【バンシーの歌】 原作:紅月セイルさん「孤高のバイオリニスト」 ( No.44 ) |
- 日時: 2011/02/06 04:02
- 名前: 星野田 ID:RB7Zt9Zs
日も暮れようとしたとき、旅人のパイアケトが墓場の前を通りかかりると何か女の啜り泣きが聞こえる。ぎょっとして墓場を覗き込むと、一つの墓石の前でうずくまる女がいた。旅をしていると気味の悪い噂話をいろいろと聞く。無念を晴らせずさまよう幽霊、墓場で死肉を貪る怪物、真夜中に呪いの儀式を執り行う狂人。迷信などを信じて必要に怖がることはないが、それでも旅の途中で気味の悪いものに近寄ろうとも思わない。恐ろしくなったパイアケトが足早に町に向かおうをしたとき、その女のしくしくという嗚咽に混じって、なにかを呟いているのが聞こえた。途切れ途切れだが、あれは歌だ。故人の霊魂が悪霊に汚されず、迷わず無事に天国へと行けるよう願う歌。嗚咽によって旋律も歌詞も消えかけているが、確かに彼女は歌っている。夫か恋人か息子か、ともかく誰か親しいものを亡くした女らしい。 押し寄せる哀惜の念に、我を忘れ、時がたつのにも気がついていないのだろうか。もうすぐ夜になる。こんなうら寂しい場所に女一人を残して立ち去ってはいけない。女への同情心とともに、倫理観がパイアケトの胸に湧き上がる。 「お嬢さん、もう一番星が天に昇っていますよ。何があったのかお察ししますが、私と一緒に町へ向かいませんか。この時間にはスープのやパンのこげる匂いが漂っていて、きっとほっとしますよ」 声をかけられた女がハッと顔を上げる。女は手に持っていたナイフをとっさにパイアケトにむけたが、慌てて手を上げたパイアケトを見てすぐに警戒を解いた。目元や耳のあたりに鱗を生やした見たことのない種族であったが、若い女であることは知れた。赤く腫らした目から、ずいぶん長い間泣いていたに違いないとパイアケトは思う。女は何かを言おうとしたが言葉にならず、パイアケトが差し出したハンカチを黙って受け取った。 女はすこしの間、落ち着こうと努力してからようやく「どなたかは存じませんが、親切にありがとうございます」と言い、しかし「私は今夜、この場を離れるわけには行きません」 ケケト族のポアラと名乗る彼女の話によると、彼らは霊感の鋭い種族なのだという。それゆえに悪霊たちにとって、死んだばかりのケケト族の無防備な霊魂は格好の餌であるという。男は娘や妻が死ぬと槍を持って悪霊たちを退く、女ならば歌を捧げて霊魂を導いた。ポアラはまだ娘といっても通じる外見であるが、つい先日伴侶を失った未亡人である。結婚してから二年、夫は夭折の人であった。ケケト族の慣わしに従えば、妻であるポアラは夫のために一夜を通して歌い続けなければならない。さもなくば夫の霊魂は現世をさまよい、いずれ悪霊に食い散らかされてしまう。 それまで黙って話を聞いていたパイアケトは、腹を立てて言った。 「しかし冷たい一族ですね。あなたが歌っている間、だれも付き添いさえしないとは」 「友人たちを起こらないでください。この辺りには獣も出ませんし、物騒な話もありません。それに一人でいさせてくれと、私が頼んだのです」 女は俯き、沈痛な言い方で続けた。 「私はその、恥ずかしい話ですが、音痴なのです」 音楽や芸能を愛すケケト族は皆、美しい歌声をもつ。その歌や踊りに乗せ出産を祝福し、運勢を占い、恋人を愛で、結婚を喜び、故人を偲ぶ。この種族の者にとって、歌や踊りができないことは人格を疑われるほどの恥ずべきことではあった。ポアラに親しい者たちは、彼女の音痴を知り彼女を嫌うことはなくても、激しく同情し、彼女自身も己の才覚のなさを情けなく思っていた。しかし、夫の魂を導く歌は妻の役割であり、他の誰かに変わってもらうわけには行かない。耳障りな歌声を晒してしまうくらいならば、誰にも聞かせることなく、一人で夜を過ごしたほうがよい。彼女はそう考えているようだった。 先ほどうずくまって泣いていたのも、夫を亡くした悲しみももちろんあったが、それよりも愛すべき人を満足に送ってやれない自分の歌声を嘆いてのことでもあった。「いくら歌っても、あの人の霊魂を導けず、あの様にさまよわせてしまう」と彼女は言い、情けなさそうに「あはは」と力なく笑った。その言い方はあたかも彼女にさまよう夫の霊魂が見えるかのようだったが、もちろんパイアケトにはそれが見えず、あいまいに返事を返すしかなかった。 なんと言うべきか思いつかずパイアケトがまごまごしていると、彼女はどこかに言ってほしそうな仕草をパイアケトに送ってくる。しかしパイアケトは心配であった。 ごほんと咳払いをしたパイアケトは、どうでしょう、と提案をする。 「私は旅人です。私にかく恥ならば、あなたもそこまで気にすることはありません。私に一晩、あなたのお手伝いをさせていただけませんか」 「手伝いとは」 なにが手伝えるのかと疑問に思うポアラに、これですと言いながらパイアケトはドサリと置いた荷物の中から楽器を取り出した。 「演奏があれば多少は歌いやすいでしょう。歌を教えてください」 彼女は迷ったが、「旦那さんが一生さまようのと、一時あなたが恥をかくこと、どちらが重大か」という旅人の言葉にしぶしぶ納得した。パイアケトに彼女が歌った曲は確かにひどい歌だった。音程は外れ、調子も悪い。しかしパイアケトはこの地方によく聴く音楽と照らし合わせ、何種類かの曲を再現してみせた。ポアラは「すごい、その曲で良いと思います」と驚いて「よく私の歌から、正しい音をつくれましたね」と目を丸くして言った。 「では弾きますね」 パイアケトが曲を奏でると、ポアラも意を決して歌い始めた。パイワケトは歌を聴きながら、そらで歌うよりもましになったと思ったが、もちろん口には出さず黙って楽器を鳴らす。最後まで歌い終えたら初めに戻り、また頭から歌う。自身の歌に満足できないのか、ポアラが涙ぐむこともあったが、そのときはパイアケトはあえて強い調子で楽器を弾き、彼女を元気付けた。パイアケトにとって難しい曲ではなかったが、夜が更けても何度も繰り返し楽器を引き続けることは体力を削る。ああしまった、こんなきつい事になるのなら引き受けるんじゃなかった。眠いし、つらいし、寒いし、そういえば夕飯を食べ損ねたのではないか、ちょっと休憩とか言ってご飯を食べてはいけないのだろうか、いやいや彼女は一生懸命やっているし、言い出した私がやめるわけにはいかない。パイワケトの体に疲労がたまり、思考が固まらなくなる。やがて風の音と、自分の演奏と、彼女の下手な歌と、虫の声と、心臓の鼓動と、何もかもが交じり合うころに、ぴたりとポアラの歌声がやんだ。 「あ、ああ」 ポアラが感極まったように、声を漏らし、涙を流した。 「よかった。本当によかった。私の声で、天へと逝けるのですね。こんな声でごめんなさい、今まで愛してくれてありがとう」 空中の何かに抱きつくように、ポアラが天へと両手を伸ばした。しばらく彼女はそうしてから、はっと我に帰ったように、パイワケトのほうを振り向いた。 「ありがとうございました。夫もこれで、あれ」 そこにもう、パイワケトはいなかった。
ケケト族の町では音痴の女が、無事に霊魂を天に送ったことが話題になっていた。もしも霊魂を送ることができなかったならば、慣習にそむくことではあるが、彼女の代わりに歌うつもりの者も何人かいたらしい。迷信を強く信じる風習のある村で慣習を破れば、白い目で見られることも多いと旅で何度も経験してきた。いい人たちの多く住むいい町だなとパイワケトは人々の噂を聞きながら思う。みな、彼女が霊魂を送れたことを喜んでいた。ケケト族のしきたりとはいえ、みんな彼女のことを心配していたのだ。彼女が儀式を上手くできなかったとき、命を絶つのではないかと心配していたという声も聞いた。その指摘は間違ってはいないのではないかと、パイワケトは思う。人を遠ざけ、一人で墓場で泣き暮れていた彼女を思い出す。彼女に声をかけたとき、とっさに振り向いた彼女は手にナイフを持っていた。獣もおらず、治安も悪くないこのあたりで、常に手に刃物を持って警戒ているというのは考えにくい。あの時、手に持っていた刃物はもしかしたら、と考えが及ばないでもない。 宿で昼食を取るパイワケトの隣で、若いケケト族の二人が話しをしている。 「なあなあ、ポアラさんの話を聞いたか」 「彼女、今まで歌のせいで自信をもてなかったみたいだけど、霊送りができて少しは元気になれたみたいだね」 「なんでも親切な旅人が絡んでいるらしいな。ポアラさんの歌にあわせて楽器を弾いたんだってな」 「そしてポアラさんが旦那さんの霊と話しているとき、気を使ってそっとその場を去ったらしい」 「夫婦の最後の会話だもんな。気が利く旅人だ」 「きっと、さわやかでかっこいい人なんだろうな」 さてと、とパイワケトは席を立った。この町はいい町だが早く去ろう。 あの時、女が歌い終わる直前、空中に浮かぶ男に「妻を救ってくれてありがとう」と微笑まれて、怖くなって逃げたとはまさか言えない。
**************************** ごめんなさい。 何度も書き直していたら、かなり原作から外れてしまった気がする。
仮面ライダーがけったり踏んだりの大活躍をするバージョンは封印(?
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