リライト希望作品 『歌う女』 ( No.8 ) |
- 日時: 2011/02/09 19:58
- 名前: HAL ID:Ukr5LDQc
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
彼女がいなくなったのは、秋口だった。残暑も忘れさったかのように、涼しげな風の吹く日があったかと思えば、また急に真夏に戻る。けれど水道を捻ってみれば、手に触れる水は思いがけず冷たい。そういう、季節の移ろいにふと気づく朝のように、彼女の姿も、気づけば部屋から消えていた。
彼女がぼくの部屋に住み着くようになったのは、祖母がひっそりと逝った去年の初夏、葉桜の季節のことだった。 祖母は口がきけなかった。耳は年相応以上にしっかり聞こえていたが、喉が悪く、言葉を発することができなかった。 祖母はとても物静かなひとで、それはもちろん彼女の障害のためということもあったけれど、それ以上に、自分の意見を前面に押し出そうというところのない女性だった。どうしても何か伝えたいことがあれば、いつも持ち歩いている広告の裏を綴じたメモ帳に、ちびた鉛筆を持って、筆談をする。ちんまりとしてあまりきれいとはいえない、けれどひどく丁寧な字で、祖母はときおり短い言葉をつづった。 幼い頃のぼくはお祖母ちゃんっ子で、物言わぬ祖母が、どんな話にでもにこにこと笑って頷いてくれるのが嬉しく、何かあると、うれしいことでも辛いことでも、まず祖母に話した。 そして、にもかかわらず、就職してからはずっと疎遠になっていた。祖母の住む故郷は遠く、上京したぼくも、生家とは離れたところに職を得ている両親も、祖父なきあと彼女に一人暮らしをさせていることに、抵抗はもちろんあった。けれど、口のきけない祖母は、知らない人ばかりの都会にうつるよりも、誰もが顔見知りで気安い田舎のほうがずっといいと、めずらしく強く主張するように、何度も帳面に書いてみせた。うちの両親にしても、ふたりとも昼間は働きに出ていることもあって、そのほうが安心だという思いがあったようだ。 けれど田舎は遠く、ぼくの足は次第に遠のいていった。もう長いこと、年に一度、盆と正月のどちらかに顔を見せればいいほうだった。 そういう次第だから、ぼくは祖母の訃報を耳にしたとき、まずなによりも先に、罪悪感を覚えた。倒れていた祖母を見つけたのは近所に住む親戚だった。両親はかろうじて死に目に間に合ったものの、ぼくは駆けつけようとする途中で、携帯電話越しに涙ぐむ母の声を聞いた。 祖母がひとりで暮らしていた郷里の家で、通夜も葬儀も行うというので、ぼくはそのまま会社に電話を入れ、その足で帰省した。 普段はあまり弱った様子を見せない祖母だったが、それでもじきに八十という年で、大往生とまでは言わないにしても、客観的にはしんみりとした、いい葬式だったと言っていいだろう。遺影の祖母は、帰省するたびに眼にしていたのと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。 もう少しまめに顔を見せればよかった、もっと電話もすればよかったと、後悔をもてあましたまま二日を郷里で過ごし、東京に戻るために、バス停まで向かっているときだった。ぼくは後ろからついてくる、若い女性の姿に気が付いた。 歩きながらちらりと振り返ってみたところでは、少し野暮ったい印象の格好だった。暗い色の服も、少し派手な化粧も、けして不恰好ではなかったものの、いまどきの若い女性の装いにしては、どこか時代遅れな感じがした。 そのときは、その服装に違和感を感じはしたけれど、あまり気にしてはいなかった。何せ、交通機関も限られた田舎のことだから、駅まで行く道が誰かと重なったところで、不思議もない。 けれどバスに乗って駅に着き、電車に乗って、乗り換えのために改札を出たときに、ぼくはまた同じ女性の顔をホームで見た。 その瞬間は、偶然かとも思ったが、電車を乗り換えて、一人暮らしをしているアパートの最寄り駅を降りたところで、自分のあとに続いて彼女が降りてきたときには、偶然だの気のせいだのという考えは頭から飛んでいた。女の子に後をつけられるような覚えはないつもりだったが、どう考えても、はるばる郷里からぼくを追いかけてきたとしか思えない。 「何か」 話しかけると、その女性は驚くようすも、怯むようすもなく、ただにっこりと微笑んで、小首を傾げた。十代の終わりか、二十代の前半か、それくらいの年頃に見えるが、その割にはどこかあどけないような、夢見るような表情だった。 あまりに彼女が平然としているので、実はぼくの単なる思い違いで、よく似た別の女性だったのか、それとも本当にたまたま同じ道行きになっただけなのかと思えて、「失礼」と会釈をして元通り、家路に着いた。 ところが、女性はいつまでもあとをついてくる。もの問いたげな視線を何度となく向けてみても、目が合うたびににっこりと笑うばかりで、彼女はやはり、ぼくの数歩後をのんびりと歩き続ける。 そうこうするうちに、とうとうアパートに着いてしまい、階段を上がって三階にある部屋の前までやってきたところで、立ち止まり、振り返って睨みつけたけれど、それでもやはり彼女は笑顔のままで、何の気負いもないように、のんびりと歩み寄ってきた。そうして、さも当然のような顔をして、ぼくの部屋のドアノブに、手をかけようとする。 鍵がかかっているのだから、そうされたところでドアが開くはずもなかったが、ぼくはとっさに、「ちょっと」と声を上げて、彼女の腕をつかもうとした。 その指が、すり抜けた。 背筋をいやな寒気が駆け上った。何の感触もなかった、というわけではない。指がそこを通過したその瞬間、靄のような湿った、冷えた手触りがあった。 ぼくはまじまじと、彼女を見下ろした。そうして間近に見てみると、袖からのぞく腕が、ひどく白いけれども、若く見えるわりには張りがなく、すこし疲れているようなのが、まず見て取れた。手の甲にある小さな黒子や、その上に並ぶやわらかな色の薄い産毛まで、くっきりとこの眼に見えた。 それなのに、触ることができない。 彼女は首を傾げると、凍りついたぼくから眼を逸らし、なんなくドアノブを捻って、ぼくの部屋に上がりこんでいった。 スチール製のドアの向こうに、彼女の姿が隠れ、音を立てて鉄扉が閉まった。鍵をかけわすれていたのかと、そんな日常的なことに思いが及んだところで、ようやくぼくの体は動いた。 けれど慌ててドアノブを捻ると、鍵のかかった、たしかな手ごたえが返ってくる。 思わずよろけて後ずさると、手すりが背中にあたった。独身者くらいしか住まない安アパートは、廊下も階段も手すりが低く、もう少しぼくの足取りがたしかだったなら、真っ逆さまに転落しようかというところだった。結果的には、最初から腰砕けだったのが幸いして、汚い廊下に座り込むだけですんだのだけれど。 どうにか立ち上がって、震える手でキーを差し込み、ドアを開くと、見慣れた物の少ないワンルームの隅に、当然のような顔をして、彼女がくつろいでいた。
幽霊らしいその女は、何をするわけでもなかったが、低めのかすれた声で、よく歌をうたった。 それは古い歌謡曲であったり、懐かしい感じのする童謡であったり、聴いたこともないような、中国語やフランス語の歌であったりした。彼女が歌うと、どんな曲も、気だるげでしっとりとした調子に聞こえた。 最初のうちこそ、怯えて近所のホテルに泊まったり、過労で頭がおかしくなったのだと思って、いい精神科は近所にないかと電話帳を開いてみたりしていたぼくだったが、十日もしたころには、彼女が歌う以外に何も害のないらしいことを、ようやく飲み込んだ。 それから、彼女との奇妙な同居が始まった。 その、幽霊にしては祟るでもなく恨み言をいうでもない女は、ただぼくの部屋の、何も置いてはいない片隅を占拠して、気まぐれに歌ったり、ぼくがなんとなく点けているテレビを、興味深そうに眺めたりしていた。かといって、話しかけてもにこにことしているだけで、返事が返ってくるでもない。 彼女は、驚くほどたくさんの歌を知っているようで、毎日、違う歌が部屋には流れた。残業に疲れて深夜に帰った夜などは、彼女の気だるげな歌声が、ひどく胸に沁みるような思いがした。ぼくがときどき思わず我を忘れて熱心な拍手を送ると、女は、幼い少女のように無邪気に微笑んで、優雅な礼をしてみせるのだった。 何を思ってぼくについてきてしまったのかしらないが、ただ歌うだけの、何の害もない幽霊だ。そう思う心の片隅で、けれど、昼間に仕事の波がふっと途切れて、職場の喫煙スペースで煙草を吸っているときなどには、もしかしたら彼女が祖母をとり殺したのではないだろうかと、そんな考えが頭をよぎりもするのだった。そういうときには、何も害のないような顔をしていても、何かしらの未練があるからこそ幽霊として出てくるのだろうし、それならば何をしたっておかしくない。そんなふうに考える自分と、あんな歌をうたう女性が、そんなふうにたちの悪いものであるものかと思う自分と、心が真っ二つに割れて、かみ合わない平行線の議論を始めるようだった。 といって、誰に相談できるでもない。霊感なんてありもしない(たぶん、ない)ぼくに、あれだけ鮮明に眼に見える幽霊ならば、他者にも当たり前に見えるのかもしれなかったが、過労で幻覚を見るようになったと、心療内科を紹介されるのは恐ろしかったし、まだ職場にも未練があった。それに、もしその治療を受けた結果、彼女の歌声が聞こえなくなってしまったなら、それはそれで、惜しいような気がした。
やがて夏が過ぎ去り、残暑に悩まされる日中と涼しい明け方の落差に戸惑うような、そんな頃のことだった。 それまでご機嫌で、古い歌ばかりうたっていた彼女が、ある日、目を細めて懐かしそうに、なぜか子守唄を歌っていた。曲名もしらないが、いつかどこかで聞いた歌だ。幼いころに母が歌ってくれたのかもしれない。 彼女の心にどういう変化があったのかはしらない。けれど、それまではどこか気だるくもの哀しい歌ばかりだったのに、その子守歌だけはひどく温かい調子で、本当に幼い子どもに聴かせてでもいるかのような、やわらかな声がぼくの耳を撫でた。 その歌を聴いているうちに、いい年をして子どものようにあやされでもしたものか、ぼくはしらず、眠っていた。 明け方、電気も点けたままの部屋で目を覚ますと、そこにはもう、誰の気配もなかった。 それきり、彼女の姿は見ていない。隙間風の吹く夜に、その中にもしや彼女の声が混じってはいないものかと、思わず耳をそばだてる習慣だけが、ぼくに残された。
にこにこと笑むばかりであった祖母が、口を利けなかったのは、生まれつきのことではなく、若い頃にたちの悪い腫瘍にやられて、喉の手術をして以来のことだったそうだ。 まだ声を失う前の若い頃、祖父と出会う前の一時期に、祖母が酒場で歌をうたっていたらしいと、父からそんな話を聞いたのは、ずいぶんあとになってからだった。
---------------------------------------- よろしくお願いいたします!
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