「Fish Song―Capriccio―」 ( No.33 ) |
- 日時: 2011/01/28 16:10
- 名前: 紅月 セイル ID:f.N7dG.Q
- 参照: http://hosibosinohazama.blog55.fc2.com/
弥田さんの「Fish Song 2.0」をリライトしました。 原作よりずっと長くなって原稿用紙約二十一枚、字数6789字です。 かなり加筆してますのでご了承ください。 蛇足とは思いますしたが……。
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ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。キラキラと輝く光に溺れて、わたしは浮いたり、沈んだり。ぷかぷかと気楽にただよう私を見て、通り掛かったくらげがくらくら笑った。 その愛らしさに思わず抱きしめたくなってそっと手を伸ばしたけれど、くらげはゆらゆらゆれながら流れていった。 残念、って思っていたらわたしの名前を呼ぶ声が。あの子が輝くネオンの下にそっと佇んで手を振ってくれていた。手を振る度に肩の上で切り揃えた髪が小さく揺れて、そのかわいらしさに思わず抱きしめたくなった。わたしも手を振り返していると――ぽちゃん。振り返って見れば目の前に魚が一匹。ピラルクの身体に綺麗な女性の顔があるその魚をわたしは知っていた。 「アルバート・フィッシュだぁ」 おおきい。とてもおおきい。わたしの身長よりもある。長い胴体は黒と赤と銀色に輝いていた。その鱗が綺麗で思わず右手を伸ばしたけれどアルバート・フィッシュの身体は指先の隙間を通り抜ける。 小首を傾げながら右手を見つめるわたしにアルバート・フィッシュは女性の顔で笑う。もう一度、今度は左手を伸ばしたけれどまたすり抜ける。だまし絵みたいな光景。少しもどかしくて、でも面白くて、何度も手を伸ばした。そしてとうとう、両手で抱きついてみたけれど、その途端消えちゃった。一体どこに行っちゃったのだろうと探して見たけど、どこにもいない。と、思ったらネオンの海の彼方に、真ん丸お月様に向かって昇っていくアルバート・フィッシュ。 「行こ」 いつの間にか、わたしのすぐ隣に立っていたあの子が言った。 「私たちも」 わたしと同じく月へ昇るアルバート・フィッシュを見つめながら。 わたしは笑ってうなずいて、あの子の腕に抱きついて、抱きしめて、あの子の確かな体温を感じながら、笑った。 そうして、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。アルバート・フィッシュを追って。夜空のお月様へ。笑って、ふたり、ぷかぷかと。
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ここは静かな海だよ、ってあの子は言った。そこは平坦な大地が続くだけ。水もないのに海なんて、ネオンも無いのに海なんて、変なの、って呟いたら、文句はケプラーに言いなさい、なんて怒られた。あの子の髪は、無重力にもへっちゃらで、ふんわりとカーブがかかった髪は太陽風にそよそよそよぎ、抱きつくわたしの頬をくすぐる。ふと見ればあの子の後ろで金星が瞬いていた。 無音の宇宙に、あの子とわたしの規則的な呼吸の音が広がる。上下に動く胸元から、細い首筋が伸びていて思わずドキッとしちゃうほど色っぽい。真っ白い肌に淡く浮かぶ頸動脈。そこを秒速63センチメートルの早さで流れる赤血球に思いを馳せた。あの子の心臓を、肺を、指先を、子宮を、脳を、全身を駆け巡る赤血球。ちょっと羨ましい、なんて思った。あの子の細い首筋に頭をあずけると、心地よいコンマ8秒ごとの鼓動がわたしの鼓膜を揺らす。あの子の鼓動はどんな子守唄よりもわたしを優しく眠りに誘うだろう。見上げると彼女の横顔。滑らかなで真っ白な肌、しなやかそうな表情筋、真っすぐな瞳、少しだけ盛り上がった鼻。 『わたしたちひとりだったらよかったのに』 くらげみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、りんかくがあいまいにぼやけていれば、わたしはあの子の中の一個の細胞として、あの子の一部になれたのに。もしくは、ふたり、どろどろに溶け合って、ひとつになれたならどんなによかったか。 でも、わたしたちは人間で。 どうしようもないくらいの人間で。 どうもできない人間だ。 そっと目を閉じて、ゆっくりとあの子の腕を離した。ふわり、ふわりとわたしは静かな海に沈んでいった。そうして、海底にたどりつくと砂塵がわたしを飲み込んだ。わたしは砂塵を吸い込んで、激しく咳き込んだ。それをみながらあの子は海底にふわりと舞い降りた。心配そうにわたしにわらいかけながら、手を伸ばす。そしたら、あの子もまた砂塵を吸って咳き込んだ。同じように咳き込む内にいつの間にか笑っていた。 「咳をするのもふたり、だね」 そういってまた笑う。 ふたり、手を繋ぎそっと海底を蹴った。ゆっくりとわたしたちはまた昇っていく。わたしの目に映る青い、青い地球。きっとあの子の瞳にも今映ってる。 「青いね」 「青いね」 ふたりの声が無音の宇宙に溶けていった。 ふいに地球の影から顔を覗かせたアルバート・フィッシュ。ネオンの海から静かな海へ、そうして今は、青の海へとたどり着いていた。ゆっくりと地球の影から這い出てくるアルバート・フィッシュの横顔が、心地よい鼓動を聞きながら見上げたあの子の横顔だと、気づくにはそう時間がかからなかった。どおりで見覚えがあった、どおりで綺麗だと思ったはずだ。 アルバート・フィッシュがゆっくりと地球を覆っていく。その身体を巻き付けて。瞬く間に地球は覆い尽くされた。地球だったものの影から首を出したアルバート・フィッシュは自分の尾に噛み付いた。そうして、完全な球体になったアルバート・フィッシュをわたしたちはただただ見上げていた。わたしの横からよく知っているメロディーにのって、へたくそな歌がただよってくる。あの子は静かに歌い出していた。 ――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ・・・・・・・・ それを聞きアルバート・フィッシュがにやりと笑った。途端に世界が青い光に包まれる。視界が歪む。ぐにゃり、と。 「さよなら」 どこからか聞き覚えのある声が響いた。
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いつの間にか見慣れた地元の歓楽街に立っていた。辺りいっぱいに輝くネオン。ネオンの海だけどネオンの海じゃないネオンの海に、本当のネオンの海のように飛び込むようになんてできい。できはずもない。ネオンの海の見える通り、ストリート・ムーン・マニアック、なんて。そんなのばかみたい。笑ってしまうくらい。空を見上げると、ネオンの狭間から少しだけ欠けた月が顔を出していた。真ん丸満月から程遠い、歪なかたち。でもその歪さが、現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなった。 電灯の下、そんなわたしを見ているわたし。振り返ったわたしと目があって、わたしであったわたしはあの子だった。 その時、わたし、あの子だった。 その時、あの子、わたしだった。 その時、ふたり、ひとりだった。 その時、ひとり、ふたりだった。 嘘っぱちのネオンの海がぐにゃりと歪み、夜の闇と混じり合う。ネオンの光がその色合いを失ってただただ白くなり、黒と白の世界がわたしとあの子を包んでいく。入り乱れた黒と白のコントラストはまるで世界が生まれる前の原始の混沌。わたしとあの子は今生まれ変わるんだって思った。どちらともなくわたしたちは一歩踏み出した。続けて一歩、また一歩……って歩み寄り、手を伸ばせばお互いの顔に触れる距離まで近づいて、あの子はわたしの頸動脈を優しくひっかいた。見えなくてもわかる。じわりとわたしの首からにじむけっしょうの、黄昏みたいな、鮮やかな赤色が。 あの子はそっとわたしの首筋にかみついて、あたしの血を吸い出した。でもそれは全然痛くなくて、むしろちょっと気持ち良くて、どこかの映画で見た愛する吸血鬼に血を吸わせる女性の気持ちってこんな感じなのかな、って思った。 ごくん、ごくんってあの子の喉がなる度に、いつもの声とは程遠い艶(なまめ)かしいわたしの声が響く。今、私の血は、あの子の身体の中に染み入って、全身を駆け巡っている。あの子はO型で、わたしはB型なのに、きっとふたつはひとつになって、そうして、あの子の細胞のひとつひとつにわたしが溶けているだろう。 おもぐろにわたしの首元から離れたあの子は、今度は自分の首筋を出して柔らかに笑い目を閉じた。わたしはあの子がしたように、首筋を優しくひっかきそしてかみついて、あの子の血を味わいながら吸った。あの子の血はしょっぱくて、ほのかに甘かった。あの子の血がわたしの身体を巡っていくのがわかる。わたしの血とあの子の血がお互いの身体に溶けあった。わたしはそっとあの子の首筋から離れた。 「好きだよ」 って、そう伝えるのにもう勇気なんていらなかった。 「わたしも」 って、そう伝えるのにもう恐怖なんてなかった。 頬と頬を寄せ合った。額と額を付き合わせた。掌と掌を重ね合った。そうして、唇と唇を、ゆっくりと近付けて・・・・・・。 あの子の後ろに私たちを見つめるピラルクがいた。
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気付いた時、私は泳いでいた。ネオンの海を。あの子と一緒に。並んでじゃない。一緒に、だ。 ふたり、ひとつ、だった。私は、ピラルクの身体。あの子は、女性の顔。そう、私たちはアルバート・フィッシュになって泳いでた。きらびやかなネオンの光に包まれて速く、とても速く泳いでいた。心地よかった。人間の時と違って身体は軽やかで、軟らかくて、何よりあの子と一緒だったから。 私たちは調子にのって飛びはねた。そしたら、目の前に人間がいた。それは、人間の頃のわたし。 そうだ、あの時のわたしだ。くらげに笑われ、逃げられて、あの子に呼ばれて、手を振り返したあの時のわたしだ。 わたしは私を見て感嘆の声をあげ、私を触ろうと手を伸ばすけれど、その手を私はすり抜けた。不思議そうに、ひとり小首を傾げるわたしにあの子は笑いかける。もう一度、今度は左手を伸ばすわたし。私はその手をまたすり抜けた。だまし絵みたいなその光景を面白がってわたしは何度も手を伸ばし、そしてとうとう抱きついてきた。私はわたしの両手をすり抜けてネオンの海の上へ逃げた。あの子と一緒なのにわたしと遊ぶなんて時間の無駄だった。 『そうだ、静かな海へ行こう』 って思って私たちは月へと向かった。
ピラルクの尾鰭は、宇宙空間もへっちゃらでまるであの子のショートカットのよう。無重力の海を掻き分けてどんどん進む。人間だった頃よりもずっと速く静かな海へとついた。 滑らかな海底を砂塵を巻き上げながら泳ぐ。肺なんて無いから砂塵を吸ったって咳き込むことも無い。 「気持ちいいね」 って私は言ったけどあの子はただ笑うだけ。 なんだろう、この感じ。さっきから変だ。あの子はずっと笑うだけで何も言わない、何も答えてくれない。 さっきまで楽しかった。人間じゃなくなって、あの子と一緒になって。でもこの違和感に気付いたら、そんな気持ちもなくなって、何か……嫌だった。 わたしとあの子の声が聞こえた。変なのって呟いたわたしに文句はケプラーに言いなさいってあの子はいった。 わたしとあの子、寄り添う、ふたり。 海底に降りて、砂塵を吸って咳き込むわたしに笑うあの子。あの子も砂塵を吸って咳き込んだ。 わたしとあの子、笑い合う、ふたり。 手を繋ぎ、海底を蹴ってゆっくり昇るわたしとあの子を見て、私は胸が苦しくなった。いや、これはきっともっと奥、奥底にある、私の心。 『……ああ、そうか』 ようやく気付いた。あの子が何も言わないのは、何も答えないのは、私の心が苦しいのは、なぜか。 わたしとあの子は、今、ひとつだからだ。わたしとあの子がひとつになって、アルバート・フィッシュになったように、わたしとあの子の心はひとつになって、私になった。そう、あの子が何も言わないのは、心がないから。私の心が苦しいのは、あの子が私の隣にいないから。 ふたり、ひとりになって。 ふたつ、ひとつになった。 失われたあの子の心。あの子の身体。 「私は一体何を望んだのだろう」 ひとつになりたい、って望んだ結果がこれだ。 私はどうして気づかなかったのか。 あの子とわたし。ふたりだったから楽しかった、幸せだった。 悔やんでも悔やんでも流す涙なんてない。悲しくて悲しくて赦しを乞いたくなったって、あの子はもう、私だ。私を赦してくれる人はもう、いない。私を救ってくれる人はもう、いないのだ。 砂塵を掻き分けて宇宙(そら)へと昇る。わたしとあの子のずっと下を通って地球に向かう。もう何も考えてはいなかった。 地球をピラルクの身体で覆う。あの子の顔でピラルクの尾を噛んで球体になる。そんな私を、わたしとあの子は見つめていた。 わたしは、目を輝かせながらただただ見ていた。でも、横に並ぶあの子は違った。あの子の瞳は潤んでて、その柔らかな頬に一筋の涙が光ってた。あの子の唇が動いて、呟いた。 ――だ い じょ う ぶ ――わ た し が ――ゆ る し て あ げ る 「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ・・・・・・」 かすかにきこえる。へたくそな歌が聞こえる。メロディーは不安定で、歌詞の意味もよくわからない。ただひとつわかるのは、それがラブソングだということ。都市を泳ぐ魚が、出会ったマネキンにガラス越しの恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだということ。 それはわたしとあの子しか知らない歌だ。 きこえる。私の鱗をやさしく震わせる。 歌は続く。ずっとずっと遠くから。 まるで私を呼び戻すかのように。 ――ああ、そうか。これ…… ふいにあの子と目があった。あの子はにこりと笑って、私に手を振った。そうして、わたしとあの子は消えた。 唐突に世界のすべてが泡となって弾けた。
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目覚めると屋上に寝ていた。仰向けに眺める空には、流れる血よりもずっと鮮やかな夕映えが一面に冴えわたっていた。 再び歌が聞こえる。 「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ……っと、起きたか。おはよう」 「おはよ。……ていうか、その歌あんまりうたわないでね、って言ったよね。もう」 「なんでさ、いい歌だと思うよ」 「純粋に恥ずかしいんだよ」 「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」 「ならないならない」 「照れるな照れるな」 「照れてない照れてない」 あはは、って軽く笑いながら、必死のわたしの言葉をあの子は流す。そうして、少し恥ずかしそうに 「この歌、好きなんだよ。……すこし私に似てる気がして」 「似てない似てない」 「もう……、ちゃちゃをいれないで、最後まで聞きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて。純粋に、うたいたいから、うたってるの」 そう言って夕暮れの空を見ながらあの子は続ける。 「これってすごいことじゃない?この12756キロメートルの世界に六十億人の有象無象がいて、その中のふたりがこうやって隣り合わせに立っていて、シンパシーを持っててさ、こうして笑ってるんだよ?とんでもない確率じゃない?もう、奇跡、だよね」 あの子の横顔は、茜色に染まっていて、あの子の髪は港から吹く風になびいていた。そんなあの子が眩しくて、愛おしい。 「……ねえ」 「なに?」 「すっごくクサいよ、そのセリフ」 「なっ……!」 あの子の顔が空よりも朱くなる。 「そ、それ言わないでよ!……は、恥ずかしいじゃん」 そう言ってそっぽを向くあの子を見て、わたしは笑った。あの子は最初頬を膨らませて怒ったけれど、そのうち吹き出して笑った。 徐々に暗くなる空にふたりの笑い声が響いた。放課後の学校からは、部活に精を出す生徒の声。ずっと遠くで、宵の明星が瞬いていた。 「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」 「だからうたわないでってば!」
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自転車に乗って、満天の空の下を駆け抜ける。風がずっと冷たくなった。 あの子は今頃、彼氏の原付のケツに座っているはずだ。彼氏の腹筋にしがみついて、ぬくぬくと暖かいなぁ、なんて思ってるだろう。 ブレーキから手を離す。スピードがどんどんあがっていく。足の離れたペダルはうるさいくらいに、カラカラカラカラ回る。このまま風になれればいいんだけれど、わたしの確固とした境界線はそれを許さない、許してもくれない。 シンパシー、共鳴、ふたつの音叉、ふたりの鼓動。 坂が終わる。少しずつブレーキを握って、少しずつスピードを落とす。スピードの螺旋がほどけて夜の闇に溶けていく。 水平線を進む船の明かりが幻想的で、その上には真っ白な欠けた月が輝いていた。 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日友達に聞かせてみせて、夜中ベッドの中で死ぬほど後悔した曲を。 連なる音がわたしの頭を満たすから、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭でペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。 ――ボォォォォォーーー!! 水平線へと旅立った一隻の船が最後に鳴いた。
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原作の雰囲気を守るところは守って壊すところは壊す、とやりましたが中途半端に……。 まだまだ力不足を実感しました。 でも、とても参考になりました。
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