リライト 沙里子様『僕の母は美しい。』 ( No.35 ) |
- 日時: 2011/01/29 11:39
- 名前: HAL ID:zwY2NKmc
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
母が脱皮をするところを見たのは、小学四年生の夏だった。 僕の母は美しい。顔の造作のことだけではなくて、肌の内側から淡く輝くような、そんな美しさだ。僕にはずっとそれが自慢で、子どもの頃はいつも、授業参観が楽しみだった。あるいは初めて家まで遊びに来た友達が、ちょっとぽかんとして母に見とれるのに、得意な思いを抱いていた。 夏休みを間近にしたある日、僕は家に駆け込んで、ランドセルを放り出した。それはうだるような真夏日のことで、友達とサッカーをした帰りだった僕は、汗と泥にまみれていた。水を浴びてさっぱりしようと浴室にむかうと、扉が開いていて、そこには真っ裸の母の、白い背中があった。 僕はそのころ、まだときどき母と一緒に風呂に入っていた。だからそれは見慣れた姿のはずだったのだけれど、それでも僕は、何故だかとっさに息をつめて、立ちすくんだ。 母は僕の足音にも気が付かない風で、じっと背を向けていた。夕日が窓から射しこみ、白い肌にくっきりとした陰影を落としている。 やがて、かすかな音がした。それは小さな小さな音だったのだけれど、普段耳にするどんな音とも違っている気がして、僕は辺りを見渡した。どうやら、その音は母の体から聞こえてくるらしかった。 母は座ったまま、顔を上げた。その反った背中に、僕はちいさな皹(ひび)を見た。母が身じろぎするのにあわせて、その亀裂が広がるところも。 やがて母は手を伸ばして、右足のつま先を触った。足指をまさぐる指先の、きれいに整えられたピンクの爪が、しばらくして、何かを探り当てたようだった。 ぴ、とかすかな音を立てて、母はそれを引っ張った。半透明の、ほそい糸。魚肉ソーセージを剥くときのように、あるいはCDのパッケージを剥がすときのように、母はその糸をゆっくりと引き上げていく。そしてそれは、母の静脈の透ける太もものあたりで、ふつりと切れた。 母の手のひらが、右の腿をこすると、皮はずるりと剥け落ちた。 その出来ごとが異常なものだと、僕はわかっていた。だけど、その場で声を上げることはできなかった。だってどういったらいい? お母さん、せめて僕の見てないところで脱皮してよって? はがれた皮の下には、淡く色づいた真新しい皮膚があらわれた。母はつぎに左足を、続いて両腕を、同じようにしてすっかり剥いてしまうと、胸元をひっかいた。それから脇を。 背中の皮を剥くとき、母は少しばかり苦労したようだった。だけどそれ以外の部分では、その作業はとても自然でなめらかな手つきで進められていき、ああ、慣れているのだなと、僕は悟った。母にとってはそれは、定期的に繰り返している日常の作業なのだ。 あれだけやわらかく自然に剥けた母の皮は、浴室の床に落ちると、ぱりぱりと白く乾いて、こまかく割れていった。 洗顔するときと同じように、手のひらで顔をこすって、そのまま顎の下から首周りまでを一巡すると、母はシャワーを出して、体中に残った皮膚の欠片を洗い流した。それからゆっくりと頭皮を揉むようにして、髪を洗いはじめる。髪の中からはがれて落ちた白く薄いものが、湯にまじって、排水溝に吸い込まれていった。 すべてが終わったあと、母はシャワーで風呂場のタイルを洗い流そうとして、ようやく僕のほうを振り返った。 「あら、直也。帰ってたの」 なんでもないような声音だった。だから僕も、なんでもないように頷いた。 「声くらいかけたらいいのに。へんな子ね」 そういって首をかしげる母は、やさしく微笑んでいた。うっとりするようなあの美貌で。
母の脱皮を見たのは、その一度きりのことだった。僕は母に、あれは何だったのかと訊いたことはないし、母も説明はしなかった。だから、もしかしたらあれは夢だったのかもしれない。そう考えるほうが、むしろ自然なことだ。 だけどいまでも帰省するたびに、僕はじっと母の顔を見つめてしまう。相変わらず瑞々しく、実年齢のとおりには見えない、輝くような肌を。
---------------------------------------- 流れも内容もほとんどそのままで、文章だけを変えてみました。原文があれだけの美しさだというのにまさかの無謀な挑戦。なんていうか、ごめんなさい!(ダッシュで逃走)
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