【風よ、岩よ、屍よ】 原作:HALさん『荒野を歩く』 ( No.50 ) |
- 日時: 2011/02/07 03:14
- 名前: 星野日 ID:LPW3YGtc
五年。まだ五年しか経っていない。大戦の終幕に発動された大魔法は、この地に大きな傷跡を残した。生き物が住めるようになるにはあと五十年が必要だろうと言われる。しかしじっと足元に目を凝らせば、小さなムカデのような虫が這いずりまわっているのを見つける。ようなというのは、頭が二つあり、胴でひとつにつながり、そしてまた尾の方が二つにわかれているのだ。もともと異世界に住む虫が、大魔法の影響でここに移ってきたのか、それともこの世界の虫に異変が起きてああいう形を取っているのか、それは知れない。なんにせよ、この場所を生身でうろつき回っているというのは驚異的なことだ。私たち人間は魔法障壁帰ったら研究所の人間に虫のことを教えてあげよう。嬉々として採集に来るに違いない。遠くで獣の遠吠えのような音がしたが、あれは風が荒んでいるだけだろう。 「あーにシリアスな顔しちゃってんの」 私の後ろを付いてきた同行者が方に覆い被さり、酒臭い息を吹きかけてきた。この人の希望で、この古戦場へとくることになったのに、この人にはまったく真面目さが感じられない。 「先輩、重いです」 しっしと追い払うと「つめたーい」と同行者の彼女はげらげら笑い私から離れる。彼女とは三年ぶりに合うが、一緒にいてため息が止まらない。これが私の憧れた、五年前の戦争の英雄なのだろうか。凶悪な侵略者に対抗するため、当時の魔砲学の最高峰にいる者達で結成された世界の希望。私たちの希望を背負い戦い、大魔法の発動の際に多くの者が命を散らした。先輩はその中の、生き残りの一人だった。不意に私の隣で「ぽんっ」と空気が弾ける開けられる音がした。見るとまた新しい酒ビンのコルクを開けたようだった。英雄である先輩の生活は、今ではすべて税金で賄われている。彼女が水のように煽り酒も当然、税金から出ている。喉を通りきらなかった酒が口の端からぼたぼたと垂れて、乾いた地面へと吸い込まれていく。私は酒には詳しくないが、安い酒でないことは、ラベルの格調からわかった。戦争は世界に混乱と貧困をもたらした。無駄にこぼれた酒一滴の値段で、今世界で苦しむ人を何人救えるだろうか。この乾いた大地に住む虫はかえって水が苦手なのだろうか、先輩のこぼした酒を浴びて慌てて逃げたムカデがいた。それに気がついた彼女はしゃがみこみ「ほれほれー、こっちの水は甘いぞー」と瓶を逆さまにして酒をこぼし虫をいたぶる。私はイライラとして「先輩、行かないんですか」と言いながら足を鳴らした。声色にもずいぶん棘が入ってしまったのは仕方ない。 「こわいこわーい後輩ですねー」 自分の言ったことにへらへら笑いながら、先輩は殻になった瓶を投げ捨てた。緑色のガラスが岩にぶつかって割れる。赤い地面に散らばった破片は、しばらくすれば得体の知れない虫たちの住処になるに違いない。ガラスに反射した空に、白ばんだ月が映った。こんな調子で歩いていたせいで、もう夜はとくと暮れてしまった。他の者たちが先輩に同行するのを嫌がったはずである。堕落したという話は聞いていたが、まさかここまで重症だとは思わなかった。アルコールに汚染された不快な体臭を撒き散らし、ぼさぼさの艶のない髪をかき回しながら「ねえねえ、彼氏とかで来たの。綺麗になったねえ。私とは違ってさあ、あっはっは」と出会い頭に私に向って言った先輩。美しく、気高く、知的で、優しい彼女は、いなかった。 「ねえねえ見て見て。かっこいーっしょ」 どこから拾ってきたのか、先輩が槍を持ってきた。穂先が穢らわしく汚れた、大戦時の槍だ。私は思わず数歩引き下がり、怒鳴る。 「ちょっと。捨ててください。汚染されますよ」 この地域に落ちているものに直接触れるのは危険極まりない。大魔法によって、一帯の物質、生物には形容しがたき呪いがかけられた。ただ歩いているだけならば、法衣や魔法障壁によって呪いを退けられるが、呪いにかかったものに触れば自身も呪いに侵されるかもしれない。 「遠くに捨ててください。それをもって私に近寄らないでください」 「けーちけーち、ばーか」 先輩はつまらなそうに口を尖らせるが、私に言われたとおり槍を重そうに投げ捨てる。ほとんど足元に落としたような、弱々しい投擲だった。全盛期の先輩ならば、あの槍は地平線を貫かんばかりに、遥か彼方に飛んでいったに違いない。「行きますよ」と先輩の手を引き、その槍から足早に離れた。「えへへ、私妹みたい」ダメだこの人は。 人なのか獣なのか、魔物なのか。原型も定かではない何者かの骨が私の足にあたった。そんな些細な衝撃で、骨がぼろりと崩れ落ちる。たかが五年、通常ならばこんなにも早く風化はしまい。呪いのせいなのだろう。恐ろしさというか、気色悪さが背筋を駆け上がる。吐き気が込みあげたが、無理くり飲み込んだ。さっさと先輩の用事を済ませ、温かみのある我が家と戻りたい。まともな人間と話がしたい。あれは味方の魔法戦士だったのか、敵の魔物だったのか。もしかしたら、五年前に私が憧れていただれかの亡骸なのかも知れない。 「今の骨っ子、近くにイヤリングがおちてたねー。ヨーちんかなー、あれ」 後ろで先輩が呟いていた、聞きたくない聞きたくない。吐き気がした。後ろのこいつを捨てて、引き返そうか。一人ならば夜が開ける前に帰りの船に乗れる。さっさと島を離れ、船の上で歯を磨いて、身体を水で流し、頭を洗い、スヤスヤと眠って朝が開けて、ああ嫌な夢だったと思いながらトースターとコーンスープでも飲んで。ああもう嫌だ。 「うへへー、ショックだったかな。うそぴょーん、大丈夫だよ。さっきのは多分、君の大好きだったヨーちんじゃなくて、あまり面識のなかった五班の」 「いい加減にしてください」 握っていた手を、地面に叩きつけた。先輩が転ぶ。先輩が空いている手に持っていた酒瓶が地面に転がる。じゃばじゃばと酒が溢れる。赤く乾いた大地が貪欲に酒を吸い込んでいく。先輩は「あうーあうー」と阿呆の子のように呻いて、痛がった。私は自分の身体の頭からつま先を、怒りが、憤りが登ったり降りたりを繰り返すのを感じた。 「なんなんですかあなたは。私は、私はあなたを尊敬していたのに。あなたは私のたどり着けない目標で、みんなから尊敬されて、愛されて、すごい、すごい人で。それなのに今のあなたはどうしたんですか。どうしてそうなったんですか。何を考えているんですか。何をして欲しいんですか。私には判らない。あなたが全く判らない」 全身から搾り出して叫んだ割に、全く意味の伴わない言葉だなと、言ってから思った。こんなの、体力の無駄だ。 「いやーん。怒ったー」 先輩は何も感じなかったかのように、今までと同じ調子で私を見上げ、けらけらと笑った。ああ、私は、本当に体力と気力を無駄に使ったのだな。そう思った。 「いいよ。私をここに置いていっても」 先輩は新しい瓶をどこからともなく取り出し、煽る。 「昔のテレビみたいにさ。悪を倒した正義の味方は、次の星にむかって飛び去っていきましたみたいなさ、そう言うのがベストなんだよね。この世界にはもう私、いらないじゃん、みたいなさ。いても邪魔だし、扱いに困るし。怖いでしょ。こんな場所を作れちゃう私たちってあれだよね。戦争終わったのに爆弾は残ってますみたいな。そんなふうにみんながうすうす思ってるのわかるよ。だから置いていっていいよ。ここなら寂しくない、寂しくないんだ」 ねえ、みんな。そう呟いて先輩が瓶を逆さにする。どくどくと酒が溢れ、乾いた土へと呑み込まれていく。 「ここにはみんないる。あの頃の味方も、敵も、みんないる。だから平気よ。運命とは、最もふさわしい場所へと貴方の魂を運ぶのだ、ってねー」 ふいーっと先輩はため息をついて、そのままぐったりと力を抜いた。すぐに寝息が聞こえてくる。イライラと、どこにもぶつけ用のない、名前のない想いが全身を駆け巡る。激情にまかせ、「もう知りません」と私はその場をさった。腐っても、大戦の英雄だ。放っておいても平気だという確信はあった。それにしても私にはあの人が判らなくなる。今先輩が話したことを考えながら、方向なんて関係なく歩いた。あんなことを考えながら五年を過ごしていたのだろうか。先輩の言葉には、失望や絶望がにじみ出ていた気がする。隠された悲しみは、塞がれた天火のように、その心を灰にするまで燃え尽くす。そんなものを私は感じた。 うろつき、時々星を眺め、考えているうちに空は白くなってきた。そろそろ先輩を迎えに行かなければいけない。今日の昼くらいまでには、帰りたい。来た時の調子を考えると無理だろうけど。 戦争から五年、まだ五年しか経っていない。大地も人も街も、何も癒えてはいない。私はこの五年で、どう変わってきただろうか。そんなの、知らない。
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・過去も荒野、今も荒野 → 過去は荒野で今は違う というコントラストのほうが書きやすそう
・五年という時間の経過を感じさせたい。人の風化以外にも
・逆に、五年じゃ変わらないことってなんだろう。
・墓参りみたいなことを、夜に歩いている必然性はなにか
・世界背景をもっと匂わしたい。
・生き残った人が、あえてここで「私は生きているらしい」と思うのは、どういうときか
というところを考えつつ、酒をにおぼれる魔法少女とかどうだろうという考えから生まれました(ぇ 最初は彼女一人でしたが、やっぱり飲んだくれのダメなやつは外からそのダメっぷりを描写したい。ということで、最初に考えた六点を半分くらい無視して出来上がり。後輩がどっか言っている間の先輩の描写が原作だと考えると、整合性がとれるかも!! とか書き終わった後に気が付きました。なんだか取れている気がする!!!(ぇ 最初は売れ残った刺身のつぶやき、とかにしようと思ったけど、思い直してよかった
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