『てのひらの熱』 HALさまの『震える手』に宛てて ( No.38 ) |
- 日時: 2011/01/30 19:55
- 名前: 沙里子 ID:.XbxY3IE
HALさまの「震える手」のリライトです、本当にすみません……! リライト希望作としてHALさまがあげられていた「荒野を歩く」は、既に他の皆様が素晴らしいリライトを書いておられるので、わざわざ私が恥晒しをする必要もないかと……。 それで、サイトを観覧させて頂いて以来ずっと気になっていたこの素敵な作品をリライトさせて頂きました。 覚悟はできています、どうぞ石でも何でも投げてください受け止めます(ぇ
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「先輩が好きです」 読書クラブの後輩、水谷くんの掠れた声が、廊下の冷たい空気を微かに震わせた。 私は数回瞬きをして、水谷くんの瞳を真正面から見つめてみた。揺れる網膜。淡い熱。 知っていた。彼の気持ちが私に向いていることは、何となく分かっていた。クラブ活動中ずっと私に向け続けられる視線や、すれ違う瞬間に感じる柔らかな、いとおしみの気配にも。 けれどいつまで経っても、何も言ってこない。最近の男子は奥手なんだな、と待ち続けること一年。もういっそ私から言ってしまおうかとまで思い始めたとき、ようやくその言葉をもらえて、少し安堵した。 「でも、」 水谷くんは続ける。伏せた睫毛のうすい影。舌先で、唇を濡らして。呟くように。 「ぼくは先輩に、触れられないんです」 空気が揺れた気がした。ん? と私は首をかしげた。 「どういうこと?」 「だから、ぼくは先輩に、じゃなくて先輩以外にも、誰にも触れられないんです」 搾り出すような声でそういうと、水谷くんは私の方に手のひらを伸ばしてきた。 白い甲に、長い指。皮下に流れる薄青の血管が、うすく透けて見える。爪の先の白いカーブがうつくしくて、私はそっと触れようとした。 瞬間、指先は引っ込められた。黒いカーディガンの袖に隠れる掌。 視線を上げると、水谷くんは頬を染めてうつむいていた。唇をやわく噛んで、耐えるように。恥じ入るように。 「理由は分かりません。本当に触れたいのに、できないんです」 華奢な肩が小さく震えた。私は言葉をなくして、彼の手のひらが在った空間をぼんやりと眺めた。 「先輩のことは、好きです。ほんとに心から、大好きなんです」 そういう水谷くんは今にも泣き出しそうに見えた。栗色の巻き毛が、廊下の窓から差し込む午後の日差しに透ける。 私は、小さく一歩足を踏み出した。それに応じて、水谷くんも一歩後ろへ退く。歩く。退く。歩く。 とん、と軽い音がして、とうとう水谷くんは壁に背をつけた。私はそっと手を伸ばす。 「せんぱい……、あの、やめてくださ、」 怯えるようにぎゅっと目を瞑る彼の頬を、つ、と撫でた。すべらかな白い皮膚が指先に馴染む。 水谷くんは肩を震わせ、必死に耐えていた。けれど、伏せた睫毛の隙間から涙が滲むのを見て、私は彼から手を離した。 「ごめんね」 言うと、彼はふるふると首を横に振った。何だか小動物みたいで、哀れに思えてくる。 「ぼくが悪いんです。ぼくが、いけないんです」 でも、と彼は続ける。 「ぼくは先輩が好きです。大好きです」 沈黙。からからと、枯れた木が風に揺れる音がする。私はしばらく考え、そして言った。 「付き合おうか、私たち」 その言葉に、水谷くんが顔を上げる。彼が驚いている隙に、私は彼のカーディガンを握り締めた。ひっ、と情けない声を漏らして、でも水谷くんは腕を振り払わなかった。 数秒の停滞。どくり。どくり。心臓の鼓動がやけに大きく響く。空気がざわつき、ゆっくりと動き出す。 ぽとり、と床に水谷くんの顎から滴った汗が落ちて、私は腕を離した。 「服の上からは大丈夫なんだね」 「直接触れられる、よりは」 荒い呼吸をしながら彼は言った。ぐったりと背を壁に預けて、息を吐く。 「先輩、本当に付き合ってくれるんですか?」 「さっき言ったはずだよ」 返すと、水谷くんは掠れた声で囁くように言った。 「だけど、手も握れないし、キスもできないですよ」 自分から告白してきておいて何を言う、と私は内心嘆息した。 「それでも、いいんですか」 震える声を聞いて、ああ彼は怖いんだ、と思った。私に拒否されることより、承諾されることの方が怖いんだ。 けれど、いつか受け入れなければ、きっと君は幸福になれないよ。 「いいよ、付き合おう」 キスも手繋ぎもしなくていい、隣にいるだけでいいよ。それで充分、満たされるでしょう? 同情じゃない。ただの哀れみでもなくて。本音を言うとキスもしてみたいし、手も繋いでみたい。 水谷くんと、このままずっと触れ合えない可能性も、全く否定できない。 でも私は、彼のことが好きだった。彼の柔らかな話し方や優しいまなざし、本のページをめくるときに踊る、なめらかな指。 栗色のゆるい巻き毛に、可愛らしい笑顔。猫背気味のまるい背も、いつもだらしなく伸びているカーディガンの袖も、読書をするときの真剣な目も。 全部全部、好きだった。 「私は水谷くんが好きです。付き合ってください」 微笑みながら言うと、彼はくしゃりと顔をゆがませ、笑い泣きの変な表情になった。 「ありがとう、里穂さん」
いつの間にか薄暗くなり始めた廊下を、私たちは二人で並んで歩く。お互いの袖を握っているせいでときどき転びそうになりながら、一緒に歩く。 このままずっと歩き続けたいな、と水谷くんのカーディガンに頬をつけながら、私は思った。
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