境界へ ( No.3 ) |
- 日時: 2011/03/07 23:30
- 名前: 片桐秀和 ID:atKaeYS2
人は飛べる。人は病まない。人は死なない。そんな、当たり前のことがたまに不思議になる。では僕たちはどうしてここにいる。どうして生きていく。男も女もなく、老人も子供もなくなったのは、いつのことだろう。それは僕が生まれるはるか前のことではあるのらしい。何十年か、何百年か、という昨日。
「やあ、アサマオ、変わりはないかい?」 僕の友人であるトルクカの挨拶に、僕は首を振って答える。僕はいつも通り。世界もいつも通り。ただ蒼い。 「トルクカ、きみこそ変わりはないかい?」 トルクカも首を振ってそれに応えた。いつもどおりの挨拶。この世界で、アオの世界で誰もが毎日何度と交わす挨拶だ。 「アサマオは今日も向こうの世界を見ていたのかい?」 僕は頷く。 「トルクカも向こうの世界を見ていたのかい?」 彼は頷く。 それだけ会話を交わし、それ以上の言葉を失った僕らは、遥か西方の境界を眺めた。 僕らは東のアオに住んでいる。アオは蒼い世界。空がそのまま地面に被さったような澄んだ色の世界だ。花も木も、人も動物も、命を持たないものも、全てが蒼く澄んでいる。僕らは歳を取らず、子供を生まず、ただ今日を過ごすために生きている。悲しむことは少ないが、笑うことも少ない。酷く退屈だが、絶望には至らない。そんな日々をもう何十年と生きてきた。 僕らが住む世界は半円型をしていて、半円の直線にあたる部分には、紫の境界線といわれる長い一本の道があった。境界線とは言われるが、一方で道でもあるその一帯は、僕らを西の世界を分かつ絶対不可侵の領域だった。 僕もトルクカも毎日そこを見て暮らす。それ以外にすることもしたいこともありはしないのだ。境界線のさらに向こうに広がる、彼方の世界をただ夢見る以外には。 西のアカと呼ばれるその世界は、全てが紅い世界なのだという。僕らはそれを推測することしかできない。蒼い世界からものを見るしかない僕らは、向こうの世界が紫色に見えてしまうのだ。それはきっと向こうの世界から見ても同じことだろう。 完結した存在であるはずの僕らが、それでも生き続けていくには、届かぬ場所が必要なのだとトルクカは言った。死をなくし、性別の意味さえなくしてしまった僕らは、届かぬ場所があるということそのものが、生きる意味なのだと。 だから僕らは夢を見る。いつか、絶対不可侵の境界線を越えて、向こうの世界の人と触れ合うその日を。 その日がようやくやってきた。その日がいつか決まっていたわけではないが、誰もが今日がその日だとはっきり悟った。 何百年とアオの世界に生きてきた僕らが、一斉に境界線目指して、歩みだす。誰にも笑顔があった。そりゃそうさ、僕らはこのために、この日のために生きてきたんだから。 死がないはずの世界で、唯一命が消えてしまうことがある。境界線を越えようとすることだ。僕らの身体が境界線に触れたとたん、僕らを支えている何かが終わる。生が終わったものは、その場にくずおれ、たちどころに砂に帰る。僕らはそれだけに気をつけ、また、いつか自分もそうなるということだけを夢見て生きてきた。目指すべき向こうへは、命を賭してさえたどり着くことは叶わない。 それでも、僕らは歩みを止めない。歩く。進む。駆ける。歌う。 僕らが境界線に至ろうとした時、西のアカの世界からも、人々がこちらを目掛けて駆け寄ってきていた。 ほら、やっぱり。そうだ。これが、僕らの約束の日。 長い長い生を終え、届かぬ彼方をついに目指す。 僕らが死ねば、世界は終わるだろう。アオも世界も、アカの世界も。 でも、でもさ。 多分僕らが事切れた境界線の上では、いつか花が咲き、綿毛を纏った種子を実らせ、やがてそれは天に昇る。高く高く、僕らが飛べぬはるか空の果てまで飛んで、そこできっと芽を伸ばす。 それが夢想に過ぎないのだとしても、もはや誰も歩みを止めはしない。境界線の向こうに見える、アカの世界の人々に向けて、僕らは「こんにちは」と、不思議な響きの挨拶をした。
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あー、物語にしきれなかった。残念。
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