リライト つとむュー様『お父さんのススリ泣き』 ( No.40 ) |
- 日時: 2011/01/30 20:36
- 名前: HAL ID:.XBZrO3I
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
隣の部屋から、すすり泣く声がする。 真夜中だ。一歩間違えればホラー映画のシチュエーションだけれど、うらめしそうな女の声ではなくて、野太いオジサンの泣き声では、なんとなくしまりがない。しかも、男泣きなんていう雄雄しいものではなくて、まさにめそめそという感じ。あれが自分の父親だと思うと、恥ずかしくてしかたがない。 母さんがいてくれれば、と思う。そうすれば、なだめすかすか叱りつけるかして、なんとか泣き止ませるなり、せめて隣の和室から引き剥がして、わたしの勉強の邪魔にならない場所にどかしてくれただろうに。 信じられないことに、もう三時間、この調子なのだ。弟はとっくに逃げ出して、友達の家に避難している。わたしだってそうしたかった。だけど受験生の友達の家に、急に夜中に押しかけて「今晩泊めて」なんていう度胸は、あいにく持ち合わせがない。 泣き声は収まる気配をみせない。まったく、大の男がいつまでも、情けないことこの上ない。聞こえよがしにため息をついても、襖の向こうの声は、さらに泣き声のトーンを上げただけだった。嫌味な。 こっちは受験も間近だっていうのに、いったい何を考えてるんだろう。おかげでイライラして、ちっとも勉強に集中できない。 襖に向かって、消しゴムを投げつける。投げるものを目覚まし時計にしなかった自分の理性を、誉めてやりたい。家庭内暴力をふるう男の気持ちが、ちょっとだけわかるような気がした。大きくため息をつく。 父さんに向かって「ウザい。死ねクソ親父」と吐き捨てたのは、三時間前のことだ。いくらなんでもいいすぎだろうか。いいすぎだろう。自分でもわかってはいる。だけど、それくらいのことは、いいたくもなるのだ。 センター試験まで、残り一か月。この追い込みの大事な時期に、風呂上りにパンツ一丁で部屋にやってきて、よりによっていうことが「週末、温泉にでもいかないか」ときた。 誰のせいで、と思う。いったい誰のせいで、こんなに必死で勉強する羽目になっていると思うのか。 一年前のことだ。四十もとっくに過ぎて、上司とそりが合わないからなんていう子どもみたいな理由で仕事をやめた父さんは、不況の中でどうにか働き口を見つけたはいいけれど、年収は当たり前のようにガタ落ちした。 どうして上司に辞表を突きつける前に、一瞬でも子どもたちのことを思い出してくれなかったのかと、なじりたいのを堪えに堪えて、わたしはそれから必死に勉強に追われている。どうせあんまり頭はよくないんだし、大学になんていかなくてもいいっていったのに、それはダメだなんていい張ったのも父さんだ。ローンの残るこの家もさっさと処分して、家賃の安い公営住宅にでも申し込もうよって、わたしがそういっても、思い出のある家を手放すなんて無理だとごねたのも、やっぱり父さんだ。あのおっさんの脳ミソには、現実を見るっていう能力が、最初から備わっていないに違いない。 そんな状況で、私大に通うような余裕はウチにはない。もともと受験に対して呑気に構えていたわたしが悪いといえば、そのとおりだ。だけど、誰のせいで、と思わずにはいられない。 すすり泣きはおさまらない。いいかげん腹に据えかねて、椅子を蹴立てて立ちあがった。どすどすと畳を踏み鳴らして、襖を開く。父さんは肩を落として、小さくなっていた。その丸まった背中がどうしようもないほど情けなくて、思わず拳をにぎりしめていた。 怒鳴ろうと、大きく息を吸い込んだ瞬間だった。父さんが手にもっている、一枚のカードに気がついたのは。 色あせた、けれどたしかに見覚えのある風景写真。それは五年前、家族旅行のときに買った絵葉書だった。 どうしてこれが、いま父さんの手元にあるんだろう。驚きのあまり、怒鳴りかけていた声もしぼんで、どこかにいってしまった。 それは、いまも遠い南の島の、街角にあるポストの底で、ひっそりと眠っているはずの品だった。
五年前のそのときまで、毎年かかさず、その南の島に家族そろって出かけるのが、わたしたちの習慣になっていた。だけど五年前、まさにその旅行の最中に、非常事態が起きた。火山活動が急に活発化したのだ。 その噴火は、最初の予想以上に大きくなって、最終的には全島民が避難するはめになった。わたしたちも夜中にホテルの従業員から起こされ、おおあわてで荷物をまとめて、船に乗り込んだ。そして数日後、島は封鎖された。 あれが家族そろっての、最後の旅行になった。翌年、三人でどこかに行こうといった父さんに、あの島でなければ絶対に嫌だと、わたしがごねたからだ。 本当は、旅行の場所なんてどこでもよかった。母さんがいないのに、三人で旅行なんてするのがいやだっただけだ。 「ごめんね」と、母さんはいった。家を出て行く前の晩のことだ。父さんとひどい喧嘩になって、言葉と皿とが飛びかった。わたしと弟は、わたしの部屋に避難して、うんざりだよねとか、いい加減にしてほしいとか、そんなことをいいあっていたと思う。いっときして、母さんがそこに顔を出して、たった一言、ごめんねといった。 わたしたちは、その「ごめんね」が、「みっともないところをみせてごめんね」だとか、「いやな思いをさせてごめんね」だとか、そういう意味だと思っていた。翌日、学校から帰ってきて、母さんがいなくなっていることに気が付くまでは。 家を出た直接のきっかけが、なんだったのかは知らない。たまに連絡してくる母さんも、母さんのことに触れると顔を歪めて黙り込む父さんも、ぜったいに話そうとしないからだ。 だけど、そういうことの原因が、ひとつきりのわけがない。日ごろの色んなことが、たとえばこういう父さんの無神経なところだとか、考えなしで現実を見ないところだとか、すぐにめそめそするところだとか、そういう不満やなんかがずっと積み重なって、混ざりあって、それである日、なにかのきっかけで堰を切るのだ。
だけどどうして、この絵葉書がいまごろになって……。 そう考えて、やっと思い出した。ついこのあいだになって、ようやく島民の人たちの帰島が叶ったと、ニュースでたしかに聞いたのだった。 ではこの絵葉書は、熱い灰の降ってくる町の一角の、あの国独特の形をしたポストの中で、焼けずに耐えていたのだ。そして、戻った島民たちの手によって、五年越しに送り出されてきた。面白がってそれを投函した、当のわたしも、とっくに忘れたころになって。 絵葉書の裏には、記憶違いでなければ、わたしたち四人の署名がそれぞれ入っているはずだ。 父さんの肩は細かく震えている。厭味のためのウソ泣きには見えなかった。なにも考えきれない人なのだ。相手の気持ちになってみるっていうことが、とことん下手くそなだけの。 何もいわずに襖を閉めて、自分の部屋に戻る。椅子を軋ませて座り、イヤホンを耳に突っ込んで、ボリュームをあげた。おっさんのすすり泣きよりは、フルボリュームのロックのほうが、まだ勉強の邪魔にはならないだろう。耳は悪くなるかもしれないけれど。 明日の朝になったら、と、数学の参考書を睨みながら、頭の隅のほうで思う。温泉、行ってもいいって、いってみようか。ただし、受験が終わったあとにねって。 謝るのは癪に障るけれど、それくらいは歩み寄ってやってもいい。どうせ大学に受かったら、次の春にはこの家を出るのだし、わたしのほうがちょっと大人にならないと、どうやら仕方がないみたいだから。
---------------------------------------- ごめんなさい、勝手ながらだいぶ設定いじっちゃいました。えらく口汚い娘さんになってしまった……。 お目汚し、大変失礼いたしました!
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