Re: 一時間で三語だと!まだそんな事を考えている奴がいるのか! ( No.3 ) |
- 日時: 2012/01/23 02:00
- 名前: zooey ID:94u3mXus
さわやかな秋晴れの日。朝のうち、薄く白んでいた空は、午後に近づくにつれ、その色を濃くしている。今では頭上の空は気持ちがいいほどの青さで、遠くの山の方へ向かってだんだんに淡い水色になっていき、それが美しいグラデーションを作り出している。雲はほとんどないが、遠くの山際に、うすく、白い雲がたなびいている。 こんな景色を見ると、ふうっと、昔の記憶が映し出される。思い出したいわけではない。しかし、自然と、まるで薄い絵の具で描かれた風景画のように、脳裏に浮かびあがって、私を記憶の深いところへ誘うのだ。
小学生の頃、私の家はすぐ後ろに山を背負うようにして建っていた。近所には七、八世帯ほどの家庭があり、少なくともそのうちの五世帯には小学生や中学生の子供がいた。 そんな中、唯一、一人で暮らしている五十ほどの女性がいた。なぜだかその時は分からなかったが「二号さん」というあだ名で呼ばれていた。とても優しく、私や他の近所の小学生を相手に、いろんなことを教えてくれる女性だった。 夏休みになると、私たちは、よく、ビニールプールで水遊びをしていたが、いつもいつも同じことをしていると、どうしたって飽きてしまった。友人達も同じらしく、休みの後半あたりには、近所の二、三人でプールに入っては、なんでうちの親たちは遊びに連れていってくれないんだろう、という不満を垂れながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。 そんな時、二号さんは、「おうちの人は忙しいんだよ。ここでだって、十分面白い遊びはできるよ」と言って、薄手のタオルを渡してくれた。そのタオルを使った面白い遊びがあるというのだ。 まず、水面にタオルを浮かべる。そして、両の掌でОの字を作って、そのままタオルを水の中に沈めるようにすると、Оの字の中だけ空気が残って、水面でタオルが球型になる。それは、水に浮かぶクラゲのような姿だった。その球型の部分を水に沈めると、タオルクラゲはふよふよと水の中を漂いながら、ブクブクと泡を出し始めるのだ。目の前で細かな泡がはじけるのを見ると、私たちは面白くて「おおー」という歓声を上げて、その様子を眺めていた。 その遊びを知ると、私たちはタオルクラゲづくりに、夢中になった。しばらくの間は。誰のクラゲが一番大きくできるか、それを競ったり、相手のクラゲに指で攻撃して、なんとかつぶそうとしたりした。おかげで、後半の夏休みでもはじめのうちは、退屈せずに済んだ。尤も、その後は、またクラゲに飽きてしまって、ぶつぶつ文句を垂れながら過ごしたのだが。
とにかく、私はいつも面白いことを教えてくれる二号さんが好きだった。両親が共働きだったので、大人に遊んでもらうという経験があまりなかったからだろう。私にとって、二号さんは何でも知っている優しいおばちゃんだった。
しかし、ある日、近所に住んでいた中学生が――おそらく三人組だったと思うが、はっきりは覚えていない――こんなことを言ってきた。 「お前、あの女とよく遊べるな」 言われた瞬間、何のことか分からなかった。おそらく、それが顔に出ていたのだろう。すぐに、 「二号さんのことだよ」 ――と、私の胸がきゅうと縮まった。二号さん? なんで? 「二号さんと遊んで、何が悪いんだよ?」 私が言うと、中学生たちは目くばせをしてから、にやりと笑った。 「お前、なんにも知らないんだな。二号さんって、なんで「二号さん」っていうか、教えてやろうか?」 私は挑むような気持ちで、彼らを睨んだ。何だよ? 二号さんがなんだってんだよ? だが一方では不安が靄のように心に薄く広がっていたが、だからこそ睨まずにはいられなかった。 「二号さんってな、愛人のことなんだぜ?」 私はすぐには意味が理解できず、彼らをぽかんと、フリーズしたみたいに固まって、見つめていた。それを見ると、中学生たちは笑い出した。 「こいつ、本気でバカなんだな。いこーぜ」 そう言って、彼らは去っていった。
その後、私は彼らが言った意味を考えた。二号さん……愛人……。その言葉を思い浮かべていると、脳に溶け込むように次第に鮮明になっていった。 二号さんって……愛人のこと。
その日、私が壁を相手にサッカーボールを蹴っていると 「もう遅いから、家に入んなさい」 二号さんが声をかけてきた。 その瞬間、私の中に、熱いものが湧き上がった。ただサッカーボールを見つめながら、 「お前にそんなこと言われる筋合い無い」 その言葉で、私たちの間にずしりと重い沈黙が流れた。二号さんが何も言わないので、私は思わず、彼女の方を向いてしまった。顔を見ると、つい、言葉が出てしまった。 「お前、愛人なんだろ? 人の旦那さんを取ったんだろ? 汚いよ。そばにくんなよ!」 自分の言葉が聞こえると、その残酷さがありありと心に刻まれた。言ってしまってから、後悔したが、それでも、その言葉は正しいと、そう思った。泣きたくなったが、二号さんの前で泣くのは嫌だった。私はそのまま何も言わず、下を向いて、家に入っていった。
それから、私は二号さんとは遊ばなくなった。挨拶もしなくなった。常に軽蔑の目で二号さんを見つめるようになった。
十五年たった今では、単純に二号さんを責めることなんてできないと、分かるようにはなった。そんなに簡単なことではないのだ。 空を眺めていると、ふと思い立って、私は風呂場へ向かった。薄手のタオルを取り出し、湯船に浮かべる。そして、手のひらでОの字を作って、タオルを沈めると――クラゲだ。 しかし、そのクラゲを見ても、私は何とも思わなかった。小学生のあの頃のように、そのクラゲの姿に感動を覚えることはなかった。当然かもしれない。しかし、一抹の寂しさが胸に生まれる。私は二号さんが他人の愛人だと知る前の気持ちには、もう戻れないのだろう。 クラゲはふよふよと、水面を泳いでいる。
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