Re: 三語だドンの一時間 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/11/13 23:05
- 名前: お@横入り ID:z9JHPWUg
煙草をね、こう、くゆらすんですが、紫煙を吸って吐き出す時に、分かりますか?、一度こうやって口の中に溜めて、ゆっくりと、細く細く吐き出していくのです。
――と、彼は自慢の口髭を揺らしながら実践してみせる。 細い糸のような煙が、ゆらゆらとたゆたい登っていく。 ゆらゆら…… ゆらゆら…… 月の夜。田舎に設えた麁末な別荘の、夜空ばかりが贅沢なバルコニー。
ほら、小さな星々の瞬く夜を遠景に、白い煙が登っていきます。まるで、宇宙の旅行者のようじゃないですか。
――などとセンチなことを言ってみせる彼は、普段は厳格に数字を追う超の付くほどの現実主義者だ。
あぁ、ほら、見てください。
――彼が空の彼方上空を指して感慨深げに、
月が釣れそうですよ。
――などという。およそ月などと言うものは釣ろうとて釣れるものでなし、そもそも釣ろうとするようなものではない……のだが、あぁ、確かに、月が、半円に少し足りないぽってりした月が、ぶるりと身悶えした。
あれは美味そうな月ですな。
――と彼はそんなことを言う。月を見て美味そうなどと評するのはどのような心境なのだろうか。理解に苦しむ。どだい月などは喰えるものではなかろうに。
おや、知りませんか。月はね、美味いんですよ。
――と彼は真面目な顔で言う。おいおい、冗談はよせよと言ってみたが、彼は相変わらず薄く嗤うばかりでこちらのことなど気にも掛けない様子で空を見ている。
おっ、釣れた。
――彼は自分が吐き出した煙を手繰って、それを引き寄せた。 「それ」とは、あぁ、こんなことがあるものか。 彼の白い皿の上に皓々と輝くぽってりとした半円に少し足りない――月があった。
では、いただきます。
――彼は一言、美味いと言って、それを全部平らげた。
月食の話しなそうな。
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Re: 三語だドンの一時間 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/11/13 23:39
- 名前: 端崎 ID:Px5C8DFE
居酒屋の名は「あじさい」といった。 メシが旨いと評判なのだが、もう三度のれんを潜りながら、なにを頼んだこともまだない。焼酎一杯三八〇円の店で、突き出しだけをつまみに三杯飲むと会計をすませていそいそと帰る。 いつも最初の一杯を飲みだした途端にイライラとしてき、いてもたってもいられない気持ちになりながら気が急いたようにグラスを空ける(いや、そもそも店の中へ入った瞬間からむずむずとした感覚はすでに首をもたげはじめているのだ。それはこんな焼酎のまずい店に入ってしまう自分の、わけのわからなさへのいらだちのようにおもわれる)(月がじわじわと食まれてゆくような、いいようのない、そしてひとたび起こり始めれば払拭することのあたわない、厭ァな感触)。 カウンターの目の前にはごつごつとした岩塩が四つばかし積みあげられており、それも気に食わない。 隣で話している二人の若い女性が煙草を喫みながら、よくわからない話をしている。漂ってくる煙が度を超えて甘ったるいのに気づいてしまい、聞き耳をたてる気力も失せる。 グラスに残っている芋焼酎をあおるとアルコールの舌触りが下品でやはり異常に不味く、どうしようもない気分が、また、たちのぼってきた。 「おかわりはよろしいですか?」という女性店員に「いや、もうお会計を」といい、自分の声の明るさに、やはり月食のイメージがゆらゆらとよぎる。 まだ酔ってはいない、とおもいながら二千円払い、店を出る。 会計をしてくれた店員がそこまで見送ってくれ「わたし、ほとんど金土曜にしかここにいなくて」という。「バイトなんだ」「そうなんです。女の子はみんなバイトで、厨房のほうは社員さん」 またくるね、といって大通りへと抜けてゆくのだが、小路から角を折れるまではやりとりをした店員がこちらをみているような気がしておちつかない。彼女を遠景にして小路を歩いていく自分の姿を想像して、とてつもなくやりきれない。 もっとさむくなれば、肩をこごませておびえるように店を去れるようになるかもしれない。 そう考えてから、どうしてかまたあの店へゆこうとしている自分に気づいて、愕然とする。
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Re: 三語だドンの一時間 ( No.3 ) |
- 日時: 2011/11/13 23:57
- 名前: 弥田 ID:B5W4/fgY
石礫を投げて女を追いやっている。逃げる先には野狐の扮装をした友人が待ち構えていて、僕を含めた三人でそこへと誘導している。手頃なつぶてをポケットいっぱいに詰めてあるので重い。走るとがちゃがちゃなってうるさい。やけに明るい満月が澄清で、女の肌を青白く照らしていた。風に吹かれた草木が鳴る。車を走らせること一時間。都市から離れたちいさな丘で、僕たちは狐狩りをしている。女の悲鳴と、荒い息と、蒸発した体温が白くけぶっているのが鮮やかで、思わず「充血」して走りづらい。左を走るTが雄叫ぶ。たうたうたう。と微震する歓声がこだまし、遠景の山脈に跳ね返った。たうたうたう。たうたうたう。 Yが女の足を狙う。執拗に狙う。心配しながら見守っていたが、案の定直撃して、女が派手に転んだ。ふくらはぎから出血している。傷が痛むのか、それとも僕らがおそろしいのか、悲鳴が一層うるさくなって、這いつくばる女のひきつるようにあがく様子が綺麗だった。なにより、この光景を独占していられるのがいい。TはYを制裁していたから、YはTに制裁されていたから、お互いにそれどころではなかったのだ。ナイフで肌を刻まれている。Yはみるみる血まみれになって、僕はそれとなく目を背ける。男の血液なんて、みたくない。Tや友人はそうでもないみたいだが、すくなくとも僕は違う。 女が立ち上がる。僕は二人にそれを告げ、さきにその後を追った。遅れて二人も走り出す。風がしみるのか、Yがひいひいあえいでいる。耳障りで仕方ないけれど、指摘することもできないまま、やがて狐の潜む場所にまでたどり着いてしまった。
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事後の気だるさ。粘りつく夜の底のような。したたる血しょうの凝固したもののような。とにかく動きたくなくて、女の脚を枕に、くさはらへ寝そべっている。こうして見上げると星が視界いっぱいに満ちて、心の浄化されるような、銀河の白銀に染まっていくような、美しい心持ちになれる。Tと友人も似たような心地らしく、Yだけがいまだに肋骨をもてあそんでいた。がじがじと噛みついてみたり、反吐をつくまで喉の奥まで突っ込んでみたり、なんとも楽しそうな様子だった。 友人が横に座った。もう獣の面は外していて、手巻きの煙草をぼんやりと吸っている。 「よう」 と言うので、僕は片手をあげた。 「今日も楽しかったな」 うなずく。 「知ってるか?」 なにが。 「なんでも今夜は月食があるらしい」 へえ。 「見ようぜ」 見るか。 そういうわけでしばらくそこにじっとしていたが、結果見ることあたわず、陽の昇る前にそうそうと退散した、日曜日。
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