鱗とコアントロー、まるい海。 ( No.28 ) |
- 日時: 2011/01/23 17:45
- 名前: 沙里子 ID:OhKKRo7s
弥田さまの「Fish Song 2.0」をリライトさせて頂きました。 リライトというより二次創作です。本当にすみませんでしたっ(脱兎
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ぼくは、アルバート・フィッシュの鱗を持っていた。冷たくて硬い、小さな鱗。 拾ったのは、まるい三日月が光る夜、グレープ色の光の下。近くの移動遊園地から子どもたちの歓声が聞こえ続けていた。雑踏をかき分けて、光る欠片を拾う。ひんやり冷たい。 現実と夢の曖昧な狭間で、鱗の冷たさだけがくっきりと輪郭を保っている。 鱗の全体は白く不透明で、灰色に滲む燐光を放っていた。硝子屋の軒先に提げられた雫型の電灯に透かすと、中に通る静脈と淵が薄紅梅に染まって見える。 親指の爪ほどの大きさのそれを、ぼくはそっとポケットに入れた。自分のものにしてはいけないことは、どこかで分かっていた。けれど、どうしてこの美しい欠片を捨て置けと言うのか。 音の渦を越えて、帰路を急ぐ。後ろからどろどろした黒いものが追いかけてくる気がする、気がしただけだ。ただの錯覚。 ドアの鍵を閉めてから、少し息を吐いた。鱗を失くさないよう、小さな木箱に入れてテーブルにしまい込んだ。 急に眠気がやってきて、ぼくはうとうとと目を閉じた。眠ってはいけない、どこかで声がした気がする。気がしただけだ。ただの空耳。 強い風が窓を叩く音がする。明日は雨か。
どこまでも広がるうすいピンクの空を見て、ここが夢の中だと理解した。 アルコールの海、たっぷりしたドレープがさざめく。振り返ると、暗い宇宙。まんまる青色の円がひとつ、ぽっかりと浮かんでいた。 「ねえ」 突然降ってきた声、海の底に女の子が沈んでいた。黒髪のショートヘアーと白いワンピース、こちらを睨む双眸。 「あなた誰? ここはわたしのあの子だけの場所なのに」 女の子が喋ると、水泡がごぷりとはじけた。ぼくは息を止め、海に飛び込んだ。呼吸ができる。オレンジ色のとろりとした水に包まれる。水じゃない、コアントローだ。揺らめく光の網をくぐり、女の子に近づいた。 「あなた、鱗もってるでしょう」 「うん、持ってる」 「早く返さなきゃ、あなたもヒトでない存在になるよ」 女の子の声音は静かで、ぼくは思わずポケットに手を伸ばした。硬い感触。まさかと思って引っ張り出すと、それは確かに鱗だった。 「返して」 女の子が鋭い声で言う。いや、女の子ではなかった。うつくしい女の人。下半身が、魚だった。 僕は踵を返し、一気に走り出した。海底は凹凸がひどく、けれど地上と同じように走ることができる。追ってくる気配はなかった。息を切らし、走り続ける。ようやく陸が見えてきて、駆け上がろうとした瞬間、視線に気がついた。 恐る恐る水面から顔を出すと、空に眼球が浮かんでいた。幾つも、幾つも。まるい網膜。ウロボロスの環。何千匹もの、アルバート・フィッシュ。 僕は悲鳴をあげ、握り締めていた鱗を放り投げた。眼球がいっせいにそちらを向いた隙に、再度走り出す。 突然、足元が崩れ始めた。ドレープが、コアントローの海が、壊れる。眼球はひび割れ、粉塵と化した。 世界のりんかくが融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。
激しい雨音で目が覚めた。時計を見ると午後二時半。眠っていたのは数時間だけのようだ。起き上がり、木箱を手に取る。開けると、やはり中身は空っぽだった。 窓を開けると、ネオンの海。移動遊園地が賑やかな音楽とともに去っていく。 机に置いたコアントローの瓶を傾けたとき、異変に気付いた。右の手のひらが冷たいのだ。特に自分では思わないのだが、左手で触ると氷のように冷たい。皮膚の表面は硬化し、ところどころささくれていた。 人外となった右手を見ながら、僕はもう一度コアントローをあおった。 雨の夜は静かに更けていく。
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