Re: 一時間SANGOOOOOO、てきな。 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/11/21 01:29
- 名前: 弥田 ID:6HQbZfHU
騒々しさに目を覚ませば、教室がやたら色めきだっている。皆ぎゃあぎゃあとうるさく騒いで、老いぼれの教師がどう注意したものか、教壇の向こうで頭をひねくっていた。いったいどうしたというのか、隣席の女に詳しく聞けば、なんでも校庭に犬が入りこんだとかで、窓の外を見ると、確かに大型犬がいっぴき、運動場をうろうろと彷徨っている。 耳を澄ますと、あちこちから嬌声が聞こえてきた。他の教室はもちろんのこと、体育館でバスケットボールをしている男子学生、プールサイドでスクール水着を着ている女学生、獣姦を噂される生物学の教師、彼らのほとんど全員が、犬を指差し、あるいは嘲笑するようなかたちで、密やかになにかささやきあっている。 たかが犬ごとき。と、あまりに呆気ない展開にくたびれてしまった。あくびをして、もう一度眠りへと落ちる。加速度は重力に比例し、僕はもう一度眠りへと落ちる。落下のイメージは兎を追う少女の姿に重なり、懐中時計の内部では歯車が音たてて噛みあっている。喰いあっている。彼らにとってカニバリズムは神聖なる祭儀であり、時を操る秘術と密接に関わっている。果たして時計の発明される以前、時間とはいかにして歩を進めていたのか、これについて答えを知るとある狂人はかたく口を閉ざしたきり果てた。エレベーターが最下層にたどりついて、鈴の鳴るかわいい音がする。ドアを開ければ一面の荒野だ。空と地が果てまで無窮で、彼方を横切る地平線の接着点では、彼らの淫らな交接が行われている。 ばう。 と後ろから声がした。振り向くと、犬がいる。白く長い柔毛をさらさらちと風に吹かせながら、四つ足が凛々しく立ちそびえている。 「おまえ、夢のなかにまで入りこんできたのか」 ばう。 そういえば姉に聞いたことがある。ある種の犬はとにかく広い空間を好む傾向にあり、また広い空間へと入りこむ術に長けているらしい。数年前、『戦争』の余波で絶滅したとか、しないとか、そんなことがニュースになっていた。 「昔、わたしたちの家でも飼っていたんだよ。名前はぽちっていってなんのひねりもなかったけど。それでも仲はよかったな。幼稚園のときとか、よく背中に乗ったりして、いっしょに遊ぶのはとても楽しかった」 姉の声はぼそぼそとして聞き取りづらかった。当時、明かりを絶やさねばならない夜はどこの家も薄暗く、例に漏れぬ僕たちの部屋は、発光するTVの鮮やかな映像に照らされ点滅していた。姉も、僕も、点滅していた。浅黒い肌の上で、棒読みのアナウンサーが無表情に唇を動かしている。 「でも、死んじゃった。あんたの生まれるちょっと前にね」 「へえ」 「絶滅、しちゃったんだね」 「らしいね。少なくとも、アナウンサーはそう言ってる」 姉をどうやって励ませばいいのか分からなかった。残念だったね、とも、悲しいことだね、とも言えなかった。きっと姉も同じ気持ちだったのだろう、ただ事実を淡々と呟いていくだけで、自身の気持ちは決して語ることがなかった。涙一筋流さず、ぽちの好きなえさのことだとか、ぽちの筋肉のしなやかなことだとか、そんなことを一通り言い尽くして、それから、疲れたから寝る、と言うので、僕もそれにならった。 それから二週間して、空襲があった。姉は死んだし、僕は生き残った。後には都市の骸だけが横たわっていた。僕は焼け残った木材に鉛筆で姉の名前をかき、それを墓標の代わりとした。そのあと知らない大人が来て、暖をとるためと奪い取っていったけれど。どこで焼かれて煙になったものか、公園跡で寒さに震えていた僕に知るよしもなかった。 ばう。 と、遠くで犬が鳴く。答えるように、呟いてみる。 「まだ生き残りがいたんだな」 「ええ、いたの。彼らはあの時、あなたの夢の中に入りこんで、その死をまのがれたのよ。かしこいものだね」 すぐ隣に女が座っていた。女は僕の肩にしな垂れかかるようなかたちで、服越しではあるが、肌と肌が密着している。なのに、寒い。僕はこごえている。姉の火はいったい温かいのだろうか、とそんなことばかり考えている。それまではよかった。姉のことを考えるのは気分がよかった。しかし、だんだんと女のことが気にかかってくる。なぜこの人物は僕と肌を重ねているのだろう。この都市の果て、公園跡で意味もなく交接しているのはなぜだろう。誰一人訪れないこの地に、女はなぜきたのだろう。一度勘ぐりはじめるともう止まらず、次から次へと疑問が湧いてくる。 噛みあわない歯茎をがちがちと言わせながら、おそるおそる女に話しかけてみた。 「あの、あなたは誰ですか? この公園跡になんの用でしょう」 「わたしは雪女というものです。あなたと交接するためにここまで来ました」 「左様ですか。では、あなたの望み通りとしましょう。是非。是非」 二度目の是非、は言葉にならなかった。ばう。と僕は唸っていた。気がつけば犬と化した僕は、必死に腰を動かして、女の内部に肉の塊のようなものを打ち付けていた。ばう。ばう。と串刺すたびに声が漏れた、口の端から涎が垂れて、女の肌の上をすべった。そうして、へそのくぼみに粘液が溜まっている。 「こりゃ、池というよりは沼だね」 と、僕に成り代わった犬が言う。 ばう。と、僕が答えると、 「いいや、違う。すこし違う。ぜんぜん違うね。いくら君が僕を咀嚼しようと、それはなにひとつ無意味なことだ。カニバリズムたりえないよ」 ばう。 雪女の内部はあまりに冷ややかで、腰のあたりの感覚がだんだんと薄れていく。打ち付ける肉は凍傷におかされ、ひびわれ、血まみれていく。痛みに涎の量が増える。それらは女の腹の上で凍え、凝固し、結晶する。気泡混じりの氷は、身のよじられるたびに割れていく。 流血がすべりをよくしてくれる。ちぎれるような寒さのなかで、この赤い生命だけが唯一温かだ。僕は姉の火を思い、彼女の面影を懐かしんだ。 気をやると、 「ぽち」 と、女が言う。 「ぽち。わたし、あたし、ね、こうされることを望んでいたのかもしれない」 あしのあわいから白濁がこぼれていた。それとまったく同じ色をして、ぼたん雪が僕らの上へと積もっていく。降りしきる色彩になにもかもが真っ白になっていく様は、なにかを思い出すような気がして、しかし思い出せないままに、僕はゆっくりと眠りに落ちていく。底はいまだ遙かだから、滴る涎と同じ速度で、ゆっくりと落ちていく。おちる。
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