故郷へ飾る錦 ( No.1 ) |
- 日時: 2015/08/23 22:29
- 名前: ラトリー ID:bIt4fRGo
視界の外で、勢いよく水のはねる音がした。 顔を向けると、縁側から見える庭に翼を広げた大きな鳥が見えた。月夜でぼんやりとシルエットが浮かび上がっている。鷹か鳶だろうか。池で飼っている錦鯉をつかんで、山のほうへ飛び去っていくところだった。 ああ、今日もか。いつからか庭の池は、山に住む猛禽類の狩り場となってしまった。 定年を機に一念発起して、長年のあこがれだった田舎暮らしを叶えることができた。おおむね満足しているが、思い通りにいかないことも多い。 退職金を元手に、両親が亡くなってから手つかずだった実家を改修した。夫婦二人で住むのに不自由しないよう、水回りを中心に手を加えた。玄関になだらかな手すりつきスロープを取りつけ、壁には断熱材を新設して今後の暮らしに備えてある。 家にテレビは置いていない。庭を見わたせるゆったりとした畳部屋の居間に、ラジオとパソコンを用意した。目に映るものは、自分がこの手で選んだ画面と自然の風景だけだ。明瞭な音声で巧みに情報を伝えるプロの話術がそこに彩りを添える。 荒れ放題の庭も気が向くままに整えてみたのだが、もっと専門家の知恵を借りたほうがよかったようだ。ただのくぼみになっていた枯池に水を戻して鯉を放ったはいいものの、鷹や鳶に狙われないよう上空からの視線を遮る木陰をつくっておくべきだった。 親が健在だったころとは生態系も変わっている。山の鳥たちも、食うに困ればふもとまではるばる飛んでくる。観賞用の錦鯉とて、彼らにしてみれば食糧以外の何物でもない。 娘は遠い都会で元気にやっているだろうか。心配する気持ちもなくはないが、住む場所が離れすぎるとかえって会いたい気持ちもわかなくなる。それよりも日々の生活だ。今はただ、静かに余生をすごすことができればそれでいい―― 「……父さん、お願いだからそこを何とか」 「くどい。何度言われようと変わらない」 せっかくの平穏な暮らしを乱す者。息子だ。畳部屋にちゃぶ台を挟んで向かいあった姿は、銀行の営業マンかと見まがうほど堅苦しい黒のスーツに身を包んでいる。 二人の子供のうち、男でしかも長男となれば親離れも多少は遅くなるだろうと思っていた。だが、まさか老後の人生にまで干渉してくるとは想像もしなかった。 「なんで俺が来たのか、もう一度よく考えてくれよ」 「考えるつもりはない。お前にどうこう言われる筋合いもない」 この出来の悪い息子は、昔から金の使い方をろくに学ぼうとしなかった。頭で考える前にまず身体が動く、誰に似たのかわからない性分をもっている。その結果がこの体たらくなのだから嘆かわしい。年寄りにたかるのも大概にしろと言いたくなる。 もしや金ではなく誠意の問題だ、と言いたいのだろうか。だとしたらそれこそ的外れだ。仮にほかの人間が代理で来ていたとしても、部屋に上げるどころか門前払いしていたにちがいない。あいにく、がさつな者たちに敷居をまたがせる趣味は持ちあわせていない。 「いいか。お前はもう立派な社会人だろう。自分の問題は自分で片をつけろ。いつまでも親を困らせるものじゃない。長男として恥ずかしくないのか」 「恥ずかしい……? 父さんはどうなんだよ。そっちこそ恥ずかしくないのかよ」 「何を言ってるんだ。私に恥じることなど一つもない」 「でも――」 『みっともナイトチャンネルぅ~』 息子の声を遮るように、かん高くふざけたような音声がラジオから漏れてきた。 いつもの時間だ。どんなに殺気立った空間も、この声とメルヘンチックなBGMのおかげでたちまち毒気をぬかれたようになる。 『ハイ、このコーナーではですね、ミッドナイトならぬみっともナイトということで、皆さんのみっともなぁいエピソードを多数メールにてお受け付けしています。司会はわたくし、ミツイスミトモならぬミスミトモコがお送りします』 息子がけげんな視線を向けてきたが、無視する。日々の平穏な時間を邪魔されるわけにはいかない。心の安らぎは毎日欠かさず補給しなければならない。 『本日最初のおたよりは、これだぁ~! 〈定年を機に一念発起して、ご両親の住んでいた家を改築。庭に池をつくって錦鯉を放し飼いにしているのですが、最近は山から飛んできた鳶や鷹に鯉を持って行かれることが多くて困っています。でも、もとはと言えば安易に鯉を飼おうと思ったのが始まりですよね。ほんと、みっともないです〉ときた! う~ん、これは確かにみっともない! みっともナイトスター五つつけちゃいましょう!』 「……何やってんだよ、まったく」 息子のつぶやきは、父親と母親の両方に向けられたものだろうか。 少なくとも私はまったく気にしていない。妻が満足していればそれでいい。 誰がこのコーナーのパーソナリティを、私とそう年の変わらない女性と気づくだろう。仕事向けの張りのある若々しい声は、初めて聞いた時から何十年も変わらない。 今回は少々無理を言って、自宅に関するエピソードを入れてもらった。地元ローカルのチャンネルで始まったばかりのため、まだまだメールが少ない。ならば自宅のことを話題にして、少しでも番組内でネタにする題材にしてはどうかと持ちかけてみたのだ。 「母さんだってな、ずっと続けてる間にはいろいろ大変なことがあったんだ。この年だから、裏でどんな陰口をたたかれててもおかしくない……そんな風に言ってたこともあったぞ。冗談だと笑ってたが、本当のところはわからん」 息子は神妙にしている。立て板に水とばかりに話し続ける妻の声は、果たしてその耳にどのように聞こえているのだろうか。 「お前も覚悟をもつことだ。声優の夢を続けるのかあきらめるのか、答えを出せるのはお前しかいない。事務所の人だって熱心に売りこんでくれるそうじゃないか。期待に応えるべくがんばるのか、向いていないから潔く転身するのか。私にああいう派手な業界のことを聞くもんじゃない。がさつな連中だっているだろうし、これから付き合う気もない」 「父さん……」 「まあ、あえて口を出すとすれば、その堅苦しすぎる格好はないんじゃないか。個人で渡り歩いていく業界なら、名前や顔、姿形を憶えてもらうことが第一だろう。これは母さんの受け売りだが、『金をかけないでそこそこ目立つくらいの格好を目指せ』だそうだ」 葬式に出てもおかしくなさそうな黒のスーツを見つめながら言ってやった。息子もあわてたように見下ろしつつ、ラジオから聞こえる妻の声に耳を傾けているようだった。 『ラジオの向こうで迷ってるキミ、悩んでるキミ! ここで紹介されてる数多くのみっともないエピソードの持ち主は、確かにみっともないだけのおじさんおばさんお兄さんお姉さん坊ちゃんお嬢ちゃんかもしれない。だがしかぁし! みんなそれぞれ自分なりに精いっぱい生きて道を見つけて、やりたいことやった結果のみっともナイトなのだ。それはもはや夜に放送するというだけのナイトにあらず、大切なものを守るために闘う騎士のごとし! そう、みっともナイトスターとは彼らの努力にささげる星の勲章、全力でがんばったけれど誰にもわかってもらえなかった気持ちを陰ながら励ます小さな輝き――』 「……バカバカしい」 言葉とは裏腹に、息子の顔は優しげな笑みを浮かべていた。 この家に本物の錦が飾られる日は、果たしていつのことだろう。
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今回も三時間ほどかけてます。ミッドナイトが苦しかった。
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