Re: 即興三語小説 ―黴菌ってなんて読む?― ( No.1 ) |
- 日時: 2014/02/18 23:10
- 名前: 苗穂乂 ID:8Wg/nY7k
蓬莱の森
13世紀に役行者が開いたとされる修験道は、山岳信仰と密教,道教、陰陽道などが習合した修行のみちです。日本各地の山々で多くの男たちが伏し、体を動かして精神と肉体を鍛える修験によって悟りを得ようと日々精進しておりました。 明治の御世となり、懼れ多くも畏くも天子様のご先祖様と天竺の王子さんである仏様を一緒にお祭りするのは憚りがあるだろうということで、岩倉公が神仏分離令を発布奉らされました。あまりに山岳神道と密教が融合していて分離が不可能な修験道はこのとき禁止されたのです。 しかし、熊野や出羽などに集約されていた修験道の本流から取り残された、斗鐸里(とたくり)の山伏行は明治新政府の目にも触れることもなく、人知れずひっそりと生き続けることになりました。 斗鐸里の山伏行の主役は天狗です。一般の修験道においては天狗は神格化され畏れ敬うべき対象なのですが、ここ斗鐸里では、本物の天狗が修行を行っているのです。 斗鐸里のなかでも三弟鷹(さんだい)部落の天狗は猿田彦の子孫とも言われています。猿田彦命は七尺の長い鼻を持つ赤い顔をした大男で、伊勢の国の生まれですが、その昔、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降られたときに日向で出迎えたと言われています。猿田の一族は猿田彦命の子孫のため、皆、大きな鼻と赤ら顔で、周りの人々からは天狗と畏れられておりました。ある浪速のお医者様が絵巻に記したように、猿田彦の子孫はやがて宇宙に出て鳳凰に巡り会うとも言われており、猿田の一族は、冒険好きな、血気の溢れる気性を引き継いでおります。 そのような猿田の一族が幅を利かす斗鐸里三弟鷹の山伏行を面白く思っていなかったのが、これまたその昔、天竺から渡ってきて毒蛇を喰らうとも、日向に立たれた瓊瓊杵尊の御子孫にあたる磐余彦命(いわれびこのみこと)が大和へ向かわれるときに道案内をした八咫烏(やたがらす)の子孫ともいわれている、斗鐸里の紫檀下番(したんかばん)部落の烏天狗の一党でした。彼らは、天狗の真髄は烏天狗にあると信じて疑わず、紫檀下番から三弟鷹に繰り出しては、猿田の一族との闘争に明け暮れておりました。 ときには、お互いに血を流すような闘争になってしまうこともあり、猿田の血に触れた烏の一党が血中の黴菌のために免疫機能が破壊される重篤な病に罹ることも、その逆に烏の一党の唾を浴びた猿田の一族が別の黴菌により流行り風邪のような高熱に苦しむこともございました。 時代は下り、かつてのような斬ったり斬られたり、殴っては噛み付かれるような野蛮な闘争を繰り返すだけでは、お互いに疫病に苦しむだけで、斗鐸里の修験の道もおろそかになり悟りは遠くなるばかりと反省し、一緒に回峰行で競うことを約しました。烏は仲良く猿と喧嘩をすることを選んだのです。 そして、今回の千日回峰行の満願の日はちょうど大晦日にあたります。初日の出を目指して山道の道幅一杯に蛇行を繰り返す独特な山行を特徴とするのが烏天狗一党の初日の出爆走です。そして、彼らの口元を飾るのが、猿田一族の濾過性病毒などの黴菌も防ぐとされている一党の技術の粋、「えぬ九拾伍」の真言を込めたカラスマスクなのです。
--- この物語はフィクションです。登場する人物、団体、引用や伝承の類いは全て現実の人物、団体等と関係はありません。 先週に引き続き飛び入りです。今回は少し資料調査に時間がかかり、仕上げるのに90分ほどかかりました。
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