Re: 即興三語小説 ―今年が終わらないうちに― 投稿がないので、締め切りを延期します ( No.1 ) |
- 日時: 2014/11/15 06:10
- 名前: A ID:VTJBCxs6
『木枯らし』
木枯らしは水に濡れた女の手のようだ。誰か知らないが、溺死を目論み半身海に浸した哀れな女が、沈む間際、どんよりと曇った白昼の空に向けて訳もなく伸ばした手。その手が、風に変わり街中にまで吹いて来て、頬に触れ、声になり、僕に呼びかけている。幼い頃よく遊んだ、誰もいない小さな公園を夕暮れ時ひさしぶりに訪ねて、何気なく小さく揺らしてみたブランコの立てる軋む音、その程度の強さで僕に呼びかけている。肉欲をかき立てる熱さも、遊びに誘い掛ける友情の温かみも欠いた、冷たく透き通った寂しい声、それは何故か胸に懐かしく、心に沁み入り、人生の行き詰まりに思い詰めていた僕を慰めてくれた。
僕はすっかり冷めてしまった飲みかけの缶コーヒーを自販機横のゴミ箱に捨て、のっぺりとした灰白色に曇り輝く空、イチョウ並木に挟まれた車道を走る救急車、薄汚れた窓ガラスに変色したポスターが内側からべたべた貼りつけられた喫茶店や、殆ど人の出入りのない本屋のカウンターで椅子に腰かけ頬杖をついて眠りに落ちそうになっている痩せ身の老店主、茶褐色系統の物が乱雑に置かれた印象のアンティーク家具の店などを見遣りつつ歩道を歩いた。静かに涙を流しながら、俯きもせず前を向いて歩いている地味な服装の女とすれ違った時、思わず振り向いたが、木枯らしが吹いたのですぐ関心を失い、また歩き出した。しばらく歩いて、交差点で信号につかまって歩みを止めた時、ここから遠い場所にいる、僕の好きだった人の面影を思い出した。あなたは、決して哀れな女ではない。連絡を断ってから、どんな風に暮らしているか分からないけれど、決して哀れな女ではない。そう自分に言い聞かせたが、もし、あなたが哀れな女のように溺死寸前で空に手を伸ばしていたらどうしようと思うと、泣けてきた。
信号が青に変わった。僕は涙を拭って、白線だけを踏んで飛び跳ねながら横断歩道を渡っていく少年とほとんど同じ速度で歩き始めた。横断歩道を渡り終えた少年は背の高い父親の方を振り向き、楽しげな笑い声をあげながら父親の差し出した手を掴んだ。ところで、こちらに向かって歩道を歩いてくる若い茶髪のヤンキーの男に茶髪のヤンキーの女が商品を包んだコンビニの袋を何度もぶつけては、甲高い声で何かを口走っていた。すれ違った時も、女が何を言っているのか聞き取れなかったが、ふと振り返った時、「ふざけんな」と怒って鬱陶しそうにコンビニの袋を払いのけた男の右膝に女が背後から思い切り蹴りを入れるのを見て、少し笑ってしまった。
下宿近くの、家々で入り組んだ迷路のような狭い路地まで来て、黒猫が前を横切ったのを見て、何も起きないようでいて常に何かが起きている、とふと思った。でも、それがどうしたというんだ、とすぐに思いなおした。すると急に吐き気がして、自分はどうしようもないなとつくづく思った。所詮、思い詰めても世の中どうにもならない事はどうにもならないと思い込んで僕は逃げているだけだ。何が起きようがどうでもいいと、自分に嘘を言い聞かせているだけだ。自分でも眠気を催す己の退屈な思想と卑小な行動に嫌気が差しても、眠りの方が安全だからと逃げ続けているだけ。僕も蹴りを入れてもらうべきだ。何故、僕はあの呼びかけに応えないのか。失いゆくものを、取り戻そうそうとしないのか。僕はあなたを失いつつある。たくさんの思い出を忘れてしまった。あなたの事を想い続ける、それだけの重みに一人では耐えられないと、あの時僕は投げ出してしまった。激情に充血した眼、壁に叩きつけた拳、掻き毟った胸の内の激痛と真っ暗な絶望――あの時から、何もかも忘れようとしてきた。だけど無理だ。あなたを忘れたくない。僕は眠りからあなたを奪い返したい。醒めてある事は、どんな夢をも貫いて、僕の全てがあなたへの贈り物に変わる事だ。僕はあなたのために生まれてきた。なぜ、この事を信じられなくなってしまったのか。あなたは今、どんな風に生きているのだろう?哀れな女のように空に手を伸ばしていないか?幸せに生きているだろうか?こんなにも惨めで、あなたの眼差しを怖れ、退屈な迷路に自分を閉じ込めてしまったけれど、もう耐えられない。僕はあなたのために生まれ、今日まで生きてきた。僕はあなたを愛している。僕はあなたを忘れる事には耐えられない。だから何度でも僕はあなたを眠りから奪い返す。そして心を集め、いつの日か再会した時、あなたに贈りたい。
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「三語」の精神を全然活かせていないかもしれません。もしかすると、僕はこういうものしか書けないのではないか……ほんとに即興です。滅茶苦茶でも許して下さい。
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