お稲荷与平 ( No.1 ) |
- 日時: 2015/01/04 23:56
- 名前: 海 清互 ID:9t9ebwCM
与平は稲荷のお狐さまに参るのが日課だった。 稲荷は村のすぐ近くにあり、剥げかけた朱塗りの鳥居をくぐると、みすぼらしい姿で鎮座している。与平はその場所へと僅かな御神酒を持参し、毎年の商売繁盛や疫病などのお守りを祈願するのだった。 ある日の事、与平が御神酒を持ってお稲荷様の元へと参拝する際、ついつい出来心か御神酒を口にしてしまうという不心得な出来事が起こった。与平はそれは毎年のお稲荷の神通力が身にしみていたので、決して軽んじた訳ではなかったが、生来のおっちょこちょいかつ与太な性格が祟ってか、ついつい手を出してしまった。一杯手を出せば二杯目も欲しくなる。二杯手を出せば、三杯目も欲しくなる。そうして祠に辿り着く頃には、すっかり与平は出来上がっていた。与平は事もあろうか、お稲荷さまの前に殆ど空になった徳利を置くと眠りこけてしまった。 さて、そうして遅刻した与平が眠りについた晩の事、丑の刻頃にすっかりお怒りになったお稲荷様が石像の化身を借りて出てこられた。さて怒ったお稲荷様、与平をどうにか懲らしめてやろうと与平の嫌う借金取りの姿へと化けてみた。それから与平を叩き起こすとこうおっしゃる。 「やい与平、お主はまだワシの貸した二両ほどの借金が残っておるというのに、神様頼みでこのような所でねそべっておる。どういう事じゃ」 与平は驚いて目を覚ますと、目の前の借金取りにたいへん怯え、寝ぼけた頭で意味もわからず口走った。 「あいやお稲荷様、どうかその節はお許しくだせえ。おいらは決してお稲荷様の化けるところなんぞみちゃいねえ」 そう言い終わると半眼で気持ちの悪そうな顔をして、再び寝入ってしまった。 夢の中で夢を見るなんて、なんてえ奇妙な夢だ、とつぶやいている。 さすがの神通力を持つお稲荷様もこれには訝しんだが、与平の寝ぼけた顔を見ている内にどのようにでも成れと思ってしまい、与平の袖からいくらかの銀をちょろまかすと、こおん、とひと泣きして人里へと出かけていった。 いやはや、責務があるとはいえ、与平が怠惰な時分は、早くこうすれば良かったのだ、とお稲荷さまは一人呟いた。 町の灯はお稲荷さまを暖かく迎え、自分の守ってきた町や町人がとても楽しく暮らしているのをその目で見つめた。ああ、このような路銀を盗んで、わしは少々気が短かった、とお稲荷様は後ろめたい気持ちを感じつつも、食べたかった天麩羅蕎麦といなりずしを共にたいらげ、湯屋で一局囲碁を打った。 そうしてすっかり町人の享楽を満喫したお稲荷様は、対局相手から飲みかけの徳利をいくばくかで譲ってもらうと、気持ちのよい状態で暗い夜道の帰り道に提灯を揺らした。 そういえば、あんたあの借金はもう取り立てたのかい。あんたも悪いね。そういや角に住んでた富吉は首が回らなくなっちまって、文字通り首を釣っちまったそうだね。 色々と声をかけられた事が思い出されたが、どうにも物騒な事ばかりであった。そういえば、今わしは一度だけ見た、与平の借金取りの姿をしておったのだ、とお稲荷様は気づいた。見慣れた杜が近づくと、お稲荷様は楽しんできた我が身を忘れて一息つく自分に気がついた。やはり住処が一番落ち着くものだと感じるのだった。 しかし、そこからが奇妙だった。大いびきを掻いていた与平の姿が見当たらない。そういえば暗がりでよく見えないが、薄ぼんやりと視界を遮るはずの鳥居も見当たらない。お稲荷様は祠が鎮座していた場所に近づくと、あっと声を上げた。 そこには与平の顔によく似た地蔵が座っていたのだ。声もなくただ目を白黒させて驚くお稲荷様の後ろから、人影が近づいてくる。人影は驚くお稲荷様の肩を叩くと、お稲荷様はあまりの寒気と驚きで尻もちを付いてしまった。しかし、お稲荷様のその姿を見て人影は言った。 「ああやれやれ、首折りの与平ともあろうものが、最近はすっかり物狂いになっちまった」 お稲荷様は与平に似た地蔵を見た。由緒書きには永世(えいせい)地蔵、とだけ書かれており、与平の文字は見当たらなかった。
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