Re: 即興三語小説 ー10月に突入。来年のことを考え始めるこのごろ- ( No.1 ) |
- 日時: 2014/10/05 20:44
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:MbMIFOss
※若干、性別的なことやら兄弟的なあれこれがあります。 ネタバレになるので詳しくは書けませんが苦手な方は回れ右お願いします。
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「黒揚羽って、綺麗だよね」 古い部屋の真ん中で、サキは言った。 「あの羽が、とても綺麗。黒くて、夜に濡れたみたいに光ってて」 言いながら、自分の短い髪を手で梳いた。黒くて、夜に濡れたように光る髪を。 俺は短く「ああ、そうだな」と応えた。 「でも、標本箱に入ってるような、止まってるのは嫌だった。生きて呼吸してるのでなきゃ、気持ち悪くって」 青いカーテンがひらめいて、白い漆喰の壁に影をつくった。硝子の痛んだ窓は建て付けが悪く、閉め切っても必ず隙間ができ、そこから無粋な客人のような風が入ってくる。窓の外には雪に覆われた田園が広がり、この家の孤立感を際立たせている。 ここはもともと、俺達の祖母の家だった。しかしその祖母も、もういない。 「何だかここは標本箱の中みたいで、嫌だった。お祖母ちゃんは優しかったけど、お母さんは凄く怖くて、全然外に出してもらえなかった」 いつもこの窓から、外見てたんだよ、と言う。まるで標本箱に打ちつけられた蝶みたいにね、と。 サキをここに打ちつけていたのは、周りからの好奇の目だった。友人、家族、そして俺。特に母親は世間体を気にする人で、サキをこの家に連れてくる前はしょっちゅう、躾と称して八つ当たり混じりの罰を与えていた。母親のヒステリックな叫びとサキの悲鳴は、未だ俺の耳に残っていて、たまに悪夢のように再生されることがある。 最大の理解者であるべき存在が、サキにとっては最大の敵だったのだ。 でも、とサキは呟く。 「もう、いいんだよね」 カーテンの青は床にも落ちていて、波のようにうねっていた。サキは静かにしゃがみ込むと、ささくれた表面をその白い指先で触った。少なくとも十年以上、サキの足下にあり続けたボロい床板。「冬は痛くて、裸足じゃとても歩けないの」。十年もの歳月をかけ、サキの柔らかな足を硬く荒らしていった―― 「もう、……いいんだよね……」 サキの肩は、小さく震えていた。俺が手を置くと、振り返って泣きそうになった。
「ねぇ、お兄ちゃん」 サキが、俺を呼んだ。 「みんな、いなくなっちゃったね」 俺は「ああ」と頷いた。 「お祖母ちゃんも、お父さんも、……お母さんも」 「……ああ、……いなくなった」
――俺達の祖母が死んだのは、先月末。寿命でぽっくり、逝ってしまった。 その二週間後、両親は買い物に出かけた帰りに凍結した路面で車をスリップさせ、結果、対向車と正面衝突した。運転席の父親は即死、母親は意識不明の重体だった。 だが、つい昨日――俺が学校へ行っている間に、息を引き取った。 サキは一人、祖母の遺したこの家に閉じ込められていて、俺が母の死を知らせたのは、母が死んでから何時間も経ったあとだった。
「……もう、」 蚊の鳴くような声で、サキは言った。 「ここにいなくて、いいんだよね?」 「ああ」 「好きに出かけて、いいんだよね?」 「……ああ」 「お兄ちゃんと同じように制服着て、学校行って、勉強して、お休みの日にはお洒落して、遊んで……」 ねぇ、と。
「お兄ちゃんは“僕”のこと、妹として見てくれる?」 「…………ああ――」
サキは、男だった。 だがそれは、サキの望んだ性別ではなく、サキの見かけの部分だけのことだった。 例外なく、外見に合った性格になることを周囲はサキに望み、できないとなれば徹底的に押さえつけ、差別した。 何故できないのか。 何故お前だけが。 そのことに一番葛藤し、悩み苦しんでいたのは、サキ本人であったというのに。
サキが女である自分をさらけ出せたのは、俺と、死んだ祖母の前でだけだった。 俺も最初は、ずいぶん戸惑ったものだが、小柄で女顔のサキが男言葉を使うのには少々違和感を抱いていたし、何より本当の自分でいるサキの嬉しそうな顔を見ているうちに、この事実を受け入れられるようになっていった。 だから、 「……お前は、俺の妹だ」 「………………ありがとう……」 サキが抱きついてきても、文句は言わなかった。 否、文句など言えるだろうか。 両親と祖母の死を代償に得た自由。 差別、拒絶、皮肉に苛まれ続けた、十五歳の『少女』に。
「お兄ちゃん」 「ん」 「……あのね、もう一つだけ、我が儘」 「何だ」 「僕、お兄ちゃんのこと好きなんだ」 ――ギョッとして俺が身を引こうとしたのと、サキが俺を離すまいと手に力を込めたのとは、ほぼ同時だった。 「……こ、恋人として、だよ」 「……………………それ、は……」 「わかってる。僕が女の子になっても駄目なことくらい。でも、それでも」 胸元に熱いものが染みた。すぐに、サキの涙だと理解した。 ……長い間近くにいて、本当の自分を受け入れてくれた異性に焦がれるのは、至って普通のことだろうとは思う。 しかしこればかりは、安易に肯定できるものではない。 俺は一つ溜め息をついて、上着のポケットからあるものを取り出した。 「……サキ」 サキが俺を見上げて、濡れた長い睫毛が、重たげに揺れた。 俺はそっとサキの手を取ると、取り出したそれを通してやった。 「これ……」 「お前が自由になったら、買ってやるつもりだった」
それはいつぞや、サキがほしいと呟いていたピンキーリングだった。 そして生前の祖母が、俺に「買ってやれ」と言っていたものでもあった。 「……お前に刺さっていた一番太い釘は、抜けたはずだ。標本箱の蝶じゃなくて、いいんだ。だから好きに飛んでって、色んなものを見てくればいい」 色んなものを見て、本物の価値観を得て、それで。 「本物の指輪は、俺よりいい奴ができた時に、そいつに買ってもらえ」 俺じゃない、外の誰かの愛を知れ。
「だからその薬指は、空けておけ――」 いつか、お前を大事に思う人が、現れるまで。
ぐしゃぐしゃになったサキの顔を、俺はもう、見ることができなくなっていた。
真っ白な田園風景の中を、俺達はただ歩いていた。 恐らく二度と踏むことも無いであろう、最寄りのバス停までの一本道。 サキの荷物はすべて、引っ越し屋に任せて送り出した。あとは俺達が、俺の住む家に戻るだけである。 「……これから、忙しくなるだろうけど」 うん、と後ろから声がした。 「葬式とか、手続きとか」 うん。 「引っ越しも、しなきゃいけない。お前のことは、親父の方の叔父さん夫婦がみてくれる」 うん。 「俺が話した限りじゃ、いい人みたいだったし。お前のことも、大丈夫だって、言ってくれたし」 うん。 「しばらく離ればなれだけど、時々は会いにいくから」
サキが、俺の手に触れた。俺が避けようとすると、「今だけ」と言った。 「今だけで、いいから」 言うが早いか、指を絡ませ握ってしまう。 こうなると、振りほどくのは無理そうだった。 「……バス停までだぞ」 うん。小さな声が、応えた。
標本箱の黒揚羽は、雪原の彼方へ消えてゆく。
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初めてこっちに投稿します。 だいぶ変わった題材で読みにくいかもしれないですがひとつ、よろしくお願いします。
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