縁 ( No.1 ) |
- 日時: 2018/02/04 08:59
- 名前: マルメガネ ID:.jdJHDt6
帝都には不思議な場所が何か所かある。 その一つに、堂宇町にある古い観音堂であり、六畳ほどの広さの堂内には千手観音が本尊として祀られている。 町の名もこの観音堂が由来となっており、天災や戦災で焼け野になりながらも、そのたびに復興を果たし、六百万人を超える人口を抱える大都市になった帝都を見守ってきた。 古代の思想に基づき、最新の設計思想も組み合わせられ、古代と未来を併せ持った大都市の一画に存在しながらも、創建以来、その場から一切遷座が行われていないのが特徴である。 生活に溶け込み、住民から敬われ、参詣する人こそ減ったが絶えることがない観音堂に澄んだ鉦の音が響き、香炉からは手向けられた香の匂いと煙が立ち上る。 白衣を纏った先達の堂守の老婆の後ろにちょこんと座った美少年が本尊の千手観音に祈りを捧げる。 神妙な顔をして祈る彼の願いは満願成就を迎えようとしていた。 「そなたの願い聞き届けられたり。成就せり。成就せり」 不意にどこからともなく微かに、それでいて力強い声が聞こえ、はっ、とした彼は辺りを見回した。 大きな仏壇のような造りの、いたって参拝に訪れるようになってから見慣れた堂内と、堂守の老婆だけが視界にあるだけである。 「いかがなさいましたかの?」 老婆が振り向いて少年に聞いた。 「どこからか、声がしたので」 少年がありのままに老婆に話す。 「ああ。それなら、千手様かなぁ。直々にお声をかけられるとは、大変名誉なことだよ」 老婆が言った。 老婆が話すには、万人に一人らしかった。 それほど珍しいことなのか、とも少年は思ったが、まずは満願成就したことの方が大きかった。 堂守の老婆に別れを告げて、観音堂を出た彼が道を歩いていると、気品に満ちた貴婦人とすれ違った。 誰だろう、と思って振り返ると、貴婦人も立ち止まって振り返った。 「どうかなさいましたか?」 貴婦人が声をかけた。 まるで観音様みたいな方だなぁ、と少年は思いながらも 「い、いえ。少しばかり……。なんだが気品があるなぁ、と思って」 何と言っていいものか言葉が出ない。 「そう? あなたからはいい香りがします。たぶん伽羅香でしょうかね」 貴婦人が微笑んだ。 どうして、そんなことがわかるのだろう、と彼は空恐ろしくなってきた。 「堂宇町の観音堂にお参りされた人はみんなそうです。堂守のお婆様は元気でいらっしゃいましたか?」 貴婦人に聞かれた少年はすっかりパニックに陥った。 「ええ。元気でしたよ」 そう答えるのが精いっぱいだった。 「それは何よりです」 貴婦人がそのように言うと、彼を喫茶室に誘った。 彼は断ろうかと思ったが、断るわけにもいかずそのまま彼女について行った。 「そういえば、あなたのお名前を聞いていませんでした」 道すがら貴婦人が少年に名を訪ねた。 「け、ケイといいます」 少年が戸惑いながら答える。 「あなたは?」 「私ですか? 私は、白の貴婦人、または、マダム、と呼ばれております」 貴婦人が答えた。 六道坂のポプラ並木街道が見え、緑地帯公園を曲がったところに、その喫茶室はあった。 アロジムロジ、という一風変わった名の喫茶室である。 「いらっしゃいませ」 悠然と構えた、昔の軍人を思わせるような厳めしい口ひげのマスターが迎える。 「マダム。お久しぶりですね。そちらの女の子は?」 マスターはすっかり、ケイを女の子と思ったらしい。 「僕、男ですけど」 ケイがそのように言うと、心外な顔をしてマスターが 「これは失礼しました」 と言った。 「ヨシタケさんも見間違えることがあるのですね」 マダムがクスリと笑った。 「いやはや、面目ない。年を取ってしまったようです」 マダムに紅茶を差し出しながら、ヨシタケという名のマスターは冗談じみたことを言う。 ケイはマダムの勧めもあって、何かをヨシタケに注文した。 「ところで、タツキの姿が見当たりませんが?」 「ちょっと、検査があるらしく、遅れてきます」 ヨシタケがケイに注文したものを出して言った。 「検査?」 「体調を崩していたし、私から病院に行くよう勧めたのです」 ヨシタケがありのままに言った。 「あの子としては、珍しいわね」 マダムが紅茶を口に運ぶ。 ケイがそっとマダムに 「タツキ、ってどんな人?」 と聞いた。 「背が高くて、片目だけどイケメンの子よ」 さらりとマダムが答えた。 ケイはドキドキしてきた。 そのうち、その彼がどんよりした表情をして出勤してきた。 「遅くなりました」 検査疲れなのか、それとも順番待ちでくたびれたのか、あるいは両方なのか、彼の言葉には覇気がない。 「おや? 君は?」 ケイの存在に気付いたタツキが言う。 「あれ? もしかして、病院にいた人?」 「そうだよ。君を何度か見かけた。ここで会うとは不思議よな」 二人のやり取りに、マダムもヨシタケも心外な表情をする。 「お知合いですか?」 ヨシタケがケイに聞くと、 「いや、どう言えばいいのかなぁ」 とケイが困惑した。 「少なくとも、それは縁。私が、道ですれ違いざまに会ったケイ君も、それも縁なのですよ」 マダムが言い得て妙なことを言った。 「ところで、どうでしたか?」 「何も言えません。禁欲するよう言われて欲求不満だらけでした」 タツキが大真面目な顔をして、ヨシタケ同様に冗談めく。 そのあとマダムが帰って行った。 「マダムさん、って不思議な人だね」 ケイが言う。 「彼女は、さるやんごとなきお方なのです。堂宇観音堂のお婆さんは、彼女の曾祖母に当たる方なのですよ」 ヨシタケが言うと、ケイの驚きは大きかった。 「俺も、今日は驚かされることばかりだよ。長時間待たされるかと思ったらすぐだったし、検査もクロになるかと思ったらシロになるし、君にここで会うことになるとは思いもしなかったし」 タツキがそう言う。 「ところで、タツキさんは何の検査を?」 「精液検査」 「まだ、日が高いですぞ。まぁ、ほかに言いようもないですがね」 そんなこんなでその幸福な時間は過ぎて行った。 ケイが千手観音に願ったことは、様々な人に会うこと。 それがかなった日でもあった。
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