たつこ姫と小人たち ( No.1 ) |
- 日時: 2013/12/01 19:22
- 名前: katagiri ID:/bc5l2Ok
小人である僕たちが、本当のところは何者かなんて、分かりはしない。小人というのは、とてもあやふやで、本人にさえはっきりとしない存在なのだ。僕らが長年お仕えしているたつこ姫からして、僕らが、ここにいる、ということに気づいていない。僕らはたつこ姫の寝静まった深夜に部屋の片隅から起き出して、たつこ姫の身の回りの世話をする。それは、長く長くつづく、僕らの日課というべきものだった。 「まったく、これが結婚適齢期を迎えた女の部屋かね」 最年長のユウ爺が、酒の空き缶やら、空き瓶の整理をしながら嘆いた。少しまがった腰で、コロコロと空き缶や空き瓶を押している。老体に鞭打つようで痛々しくもあるが、小人はユウ爺を合わせて三人。そのうちの一人たりとも休むわけにはいかない。 ちなみに、僕ら小人が掃除をするときに大切なことは、あまり片付けすぎないこと。部屋があまりに綺麗になっていると、部屋の主が怪しんでしまう。まさか僕らの存在に勘づくことはないだろうが、得体の知れない侵入者がいるかもしれないとなれば、心中穏やかとはいかないはずだ。 「ホントよね。意中の男性と一緒にディナーとまではいかないまでも、せめて女友達と楽しくお酒を飲んでもらいたいもんだわ。しこたまお酒を買い込んで、毎晩毎晩独りっきりの部屋で深酒なんて、褒められたものじゃないもの」 女の小人である、フキが小さな箒で掃き掃除をしながら、ベッドの上に大の字で寝ているたつこ姫を見上げた。当のたつこ姫は、良い気なものというべきか、いびきをかきながら夢の世界に落ちている。不思議なもので、僕らの会話がたつこ姫の眠りを覚ますことはないらしい。それどころが、僅かなりとさえ声が聞こえることすらないようで、それをいいことに、僕らはたつこ姫の身の回りの世話をしながらも、彼女の近況やこれからについてあれやこれやと語りあうのが常である。 「そうだね。今までもこんなことはあったけど、最近特にひどい気がする。何かまた気に病むことでもあるんだろうか」 師走の冷え込む夜に、たつこ姫の寝相の悪さから蹴とばされた蒲団をなんとかかけ直しながら、僕はいった。小さな身体の僕らにとって、この蒲団直しが一番の重労働である。僕ら三人の中で一番力仕事に向いているのが、比較的若い男の姿をしている僕、というわけだ。 なんとか、仕事を終えると、くたくたになった僕らはソファの腕掛けにお腹を当ててだらんともたれかかった。もし誰かに見られたなら、さながら怪しい干物が三枚といったところかもしれない。 「ふう、この寒さに重労働は堪える」とユウ爺。 「明日もこんな風なのかしら」とフキ。 「きっとそうだろうね。たつこ姫の抱える問題が解決しないかぎりは」と僕。 「でもそれって」と三人でいい、「解決するようなものなんだろうか」と三人で嘆いた。 たつこ姫の寝言から、彼女が抱えている問題のいくつかは察しが付く。OLをしている彼女は最近職場の配置転換になったらしく、その先で気の合わない同僚と仕事をしなければいけなくなったようなのだ。もともと気の弱いたつこ姫である。相手に無茶を言われたとしても、何を言い返せるわけもなく、一人で慣れない仕事をこなしているのだろう。もしかしたら、僕らには想像もつかない心労を抱えているのかもしれない。 「いかん」僕が我が主の現状に憂いていると、唐突にユウ爺が声を荒げた。「嫌な夢でも見ているらしい。たつこ姫の頭のてっぺんから黒いモヤモヤが溢れ出ている」 「うわあ、これはいよいよ差し迫ってきたわ」フキが血相を変える。 「やるしかないね」僕が目配せすると、ふたりは黙ってうなずき、くたくたの身体にもう一度気合いを入れ直した。 僕ら小人が何のために存在するのかわからない。でも、こうして存在する以上、僕らが為すもっとも重要な仕事は、主人の負の感情を少しなりとも晴らすことである。人生で担わなければならない、辛さや悲しみ、どうしようもない不幸や、癒えることのない病、そうしたものに、人間というのはどうやら無力なのらしい。だから僕たち小人は、主人が寝静まった時間に、その人の黒いモヤモヤを必死に晴らしつづける。 いっちに、いっちに。 掛け声をあげる。頭のてっぺんから浮かぶ黒いモヤモヤを小さなバケツで汲みあげて、となりの小人に渡し、さらにとなりに渡す、窓の外へと放り出す。 いっちに、いっちに。 そう、これはまさにバケツリレーだ。僕らがどれほど身を粉にして黒いモヤモヤを汲み上げつづけようと、溢れ続けるそれが尽きることはない。船底に空いた穴を防ぐことは僕らにはできないのだ。それでもせめて、主が溢れる黒いモヤモヤに溺れないようにと、僕らはこうして黒いモヤモヤを汲む。そんなことをして僕らに何の得があるのか、そのためだけに存在するなんてただの下僕じゃないか、だなんて、誰かはいうかもしれない。でも、僕らは、こうすることが嫌いじゃない。少しでも、そう少しでも清々しい朝をたつこ姫が迎えてくれるなら、それに勝ることは何もないのだ。
日中、がらんとした部屋片隅で、疲れて横になりながら、僕らはただたつこ姫が朗らかな気分で帰宅してくれることを願った。彼女の今日という一日が、昨日より良いものであれと願い続けた。 けれど夜、帰宅したたつこ姫は泣いていた。声を殺して泣いていた。安いアパートだから大声で泣いては、隣の人に気づかれると思ったのかもしれない。そんな、使わなくていい気を遣うのが、僕らの主であるたつこ姫だった。 「……吉川さん」 たつこ姫が、誰かの名前をぽつりとこぼした。 ただ名前を呼んだだけのこと。しかし、その後のしゃくりあげるような泣き声が、彼女にとって、その名前がどれほど大切だったかを物語っているようだった。そしてそれは、最後の最後に彼女が口にする大切な誰かの名前なのだろうと僕には思えた。 「もう嫌だ、ずっと黙っていればよかった。恥ずかしい、死にたい」 そんなことまでたつこ姫は口にする。僕も、ユウ爺も、フキも、すぐに駆け出していって、そんなことを言わないで、と叫びたかった。あなたという人が、僕たちにとって、どれほどかけがいのない存在であるかを知ってもらいたかった。あなたが抱える人生の悲しみを肩代わりできないとしても、この存在が果てるまで、あなたの悲しみを晴らしつづけると伝えたかった。 たつこ姫は、泣き疲れたのか、今は猫のように丸まって、ベッドの上に寝ている。たつこ姫が抱えているものは、誰かからいわせれば、取るに足りない人生の悲しみのひとつに過ぎないかもしれない。でも、きっと、全ての人がそんなものに思い悩みながら生きるよりないのだ。ならば僕らができることは。 いっちに、いっちに。 負けてなるものか。負けてなるものか。そんなことを思いながら、僕らはバケツリレーに精を出す。まったく、今夜の黒いモヤモヤ晴らしは大仕事だ、汲んでも汲んでもきりがない。いつしか僕たち自身が黒いモヤモヤのなかでおぼれてしまうのではないかとさえ思えた。だけど、僕らが負けないかぎり、きっとたつこ姫も負けはしない。そして彼女はきっと明日もいつもどおりに仕事に向かうだろう。どれだけの辛さをその胸のうちに抱えていようと、時は過ぎることをやめない。気が小さく、不器用で、いつもくよくよするたつこ姫、まじめだけが取り柄というような、そんな人。 いっちに、いっちに。 夜通しつづけられる僕らのバケツリレー。 はてさて、僕ら小人とはいったい何なのか。作業の合間にそんな疑問がまた頭のなかに過る。答えの出ない疑問。それとも僕らは、その答えを知ることを禁じられているのだろうか。 ふと見上げた箪笥の上に、僕はたつこ姫の家族の写真を見つけた。おじいさん、おとうさん、おかあさんに囲まれて、幸せそうに笑っているたつこ姫。もうこの世のどこにもいない大切な人々。その人たちに似たような顔をした誰かを僕は思い出しそうになるが、やがて登るだろう朝陽を感じると、かぶりを振って、慌ててバケツリレーに戻っていった。
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久しぶりにお邪魔します。話的には、うーん、ちょっとクサいかもしれません。 でも、書いているのは楽しかったです。
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