「塔」 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/09/25 01:43
- 名前: 片桐 ID:uMXlTGA2
街のどこに居ようとも、その「塔」を見失うことはありえなかった。周囲五十メートルを越えるであろう巨大な円柱が、遥か天に向けて屹立している。その灰色がかった石質から判断すれば、切り出した岩を積み重ねていったのかと想像するが、しかしよく観察すれば、どこにも継ぎ目がないとわかる。神話の中にだけ存在する巨人が、大地の基礎となる岩盤からそのままの形で掘り出したように、完璧な造形美をもって、「塔」は今なおそこに聳えている。そして、「塔」にはもう一つ大きな特徴があった。周囲に螺旋状の脈をもっているのだ。「螺旋の塔」と、それを人々は呼んだ。
東日の眩さに目を覚ます習慣から離れて数年が過ぎていた。それはちょうど街の西部に居を構えた時期に重なる。私はその時、故郷を離れてこの街に訪れ、有り金すべてをはたいてあらたな住処を構えた。なぜこの街に惹かれたのかと問われるなら、ありていに、他の住民と同様に、真理を求めたからだと答えるだろう。明確に何時からとはわからずとも、間違いなく遥か太古から、天に向かって直立しつづける、あの「塔」にただ心から惹かれたのだ。何千年の時を越えても老朽化する気配は露としてなく、何十代、何百代という人の生き死にを見下ろしてきた「塔」にこそ、すべての真理があると硬く信じた。 幼くして両親を失い、そして数年前に妻を亡くした。天涯孤独の身となった私は、しかし死を実行することなく、だらだらと毎日を過ごし、酒にふやけた思考のなかで、なぜ私は生きる、なぜ「生きる」というものがある。なぜそれは続こうとする。そんな問いを繰り返していた。歴史になお刻むほどの賢人でさえ分からぬ問いの答えが私に悟れるはずもなく、せめてその答えい近づきたいと願ったときには、風のうわさに聞いたこの街を目指していた。 これまで肉体を酷使することで口に糊してきた私であったが、この街に訪れてからは、小難しい書物を眺めたり、突如ひらめいたように胸に過ったイメージを描いたりして暮らしている。幸いというべきか、それを咎めるものはこの街にはいない。少しばかりの差異はあれども、私と同種の人間ばかりが暮らしているのだ。誰もが、己が信じる方法で真理へ至ることを願い、そして、十年に一度訪れるというある一日を待っている。
ある日は唐突に訪れる。それは前もっていついつと決まっているわけではなく、十年に一度ほどの割合で、不意にやってくるのだ。「塔」の内部へ続く扉が開かれる日。ほんの一瞬で、毎日塔の前に居続ければいつか訪れるわけでもない。まるで、解けるはずのないパズルの解を突如ひらめいたとでもいうように、ふと塔を見てみると、内部への道が開けている。ある朝、画板に向かって絵具を混ぜていた私は、思わず良い色ができたことに喜んで、そして塔に目を向けたとき、その扉が開かれていると知ったのだ。
私はそれが夢か現実か分からぬまま、浮足立って「塔」への道を進んだ。他にも多くの人が詰めかけておかしくない状況なのだが、今、「塔」を目指しているのは、見渡す限り私しかいない。 「塔」の入り口に到った私は、ついにその内部へと足を踏み入れる。そして、上層へと繋がる螺旋階段を一歩一歩と駆け出した。高みへ、遥か高みへ。そこへついに私も到るのだ。真理を得たとき、一体人は何を思い、何を感じるのだろう。有体な聖人となって、人々に世界の救済を解くのか、仙人となって、人知れぬ山の奥深くで、日々の移ろいをただただ待つのか。 私はのぼる。私をのぼる。 どれほどの時の果てかなどわかるはずもないが、ついに私は頂上に到った。 そこにいたのは、他でもない私自身――もう一人の私だった。 「やはりキミも高みを目指してしまったか」 そいつは言う。 「どういうことだ? 私は知りたい、多くを、すべてを。おまえが教えてくれるのか?」 「残念だがそれはかなわない。キミはなぜ高みを目指した?」 「当然だろう。私はこの「塔」をずっと見上げてきた。その先に、いまいる場所にこそ真理があると信じて」 「残念だよ」 「何がどう残念だというんだ?」 「キミはこれが「塔」だというがね、果たしてそうだろうか。いや、最早焦らしても仕方あるまい。教えよう。これは塔ではない。これは一つのネジなのだ。真理に到るためには、高みを目指すのではなく、むしろどこまでも深く下らねばならなかった。それがたとえ、キミの望む形での「真理」ではなかったとしても」 「ならば今から下ろう!」 「残念だと私はいったはずだ。機会は一度。もうそれは叶わない。今まで数億という人がこの塔に到っては、上層を目指すことしかできなかった。キミもそうした多くの中のひとりなのさ。いつか遠い先、世界の中心へ到るものが信じ、その余生を過ごしてみるがいい」 「待ってくれ!」
気付けば私は「塔」の外にたたずんでいた。見れば西日が揺れて、私の頬を赤く染める。何かに悔いを残している気がするが、どれだけ考えてみても、その正体がわかることはなかった。
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