだ生きていたって、自分が何を考えているかなんて絶対に口にしなかったはずだ。 あんたはとことんまで無神経で、呑気で、鈍感で、自分勝手で、周りを疲れさせることしかできなかった。しびれを切らした誰かにけちょんけちょんにけなされたって、あんたには屁でもなかった。その言葉の意味を理解するだけの関心をもち合わせていなかったんだから、当然といえば当然か。 でもさ、不思議なもんだよ。 あんたがいなくなってからも、この峠を上り下りするたび、後部座席で騒いでいたあんたのことばかり思い出す。決して不愉快なものじゃない。どこか懐かしくて、暖かくて、ほんのりと甘くて、できるものならまた訪れてほしい。そんな風に思えてならないんだ。 ドラムが変幻自在のリズムをたたき、ベースが超高速のリフを刻み、ギターが思いのままに歪んだサウンドをかき鳴らし、キーボードが次々に音色を変えながらソロを疾走する。天才プレイヤーたちが戯れにかなでるバンド演奏に耳を傾けつつ、あたしはかつてと同じように、あの夜と同じように、常緑の山中を走り抜ける。 ああ、曲が終わってしまった。せっかく最高の気分でドライブできてたのに、たちまちうっとうしいサイレンが背後から響いてくる。あの音は子供の頃から苦手だ。すぐさま次の曲が流れ出すが、《Acid Rain》ほどの陶酔感はない。神経を集中させ、現実を忘れようと試みる。過去を思い出していれば、あとは手足が勝手に後続車から逃げてくれる。 カーブミラーが見えた。ちょうどあのあたりだ。あの夜、あんたが後部座席のドアから転げ落ちて、はるか眼下の谷底へ消えていったのは。 あんたは最後まで好き勝手なおしゃべりを続けていた。山の向こうに月が見えたとかなんとか言って、身を乗り出した瞬間にドアが開いた。あたしは車を緊急停止させ、路上でのたうち回るあんたを引きずって、真っ暗な崖下に投げ落とした。 召使いが反逆した。今まで忠義に励んでいたペットが、わけのわからないことをした。何が起こったのか、あんたには理解できなかったはずだ。 正直なところ、自分でもなんでそうしたのかわからなかった。あんたが車に乗る時、いつもロックをかけないで、時には半ドアのまま乗りこむことだってあるのをあたしは知っていた。あの夜みたいなことがいつかは起こるだろうと思っていた。でも、だからといって、あんたを谷底へ投げこむなんてのは考えていなかった。 起こったことは今さら変えられない。あれは不幸な事故ということで片づきかけていた。わが家には保険金が振りこまれたし、あんたを診ていた病院の先生とはますます仲良くなって、あと少しで結婚というところまでこぎつけていた。 なんだ、あんたがいなくても世の中ちゃんと回るじゃないか。あたしは安心して、このまま何もかもがうまく行くものだと信じきっていた。まともに調べなおされたらすぐに真相がわかるなんて、考えたくもなかったしありえないと思っていた。 また曲が止まる。空白の時間なんて作るんじゃなかった。たとえ続けざまにデスメタルが流れだそうが、静かになるタイミングで容赦なくサイレンが背後から責め立ててくる。車は主人の言うことを聞かず、やたらと尻を振って白黒の後続車を迎え入れようとする。こんな淫乱に育てたつもりはないってのに。いい加減にしろ。ふざけるな。 『ほら、落ちついて運転しよう』 こんな時に何を言ってるんだ。そういう台詞は後ろの連中にぶつけてくれ。あんたはどうしていつも通りなんだ。今でもそこにいるのか。後部座席に声だけ残して、あたしをとことんまで揺さぶるつもりか。やめろ。やめてくれ。 がしゃん。腹にくる大きな音がして、車が宙に浮く感覚があった。ガードレールの外にいるのは間違いない。直後、車ごと下方に引きこまれていく。あんたを連れ去ったのと同じ、深くて底の見えない闇の中へ。 見守ってくれるのなら、最後まで見届けてほしい。途中で見放すのはナシだ。これで生き残れたら、あんたの遺した保険金で楽をして暮らして、仕事もやめて、何も知らないお医者様と結婚して、バラ色の未来を築いてやるんだ。子供は二人。丘の上の小さな一戸建てで、愛車はあいかわらずこいつ。暖かな居間で見つめあうのは、あたしと…… 『みんなもっと、肩の力を抜けばいいのに』 がしゃん。衝撃。暗転。 さっきより大きな音が聞こえた時、あんたは亭主みたいな顔をして、昔と変わらない、いつも通りの無邪気で迷惑な笑みを目の前で浮かべていた。
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タイトルや中身に他意はありません。そう……思いたいです。
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