Re: 郵便受けの中に食べかけのプリン小説の巻 ( No.4 ) |
- 日時: 2011/09/18 00:36
- 名前: 無線不通 ID:6sPTiTys
ある朝、七郎はなにもしたくなったので、布団に横になる以外はなにもしないことにした。
初日と二日目に、会社から電話がかかってきたが、それ以降は彼の部屋では冷蔵庫のコンプレッサーノイズと、外を走る車の音が這入ってきて低く唸るだけで、ほとんどなんの物音もしなかった。最初のうち、七郎は琥珀に閉じ込められた虫のように深く眠っていたが、三日もすると耳が静寂に慣れてきて眠れなくなってしまった。部屋の淀んだ空気の流れが鼓膜を僅かに揺らしているような気がするのだ。 そこで、七郎は耳にティッシュで栓をしてを横になったが、これはカサカサして五月蠅く、逆効果であった。ティッシュを外して手近なものを試しに耳の穴に当ててみるが、ピタリと蓋になるものがない。諦めてもう一度横になるがやはり気になって眠れない。いっそのこと接着剤か何かで耳を塞いでしまうのが手っ取り早いように思えたが、そんなことをしたら社会復帰できない恐れがあるし、第一、接着剤など持っていないのだった。 輾転反側していると、玄関の方から音がした。 会社の人間が直接来たのかもしれない。 七郎は息を殺して様子を窺った。 郵便受けが開いて、閉まる音がした。しかし足音はしない。まだ扉の前に誰かいるのかも知れない。 七郎は自分の鼓動を聞きながら、その人物が立ち去るのを待ったが、いつまでもなんの音もしない。 そのうちに眠ってしまった。 おかしな夢をいくつか見て、目を覚ますともう夜中で、さっきよりもっと静かになっていた。 七郎は郵便受けに足を向けた。狭い部屋を二三歩歩いただけでもう足が重い。暗い玄関に着く頃には脹ら脛が張っていた。早くも足の筋力が弱っているのだと七郎は驚く。 郵便受けの中に手を入れると、何か短い円柱状のものは触れた。 電灯を点けて居間に戻って手にした物を見ると、それはスーパーなどで3つで150円ほどで売っている、プラスチックの容器に入ったプリンだった。すでに封が切られていてスプーンで掬われた形跡が一つだけ残されている。 これは嫌がらせだ、と七郎は瞬時に理解する。近所の馬鹿な子供が一口食べて美味くなかったから、嫌がらせの道具として有効利用したのだろう。気持ちは分かる。ただ捨てるのは悔しかったのだろう。 七郎は、所有する唯一の家具であるちゃぶ台にプリンを置いてしばらくぼんやりと壁の染みを見詰めていた。 何もすることがない。起きたばかりなので眠くない。 何もしない、というのが七郎の当初の目的だったが、その目的が達成された後、こんなにも暇だとは思っていなかった。それに、よく考えると、何もしてなくても「退屈している」 のである。さらにもっと言えば、呼吸もしているし、最低限に抑えているとはいえ摂取も排泄もしている。それなら死ねばいいのかも知れないが、「自殺をする」 という行程を踏まなければならない。それでは意味がない……。 七郎は汗をかいて気持ちが悪いのでシャワーを浴びた。そして風呂から出ると洗濯機を起動させると水槽に水を張り、そこに洗剤を入れた。 居間に戻って七郎は煙草を吸い始めた。彼は負けを受け入れたのだった。 同じ退屈なら普通の退屈をしよう、そう思った。 七郎は例の食べかけのプリンに煙草を突っ込んで消火し、窓を開けて投げ捨てた。 あしたに向かって撃て! というフレーズが浮かぶ。 彼は軽くジョギングをしてから眠り、翌朝も晴れやかな気分で目を覚ました。いつもより30分早く家を出ると、道の真ん中に昨日捨てたプリンが散らばっている。折からの厳しい残暑にどろどろに溶かされ、都会の朝日をキラキラ反射して光っている。
会社は潰れていた……。
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