深淵 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/02/06 22:35
- 名前: HAL ID:0B15qM3k
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
20XX年の夏、活火山の噴火とともにそれは起きた。粉塵に覆われた空の下、分厚い雲と地上との、ちょうど半ばほどの低空に、亀裂が開いたのだ。 その亀裂の向こうには、宇宙があった。いや、あるように見えた。どこまでも続く深遠、遠くに光る瞬かない星。けれど実際にその亀裂に飛び込んで、その向こう側がホンモノの宇宙であることを実証した者はいまだにない。 その亀裂は、ひとつだけではなかった。世界中の、人口があるていど密集したすべての都市の上空に、それは現れた。 空間の裂け目、ねじれ。それは普段、口を閉じて、ほそい一本の黒い線のようになっている。よく目を凝らさないと見えないそれは、十数日に一度、瞬きするように、ゆっくりと裂け目を広げる。 どうしてそんなものが発生したのか、世界中の科学者が喧々諤々の議論を交わしても、答えは出なかった。ただ現象だけが目の前にあり、人々はそれに対処を迫られつづけている。
「計算のうえではさ、地球上の生物がまともに生存できるのは、あと五ヶ月くらいなんだって」 義人の声は、眠気を孕んでいるように、のんびりと響いた。 ほんとうなら、真夏の陽射しが照りつけるはずの時季なのに、空は雲に覆われたまま、どんよりと暗く沈んでいる。 「計算では、っつうのは?」 誠が聞き返すと、義人は地上に目を戻して、肩をすくめる。背負ったリュックが揺れて、がちゃがちゃと忙しない音が鳴った。 ふたり肩をならべて、もう何日ものあいだ、休み休み歩いている。彼らが履いているスニーカーはぼろぼろに擦り切れて、Tシャツもすっかり垢じみてしまっている。 「なんか、南米とか東南アジアのあたりで、植物が異常繁茂してるんだって」 へえ、とあいづちをうって、誠は少し、考えるように腕を組んだ。 「つっても、そんなんじゃ追いつかないだろ」 「ていうか、その地域に一気に人が移住しはじめたらしいよ。戦争にならないといいけど」 いって、義人はふたたび空を見上げる。南のほう、ちょうど彼らの通っていた中学校の上空あたりに、目を凝らさないと見えないほどの、細い線がある。 空間の裂け目が開いているのは、わずかな時間だ。きっかり七秒。そのあいだ、そこからは空気がかなりの勢いで吸い出される。その結果、それから数日間のあいだは、天候が荒れる。急な気圧の変化に、高山病で倒れる人も、少なくはなかった。 「あれって、何で七秒ジャストなんだろうな」 義人が、汗をぬぐいながら、ふっと呟いた。「自然現象だったらさ、毎回ちょっとくらい、誤差があってもよさそうじゃない?」 「さあ。そういうルールなんじゃねえの。七秒ルール」 「誰のルールだよ」 「知らね。宇宙人とか」 いって、誠は面白くもなさそうに、足元の空き缶を蹴り飛ばした。空き缶といっても、飲料ではなく、鯖味噌の缶詰だった。誰かが持ち出した非常食なんだろう。 いまや、都市に残る人はほとんどいない。だが、地方に移住してそこの人口密度が上がれば、今度は裂け目がそこに開く。堂々巡りだった。それでも、少しでも長く生き延びたいと思うのは、人情なのだろう。虚しいイタチごっこが、地球中のそこここでくりひろげられている。 人は群れたがる生き物らしい。分散して、また集結する。満遍なく世界中に散ってもよさそうなものなのに、少しでも緑の多い場所に、少しでも安全そうに見える場所に、集まっていく。 ふたりもそうだ。家族といっしょに親戚を頼って、うまれそだったこの町を離れ、田舎に疎開した。けれどその地域もまた、徐々に人口が増えてきている。まだ亀裂の存在は確認されていないけれど、時間の問題だろうと、誰もが囁いていた。 もう、新しく住みたいという人がやってきても、これ以上の人口を受け入れるのは、危険だろう。彼らの移住した先でも、大人たちのあいだでは、そういう意見が主流になってきた。そもそも、住む建物の問題もある。食料の問題もある。 「だけど、ほんとに宇宙人の攻撃なのかもな」 いって、義人は目を細めた。 「それだったら、もっと徹底的にやるんじゃねえの。こんなゆっくり空気抜くんじゃなくてさ」 誠の反論に、そうだよなあと首をひねって、義人は頭を掻いた。 「さんざん弱らせてからさ、降伏を迫ってくるつもりだったりして」 「うわ、あるかも」 いやそうに顔をしかめて、誠はリュックを担ぎなおす。けれどすぐにぱっと顔を上げて、前方を指さした。 「見ろ、義人」 遠く、誠の指差す先には、電波塔の先端。彼らの町に近づいてきたことの、それは目印だった。おお、と義人も歓声を上げる。 「なんか、すっげえ久しぶりな気がするなあ」 「まだ二か月しかたってないって。……でも、うん。そうだな」 顔を見合わせて、にやりと笑うと、二人は足を速めた。
ふたりの足が、校門の前で止まった。 急にぶつっという音がして、二人は顔を見合わせる。数秒のあとに、始業を告げるチャイムが、空々しく鳴り響く。 「まだ、チャイムとか鳴るんだな」 「授業なんて、とっくにやってないのにな」 顔を見合わせて、二人は黙り込んだ。気味の悪そうな顔で、誠が正門を押す。施錠されていた。 どちらからともなくリュックを下ろし、塀の内側に放り投げると、門に取り付き、よじ登る。乗り越えるのに、たいした時間はかからなかった。 校庭を横切って、下足棟へ。整備されないグラウンドの端は、雑草が繁っていた。びょう、と風が吹き付けて、二人は何度となく目を瞑る。 人気のない校内には、足音がやけに響いた。もう使われなくなった建物なのに、習慣は染み付いているらしく、二人は土足を脱いで手にもつと、靴下で廊下を歩く。 誰もいない教室の横を通り過ぎる。真夏だというのに、空を覆う粉塵のせいで、気温はあがりきらない。いつもあたりは中途半端に蒸し暑く、そのせいか、あるいは裂け目の近くの地域だからか、蝉の声ひとつ聞こえてこなかった。 「おまえの兄貴、心配してっかな」 誠が階段をのぼりながら、ぼそりとつぶやいた。 「してるだろうね。……誠の親父さんだって、いまごろ気が気がないんじゃないの」 「あんなクソジジイはどうでもいいって」 誠は吐き捨てて、唇を曲げた。しばらくむくれたように、口をつぐんでいたけれど、やがてぱっと顔をあげた。その先には、屋上に続くドア。 「やっぱり鍵、かかってるな」 「そこどけ、義人」 誠はいうなり、廊下にあった消火器を振り上げた。ドアの金属がへこみ、騒々しい音が鳴る。 「いってえ……手ぇ、痺れた」 「当たり前だろ」 呆れたように義人はいったけれど、それでも鍵は、壊れたようだった。留めといわんばかりにドアを蹴り開けて、誠は屋上に飛び出す。 「うわ……」 屋上に出た二人の頭上に、その裂け目はあった。真黒な、細い細い線。巨人がサインペンで、ひょいと空に線を引いたような。 しばらく圧倒されたように、それを見上げていた二人だったが、やがて義人がリュックを置いて、腰を下ろした。 「まだ、時間までもうちょっとある。いまのうちに、昼飯、たべておこう」 水だけは、水道の生きているところでそのつど補給してきたが、もってきた食料も、残り半分を切った。カチカチになったフランスパンを、どうにかペットボトルの水で流し込みながら、二人はしばらく、ぼんやりと空を眺めていた。ほとんど頭上と思ったけれど、正確にはそれは、グラウンドの真上にあるようだった。 空には鳥一羽、横切らない。鳥たちは知っているのだろう。どこが危険な空域なのか。 「この距離って、どうなんだろうな」 「なんだ、いまさら怖くなったのか」 「うっせ。そんなんじゃねえよ」 憮然といって、誠はパンくずを払った。空はかわらず、陰気に曇っている。 「そろそろくるぞ」 時計を見て義人がいうのと、ほとんど同時だった。 空気がざわめく。ごくりと唾を飲み込んで、誠は屋上のタイルを踏みしめた。 頭上の亀裂が、ゆっくりと開いていく。ごう、と風が唸り、ふたりは耳を両手で押さえた。減圧で、耳が痛むのだった。 「何かにしがみ付け!」 大声で、義人が怒鳴ったけれど、それは風にかき消されて、誠の耳にまでは届かない。誠の体は、いまに宙に巻き上げられるのではないかというほど、危なっかしく風に引き摺られる。そうしながらも、その顔は、まっすぐ上空に向けられていた。 宙の裂け目が、開ききっていた。 その形は、まるで白眼のない、巨人の目のようだった。そこには夜空よりももっと深い闇と、煌く星々とがあった。真っ白に皓々と燃える星。赤く沈む小さな星。ぼんやりと輝くようなガス雲。 「誠!」 義人が悲鳴を上げた。誠の足は、風に引き摺られて、屋上のへりのほうへと運ばれていく。けれど肝心の誠は、ぽかんと虚空の穴にみとれて、無防備な表情をしていた。 「誠!」 もう一度義人が悲鳴を上げた、次の瞬間だった。急激に、風が弱まっていく。 裂け目が閉じていく。 瞬きほどのあとには、亀裂はただの線に戻り、ついさっきまですぐ間近に垣間見えていた星空は、白昼夢か何かのように、すっかり消えうせていた。
「うわ、頭、まだ痛い。耳鳴りがする」 「俺は目の裏がちかちかする……」 二人は屋上に大の字になって、それぞれに顔をしかめていた。減圧の影響がなかなか戻らない。 そうはいっても、もともと曇っていた空が、さらに暗くなってきているので、長くそうしているわけにもいかなさそうだった。あの裂け目が開いたあとには、急激な気圧の低下にともなって、天気が荒れる。亀裂が開いていた最中ほどではないけれど、風が唸りを上げていた。 「でもさ……生きてるな。俺ら」 誠は呟いて、亀裂を目で追った。またサインペンの落書きに戻ってしまった、その空中の線。 「そうだね」 「これだけ間近にいても、案外、死なないもんだなあ」 いって、誠はくつくつと笑い出した。 「そんなもんだよ」 知ったような顔で頷いて、義人がリュックを担ぐ。 「さ、中に入ろう。雨が来る」 誠はよろめきながら起き上がり、その後に続く。 「ま、見たかったもんは見たしな。なあ、お前、このあとどうする?」 「誠はどうしたい?」 真顔で聞き返されて、誠は鼻をこすった。家族のもとには、戻らないつもりで出てきた。醜い椅子取りゲームに、うんざりしていた。異常事態のせいだとわかっていても、我が身可愛さのあまり争いのたえない集団が、わずらわしかった。どうせ遠くないいつか、みんな死に絶えてしまうのなら、ほんのいっときそれが伸びたところで、何になるというのかと。 だけど。 先ほど見あげた亀裂の向こうを目蓋の裏に浮かべて、誠は身震いした。その先に広がる深遠、何もない遥かな空間の、その途方もない孤独。 ドアをくぐって、校舎の中に入る直前、誠は振り返って、上空を見上げた。空中を走る黒い線は、沈黙している。 「……雨が止んだら、帰るだろ。ほかに、行くとこねえしな」 義人はそれには何も答えず、ちょっと笑って肩をすくめた。 二人がドアをくぐった直後、大粒の雨が、屋上を叩き始めた。
---------------------------------------- うっ……締め切りちょっとすぎた上に、中途半端なストーリーになりました……。 久しぶりの参加です。そしてやっぱり60分は無理でした……途中中断して、3時間ほど。
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