海星な詩 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/12/05 01:41
- 名前: 星野日 ID:tISIeLTU
私が完全生身の人間だと知ると、たいてい相手は意外そうな顔をする。確かに今時の月面都市では、手足や目をサイボーグ化した人間が多くいる。だが決して完全生身の人間が珍しいわけではない。私の感覚でだが、十人いれば一人か二人は無改造だ。 いや、彼らが意外に思う理由は私にはわかっている。身体ではないのだ。私の心が、性格が完全生身の人間らしくないから、彼らに驚かれるのだろう。 とくに体全部をサイボーグ化した者にありがちなのだが、彼らはとても冷静に物事を見がちだ。急な不条理に怒ることも憤ることもなく、感情ではなく理性や理屈で物事にあたる。人間の身体は機械的に動く交換可能な部品で構成されている。その事実は、彼らにより現実原理主義的な考え方を育てるようだ。生身の人間が多い地球では誤解されがちだが、決してサイボーグ達が人間的でないわけではない。彼らは物語に触れ笑いも涙も零す。しかし例えばロンドンの大英博物館には素晴らしい芸術が多数おいてあり、その歴史的、資料的、美術的価値を理解しつつも、地表の人間のように無条件の感動を絵画や彫像に抱いたりしたりはしないだろう。天使の象を見て「こんな骨格では飛べない。羽が小さすぎる」と言った月面都市の重鎮が地上で話題になったことがある。ロンドンの天文台で働く知人が、その事について触れて「あなたも同じ事を思いそう」と語った。そのとおりだと思う。 つまり私は、そんなサイボーグたちのように比較的冷静だと人から思われているようなのだ。ああ、とてもありがたいことに。 月面都市を葉脈のように繋ぐハイウェイで、私はいまイングランドシティからニホンシティへと車を走らせ向かっている。姉が事故に会い、危篤なのだそうだ。私は運転をしながら、どう家族に会おうかを考えている。ここ二年ほどニホンシティには帰っていなかった。特に喧嘩をしたわけではない。会わなかった理由は、会う理由がなかったからだ。あとはまあ、ここ数年は研究が忙しかったのもあるが、帰る時間がないほど忙しかったわけでもないし理由にはならないだろう。姉が危篤なのに「やあ、元気だったか」というのも変だ。「大変だったね」というのも他人行儀すぎる。菓子折りを買ってあるのだが、のんびりと出かけてきたように見えるかもしれないし、渡すのはやめておこうか。私は身内の心配よりもまず、こんなことを考えていのだ。 ハイウェイの休憩地点に入り、コーヒーを買った。まずい。よく行くロンドンでは美味いコーヒーショップがあったので毎回寄っていた。サイボーグにすると、味覚が変わるそうだ。月の人間にとってはこのコーヒーが美味く感じ、ロンドンのコーヒーはお気に召さないのかもしれない。旅行中らしき若者の一団が、笑い合いながら私の横を通り過ぎていった。うち三人はサイボーグであることが確かにわかったし、残りの二人もおそらくサイボーグではないか。実に楽しそうに、心から笑っている。ロンドンの知人の言葉を思い出す。彼女によると私の笑い方は、実に表面的に見えるそうだ。私としては作り笑いのつもりはないのだが、まあそう見えるものは仕方ない。たしかに言われて見れば、面白くて面白くてしかたなく、心から笑うことはないかもしれない。しかし、だれだって大人になればそんなものではないのだろうか。生身かサイボーグかなんて関係なく。彼女は「顕微鏡ばかり覗いているから、笑いが張り付いたみたいになるんだ」と冗談めかして私のことを笑った。そういう彼女も望遠鏡を覗いてばかりなのだが、そのことと笑い方の相関を見いだせないので、私は特に何も言わなかった。 コーヒーがなくなると、腹が減っていることに気が付く。車の中にある菓子折りを食べようか迷ったが、結局それには手を付けず、休憩地点の売店でパンを買いこんだ。会計は十ムーンドルか二千円と言われて、この場所がニホンシティ内だったことに気がつく。月面都市では、全シティ共通のムーンドル通貨と、それぞれの地方通貨の二種類が使われている。もっとも、電子貨幣でのやり取りになるので、どの通貨を使おうが、端末を会計盤にかざすだけなので、そこまで通貨の違いを意識することはない。表現系が同じならば中身の違いなど気にならない。 そう言う私に、ロンドンの彼女は「親密に接すれば、その違いがわかってしまうの」と言っていた。 もうすぐ実家にたどり着く。たぶん私は、病院の床に伏せる姉を見て心配し、親を気遣って何かを言うのだろう。親たちは私をねぎらい、もてなすだろう。私は風呂に入りほっとし、安らかに眠り、それからこの急用で来週の研究の予定を組み直さなければならないなと考えるだろう。渡しの笑いのように、私の悲しみも表面的なものなのかもしれない。笑いも、悲しみも、喜びも、苦しみも、そして愛情も。 あるとき、些細な喧嘩がおこり、私はロンドンの彼女に「本当は君を愛していないのかもしれない」と言ってしまった。私は彼女との喧嘩中、どうすれば彼女の怒りをうまく処理できるのか、どうすれば自分の予定を狂わさずに彼女のための時間を取れるかを考えていた。私は彼女の気持ちが収まるよううまく誤魔化せればよかったのだ。 ロンドンの天文台で働く彼女もその事に気づき、その事に触れ「ひとでなし」と言った。 私は姉の危篤にこんなことを考えている。ロンドンの知人の言葉も、そのとおりだと思う。
========= まだ書きたかったけど、時間が来たので投稿。 偽善的な悲しみ、みたいなのを書きたかったけど、かけなかった・・・!!
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