弥田さま『歌と小人』のリライトに挑戦しました ( No.27 ) |
- 日時: 2011/02/19 21:21
- 名前: HAL ID:XGsQ.d36
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
夜のあぜ道を歩いている。周りは見渡す限りの稲穂の海。むしゃくしゃしながら歩き続けているうちに、家からずいぶんと遠ざかってしまった。 まだ青々とした稲が、ときおり風に吹かれて、ざあっと波のような音を立てる。その音に紛れるように、母さんの声が耳の奥で谺していた。 ――無理に続けなくたっていいのよ。 本気でいっているのがわかるから、かっとなった。わざと乱暴にドアを叩きつけた。困ったような呼びかけを背中越しに聞きながら、家を衝動的に飛び出して、それからずっと、あてもなく歩いている。 誰のせいで、と思う。 子どもの頃から、母さんの声楽教室に通わされていた。自分から望んだおぼえはない。それは、母さんにとっては小さい娘を家にひとりで留守番させておくわけにもいかず、それならいっそほかの生徒たちと一緒にみていたほうがいいかと、それくらいの理由であって、もとからそこには特別な期待なんて、なかったのだ。そんなこと、とっくにわかっていたはずだ。 親が声楽の先生なんだ、それだったらねって、そんなふうな目で見られるのがいやで、中学の友達の誰にも、母さんの職業をいったことはない。ちょっと遠い私立校にバスで通っているから、家が近い子は誰もいない。音楽の授業だって、カラオケだって、目立たないようにわざと手を抜いて、へたくそに歌ってきた。 ――あなたが楽しくないんだったら、無理に続けなくたっていいのよ。 母さんの声がしつこく耳の奥にはりついている。いまさら。いまさらそんなこというくらいだったら、どうして。 びゅうと風が吹いて、稲穂の海が吹きたおされる。気の早い虫が機嫌よく鳴いていたのが、一瞬ぴたりと止む。 街灯のすくない道だけれど、りんごのようにまるい月があたりを照らしているので、足元は明るかった。見渡せば、その蒼い光がいつになく冴え冴えとして、風景を幻想的に染めあげている。むしゃくしゃしていた気持ちが、それですこし凪いで、足取りが軽くなった。 「そこのお嬢ちゃん」 声がして、とっさに足を止めた。 稲の間から、無造作にこびとが飛び出してきた。稲とおなじ緑色。頭がわたしの腰までしかない。びっくりして目を丸くしていると、緑のこびとはきらりと目を輝かせて、 「歌いたいのかい?」 といった。 蘇ってきたむしゃくしゃに、驚きもわすれて、わたしはぐっと拳を握りしめた。 誰が、と思う。誰が好きこのんで、歌なんてうたうものか。だけど怒りはとっさに言葉にならず、わたしが口をぱくぱくさせていると、こびとは訳知り顔でにやりとした。 「歌いたいんだろう? 答えなくてもわかるさ。きみは歌いたがっている。ぼくは緑のこびとだからね。それくらいお見通しなんだよ」 ゴウゴウとした急流のような早口でそれだけいうと、こびとは何の前触れもなく踊りだした。 それはゆったりとした、見たことのない踊りだった。両手で大きく円を描くのが特徴的で、その足は重力なんてないかのように、ゆらゆらとなめらかに揺れた。みているうちに、空に浮かんでいるかのような感覚が、胸の奥から膨らんでくる。肺の奥、横隔膜のうえをくすぐるような、それはむずがゆい欲求だった。 歌わないのかい、と笑いぶくみの目線で、こびとは訊いてくる。わけのわからない衝動にあらがいながら、わたしはぶっきらぼうに口を開いた。 「それ、なんていう踊りなの?」 「月の踊りだよ。知らないの?」 まるで常識だというように、こびとは踊りながらそういって、くすりと息で笑った。背中がざわざわする。心の奥、深いところで、何かが荒れ狂っている。 「さぁ、きみもはやく歌いなよ。歌詞なんかわからなくってもいいさ。メロディをしらなくても、思いつくまま、気のむくままにさ。どうせ誰も見ちゃいないんだ」 気がついたときには、頭の中をふっと横切っていくメロディを、口ずさんでいた。歌詞はまだ浮かばない。最初はスローな出だし。感情を抑えるように、固く、固く、じっくりと。さぁ、前奏は終わった! 喉を震わして、ことばを使って歌おう。 歌いながら、自分でもわけがわからなかった。なんだって強制されてもいないのに、歌なんてうたわなければいけないのだ。だけど、いくらそう自分にいい聞かせても、喉からほとばしりでる声はとまらなかった。 先の歌詞なんて考えないでいい。前後のつながりなんて気にしないでいい。一言ひとこと、一文字一文字を大切にして歌うのだ。あぁ、いい気持ち! からだの中にあったもやもやが、このうえなくぴたりと声により沿って、からだの外に抜け出していくのがわかる。あぁ、歌うことを気持ちいいと、楽しいと思ったのは、いつ以来だっただろう? 「嬢ちゃん、なかなかいいじゃねぇか」 こびとが楽しげにいう。その声に、わたしは自分の頬が上気するのを感じた。こびとのいうとおりだった。わたしは歌いたかった。ずっとずっと、歌いたかったのだ、こんな風に! 抜けていくもやもやの変わりに、不思議な感覚が、心臓を中心にして拡がっていく。体が、夜の空気に溶け出しているのだった。それに伴って、歌は高く澄んでいく。もっと。もっと冴え渡るがいい! あのすまし顔の月に届くくらいに高く、ズタズタに切り裂いてやれるくらいに鋭く! 天に向かって伸ばした自分の指先を見て、わたしは目を瞠った。それは半透明に透けて、向こうがわには月のまるい輪郭が、うっすらと見えていた。 こびとは踊りながら、ちらりとこちらを見た。そのつまらなさそうな瞳が、やめておくかい、と訊ねてくる。 わたしはためらわなかった。ますます澄み渡る歌声に、こびとが楽しそうにステップを踏む。そのテンポがだんだんと上がっていく。疾走感が、歌の中を、踊りの中を突っ切っていく。 歌か、踊りか。先に転調したのはどちらだっただろう。同時なのかもしれない。歌とこびとは、同調しはじめているのだ。 ――歌とこびとは? そうだ。わたしはもうここにはいない。いまここに在るのは、こびとの踊りとわたしの歌だけだ。それだけなのだ。 もう、月はわたしを照らしていない。わたしは薄墨いろの歌になった。 蒼く明るい満月の夜。わたしはこびとの踊りと共に、世界を祝福する。わたし自身の旋律となり、こびとの踊りのまわりを舞う。もっと高く透きとおっていこう。もっと鋭く澄んでいこう。皆を、すべてを、ズタズタになるまで祝福してやろう! 月が、りんごのようにまるい月が、冷たく地上を照らしている。
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お目汚し、たいへん失礼いたしました!
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