血の宿命! ( No.7 ) |
- 日時: 2011/09/18 01:12
- 名前: ラトリー ID:P1yBaAs.
腹部に走る強烈な衝動を、抑えることができない。 まるで自分の身体ではないかのようだ。暴走寸前の本能が理性を駆逐しようとしている。近づいた者に見境なく襲いかかり、相手を絶望に陥れることに何らのためらいも示さない。そんな危険きわまりない状態だ。 そう、今の私はひどく飢えている。どうしようもない飢餓の苦しみに喘いでいる。全身が危険信号を発している。食え、食えと無慈悲な催促を続けている。その声は次第に大きくなるばかりで、決しておさまりそうにない。 だがしかし、目当ての獲物は郵便受けの中にあるのだ。しかも半分かじられたみたいに削り取られている。あんなものを食べるなんて、いくら私でも人間としてのプライドが許さない。そこまで落ちぶれたつもりはない。だから、さっさと回れ右をして―― だが私の願いに反して、左手はふたを開けたままでさっきからずっと待機している。止まることのない生存欲求を満たそうと、かじりつくように食べかけのプリンを見つめている。その姿はまさに生ける屍、神から見放された不死者のごときだ。 やめろ、やめてくれ。心の中で懇願する声をあざ笑うかのように、私の右手は郵便受けの中へとのびていく。ご丁寧にもこぎれいな皿に載せられたプリンは、何者かにかじられた側をこちらに向けている。今度はあなたが食べる番よ、とでも言いたげに。 もう我慢できなかった。淫らにも人間様を挑発する洋菓子を目の前にして、この手で、この口で征服しなくては気がすまなかった。私は皿の上の生贄をとりあげ、手づかみで口へと運んだ。あまりにも強く握りすぎたせいで、ぬるぬるの破片が周囲に飛び散った。残酷なふるまいにおよんでいる感覚が強まり、かえって心地よかった。 これこそ血の宿命なのだ。何度も言い聞かせながら、私は懐かしい触感を楽しんだ。
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「お姉ちゃん、やっぱり食べたんだ。あのプリン」 「まあ、ね……」 「郵便受けの中に置いたのに食べるなんて、すごいよねー。冷蔵庫と勘違いしたの?」 「してない。トイレに起きたらプリンの匂いがして、お腹が空いちゃったんだもん……でも、頑張ったんだよ。絶対食べるもんかーって、迫りくる食欲と戦ったんだから」 「何分くらい?」 「……十秒くらい」 「実験報告。わが家のお姉ちゃんは郵便受けに入れたプリンに対し、かじられたみたいな跡があっても十秒と経たずその食欲をふるうものである」 「しょぼーん……」 「朝昼晩の食事はちゃんとお母さんが作ってくれるのに、なんでお腹が空くの?」 「いや、東京にいた時にね。一日一食とか普通だったから、ずいぶんケチくさい性格になっちゃって。それで我が家に帰ってくると食欲がわくっていうかさ、とにかくたくさん食べたくなるんだよね」 「まったくもう、たまに実家に帰ってきたと思ったらこれなんだから……」 「いいじゃないか、母さん。きっと耀子も弟の手作りプリンが恋しかったんだ。それだけ聡の作るスイーツがおいしいってことだよ。なあ、耀子?」 「う、うん、まあね。でも、一番の理由は別のところにあるのかも」 「何よ」「何だい」「何、お姉ちゃん」 「ほら、うちってたくさん食べる人が多いから。亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんも大食漢だったじゃない。今だって、みんな朝っぱらからご飯三杯もお代わりしてるし」 「……?」 「だからさ、これも『血の宿命』ってヤツじゃないかと思ったわけ。英語にするとThe Destiny of Blood。デスティニーだよ、ブラッドだよ。ワオ、カッコイイ!」 「アホらし。はい、もうご飯のお代わりは終わりね」 「耀子、その言い分はおかしい。さすがに頭冷やした方がいいんじゃないか?」 「お姉ちゃん、言い訳はよくないよ」 「ぐさっ」 「あと、あんたは東京に帰るまでおやつ抜き。シュークリームもカステラも、バウムクーヘンも杏仁豆腐も和三盆も全部禁止。分かった?」 「……しくしく、これぞ血の宿命か。ぶはっ」 「わっ、お姉ちゃんの鼻から血が」 「テーブルの下にチョコレートの破片があるな。それに頭冷やすどころか温めてるじゃないか。懲りない奴だな……」 「没収!」
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