愛をほっぺに刻みつけて ※R-15 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/03/13 22:10
- 名前: 脳舞 ID:0hb9mi9Y
「こちらは貨物船ヘリンボーン。通信士セディ・アルドより貴船に穏やかなるエーテルの導きあらんことを祈る」 そんな決まり文句とともにコンソール上方のスクリーンに映し出されたのは、闇夜のように黒い肩ほどまでの長さの髪の、女性の通信士の映像と船籍などの情報だった。 このままお互いの船が直進すれば銀河標準時で半日ほど後に擦れ違うことになる。相手を気遣う挨拶の形で自船の位置情報などを通告するのは、好意などではなく義務だ。 「ええと……私の顔に何かついていますか?」 最初の形式ばった言い回しから幾分か口調を崩して、セディが当惑した表情を浮かべた。こちら側のスクリーンに映った相手の顔がじっとこちらを見つめたまま微動だにしなかったからだった。 「そりゃああたしへの当て擦りかい」 通信を受けた側の言葉が初めて返ってきたが、若干の刺々しさを含んでいるのは遠大な虚空を間に挟んでいてもセディに理解できた。 「け、決してそんなわけではっ」 両手を前に突き出してバタつかせながら慌てて弁解しようとするセディの様子がおかしくて、ディアナは思わず小さい笑いを漏らした。セディ側のスクリーンにもそれは映し出されていて、刺々しさ同様に通じているはずだ。 「こっちは貨物船ソリチュード。通信士兼航海士兼整備士兼船長兼……まあとにかく、独りっきりのディアナ・ドンカスターより貴船に穏やかなるエーテルの導きあらんことを祈る」 口の端をわずかに歪めながらディアナは返礼した。そのせいで、左頬に走る四本の大きなひっかき傷が同様に歪んだ。 「……独りっきり?」 逃げ道になりそうな話題に飛びつくようにして、セディが言葉を紡いだ。ディアナにもその意図はわかっていたが、とりあえず乗っかってやることにしたようだ。 「そう。広い宇宙を漂う小さなこの船にはあたし独りっきりだ」 ディアナは芝居がかった口調で、少し伏し目がちになりながらそう答えた。鳶色の短い髪が辛うじて視線を隠した。 「女性なのに、ですか?」 「あんただって女だろ」 「でも、私は大所帯の中の一人ですから。それなのに貴女は……」 「賊にでも襲われたら貞操の危機だってか? 顔にこんなデカい傷がある上に、もう三十路を超えた女なんか誰が押し倒そうってんだい」 自虐の中に何故か少しだけ自尊を溶け込ませて、ディアナが笑った。 「ち、違います! 男性でも独りきりで航海する人なんてまずいないのに、どうしてそんなことをと……あっ、ご、ごめんなさい! こんな立ち入ったことを訊いてしまって!」 また両手をバタバタさせるセディを見ながらディアナは、 (そういや、ユーニも慌てると同じようなことしてたっけな) 頬の傷に手をやって、過去の記憶に想いを巡らせた。 木星の大赤斑のように赤みがかった茶色の長い髪を艶やかに潤わせて、ユーニはぎゅっと目を閉じていた。ベッドに横たわるユーニの上からディアナが優しくその髪を梳いてやると、ユーニの目が少しだけ開かれた。長い髪同様に潤いを帯びた瞳が揺らめき、体もまたしっとりと上気した色を孕んでいるのはディアナのせいだ。 膝立ちになったディアナの右脚がユーニの両脚を割るように差し込まれている。自身の膝に一段と豊かな潤いを感じながら、ディアナはそっとその辺りの密やかな繁みに手を伸ばした。 「んっ……」 再び目を閉じて、ユーニが微かに弓なりに体を仰け反らせた。執拗な、しかし柔らかなタッチにユーニの引き結ばれた唇をすり抜けた吐息がディアナの鼻先を掠めてゆく。 ディアナはこっそりと舌なめずりをして、手は休めないまま視線をユーニの瞳からゆっくりと下げていった。整った鼻梁から桜色の唇、ほっそりとした首筋を視線が舐めてゆき、やや控えめな双つの膨らみでそれは不意に止まった。 ディアナの舌先が左の膨らみの頂きをそっと撫でた。 「ああっ……」 びくりと体を震わせて先ほどより遠くから、それでも先ほどより近くに聞こえる甘やかな声がディアナの耳に届いた。 「悪いコだな、ユーニは……」 静かなアルトを響かせて、ディアナの顔がユーニの双丘に埋もれるように近づいてゆく。 「そん……なこと、ない、もん……」 形ばかりの抗弁がユーニの口から途切れ途切れに漏れる。ディアナはそれをあっさりと無視して、唾液で濡れた頂きに犬歯を突き立てた。 ユーニの体の奥で、悦楽と嬌声とが爆ぜた。 ディアナの顔に笑みが浮かぶ。左の手は蜜を湛えた泉を探るように、右の手はもう一方のなだらかな丘を包み込むようにディアナを弄び続けている。 時折は抗うようにディアナの下で跳ねていたユーニの体も、今ではすっかり弛緩している。ディアナが顔を上げると、ユーニはもっと欲しがるような表情を浮かべた。ディアナが滴るほどに濡れた左手の指を、焦らすようにユーニに見せつけて一本いっぽん舐めてゆくと、恥ずかしさからユーニの顔がさらに紅潮した。 「淫らな味がする」 意地の悪い笑いを浮かべて、ディアナが最後の指を舐め始めたところで、ユーニの羞恥心の限界が来た。 「や、やめてっ!」 閉じた目の前でバタつかせた両の手のうち、右がディアナの左頬を掠めた。 「……っ!」 細められたディアナの瞳と、手に伝わった感触に大きく見開かれたユーニの瞳がぶつかった。 たっぷり五秒ほどの見つめ合いをそこで終わらせたのは、ユーニの肩口に落ちた深紅の滴りだった。いつの世でも、求愛の代償として女の爪は長く鋭い。 ごめんなさい、と動きかけたユーニの唇は一言も発せられないままに塞がれた。ディアナの唇が乱暴に覆い被さってきて、舌が艶めかしい動きをしながらユーニの舌に絡みついてくる。 見つめ合いよりもずっと長い時間をおいて、淫らな糸を引きながら離れてゆく二つの唇のうち、ひとつがユーニの肩を染めて赤い線を描く滴りを舐めとってゆく。それよりも速いペースで、新たな緋色の絵画がユーニの体という薄い桃色のキャンパスに描かれていった。
「……あの、ディアナさん? 聞いていますか?」 セディの言葉で、ディアナは思い出から引き戻された。 「ああ?」 水を差されたような気分で不機嫌な返答をしたディアナに、セディが届かなかった言葉を繰り返す。 「ですから、私だって三十路間近なんです。そんなに変わりはないじゃないですか」 「HAとFAのどっちでだ?」 「……HAですけれど。でも、FAでも一年くらいしか違いませんよ」 この年齢での一年は大きいぜ、と心の中で呟いて、ディアナは言い返す。 「あたしはHAもFAも同じなんだよ。それに過ぎと間近とじゃ全然違う」 HA(ヒストリアルエイジ)というのは、単純に生年月日から数えた年齢だ。対してFA(フィジカルエイジ)というのは、そこからコールドスリープをしていた期間を引いた、肉体的な年齢のことを指す。 今日では、コールドスリープは数日単位や数か月単位で気軽に行われ、HAとFAが同じという人間の方が珍しいほどだ。格闘家が体調のピークを試合の日まで維持するためにコールドスリープを利用したり、嫌いな季節を眠ったままやり過ごすという人間も少なくはない。あるいは、年の離れた恋人同士がお互いの年齢を揃えるという強硬な手段に使われることも稀にある。 セディは合計で一年ほどのコールドスリープ経験があり、HAよりもFAが一年ほど若いということになる。容姿や身体のハリなどはどうしてもFAに依存することになるため、特に女性にとってはFAの方が重要視される傾向にある。 一方、ディアナはコールドスリープの経験がないために、HAとFAがまったく同じになる。例え二者のHAが同じでも、見た目の年齢に大きく差が出るということは珍しくはない。 「ま、あたしはもうすぐ人生初のコールドスリープだ。それも百年ちょっとのな」 ディアナが笑ってそう言うと、セディが驚いた表情になった。 「ひゃ、百年ですか?」 身を乗り出したせいでスクリーンの中のセディが大きくなり、ディアナは思わず体を引いた。 「お、おう。三日後から、百年間な。誕生日に合わせて眠りについて、百年宇宙を漂うのさ」 「そんな、百年だなんて……。一年や二年ならまだしも、百年では人間関係の維持もままならないですし、社会だって大幅に変わっているかも……」 困惑するセディを面白そうに見つめ、ディアナは自嘲気味に苦笑しながら、 「言っただろ。あたしは独りっきりのディアナ・ドンカスターさ。今も百年後も、何も変わりゃしないよ。そして社会が変わるのならそれは望むところだ。もっとも、今さら変わったところで何にもなりゃしないけどな……」 ひとつ大きな溜め息を吐いた。セディはどうして、と小さく呟いたきり黙り込んでしまった。 「どうして、か……」 ディアナはセディの言葉を繰り返し、もうひとつ溜め息を吐いた。 「……残党狩りって知ってるか?」 何の残党なのかをはっきりさせない場合、ここ最近では「リリィの残党狩り」を指すことが一般的だ。そうとはいえ、リリィという特定の集団や組織が存在したわけではない。ある共通する特徴を持つ人間を一括してそう俗称したものだ。 百合(リリィ)の名の通り、女性の同性愛者を地球の一地方の隠語に準えたものだった。子孫の残らない愛は、地球時代の開拓期にも似た数多ある新世界への進出にとって害悪でしかない。 少なくとも権力を掌握する側はそう考え、次々とリリィを処罰していった。 「それじゃあ、ディアナさんは……」 「そう。最後の残党の二人の内の片割れだ」 ディアナとユーニが捕らわれて、二人の知る限り自由を享受している女性の同性愛者はいなくなった。処罰の内容として、整形と改名、性的嗜好の矯正、パートナーに関する記憶の改竄など、噂されていたのはそういった類のものだ。 引き離されて投獄され、来る日も来る日も真実の定かではない処罰を待ち続けることに、ディアナは精神をすり減らしていた。そこに降って湧いたような話が舞い込んできた。 「処罰無しで放免する代わりに、ラムランナーをやらないかと持ちかけられたのさ」 ディアナはそう表現したが、実際には拒否権はないに等しかった。頬に残るひっかき傷など、初めから存在しなかったかのように消してしまう治療が安価に受けられるこの時代で、ディアナはそうしないどころかこれ以上自然治癒しないような処理さえ施しているのだから。 (これがあれば鬱陶しい男も女も寄りつかないし、ユーニは変わらずあたしを愛してくれたしな。あたしにはユーニだけでいい) そして何よりも、愛の形を結果にすることの難しい同性愛者にとって、それはひとつの確かな痕跡と成り得た。 「ラムランナー……お酒の運搬ですか」 セディが心配そうな視線を投げてくる。ディアナはその意味するところを汲んで、 「違法じゃない。密輸や密造とは違う。金持ちの好事家ってのはわけのわからないことを考えるもんでさ」 苦笑しながら説明を始めた。
「……壮大ですね」 どう表現して良いか判らずに、セディは無難な言葉を選んでそう言った。 ディアナは百年かけてラム酒を熟成させながら好事家の元に運搬するという、セディの言葉を借りれば壮大な任務を請け負ったのだ。 「百年熟成させたラム酒と同じものが、擬似環境下でたいした時間もかけずに作れるっていうのにさ。そいつは実際に百年間熟成されながら運搬されてきたものをご所望らしい。本人はどうするつもりなんだろうな。百年間コールドスリープしながら待ってる気かね」 声に若干の呆れを含ませて、ディアナが背後を気にするような素振りを見せた。そちらの方向にはラム酒の保管された倉庫がある。 「でも、何故それをディアナさんが……」 「追ってから逃げ回るために船の操縦を覚えていたことと、やつら曰くあたしがリリィだからだろうね」 セディはそれを聞いて疑問の色を深めてゆく。顔に浮かんだそれを見て、ディアナは面白そうに続ける。 「古くは、ブドウ酒を作るときには処女が素足でその実を踏んで潰したものさ。口噛みの酒だなんていう、これも処女の口の中に一旦含んだ木の実や穀物の発酵から作ったものもあったらしい。何の拘りなんだか、酒に関わることは処女がやらないと駄目なんだとさ」 「処女……」 「そりゃそうさ。あたしは生粋の同性愛者だからな。男を知らないって意味ではまさしく処女そのものだ。それが淫らな快楽を知らないってことじゃないし、女の体を貫くのは男にしか出来ないわけでもないだろうに」 少し遠い目をしながらディアナがそう言うと、セディは顔をほんのりと赤らめた。ディアナの表情を、若さからは決して生まれない妖しい艶が取り巻いている。 「恋人と知り合ってから二人でずっと逃げ続けるうちに、あたしはもう三十一になっちまった。そいつもあたしよりはいくつか年は下だったけど、もう若いとは言えやしない。今頃はどこでどうしているかもわからない。もうお互いに擦れ違ったとしても気がつかないような、厳しい処罰を受けたんだろうか……」 セディが何か言葉をかけようとして結局は紡ぎ出せずに、声にならない声を何度となく漏らしている。ディアナはそんなセディには気づかない素振りで、 「さあ、そろそろ百年後へと旅立つ時間だ」 通信の終了コマンドを入力しようとコンソールに手を伸ばした。 「ええっ? 三日後の誕生日に合わせてじゃなかったんですか?」 「なにしろ初めての上、長い期間のコールドスリープだからな。三日間の予備睡眠で異常がなければそのまま本睡眠に移行という形を取るんだ。異常があったとしてもあたし以外に誰もいないこの船じゃ、デカい棺桶が自動航行でゆっくり漂うのと変わらないけどな」 乗員がいなければ出航の許可が下りず、何かあっても所詮はリリィの残党であれば大事にはならないという、そんな思惑の結果がこの任務であることはディアナも承知している。それでも獄中でどんどんと想像の膨らんでゆく苛烈な処罰よりはマシであると、ディアナはそう思っていた。 「そんな……」 セディが縋るように手を伸ばすが、スクリーンの向こう側には届かない。 「貨物船ヘリンボーンとその乗員、特に通信士セディ・アルドに穏やかなるエーテルの導きあらんことを祈る」 形式的に言い残して、ディアナは通信を打ち切った。 そして静寂の中でゆっくりと深呼吸を二度ほど行うと意を決して立ち上がり、コールドスリープルームの中へと消えていった。
「長い通信だったな、新入り。あの頬傷女に一目惚れでもしたかい」 すぐ背後からかけられた冗談混じりの声に、物思いに沈んでいたセディはびくりと肩を跳ね上げた。 「も、申し訳ありません! あ、そ、それからっ、決してそんなわけじゃないんです!」 振り返って両手をバタバタさせるセディに、後ろから覗き込むような姿勢になっていた同僚が素早く距離を取った。 「おっと、危ねえ。女に爪を切れとは言わねえが、他人を怪我させないように気をつけてくれよな」 「ほ、本当に申し訳ありません……」 「気にするな。それに、通信士なんて乗船中はわりかしヒマなもんさ。下船後と乗船前の手続きに大忙しになるんだから、船の中でくらいのんびりしてろ」 そう言って自分の業務に戻ってゆく同僚を見送って、セディは再びコンソールに向き直った。 そして何事かの短い操作を終えると、これから擦れ違うディアナの船、ソリチュードが見えるだろう窓の外に視線をやってひとつ頷いた。
「意外と何でもないもんだな、百年ちょっと寝てたっていうのにさ……」 貨物船ソリチュードのコールドスリープルームから出てきたディアナは、首を右に左に何度も傾けてほぐしながらゆっくりとコンソール前の座席についた。自船の位置情報からは間もなく積み荷の届け先に到着することが確認できた。 「ん? 何かメールが来てやがるな。貨物船ヘリンボーン……ああ、あの手ぇパタパタ女の船からか。送信時刻は百年と三日前……あたしが眠ってすぐじゃないか」 ふわあ、とあくびをしながらディアナがメールを開封した。目を擦りながら内容を読み上げる。 「ええと、なになに。百三十二歳の誕生日おめでとう。そして恋人につけられた頬のひっかき傷がいつまでもディアナとともにありますように……なんだこりゃ。あたしはまだぎりぎり三十一だっての、FAでだけどさ。百年と三日早いんだよ……いや、あたしの方が遅いのかね」 簡素な文章を何度か読み返して、ディアナはわずかに眉をひそめた。 「直接対話じゃないからなのか、人のこと呼び捨てにしやがって…………あれ? あたし、傷の理由まで話したっけな」 斜め上を見つめて思い出そうとしたが、 「何しろ百年も前のことだからな。よく覚えてないな」 おどけた仕草で溜め息を吐いて首を振った。 「……あのセディが実は整形や改名、記憶改竄を受けたユーニで、あたしの頬のひっかき傷を見て記憶が蘇った、なんてのは……いやいや、そんなおとぎ話みたいなのを信じるような乙女だったのは百年どころの昔じゃ済まないか」 頬の傷をなぞりながらディアナが苦笑した。誰も聞くもののない独り言が静かにスクリーンにぶつかり、辺りにゆっくりと溶けていった。
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計画停電で投稿も執筆もままならなくなりそうなのでさっさと投下。生存報告も兼ねて。 しかし、今回の三語は参加者いるのでしょうか……まあ、読まれない方が好都合という気もするのですが。品性疑われそうですし(今さら?)。
地震の被害が大きかった地域の方、どうかご無事で。
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