Re: 郵便受けの中に食べかけのプリン小説の巻 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/09/18 00:51
- 名前: 桜井隆弘 ID:pdiTfW/k
会議を終えた綾は、残り十メートルほどの家路に着いた。会議といっても重要な会議ではない、井戸端会議だ。十メートル走を終えると、一足先にゴールした娘の加奈が待っていた。 「ごめんね加奈、待たせちゃって」 綾はそう言いながら、おもむろに郵便受けを開ける。中は空だった――いや正確には、食べかけのプリンがポツンと置いてあった。 綾は即座に加奈の手元へと視線を移し、そこにプリンが無いことを確認する。 「こら、加奈ー。こんな所にプリン入れちゃダメでしょ」 弱弱しい目線を上にして、加奈は答えた。 「だって小さいおじちゃんが食べたいって言ってたんだもん」 「小さいおじちゃん……?」 加奈はまだ幼稚園児だが、来年にはお受験を経て私立の小学校へ進学する予定だ。将来はバリバリ働くキャリアウーマンにするつもりで、綾は今まで育ててきた。間違ってもナントカ星から来て、果物の馬車に乗ってますなどと言うキャラに育てる気は無い。新宿のデパートにひとたび出掛け、試食のおばちゃんに「お嬢ちゃん、どこから来たの?」と問われれば、「チバ」と答えられるくらいには教えてある。 それ故、加奈の言葉はいささか衝撃的だった。綾の中で、小さな憔悴と混乱が湧き起こる。 だが、そんなことに加奈はお構いなしだ。 「見られると恥ずかしいんだって。だからフタして隠してあげたの」 綾は、加奈に可愛らしさを微塵も感じられなかった。いよいよ育児の危機だ、将来の破滅だ。 「あっそう。おじちゃん、美味しかったって?」 加奈の手を引いて歩き出した綾は、半ば投げやりにそう尋ねた。 「うん、ありがとうって言ってた」 その答えに、綾は自ら質問したことを悔いた。
家に帰ると、テレビを見ながら寝っ転がっている夫の幸成が見えた。大体、父親がこうだらしないから、娘もいい加減になるのだ――綾は思った。 「ハハハハ」 自分を嘲笑するかのような幸成の声に、綾は段々苛立ってきた。 「あなた、休みの日くらい加奈の相手してあげたらどうなの?」 「うるさいな、休みの日くらいゆっくりさせてくれよ」 すぐに応酬する幸成に、綾は更に腹が立つ。 「自分のことばっかり優先して、私も加奈も結局ないがしろにされてるじゃない」 綾の言葉に、幸成は体を起こした。 「じゃあ、お前は俺を大切にしてるのかよ。大体、結婚指輪は見つかったのかよ?」 その言葉は、幸成の取って置きの攻撃だった。結婚指輪を失くしたという落ち度は、綾にとって致命的な急所だ。 「ママー!」 ふと台所の方から、加奈の声が聞こえた。 これはまさに救いの声だ――綾は気前良く反応して、幸成の前から退却する。
「加奈、どうしたの?」 冷蔵庫の前に加奈が立っていた。 「見てー」 加奈はそう言って、足元を指差す――冷蔵庫の陰に見えたのは、ダイヤの指輪だ。 「え、加奈が見つけてくれたの!?」 加奈は首を横に振って答える。 「小さいおじちゃんが見つけたの」 その言葉に、綾は何とも言えない説得力を覚えていた。 「プリンのお返しだって」 綾は加奈に可愛らしさを感じて、優しく頭を撫でてやった。そして指輪を拾い上げ、左手薬指にはめると、再び戦場へと赴く。
「あなた、ちょっと加奈と遊んであげてよ」 再度の宣戦布告だ。 「だから……それはお前が指輪見つけた後だな」 そう言い終わるや否や、幸成の目に光線が走る。 「そ、それは……」 微笑む綾。たじろぐ幸成。
それから時々、綾は郵便受けにプリンを入れて、フタを下げるようになった。 小さいおじちゃんには、まだ出会えていない。
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