Re: 即興三語小説-第87回- ドMってなんのことぼくわかんない ( No.1 ) |
- 日時: 2010/12/21 22:44
- 名前: 楠山歳幸 ID:U4M0nCWk
失礼します。
タイトル 山桜
父が討たれた。 その日、父は賊討伐の指揮をとって出陣したのだが、運悪く一本の矢が額を撃ったのだ。 彼は開拓地が免税になった法の下、農作地の開発に心血を注いで僅かばかりながらも兄弟たちへの遺産を残してくれた。やがて年老いて地頭職を長男に譲った。そこへ隣国が農閑期を利用しては悪党行為を始める。地頭は何度も臍を噛んだ。彼の地は豊かな平地の広がる荘園だからだ。六波羅へ訴えるも都より離れた地では聞いてくれず、御謀反で興った建武の御新政は武士の間で混乱を引き起こしている。 「我慢ならん。父の弔い合戦じゃ」 地頭は決意する。相手の地頭を討てば混乱に乗じて彼の地も領土となすことができるのだ。しかし、相手は豊かな土地を有す武士。正面から討って出ても勝てる気がしない。 そこで雪解けの春、木曽殿の例にならい、高い山々が連なる山脈を越えて彼の地を奇襲することにした。
道案内の猟師数人、荷役の課夫、そして五十余騎のものものしい武士たちが杉や楢の木が生い茂る樹林帯の坂を登る。武士たちは平地の戦闘向きの大鎧をまとい、平地のような足取りで後ろの荷役たちを急かしながら雄雄しく大股で急坂を登って行った。薄暗く湿った空気の中へ何本もの糸のような日の光が差し込み、隙が無く矢を通さないよう工夫された大鎧は急坂を登る武士たちへ重くのしかかり、体中を汗で濡らして行く。 笹を漕ぎ、低く細い木々を掻き分ける。前の者が手でかわした枝が鞭のように後続を打つ。笹の根木の根を踏む度、のしかかる大鎧が武士たちへたたらを踏ませる。 いくつもの登りや下りを繰り返し、やがて杉の姿が消え、ぶなの森へとなった。 「のう、ここは、どのへんじゃ……?」 一人が肩で息をしながら猟師へ尋ねる。 「真ん中、より」 猟師は兜の奥の目を見て、言葉を詰まらせた。 「……少し上でござりましょう」 やがて大股だった武士の歩幅は狭まって行き、足一つぶんとなり、それも半分となって行く。上げる足も弱弱しく、大きな岩の段差が彼らを苦しめた。武士たちは声を出しながら息をするも、かけ声を漏らしながら岩をよじ登る。 森を抜けると、人の頭分の大きさの岩で敷き詰められた広い坂へ出る。いつしか空は太陽を隠して目立った雲の無い灰色となり、時折吹く風が、水を浴びたように汗で濡れた武士たちの表情を甦らせる。 「や、泥だらけじゃ」 武士たちは、戦で花を咲かせるにしろ散るにしろ、我が命を投げ打つ舞台として身だしなみには気をつける。赤、青、白、黒の威(おどし)には己の気持ちがこもっていた。その色彩が土や草のため鮮やかさを失っている。 「情けないのう……」 武士たちは泥を手で払うも、泥はさらに威に入り込こんだ。 地頭は猟師たちへ命じた。 「ここより先は一人だけでよい。後のものは獲物を捕らえよ」 「申しにくいことでございますが……。夜を明かすのは、森の中で……」 ここまで着くのに、猟師が考えていた時間より大幅に遅れていた。本当ならもう峠の稜線を越えて下りの森が見えていなければならない。 「馬鹿を申せ。引き返してなんとする。明日、日が高くなってから着いたのでは意味が無いわ。お前たちは夕餉の獲物を捕らえていればよい」 「しかし、どうも、変でございます。獣がいる気がしません……」 「それをどうにかするのがお前たちであろう」 「わしらは、山の神さまにお願いしなけれ……」 「誰に向かって口答えしておる」 猟師たちは長を残して森の中へ消えていった。武士たちは足場の悪い急坂を滑りながら登って行く。 やがて、峠と呼ぶべき稜線へ出た。 「おお」 地頭は感嘆の声を漏らす。眼下には厚い雲の雲海。遠くには黒い頭を出した高い山々。両脇には森を抱いた高い山が天を突かんばかりにそびえ立っていて、ぶん、という、眼にしか聞こえない音を奏でている。武士たちはまるで神に近づいた錯覚に陥る。 その雲海は波のように、あるいは海月のように連なる山々へ寄せては返す。 猟師は近くの武士へ、恐る恐る進言した。 「やはり、森へ引き返しなさいませ」 「なにを申すか。武士へ向かって、引き返せなどど」 「ここより高い山に森があって峠が禿げているのは、何かがございます」 荷役が荷を解き、食事のための温水を沸かす。そして夜を明かすためのござなどを用意する。春とは言え、夜の稜線は冬のように寒い。その差は、猟師だけが知っていた。しかし、防寒具にくるむことのできるのは地頭とその縁者だけである。その他は食事がすむと任意の場所で丸くなって横になった。夜になり、侵食するような寒気は、登りに疲れ、汗に濡れた武士たちの体温を奪い、泥のついたその姿はまるで錆び付いた猫のようだった。 やがて霧が稜線を包み、ぱらぱらと、雨が降る。雨はむき出しの武士の体へとしみ込んでいく。武士たちは痙攣したように震えだした。 そこへ、突然大音響と共に、巨人の拳のような爆風が稜線を駆け抜ける。 「うわああ!」 ごんごんうなる爆風は白痴の巨人が振り下ろす幾度もの拳のように武士たちの体へ吹きすさんだ。その拳は彼らの全身を打つ。現代の言う、爆弾低気圧の風である。 「うわああ!」 「南無八幡大菩薩南無八幡大菩薩……」 伝統の神へ祈るとも、大気そのものが激しく揺れるような風は休むことなく武士たちへ吹く。風が雨を意思を持った飛礫のように彼らへ叩きつけるそこは、一度天気が崩れると荒れ狂う風のため、木が生えることのできない場所だった。彼らは森の中へ逃げようにも、夜目と霧のために方向がまったく分からない。遠くで木を殴りそばで岩へぶつかる大気と水の咆哮のような音響が、盲目のような彼らの周りに響き渡り、武士たちの心を折る。 震えが出ないほど体温が無くなるのも、あっという間だった。 「あー、あー」 「ううう」 「ああー! あああー!」 やがて、その風は理性まで奪っていった。武士たちの中に奇声を発する者が出る。 「物の怪、物の怪じゃ……」 怪物に怯える武士も、自覚というものを失っていた。
ばたり、と暴れることに飽きたように風が止んだ。 雲が去り空が月の光に照らされる。 光の隅に幾千の星が広がる。 両側の山が巨大な烏のように立ち、稜線が陽炎のように浮かふ。 地頭は武士たちを集めた。月に照らされた人影は明らかにいつもより少ない。 「他のものはどうした?」 「動かなくなりました」 「こんなところで死に恥をさらしおって」 遅れて猟師の長が森から登ってきた。地頭は命令する。 「すぐに出立する」 「いまの雨で火が炊けません。日が昇るまでもう少し待って下さい」 「ころろうな魔窟、いてれるか! すぐに降りて賊共を討つ!」 地頭はろれつが回らなくなり、目がうつろとなっていた。現代で言う低体温症である。 森の中へ入ると空を覆う木々の黒い葉や枝に月明かりが閉ざされ、足元が覚束ない。 「うわあ!」 瓦礫の音と共に人の滑り落ちる音が森に響く。今、自分たちが危険な場所にいることを悟った武士たちは、その場で夜を明かすしかなかった。風が止み、森に包まれわずかながらも体温が戻る。武士たちは睡魔に捕まった。
「今何刻じゃ」 地頭が目を覚ますと、すでに日が昇っていた。猟師を目で追うも姿が無い。ここは彼の縄張り外のため逃げていったようだ。 「起きよ! 市井へ出陣じゃ!」 遅れをとった地頭は先頭切って坂を下る。遅れじと武士たちは地頭の跡へと続く。下り坂が武士たちの脚力を蝕む。藪を漕ぎ、笹を漕ぎ、いつしか杉の木が見え始める。幸い、彼らの下った坂は尾根筋だったようで、たいした障害もなく麓へと近づく。木々の間に肥沃な平野が見え、やがて民家を確認するに至る。 そのときだった。 「いたぞ!」 「賊共じゃ!」 胴丸をまとった武士たちが坂を登ってきた。地元の猟師が彼らを見つけ、相手の地頭へ報告していたためだった。跡に続いていた武士たちは慌てて坂を駆け下りる。 「青人草を助けよ」 「オオカム津実の名を乞えよ」 地頭は戦慄した。稜線で見た武士の数がさらに減っていたからだ。夜の森ではぐれてしまったのか? 駆け下りる武士たちは山越えと睡眠不足、朝餉抜きのため著しく体力を削られていた。その足は千鳥足となり、鬨の声も喉より下からは出ず、太刀を抜く腕もなかなか上へと上がらない。 敵は矢を放つ。 地頭たちは楯どころか荷役まで昨夜の風で飛ばされてしまった。大鎧すら、九尾板や栴檀板どころか、兜や袖まで飛ばされ、垂れ下がった髪に仙骨より覗く眼光だけがぎらぎらと光る様は、幽鬼と成り果てた落ち武者のようだった。 矢は不吉な音を立てて容赦なく武士たちの肌へめり込んだ。 運よく敵へ対峙した武士たちも、軽快に動く胴丸の武士たちについて行けずにあっけなく組み伏されて首を刎ねられる。 「御館様、ここは引きなされ」 側近が進言する。 「馬鹿を申せ! そんな恥さらしなことできるか!」 「敵に首を取られるほうが、恥でございます。どうか、ここは……」
物見遊山のようにのんびりと歩く地頭を、敵は付かず離れず付いてくる。せめてもの情けに、敵は最後を見届けるよう主命を受けたようだ。 穏やかな陽光の下、足元には小さな草花が畑のように咲き誇っている。 「おお、みごとじゃ」 満開の山桜が、森の中に突然現れ、地頭たちの目を奪う。 「ここに決めようぞ」 大鎧を解き、しばし桜を見つめ、短刀を握る。いつしか稜線の時より意識がはっきりしている。あの時眠っていたほうが幸せだったかと思い、あわてて頭を振った。家のものに、恥を残すわけにはいかないのだ。 地頭は腹を出した。 山からの心地よい微風が、桜の花を揺らした。
七時間ぐらいかかりました。 縛りがなんだか怪しいです……。
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