地平線の彼方 ( No.1 ) |
- 日時: 2014/10/13 23:54
- 名前: RYO ID:n.XDXSwI
昨日までの秋晴れが嘘のような土砂降りだった。せっかくの休日が台無しだ。もっとも、澄み渡った秋空であったとしても、この気持ちはどうしようもないか。 健司の心はどんよりと空を覆った黒い雲のように重く暗かった。これも十年振りの手紙のせいだ。 差出人を見て、なんで今更、という言葉がついてでた。名前を見るそのときまで、記憶の奥に封じ込めていた。思い出さなくてもいいように。それが一気に吹き出してきて、軽くトリップしたような錯覚さえ覚えた。 元カノからの手紙だ。 内容は、会えませんか、ということだった。そのほかは、悪いとは思いながら大学時代に友人づてに、健司の住所を教えてもらったということ。メールや電話も考えてはみたけれど、怖くて手紙にしたのだということ。あとは簡単な近況が書いてあった。 元気そうで安心したなどという感情がわずかにでも沸いている自分に驚きを覚える。もう少し怒りがこみ上げてくるものと思っていた。何せ、彼女ーー明美は理由もなく健司の前から消えたからだ。 手紙に突然いなくなったことへの謝罪はなかった。悪いとは思っていなかったのか、それとも書くに書けず当たり障りのない内容になってしまったのか? もしも彼女にあったら、俺は何を話すだろうか? 健司はベッドに横になり、天井を見上げて考えた。 明美を見た途端、恨みを口にしてしまうかもしれない。あるいは、問い詰めるだろうか? 深い溜息がついて出た。 「何だって、今になって……」 十年前、健司は就職ができずにくすぶっていた。夢があったと言えば聞こえはいい。当然のことながら、それでも就職しなければ、飯は食えない。が、就職すれば負けてしまうようで、あきらめてしまうようで、どこか本気になれなかった。 「クソ」 健司は横になったまま、ベッドに拳を打ち付ける。当時の苦い記憶が思い出されて、顔をしかめた。結局今は、食えない物書きで、やめるにやめられず、ずるずるとその日暮らしを続けている。物書きとして、デビューすることがゴールではなくて、スタートなのだと誰が言った。そんなことは分かっている。だが、まだスタートラインにすら立っていないのなんて、本当にそれでいいのか? 明美はそんな俺に愛想を尽かしたんだろうな。 それが健司が出した結論だった。そうとしか思えなかったし、そうと思うしかなかった。 健司は沸き上がってくる当時の感情を持て余していることに気が付くと、少し冷静になれた。結局のところ、明美に会わないことには、この感情には蹴りを付けることなど、できはしないのだろう。 健司はベッドから起きあがって、ローテーブルの上に置きっぱなしにしてあるケータイに手をとる。手紙の最後に書いてあった連絡先を確認する。番号を押しながら、逡巡する。なんて言えばいいだろう。第一声は? いや、出てくれるだろうか? 息を大きくはいてから、最後の番号を押す。しばらく待ってから、呼び出し音が鳴り始める。心のどこかで、出なくても構わないという思いが持ち上がってくる。 「もしもし」 呼び出し音が、懐かしい声に変わった。少しハスキーで、耳にまっすぐ届く声で、健司の頭の中が真っ白に染まる。 「もしもし?」 手が震えていた。明美の息づかいが聞こえた。健司にはごく短い沈黙が、永遠のようで、十年という月日の重みがそこにあったように思えた。 「もしーー」 「あ、明美か?」 明美の言葉を遮って、言葉がついてでた。 「健司?」 「ああ」 「そっか。手紙届いたんだね。良かった。届かなかったらどうしようって思ってたから。元気にしてる?」 彼女の声に緊張がにじんでいることが分かる。「まぁ、ぼちぼちだ。そっちは?」 明美がかすかに笑ったのが聞こえた。 「手紙にも書いていたけど、会えないかな?」 「なんで?」 「直接、会って話したいことがあるのよ」 明美の声は真剣だった。健司は息を大きく吐いてから、「わかったよ」とだけ答えた。そこからは早かった。いつ会うか、事務的な処理でもしているかのようだった。最後に「必ず来てね」と最後に念を押された。 「でも、久しぶりに声が聞けて嬉しかった。電話ありがとうね」 明美はそう電話を切った。 明美に会いたいのか、会いたくはないのか――電話を切ったあとでも、健司は自問し続けていた。
その日はどんよりと曇って肌寒かった。木々の落ち葉が秋風にひらひらと舞って、晩秋を感じさせた。 指定されたファミレスまでは健司の住むアパートからは、バスを乗り継いだためか、意外なほど時間がかかった。バス停から走ること五分。約束の時間から三十分ほど遅れていた。約束の場所と時間を書いたメモは、バスの中で何度も確認して手の中で裏写りして、汗でにじんでいた。 健司はとくに明美に連絡はいれなかったし、明美からも連絡はなかった。なんとなく、それが二人の関係を表しているようでもあり、十年という月日がつくってしまった距離のようでもあった。 別に、明美がいないならいないで、いいんだ。 健司は自分に言い聞かせていた。もしかしたら、明美は明美で、来なくてもいいと思っているかもしれない。それでも最後の念を押されたことが健司の頭の中で足を進ませていた。あるいは、十年前、自分の前からいなくなったことの理由を知りたい思いが強かったのか――。 ファミレスにつくと、ちょうど昼過ぎでそこそこに客がいた。健司は肩で息をしているの落ち着かせる。 「何名様ですか?」 そう尋ねてくる店員を一瞥して、店内を見渡す。すぐに明美を見つける。明美の隣に女の子がいた。健司は「先に来ているみたいなので」と店員に告げて、明美の座る席に向かった。 「ごめん。待った?」 健司は言い訳を口にはあえてしなかった。明美は黙って、首を横に振った。 「今日はずっと待っているつもりだったからいいのよ。何時に来てくれても」 明美が静かに笑う。十年前よりも、やせていた。頬はどこか影があって、疲れているようだった。 「来てくれただけど、本当に嬉しいのよ。本当に。どこかで来てくれないんじゃないかって」 ファミレスの喧噪がすっとどこか遠くに聞こえて、明美の声だけがすっと健司の胸に響く。その瞬間に、自分も明美に会いたかったことを知る。「座っても?」 健司は自分が立ち尽くしていることの気が付いて、思わず聞いていた。 「もちろん」 明美は十年前と同じように目を細めて笑った。 「この子は?」 明美の向かいのソファに腰を下ろしながら健司は聞く。女の子はじっと健司を見つめていた。そこには期待というか、羨望のようなまなざしが見て取れた。健司はなんとも言えない親近感が、芽生えてくることを感じていた。 「私の子よ」 明美は短く言った。健司は一瞬、その言葉の意味が飲み込めなかった。心の中で反芻する。 「結婚したのか?」 健司はそう言いながら、祝福の言葉を言うべきか、混乱していた。どういうことだ? いや、別にもう俺が口を出せることでもないけど。 「そういうわけじゃないんだけど」 明美が珍しく口を濁した。 「健司さんは小説を書くんですか?」 女の子が聞いてきた。目を輝かせている。健司はドキリとして何も言えない。 「あなたはまだ静かにしていなさい。まだ大事な話をしているから。ジュースでもおかわりしてきなさいな」 明美の声は少し厳しかった。女の子は「はーい」と素直にしたがって、空のグラスを手に、ドリンクバーにむかった。 「あの子は今年で十歳になるのよ」 明美が目を細めながら言った。 「十歳ね」 健司がその言葉を繰り返し、そのの意味を知るのには間が必要だった。健司は明美と女の子を交互に見返す。 「千晶っていうの」 千晶はドリンクバーの列に並んで、おとなしく自分の番を待っている。 「そうか」 それだけが健司が口にすることのできた言葉だった。喉がちりちりと乾く。なんとなく頭の中でつながって、それを否定する。 「まだ書いてる?」 「何を?」 健司はわざと疑問系で返す。 「分かっているくせに。都合が悪くなると、そうやって、ワンクッション置くのは変わらないね」 明美が少し苛立つように言う。千晶はドリンクバーでオレンジジュースを押していた。 「十年前、私はあなたの重荷にはなりたくなかった。だから、いなくなることを決めた。あなたなら、必ず世にデビューすると信じていたから。それは今も変わらないし、私があなたの最初のファンであることに誇りをもっている」 明美は淡々と、それでもはっきりと言った。それが健司にどこか叫びにも聞こえた。 「買いかぶりすぎだ」 「それでも信じてる。今もこれからも。あなたは私が妊娠していることを知ったら、間違いなく書くことをやめる人だから。だから好きにもなった。でも書かないあなたを私は好きでいられる自信はなかったのよ。私はあなたを好きでいたかった」 健司は黙って聞いた。なぜ相談もしなかったのか。何でも自分で決めるなよーーそんな思いがああふれても言葉にはならなかった。自分の道を自分で決める、そんな明美が好きだったから。生き方だった。そこにほれたんだから、どうしようもない。 「あなたが「地平線の彼方」の作者さんですか?」 戻ってきた千晶が健司に尋ねてくる。 「なんでそれを?」 健司の一番新しい作品だった。オンライン上の。「地平線の彼方」は健司が書いた作品で、もう二度と会えなくなった男女の関係を地平線の彼方と例えた恋愛小説だった。 「私があなたを追いかけていたら、この子も見つけてね」 明美が照れくさそうに笑った。 「chiakiって、感想のメールはなかった? この子なのよ」 健司には信じられなかった。丁寧な感想が最近送られてくることがあった。それがこの子なんて。 「気まぐれにね、この子に言ったのよ。お母さんの知り合いだら、会ってみたいって? そしたら、この子は目を輝かせちゃってね」 明美が困った顔をした。健司はそこに母親としても明美を見つけた。 「悪かったな」 健司の口からついてでた。明美が思わず驚いた顔をして、 「私が決めたことだから」 寂しそうにそう続けた。 千晶が健司の作品のあれやこれや感想を述べる。昔の作品まで、健司がもう忘れているようなことば、本当に良く読んでくれていることが分かる。 「この子は本当にあなたの作品を良く読んでくれたわ。私の生まれ変わりじゃないかって。嫉妬しそうなくらいよ。でも――」 明美が不意に小声になる。健司は耳を明美に近づける。 「まだ知らないから。父親を。今更結婚とか認知とかはいいのよ。ただ、書いていてほしいのよ」」 健司にそう耳打ちする。健司はうなずくしかなかった。
半年後――春 健司にしてみれば、自分には読者がいる。その事実がこんなにも嬉しいことだったなんて、思ってもみなかった。嬉しい反面、腑に落ちないことがあった。なぜ今だったのか? 十年振りに会う必要があったのか? 責任はとりたかった。でも明美からはそういう言葉はなかった。書いてほしい。それだけだった。 千晶からメールが届いた。明美が亡くなったと。健司が知ったときには葬儀もすべて済んでいた。 健司は大学時代の知人として、線香を実家にあげにいった。実家はすぐに千晶に聞けばすぐに分かった。 明美の両親は気さくな方だった。健司とファミレスであったときは、余命いくばくもなかったらしい。 「どんなに聞いても、最後まで、千晶の父親のことは言わなかった。言えなかったというよりも、言わなかったんだね。一度決めると、頑なに曲げない子だったから」 遠い目をしていったのは、彼女の母親だった。明美らしくもあり、俺のこともっとも責めてもいいじゃないかと、遺影を見ながら、健司は静かに泣いた。 「千晶はね。お母さんの分まで、読むことにきめたから」 明美に実家に引き取られていた千晶は屈託なく笑う。 「だから、これからも書いてください。必ず、読んだよって、感想も書くから。手紙もかくから」 千晶は笑いながら、泣いていた。泣いて泣いて泣いて泣いて―― ときどき健司は思うことがある。あれは呪いか、福音か? 健司は今日も机に向かい、執筆する。まず、決めたことは、書き続けること。そう決心したからといって、筆は遅々として進まない。凡人はこんなもんだろうが、意地がある。少なくとも、応援してくれる読者がいる。いつか人目に触れる作品が書けたときには、許されるだろうか? いや、楽しでほしい。あなたが気に入ってくれるものを書き続けていきたい。 健司のローテーブルに、明美と千晶に写真が並ぶ。
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5000字くらいらしいで、3時間くらいです。 うーんラストが尻切れに。不足感がいっぱい。 こうやってもみると、自分の中である程度固まってないといけないことを、 再認識しました。一応お題は全部使ったはず。 やっぱりなかなか言葉が浮かびにくくなったなと、感じます。
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