山田さん様『昇降機』のリライトに挑戦しました ( No.36 ) |
- 日時: 2011/02/27 16:02
- 名前: HAL ID:TirdhzK.
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
わあ、無謀な挑戦すぎた……! はじめに予告を兼ねて謝罪しておきます。無残なことになっていると……orz
---------------------------------------- お隣の町にある百貨店について、おかあさまが話して聞かせてくださったのは、もうじき冬が終わろうかという時節のことでした。 行ってみたいと、幼い私が申し上げますと、おかあさまはにっこりと微笑まれて、「では明日。お着物を揃えにまいりましょうか」と、それだけ仰いました。そのお返事がうれしくて、私はその夜、ほとんど眠ることができませんでした。なぜならそれは私にとって、初めてのお出かけだったのです。 風は冷たいけれど、ぽかぽかとお日様の光が降り注ぐその朝、しっかりとおかあさまの手につかまって、私はおっかなびっくり百貨店に出かけました。 百貨店は二階建ての、おおきなおおきな建物でした。お外から見あげると、そこには私たちのお家が、何十軒だってすっぽりと入ってしまいそうに見えます。それほどおおきな建物だというのに、何か理由があるのでしょうか、入り口は大変にせまく、体の小さな私でさえ、かがまないと入れないようなものでした。 大人のおかあさまはなおさらのことです。きゅうくつそうにお膝をつかれ、にじるようにして、おかあさまは建物のなかにお入りになりました。そのお尻を追いかけるようにして、私もあとに続いて、おなじようにかがんで戸をくぐりました。 そのまま奥へ進みますと、じきにぽっかりと広いお部屋にたどりつき、その中ほどに、昇降機が見えてまいりました。もちろんそれは私にとって、初めてこの目で見るものでしたが、おかあさまが昨夜お話してくださったので、それが昇降機だということは、すぐにわかりました。 これもおかあさまのお話と同じように、昇降機のそばには、係の方が控えていらっしゃいました。それはたいへん体の大きな男の方で、その二の腕でさえ、私の体の幅よりも太いのではないかというほどでした。百貨店の制服なのでしょうか、葡萄色の服を着ておられ、上衣も袴も、ぴしりと誇らかに糊がかかっているようでした。その足元、灰色の巻き脚絆がたいへんもの珍しく思われて、私がそれに見入っておりますと、その方は、にっこりと微笑みかけてくださいました。 それは厳ついお顔に似合わないような、とても優しい笑い方だったのですけれど、幼い私はすっかり怯えてしまって、とっさにおかあさまの袖にしがみ付きました。 「さあさ、早速ですが、私どもを二の階へと、持ち上げてくださいませ」 おかあさまがそう仰ると、係の方は唇を引きしめて、がらりがらりと昇降口の引き戸を開かれました。それから丁重な手つきで、おかあさまと私とを、昇降機の中に引き入れてくださいました。 昇降機は、鉄で出来た箱でした。それはおかあさまのお話で想像していたよりも、ずっと小さく狭いもので、おかあさまと私がふたり、中に並んで入るのがやっとというぐあいでした。係の方が、葡萄色に包まれた大木のような腕でもって、引き戸をがちゃんと閉められますと、その狭い場所はますますきゅうくつに感じられました。それがなんだか檻のなかに閉じ込められたように思えて、私はおかあさまの手をぎゅっとにぎりしめました。 昇降機の天井には、赤く小さな照明が、ひとつだけぶらさがっていました。その光が私たちを、ぼうっと照らしだしています。おかあさまの白いはずの頬は、その光のせいで、まるで血を塗りたくったかのようでした。その色にますます不安になって、おかあさまを見上げますと、おかあさまはしっとりとした手のひらで、やさしく私の手を包んでくださいました。それから微笑んで「しばしの辛抱ですよ」と、はげますように仰いました。
「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 それは力強いお声でした。昇降機の外で、先ほどの男の方が歌っておられるのです。 がたん、と昇降機が揺れました。きききと、こすれるような音が続きます。とっさにおかあさまのお顔を見上げますと、そこには先ほどまでの微笑みはありません。おかあさまは両の瞼をきつく閉じられて、唇を引き結んでおいででした。そのぴりぴりとしたようすに、私は怯えました。 おかあさまはきっと、前の月に別の百貨店で起きたという、昇降機の事故のお話を思い出されたのでしょう。 そのお話を、いつかおかあさまが青い顔でなさっているのを、私は眠ったふりをして、こっそり聞いておりました。昇降機を上へ上へと持ち上げるはずの頑丈な綱が、何がきっかけだったのか、ぶつりと切れて、あわれ昇降機は、一階の床へと叩きつけられてしまったとのことでした。それはどれほどの衝撃だったのでしょうか、とぎれとぎれに聞こえてきたおかあさまのお言葉からすると、中に乗っておられた母娘連れのお二方は、不幸にも、命を落とされたようなのです。 「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 はじめはただ小さく揺れていた昇降機が、係の方のお歌にあわせて、少しずつ上へ引き上げられていきます。それは滑らかな動きではなく、歌声の節にあわせて、ちょっと上っては止まり、またちょっと上っては止まりというふうな調子でした。 歌声の合間に、おかあさまが小さな小さな声で呻かれるのを、私はこの耳に聞きました。見上げれば、おかあさまの首筋には汗が浮き、いつもはまるい眉が、きつく寄せられています。私が不安そうに見ているのに気づかれたのでしょう、おかあさまはふと目を開くと、私を安心させようと、汗の浮いた頬で、にっこりと笑いかけてくださいました。 昇降機は少しずつ、少しずつ上っていきます。その動きはゆっくりで、中にいる時間は私には途方もなく長く思えましたが、それでもじっと辛抱していると、やがて昇降機はじょじょに二階に近づいてまいりました。 「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象……」 きゅうに心なしか、お歌が遠ざかったような気がした、そのときでした。 がたんと音を立てて、昇降機が揺れました。一瞬、上の階にたどりついたのかと思った私は、出口の扉をぱっと見ました。けれど扉の上にある針は、二階の表示のすこし手前のところで止まっています。心細くなって振り返ると、おかあさまはなにか、ひどく厳しい表情で、階数表示を睨みつけていらっしゃいました。 昇降機は、おかあさまと私を狭い小さな場所に閉じ込めたまま、ただただ不規則に揺れるばかり。どうしたのでしょうかと私が呟くと、おかあさまは私の手をきつくにぎりしめてくださいました。けれどそれは、私を安心させるというよりは、ご自分の不安を紛らわすための仕草のように、私には思われました。 ずずっと、昇降機がまたほんの少し、ずりおちたようでした。
「おおい。痛いよう。痛いよう。物凄く痛いよう」 足元から、止まったお歌のかわりに、悲痛な泣き声が聞こえてまいりました。 その声がとても哀れっぽくて、先ほどまでの力強いお歌とかけはなれていたものですから、私は一瞬おもわず我が身の不安も忘れて、足元を見下ろしました。けれどそこにあるのは鉄の床ばかり。階下が透けて見えるわけではありません。 「どうしたのでしょう」 訊ねて見上げると、おかあさまは厳しい表情で、きっと唇を結んでいらっしゃいました。おかあさまの、きつく寄せられた眉根のしわに影が落ちて、うなじには、ほつれた髪が汗で張り付いています。ご気分がお悪いのですかと訊ねると、おかあさまは無言でかすかに首を横に振られました。 「いかがなされた。いかがなされた」 大声でどなたか、係の方に呼びかけられるのが聞こえてきます。 「裂けたのです。わたくしのこの腕の筋が、ぶつりと裂けたのです」 「それは大変だ。お医者をお呼びいたしましょう」 「いいえ。いま私は、この場を離れるわけにはゆかぬのです。筋の裂けたこの腕で、輪転を支えるのをやめてしまえば、昇降機はまっしぐらに落ちてしまうでしょう」 おかあさまが息を呑まれるのを聞いて、私はおろおろと、おかあさまのお顔と、昇降機の階数表示とを、交互に見上げました。 「それではまず、昇降機を操れるほかの方を、お呼びしてまいりましょう」 足元からばたばたと、どなたかが走り去る音が遠ざかってゆきます。昇降機は小刻みに揺れ、ときにはくくく、と下がります。まっしぐらに落ちてしまうでしょう。係の方の苦しげなお声とともに、先月の事故のお話が思い出されて、私はおかあさまのお膝にすがりつくようにして、ぎゅっと体を縮めました。 ときおり昇降機はゆれ、がたんと音が響きます。真鍮の文字盤の壱と弐のあいだ、弐にほど近いところを、針はさしています。それが、昇降機を揺れるたびにくくっと下がりました。 「痛いよう。痛いよう」 すすり泣くような声が聞こえてまいります。それがひどく辛そうで、私までつられて、泣きたいような心持ちになってまいりました。 「あの、おかあさま。下の階へ、ゆっくりとおろしていただくわけにはゆかないのでしょうか」 私がおろおろと訊くと、なぜだかおかあさまは、ひどく張りつめたようなお顔をなさいました。 「あなたは、下へ降りたいのですか」 おかあさまは、じっと私の目を見つめて、ひどく真剣に、そうおたずねになります。そう訊かれても、私には答えようがありません。わかるのは、ただこのままでは、あの係の方が気の毒だということだけでした。 そうしている間にも、またくくっと昇降機がすべり落ちます。おかあさまはまた苦しげに眉をひそめられ、小さく呻かれました。「痛いよう。痛いよう」とすすり泣く声も、階下から何度も響いております。 「一階に、戻りたいのですか」 おかあさまから重ねて訊ねられて、私がお返事に詰まっていた、そのときでした。足元からはげますように、力強いお声が聞こえてきたのは。 「おおい。よく堪えたな」
「やいほー。やいほー。我らが輪転。いざ立ち向かわん万象真理」 先ほどの声とは違う、けれど同じように力強い歌声が、そう高らかに歌っておられました。そしてそれにあわせて、昇降機はごとん、ごとんと音を立てて、上昇を再開したのです。 ほっとして、おかあさまを見上げますと、先ほどまでの厳しいご様子が嘘のように、静かな表情に戻られて、じっと目を閉じておられました。その頬を、つと汗が滑りおちます。 ごとん、というひときわ大きな音が響き、真鍮の階数表示が、弐の文字盤の上に止まりました。 「弐の階到達。弐の階到達。万象真理に我ら打ち克つ」 がらりと音を立てて、昇降機の引き戸が開かれますと、その隙間からまばゆいほどの白い光が射してまいりました。思わず目をつぶりますと、百貨店というところにはお薬の売り場もあるのでしょうか、鼻をつんとさす、消毒液のにおいがたちのぼりました。 「さあ」 おかあさまに手をひかれるままに、一歩を踏み出しかけて、私はおどろきに立ちすくみ、声を上げました。そこはお着物の売り場には、とても見えませんでした。 白いお部屋。壁紙も照明もひどく白々として、昇降機の中の赤い照明になれた目には、それはまぶしすぎて、痛いほどでした。おかあさまはすでに、昇降機の外に出て、ふりかえって私を待っておられます。 昇降機の外は、思いのほかに狭いお部屋となっておりました。そこには、何人もの方々が控えていらして、どなたも清潔そうな、真っ白のお洋服をお召しになっています。そして不思議なことに、その方々は一人残らず、そろってにこにこと微笑んでおられるのです。 その中の誰も怖いお顔などしてはおられないのに、なぜだかとても不安に思われて、私は外に出るのをためらいました。先ほどまで、早くあの昇降機から出たいと、そう思っていたというのに。 お一方が、不意に、手をぱちりぱちりと鳴らされました。 それを待っておられたかのように、他の方々も、そろってぱちりぱちりと手を叩き始められます。よく見ると、その中には女の方も何人かいらっしゃいました。 ぱちりぱちりの合唱は、次第に大きくなっていきます。それはまるで、私に「早くこちらに出ておいで」と話しかけてくるようでした。 私が戸惑って、片方の手でおかあさまの袖口に、もう片方の手で昇降機の扉にしがみついておりますと、おかあさまはにっこりと笑って、両の腕を広げてくださいました。 「さあさ、いらっしゃい。ここがあなたの生なのですよ」 その言葉を聴いた私は、わけがわからないまま、こみ上げてくる正体のわからない思いに突きうごかされるように、おかあさまの腕の中に飛び込んだのでした。たくさんの拍手に包まれる中、思うように動かない指で、せいいっぱいおかあさまの胸元にしがみつくと、胸いっぱいに息を吸い込みました。 そして私は、声をはり上げて泣いたのです。
---------------------------------------- みごと玉砕。むずかしかった……! お目汚し、大変失礼いたしました。山田さん様、どうか寛大なお心でお許しくださいますよう、平にお願い申し上げます。
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