Re: 「あ、三語が止まってみえる」的一時間三語 ( No.3 ) |
- 日時: 2010/12/25 23:53
- 名前: じゅん ID:.mFyDZCQ
ほうっ、と口から大きく煙を吐き出すと、権蔵はいまいましそうに煙草の火をもみ消した。 「まったく、敷島だ大和だって名前だけは仰々しいが、最近の煙草はどうも味気なくっていけねえな」 「権蔵さんはサンライスってのが好きだったんでしょ?」 豆奴は、くすくすと笑いながら、自分も煙草をとり出す。そうして、権蔵の火口に自分の煙草を押しつけて火をつけた。 「俺は昔、京都にいたからよ。煙草といえばサンライスって感じだった。村井のサーチライトは派手で綺麗だったんだぜ」 懐かしそうに目を細める。 権蔵は四十五歳。明治の頭の頃は京都に住んでいたらしいが、いまでは赤坂で車夫をしている。赤坂というのはもともとは三等の芸者ばかりいたのだが、最近になってめきめきと頭角を表して、羽振りのいい客もよくつく。だから、権蔵の懐も最近は具合がいいらしい。といっても、芸者遊びをするほどの羽振りはないが。 京都にいたころはそれなりに羽振りもよかったらしくて、その思い出の象徴になっているのが、「京都のサーチライト」らしい。村井兄弟商会という煙草の会社が、宣伝のために大きな看板を作り、それをサーチライトで照らしていたという。 それはさぞかし綺麗だったに違いない、と、豆奴は見たこともないサーチライトのことを考えると妙にわくわくした。そうして、それを実際に見ていた権蔵にも少しだけ胸がどきどきするのである。 権蔵が、懐からひょい、と包みをとり出した。 「やる」 ぶっきらぼうな物言いである。同時に、二十以上歳も年下の娘相手になにをやってるんだろうな、というような表情でもあった。 「なに?」 「クリスマスプレゼントってやつさ」 「クリスマス? そんなものあったっけ?」 「今日だよ。明治屋の広告見なかったのか? 銀座は近いだろ?」 そう言われて、はたと気がつく。そういえば、最近欧米の神様のお祭りを「クリスマス」だといって祝うらしい。明治屋が銀座で宣伝をしているのは目にはしていた。 「神様なんて正月だけでいいわよ」 言いながら、権蔵がくれた包みを開く。それは一本の簪だった。ごてごてした飾りのない、普段遣いのものだ。 「あら、ありがとう」 「もう何年も贈り物なんてしてないからな。どうにも選べない。女を喜ばせるって感覚が麻痺しちまってるらしいぜ」 ぶっきらぼうに言う権蔵の顔に、「恥ずかしい」と書いてある。 思わずおかしくなって、豆奴は権蔵の手を握った。゛ 「ありがとう。なにかお礼をしなくちゃね」 「馬鹿いえ。礼なんていらねえよ。だいたい、それじゃあ下心があるみたいじゃねえか。お前みたいな小娘に下心を持つほど、俺は不自由してねえよ」 「すましてるのね」 「俺はやもめだからよ。買ってやる相手がいないんだよ。誰のための贈り物でもよかったんだけどよ。お前の顔がなんとなく浮かんだんだ」 「ありがとう」 もう一回言うと、豆奴はマッチをすって、権蔵が新しくくわえた煙草に火をつけた。 豆奴が赤坂に来てから三年がたつ。芸者というのは芸は売っても体は売らないから、豆奴には男はいない。芸に精進するのが精一杯で、そういう気持ちになれなかったのだ。 そんな豆奴が最近気になっているのが、なんと二十五歳も年上の、しかも車夫の権蔵というわけだった。 別に美男子でもないし、金持ちでもないし、やもめ。言ってしまえば「いいところを探す方が難しい」という権蔵が気になるのがなぜなのか、豆奴にもはっきりわからない。ただ、思うとすれば、権蔵は「綺麗」なのである。 赤坂という町は「昇っている町」だ。江戸時代に栄えた柳橋や王子の料亭が没落していって、三等地と呼ばれた赤坂が、いまや新橋や銀座と並ぼうという勢いを持ちはじめている。だから、この町には権力や、金や、それを得ようとする欲望が渦巻いている。豆奴に言い寄る男も多いが、彼らにとって豆奴「賞品」であって、そもそも女ではない。豆奴を「抱く」ことは、彼らの征服欲を満足はさせるだろうが、豆奴の気持ちをおもんばかることはないだろう。 権蔵はたしかに世の中の基準で見ればなにもなっていないが、豆奴の気持ちを大切にしてくれそうな気がしたのだ。 「クリスマスって、なにをする日なの?」 「知らねえ」 「でも、おめでたい日なんでしょう?」 「日本にゃあ関係ない気もするがな」 「じゃあ、わたしたち二人は、おめでたく過ごそうよ」 権蔵が、ぎょっとした顔になった。 「お前、それって」 「いや?」 「いやっていうか、俺は車夫だぞ? これから売れっ子になる芸者と、どうかなれるような身分じゃねえよ」 「まだ、売れてない」 豆奴はくすりと笑って、権蔵の隣に立った。 「身分なんて、きっと百年もたったら関係なくなるよ。権蔵さん」 「百年後のことなんて知らねえよ」 「百年後はクリスマスも流行ってるのかしら」 「きっとサーチライトで照らされてるぜ。いろんなものが」 そこだけ真面目な顔になった権蔵の額を、右手の人指し指ではじく。 「なにするんだ」 「照れないで、真面目に答えて」 「俺はやもめだぞ」 「知ってるわよ。やもめなことも、お酒が好きなことも、お金がないことも、なんでも知ってるわ」 「いいところがねえじゃねえか」 「わたしは、それでいいの」 真面目に権蔵の顔を見ると、権蔵も真面目な瞳をしている。 「お前、ダメ男が好きなんだな」 「百年後には流行ってるわよ。それも」 「そうか。じゃあ、百年ばかり先取りして、二人でクリスマスってやつを祝ってみることにするか」 権蔵はそう言うと、目で自分の車をしめした。 「乗りな。好きなところに連れていってやる」 豆奴は、勢いよく権蔵の車に飛び乗ると、座席に深々と身を沈めた。 「どこに行く?」 「龍宮城」 「ぬかせ」 「わたしを乙姫にしてくれる場所ならどこでもいいわ」 言いながら、ゆったりと空を見上げる。 空には星がたくさんまたたいていて、その中にはきっと「クリスマスの星」というのもあるのだろう。だが、芸事以外物を知らない豆奴には、どれがクリスマスの星なのかは見当もつかなかった。 車がゆっくりと動きだす。 とりあえず、と、豆奴は思う。 好きなひとの前で「乙姫」になる日がクリスマスだ、と勝手に決め手しまおう、と。 そうして、簪をはずすと、権蔵がくれた簪を手にとって、ゆっくりとつけかえたのだった。
終わり。
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