Re: ふわふわ浮かぶそれは、確かに、確かに三語なのでした。 ( No.5 ) |
- 日時: 2011/01/23 00:03
- 名前: HAL ID:AqkiONww
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
まず最初に信じてほしいんだが、幼馴染で小中高の同級生で俺らのバンドのボーカルであるところの杉下潤一が、音楽バカばっかりの仲間うちでひとりだけ、ちゃっかり一流企業に応募して安定した人生を送ろうとしているからといって、それを妬んだりだとか、まして足をひっぱろうだとか、そんなさもしいことを考えるような俺じゃない。それがアイツの幸せだっていうんなら、寂しいけれど、笑って送り出すのが友というものだ。そうだろ? な? 「だから、なあ、邪魔しになんかいかないって。俺だって、いくらなんでもそこまでバカじゃねえし。約束する。だからこれほどけ? な?」 俺はそう、せいいっぱいの猫なで声を出した。 朝からずっと、柱に縛られている。小便にいきたいっつっても無視された。あと二時間ガマンしろだと。たしかにな、あと二時間もたてば、アイツの採用試験も終わる頃だし、邪魔のしようもないだろう。だけどなあ、これ、あんまりじゃないのか。一歩間違ったら監禁罪とかになるんじゃないのか。なあって。 叶はにこにこ笑っている。いつもとかわらない、人のよさそうな笑顔。 「なあ、俺だって、潤一にはちゃんと幸せになってほしいんだよ。そりゃ、バンド解散なんて寂しいには違いないけど、だからっていって、アイツの足をひっぱったって何にもならないって、ちゃんと分かってるさ」 「うんうん。ちゃんと分かってるよ、竜はそんなことするバカじゃないよね」 「だろ? だからこれ、いいかげん外してくれよ」 哀れっぽく叶に向かって訴える。油断して近づいてきたところでタックルをかまそう、などと考えていると、俺の顔をじっと見ていた叶は、立ち上がってなぜかタンスに向かった。引き出しを開けてなにやらガサゴソやっている。 「なんだそんな針金出してきて。ダウジングでもやる気か?」 叶はにっこりと微笑んで、何も答えなかった。無言で近づいてくる。それもきっちり回り込んで、背中のほうから。俺の考えることくらいお見通しってわけか。 縛られたままの腕をぐいと引かれて、バランスを崩した。叶はひょろっとした外見をしていて、じつは力が強い。いつだったかわけのわからない理由で絡んできたガタイのいい不良を、右ストレート一発でK.O.していた。 「おいおい、勘弁してくれよ」 すでに背中の柱にロープで括りつけられているというのに、さらに両手の親指どうしを針金で括られた。このやろう、この天才ギタリストの黄金の手にいったい何してくれてんだてめえあとでぶっ殺すぞ。もがいても痛いばかりで、ちっとも手に力が入らない。くっそ、いったいどこでこういうことを覚えてくるんだ、こいつは? 「煎茶の一杯でも出してほしいもんだね」 しかたなく暴れるのをやめて、せめてもの負け惜しみで、やれやれという余裕の態度を作ってみせた。叶はちょっと考えるような顔になって、立ち上がる。なんだ、どこに行く気だおい。せめてこれほどいてから行きやがれよ! ちょっと本気でトイレに行きたくなってきた。まさかこのまま放置か。放置プレイか。相手が美女ならともかく昔なじみの腐れ縁の野郎に放置されたって、何一つうれしかねえよバカやろう。 などと罵っていたら、本気で煎茶を淹れてきやがった。目の前にでんと置かれる湯のみ。叶はにこにこしている。嫌がらせか。 「飲めねえよ」 「わがままだなあ」 なんとなくうれしそうに、叶は立ち上がった。湯のみをもって近づいてくる。 「ほら、のみなよ」 「熱あつあつい! てめえ絶対わざとやってるだろ!?」 あっははと、やけに明るい笑い声を立てて、叶は湯のみを遠ざけた。時計をちらりと見上げる。 「あと一時間四十分くらい、ガマンしてなよ。そうしたらタクシー使っても間に合わないだろ。トイレ我慢できそうにないんだったら、ペットボトルをもっててあげようか? それとも大人用紙オムツがいい? 爺さんのがあるけど」 本気だ、こいつ目が本気だ。戦慄しつつ、首をぶるぶると振った。 「あー、今日のわんこ見逃しちゃったなあ。予約録画とかしてないよね、竜」 してるわけあるか。あとで本気でぶん殴ってやるこいつ。 叶はふっと笑みのトーンを変えた。にこにことわざとらしい笑顔から、少し力のぬけた苦笑に。 「そんなに心配しなくても、バンドは大丈夫だよ。潤一がどういうつもりだって、なんとかなるって。少なくともおれはやめたりしないし」 その声が、思いがけず真面目な調子だったので、俺も縛られたままで、ちょっと姿勢を正した。 「……なあ、お前だって分かってるんだろ。俺が本気で、アイツの幸せを台無しにするようなマネをするわけないって」 「分かってるよ。だからこんなことしてまで止めてるんじゃないか」 あっけらかんと叶はいって、さめかかった煎茶を啜った。こきこきと首を鳴らす様子が、年寄りくさい。 「あいつが音楽から離れて、ホントに幸せに生きていけるわけないって、そう思ってるから、竜は本気で止めようとしてるんだろ」 思わず黙り込んだ。そこまで分かってるんなら、なんで縛ってまで止めようとするんだよ。潤一に頼まれたからか。 潤一もバカだ。いまさらネクタイなんか締めて、毎日通勤電車に揺られて、上司にへこへこ頭下げて、懇親会のカラオケで杉下君歌上手いねえなんて酔っ払いに拍手されて、そんな生活に耐えていけるわけがない。叶ならどこでもやっていけるかもしれないが、俺よりもよほど潤一のほうが、骨の髄まで音楽の虜になっている。 きつく縛られすぎているのか、手のひらがじんじんしてきた。くっそう。どいつもこいつも、バカばっかりだ。 「お前はなんで、そんなふうに平気な顔してられるんだよ。アイツが本気でサラリーマンなんかになって、つまんねえオッサンになって、あとんなって後悔してるところ見ても、お前は平気なんかよ」 噛み付くようにいうと、叶は破顔した。 「竜はバカだなあ」 どっちがだよ、そういいかけた俺を遮って、叶はいった。 「潤一みたいなバカが、あんな会社に採用されるわけないじゃん」 さらっとひどいことをいって、叶は顎をなでた。 「過去のあの会社の入社試験問題、竜、見てないだろ? 文章問題ばっかりだから、三択の神様にも頼れないし、あのバカの頭じゃどう逆立ちしたって採用になるはずないよ。神様に誓ってもいい」 ぽかんとした。 「青春も音楽漬けでやってきて、世間には疎いっていうのはわかるけど、いくらなんでも一般常識がなさすぎるよ」 「じゃあなんでここまでやるんだよ」 手をふっていうと、叶は首をかしげた。 「変に止めて潤一に怨まれたくないだろ、どうせ落ちるんだし。大体な、潤一だって、どっかで分かってると思うよ。あれはポーズなの。一般人になろうと努力したけど、バカすぎてダメでしたって、そういう形にしたほうが、誰にとってもいいわけがたつだろ。本人も諦めがつくし」 叶はしみじみといって、また煎茶を啜った。 「そうでなけりゃ、潤一ももっと無難な会社を受けてるよ。わざわざ無謀なことやってんのは、最初から採ってもらうつもりがないからだって」 脱力した。本気で心配した俺一人が、バカみたいじゃないか。 「……ったく、それならそれで、最初からそう説明しろよ。そしたら俺だって……」 「いや、面白かったから」 「てめえいますぐこれ外せ、ぶっ殺してやる!」 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、頭の片隅では、今ごろ潤一はどうしているだろうかと考えていた。試験問題を前に、訊かれていることの意味さえわからずに、解答用紙にパンクな落書きしている姿が目に浮かんだ。すごすご帰ってきたら指さして笑ってやる。
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