リライト作品 遠い子守唄 (原作:HALさん『歌う女』) ( No.17 ) |
- 日時: 2011/02/14 01:44
- 名前: 山田さん ID:44EMoiRA
途中で力尽きてしまいました……ごめんなさい。 もっともっと時間をかけてリライトしてみたい作品です。
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遠い子守唄 (原作:HALさん『歌う女』)
こんな寡黙な夜には、ぼくはいつもその静寂に思わず耳をそばだててしまう。彼女の歌声が聞こえてきそうな気がするから。もちろんそんなことはないのだけれど、それでも彼女の歌声が、夜のしじまの表面を波打ってくるのを待ち望んでしまう。彼女が消えた今、そんな習慣だけがぼくに残された。 彼女が消えたのは、逝きそびれた蝉の鳴き声も沈黙を始めた初秋のころ。長くなりかけた影法師が、涼しげな風にゆらゆらと揺れるようになったかと思えば、はっと我に返ったかのように真夏に戻る。けれども水道の蛇口を捻ってみれば、指の間を流れる水は思いがけず冷たい。そんな季節の移ろいにふと気が付く朝のように、彼女の姿も、ふと気が付けば部屋から消えていた。
彼女がぼくの部屋に居座るようになったのは、父方の祖母がひっそりと逝った去年の初夏、道一面に散らばった桜吹雪もきれいに片付き、初々しい若葉が顔をのぞかせ始めた葉桜の季節のことだった。 祖母は聴唖者だった。耳は年相応以上にしっかり聞こえていたが、言葉を発することができなかった。先天的な発話障害ではなかったそうだが、祖母がいつ頃から言葉を失ったのか、どうして言葉を失うことになったのかは知らなかった。ぼくが物心ついた頃には、すでに祖母は言葉を失っていた。だからぼくは祖母の語り口はおろか、どんな声をしていたのかすら知らない。 祖母はとても物静かなひとで、それはもちろん祖母の障害のせいということもあったのだけれども、それ以上に自分の意見を前面に押し出そうというところのない祖母の性格によるものだった。引っ込み思案というのではなく、大抵のことはすんなりと受け入れられる、器の大きさによるものだったと思う。 祖母の方からどうしても何か伝えたいことがあれば、いつも持ち歩いていた広告の裏を綴じた帳面に、ちびた鉛筆を持って筆談をする。ちんまりとしてあまりきれいとはいえない、けれどひどく丁寧な字で、祖母はときおり短い言葉をつづった。 幼い頃のぼくはお祖母ちゃんっ子で、物言わぬ祖母がどんな話にでもにこにこと笑って頷いてくれるのが嬉しく、何かあると楽しいことはもちろん、たとえ辛いことでも、まず祖母に話した。ときには学校で習ったばかりの歌を歌ってあげることもあった。そんなとき祖母はじっと目をつぶり、ぼくの歌の一節一節を愛おしく吟味してくれているようだった。帰宅すると、背中からランドセルを解放してあげるよりも前に、まずは祖母を探し、そのそばに駆け寄るのがぼくの日課だった。にもかかわらず、中学高校と大きくなるにつれて、祖母のもとに駆け寄る回数は減っていき、上京して仕事を始めるようになってからはずっと疎遠になってしまっていた。 祖母の家から少し離れた都市部に新たに家を買った両親は、祖父亡きあと祖母に一人暮らしをさせていることに、かなり強い抵抗があった。両親は祖母に何度か新しい家での同居を持ちかけた。けれども、普段はめったに自分の意見を押し通そうとはしない祖母が、この持ちかけにはがんとして首を縦に振らなかった。知らない人ばかりの都会なんかに移るよりも、誰もが顔見知りで気安い田舎のほうがずっといいと、めずらしく強く主張するように、何度も何度も帳面に書いてみせた。うちの両親にしても、不慣れな生活を強いるよりも、そのほうが精神的に気楽だろうという思いがあったようだ。 上京したぼくも、ふとした多忙の狭間に祖母を思い出しては、年老いた障害者の一人暮らしに不安を覚えたものだった。けれども故郷は遠く、申し訳ないことをしていると思いつつも、もう長いこと年に一度、盆と正月のどちらかに顔を見せるだけになっていた。 そういう次第だから、ぼくは祖母の訃報を受けた時、まずなによりも先に罪悪感を覚えた。台所に倒れていた祖母を見つけたのは、たまに祖母の様子を窺ってくれていた、祖母の家の近所に住む親戚だった。両親はかろうじて死に目に間に合ったものの、ぼくは駆けつけようとする途中で、携帯電話越しに涙ぐむ母の声を聞いた。祖母がひとりで暮らしていた郷里の家で、通夜も葬儀も行うというので、ぼくはそのまま会社に電話を入れ、その足で帰省した。 両親が病院に到着したころには、祖母は絶望的な状態だったそうだ。意識は全くなく、じっと目をつぶり、長いこと言葉を発することのできなかった唇を固く閉じ、あとは最後の時を迎えるだけの状態だったそうだ。そんな、長い年月言葉を失っていた祖母の唇が、天に召される直前にまるで何かを歌っているかのように、ゆっくりと力強く動いたそうだ。時間にして数秒だったそうだか、まるで誰かに歌いかけているかのような動きだったそうだ。その静かな歌が終わったと同時に、祖母は天に召された。享年八十歳。両親の話によれば、少しの苦しみもなく安らかに天に召されたとのこと。大往生と言ってよいと思う。
祖母はぼくが病院へ到着するのをきっと待っていてくれたんだと思う。頑張って頑張って、それでも堪えきれなかったんだと思う。そんな祖母の遺影は、帰省するたびに眼にしていたのと同じ、穏やかな笑みを浮かべていた。そしてその笑みは、死に目にすら間に合わなかったぼくの罪悪感を洗い流してくれているようでもあった。 それでも死に目に間に合わなかったことは、思った以上にぼくを悲しませた。それに、もっとまめに顔を見せるべきだったと、自責の念に苛まれたまま二日を郷里で過ごした。これ以上仕事に穴を開けることもできないので、両親に見送られたあと、東京に戻るためにバス停まで向かっているときだった。ぼくは後ろからついてくる、若い女性の姿に気が付いた。 歩きながらちらりと振り返ってみたところでは、少し野暮ったい印象の格好だった。暗い色の服も、少し派手な化粧も、けして不恰好ではなかったものの、いまどきの若い女性の装いにしては、どこか時代遅れな感じがした。 そのときは、その服装に違和感を覚えはしたけれど、あまり気にはしなかった。交通機関も限られた田舎のことだから、バス停まで行く道が誰かと重なったところで何の不思議もない。 けれどバスに乗って駅に到着し、三両しかない電車に乗り、乗り換えのための駅で降り、改札を出たときに、ぼくはまた同じ女性の顔をホームで見た。 その瞬間は、偶然かとも思ったが、電車を乗り換えて、一人暮らしをしているアパートの最寄り駅を降りたところで、ぼくのあとに続いて彼女が降りてきたときには、偶然だの気のせいだのという考えは頭から飛んでいた。女性に後をつけられるような覚えはないつもりだったが、どう考えても、はるばる郷里からぼくを追いかけてきたとしか思えない。 「何か」 思い切って彼女に話しかけると、その女性は驚くようすも、怯むようすもなく、ただにっこりと微笑んで、小首を傾げた。十代の終わりか、二十代の前半か、それくらいの年頃に見えるが、その割にはどこかあどけないような、夢見るような表情だった。 あまりに彼女が平然としているので、実はぼくの単なる思い違いで、よく似た別の女性だったのか、それとも本当にたまたま同じ道行きになっただけなのかと思えて、「失礼」と会釈をして元通り、家路に着いた。 ところが、女性はいつまでもあとをついてくる。もの問いたげな視線を何度となく向けてみても、目が合うたびににっこりと笑うばかりで、彼女はやはり、ぼくの数歩後をのんびりと歩き続ける。 そうこうするうちに、とうとうアパートの前に着いてしまった。彼女は、さもそれが当然のことだというようにそこにいた。ぼくは階段を上がり三階にある部屋の前までやってきた。彼女もぼくについて上がってきた。ぼくは立ち止まり、振り返って彼女を睨みつけたけれども、それでもやはり彼女は笑顔のままで、何の気負いもなく、のんびりと歩み寄ってきた。そうして、またもやさもそれが当然のことだというように、ぼくの部屋のドアノブに手をかけようとする。 鍵がかかっているのだからドアが開くはずもなかったが、ぼくはとっさに、「ちょっと」と声を上げて、彼女の腕をつかもうとした。 その指が、するりとすり抜けた。 背筋をいやな寒気が駆け上った。何の感触もなかった、というわけではない。指がそこを通過したその瞬間、靄のような湿った、冷えた手触りがあった。 ぼくは怯えながらもまじまじと彼女を見下ろした。間近で見る袖からのぞくその腕はひどく白く、若く見えるわりには張りが殆どないのが見て取れた。そして手の甲にある小さな黒子や、その上に並ぶやわらかな色の薄い産毛まで、くっきりとこの眼に見えた。彼女の腕はきちんとそこにあるのだ。 それなのに、つかむことができなかった。 彼女は首を傾げると、狼狽えているぼくから眼を逸らし、なんなくドアノブを捻って、ぼくの部屋に上がりこんでいった。そして、スチール製のドアの向こうに彼女の姿が隠れると、音を立てて鉄扉が閉まった。鍵をかけ忘れていたのかと、そんな日常的なことに思いが及んだところで、ようやくぼくの体は動いた。 けれども慌ててドアノブを捻ると、鍵のかかった確かな手ごたえが返ってくる。 思わずよろけて後ずさると、手すりが背中にあたった。独身者くらいしか住まないこの安アパートは、廊下も階段も手すりが低く、もう少しぼくの足取りがたしかだったなら、真っ逆さまに転落しようかというところだった。結果的には、最初から腰砕けだったのが幸いして、汚い廊下に座り込むだけですんだのだけれど。 どうにか立ち上がって、震える手で鍵を差し込み、ドアを開くと、物の少ない見慣れたワンルームの隅に、当然のような顔をして彼女がくつろいでいた。
幽霊らしいその女は、何をするわけでもなかったが、低めのかすれた声でよく歌をうたった。 それは古い歌謡曲であったり、懐かしい感じのする童謡であったりした。彼女が歌うと、どんな曲も気だるげでしっとりとした調子に聞こえた。 最初のうちこそ、怯えて近所のホテルに泊まったり、何らかの用事をでっち上げて友人の家に上り込んだりもしていたが、十日も経過したころには、彼女が歌う以外に何も害のないらしいことを、ようやく飲み込んだ。 それから、彼女との奇妙な同居が始まった。 幽霊にしては祟るでもなく恨み言をいうでもない彼女は、ただぼくの部屋の何も置いてはいない片隅を占拠して、気まぐれに歌ったり、ぼくがなんとなく点けているテレビを興味深そうに眺めたりしていた。かといって、話しかけてもにこにことしているだけで、返事が返ってくるでもない。食事もせず、それ故かトイレに立つこともせず、ただただ部屋の片隅に存在した。 彼女は、驚くほどたくさんの歌を知っていた。毎日、違う歌が部屋に流れた。残業に疲れて深夜に帰った夜などは、彼女の気だるげな歌声がひどく胸に沁みるような思いがした。ぼくがときどき我を忘れて熱心な拍手を送ると、彼女は幼い少女のように無邪気に微笑んで、優雅な礼をしてみせるのだった。 何を思ってぼくについてきてしまったのかわからないけれども、ただ歌うだけの何の害もない幽霊だ。そうは思うものの、仕事の波がふっと途切れて、職場の喫煙スペースで煙草を吸っているときなどには、「一体何をたくらんでいるのだろう」と疑心暗鬼に陥ることもあった。この世に何かしらの未練があるからこそ幽霊としてこの世に戻ってきたのだろうし、それならば何をしたっておかしくない。そのうちにとり憑かれて、殺されてしまうことだってありうる話だ。 かといって、誰にか相談できる事柄でもない。霊感なんて多分ありもしないぼくに、あれだけ鮮明に眼に見える幽霊なのだから、きっと他者にも見えるのだろうけれども、「過労でどこかいかれちゃったか?」と精神科の治療を勧められる可能性は充分にあるし、それは本望ではない。それに、もしそんな治療を受けた結果、彼女の歌声が聞こえなくなってしまったなら、それはそれでとても惜しいような気がした。いつの間にか、彼女の歌声はぼくの生活の一部になっていたようだ。
やがて夏が過ぎ去り、残暑に悩まされる日中と涼しい明け方の落差に戸惑うような、そんな頃のことだった。 それまでご機嫌に、古い歌謡曲や童謡ばかりうたっていた彼女が、ある日、目を細めて懐かしそうに子守唄を歌い始めた。それまではどこか気だるくもの哀しい歌が多かったのに、その子守歌だけはひどく温かい調子で、本当に幼い子どもに聴かせてでもいるかのような、優しさに満ちていた。曲名も知らないけれど、いつかどこかで聴いた覚えがある歌だ。遠い遠い、どこか記憶の、意識の奥深くに大切にしまいこんでいた歌だ。一体、どこで聴いたんだろう。 その歌を聴いているうちに、ぼくはだんだんといい気持ちになってきた。どうやら眠りに就こうとしているらしい。どんどん薄れていく意識と入れ替わるように、遠くから、本当に遠くから子守唄がぼくに近づいてくるのがわかった。やがて子守唄はぼくの意識全体をすっぽりと包みこんだ。とても暖かい。とても柔らかい。 そして、あと一歩で完全な眠りに就く刹那、何故そう思ったのか自分でも不思議だったが、こう思ったことを今でも鮮明に覚えている。
「間に合ったよ、おばあちゃん」
どれくらい眠っていたのかわからなかった。ふと目が覚めると、部屋の中はまだ暗く、夜空がまだそこに居座っている様子だった。枕が濡れていた。きっとぼくの流した涙の跡だろう。電気を点けようとしたがやめた。点けなくてもぼくにはわかった。 彼女は消えてしまったと。
随分とあとになって、父からこんな話を聞いた。 祖母が言葉を失ったのは、ぼくが生まれて一年ほどしてからだったとのこと。たちの悪い腫瘍にやられて、喉の手術をしたのが原因だったそうだ。 祖父と出会い結婚をするまで、祖母は酒場で歌をうたっていたのだそうだ。本当にたくさんの歌を知っていたらしい。 そして、ぼくがまだ言葉もしゃべれず、やっと這い這いができたころまでは、よく祖母の子守唄で眠りについていたそうだ。もちろん、その頃の記憶は全く残ってはいないのだが、ごくたまにどこか遠い遠い意識の奥から囁くように聞こえてくる歌がある。そして、それこそは忘却の彼方に置き忘れてきた祖母の子守唄なのではないか、と思えてくるのだ。
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