リライト希望作品 片桐秀和作『自動階段の風景 ――行き交う二人――』 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/01/15 23:52
- 名前: 片桐秀和 ID:SuER3296
彼は一昨日死に、彼女は明後日生まれようとしている。
コウキは一昨日死んだ。交通事故だった。今はコウキの魂だけが、天まで伸びる自動階段に乗っている。 登りと下りがある自動階段のうち、コウキが乗るのは登りの方だ。自らの足で――もう肉体はないにしても――登ることは出来ないらしく、ただぼうっと佇んで宙に架かった自動階段が進むのを待っている。 機械仕掛けかどうかも分からない白い階段は音もなく動き、手すりさえないから、ともすれば危険な代物に思えるが、魂だけの存在の乗り物と考えればどうということもない。世界中の死者の魂がこの自動階段で向こうの世界に登っているだろうに、コウキが前後を見渡しても、それらしき人影は登りの自動階段にはない。それはおそらく自動階段があまりに長く、多くの死者の魂を乗せてさえなお、死者たちの魂は点々とのみ存在することになるからだろう。 コウキが出会うのは、寄り添うもうひとつの階段を下っていく魂――つまりはこれから生まれようとする魂たちだ。生まれ変わる命の源というべき存在が、数十分に一度コウキとすれ違う。見た目はまだ前世のままの姿をしていて、老人だったり子供だったりと様々な容姿の男女が、新しい命として生まれるため地上世界へと下っていく。 コウキは彼らとすれ違う時、小さく会釈のみをする。すれ違う人全てがそうするから、自然と自分も倣うようになったためだ。色々聞きたいこともあるが、すれ違う一瞬では詳しい話など聞けそうもない。それが礼儀なのだと割り切って、自らを流れに委ねるよりなかった。 自動階段に乗ったコウキにとって、二度目の夜が来ようとしていた。 ちぎれ雲ひとつない透き通った青空が、あまたの星々を散りばめた暗幕にくるまれていく。生前とひとつ違うことと言えば、空に浮かぶ月がやたらと紅いことだ。爛々とした紅い輝きが、寄せては返すさざ波のように、濃く、薄く、そして濃くとその色を染めなおす。月が紅いのはコウキが生前と違った世界に踏み込んでいるからか、それともコウキが死んでいるからか、コウキには分かりようもない。下っていく人々に会釈をする以外は、紅い月を見ながら、ぼんやりとした頭で地上世界に思いを馳せていた。 コウキは建築資材を運ぶ大型トラックに轢かれて死んだが、運転手を恨む気持ちはすぐに失せた。むしろ運転手の今後の人生を思うと、幾らかの同情を覚えるほどだった。コウキが気になるのは、やはり残して来た家族と、特別仲の良かった友人たちを悲しませたことだ。下っていく者に、何かしらの伝言を頼もうとも考えたが、彼らの魂が別人として転生するなら、何を頼んだところで忘れ去られてしまうことになるだろう。 結局どうすることも出来ずに、コウキはただただ自動階段が目的地まで着くのを待っている。 何も起こらないはずの長い旅。しかしそんな中でも、コウキにとって、心を揺さぶられる出来事がこれから起きる。 それは七分間の出来事だった。
自動階段を下ってくる人影を、コウキはぼんやりと見ていた。細身のシルエットが星明かりにをうけて浮かび、やがて近づいてくると青地のブラウスを着た女性をだと分かった。そしてコウキが内心、かわいい女性(ひと)だなと思いながら、軽く会釈をし、丁度彼女とすれ違うかどうかというところで、自動階段が音もなく停まった。 「あれ? 故障?」 コウキは自動階段に乗ってから久しぶりの声を上げた。 「困りました。どうしたんでしょうね?」 彼女も自然とそうこぼす。 そんな二人に空の彼方から中性的な声が響いてくる。
『ご利用の皆様にお知らせします。ただ今、当自動階段は定期検査を行っております。数分間の停止が予想されます。お急ぎの皆様にはまことにご迷惑をおかけいたします。繰り返してご利用の皆様にお知らせします――』 「珍しいことなのかな。お急ぎと言っても、俺は構いはしないんですが」 コウキが独り言のように、しかし彼女に語ったともとれるように言った。 「わたしも、急いではいません。もっとゆっくりでもいいくらい」 コウキが自動階段に乗ってから、初めて成り立った会話。それが少し嬉しいことに思えて、何気なくコウキが彼女に見、それぞれの視線が向かいあったとき、二人は瞳を大きく見開いた。コウキはあるはずのない自分の胸がキュッと締まる感覚を覚えた。鼓動が高鳴ることはもうないが、それでもうちの何かが盛んに騒ぐ。 「あの、どこかでお会いしたことありませんか?」 コウキが言うと、彼女はとっさに肩を一度弾ませた。柔らかそうな栗色の髪がさわと揺れた。 「わたしも、そう、尋ねようと思ったんです」 「きみも?」 「ええ、どこかで会ったことがあるなって」 「俺は武本コウキ」 「わたしは丹羽ミキ」 ミキの名を聞いて、コウキは自分の記憶を辿っていくが、それらしき人物にはさっぱり思い当たらない。 「ごめん、わからないや」 「そうですか。わたしもです」 それだけ言って、二人は次ぐ言葉を失った。それぞれ手持ち無沙汰にあたりを見渡すが、今は夜、話題になりそうなものは見当たらない。しかしお互い気にし合っていることは間違いなく、二人して何から切り出したものかと必死に言葉を探していた。 「俺、一昨日交通事故で死んだんです」 ようやく切り出したコウキの言葉がそれだった。出来るだけ神妙にならないよう、気軽に言うことを心がけた。 「あら、ご愁傷さまでした。痛かったですか」 ミキが弔いの言葉を口にした。彼女としても死んでいることには変わりなく、不可思議な会話とも取れるが、その表情にからかいの色は一切ない。 「いや、一瞬だからどうということも。はは、気づいたらこの変な階段を登らされてました」 「そう、良かった、っていうのはおかしいな。不幸中の幸いでしたね」 ミキもあくまで軽快な調子で話すコウキに合わせたのか、おどけた様子を見せた。 「ああ、それ、それです。俺って変なところで運が良いんですよ。あれ、この場合は運が良いとは言わないか」 コウキが頭を掻くと、ミキは楽しそうにお腹を抱えて笑った。和やかな雰囲気が一段落すると、ミキが静かな調子でつぶやく。 「じゃあ、わたしは明後日かな」 「何がですか?」 「生まれるのが」 ああ――、とコウキは息を漏らす。 「そうか。俺が二日来た道をこれから行くわけだから、明後日生まれることになるんですね」 「ええ」 「おめでとうございます」 「ありがとう。でも、今はあまり嬉しくはないんです」 「どうして?」 「だって不安じゃないですか。誰でもない全くの別人になるんですよ。もうわたしでいられるのはあと二日だけ。考えても仕方ないことだけど、考えられることはこれくらいしかないし」 コウキは曇ったミキの表情に胸を痛めるが、転生という想像もつかない出来事を迎えようとする彼女に対し、声の掛け方がわからない。再び辺りを覆った沈黙を破るため、コウキは気分を変えて、ミキに別の話題をふることにした。 「俺がこれから行くところはどんなところですか? まさか地獄だったりは――」 「フフ。そんなそんな。大丈夫、静かなところです。天国っていうほど優雅な感じではないけれど、ゆったりと過ごせるところだから」 「へえ、そりゃいいや。そこで何をするの?」 「見る、かな」 ミキの言葉にコウキは首を傾げた。 「何を見るの?」 「あなたがいた世界を」 「見るだけ?」 「うん、ずっと見ているの。わたしは二十年くらい見続けていた。そしてある日、気づいたらこの階段を下っていたの」 「それってかなり退屈じゃないかな。ぼんやり眺めるってのは、たまにはいいけど、ずっと長く、それも二十年にもなれば――」 「確かに退屈なことかもしれない。でもわたしは嫌いじゃなかった」 「どうして?」 「特に理由があるわけじゃないんだけど、長かったようで、長くもなかったようにも思うから。ああ、世界はこんな形と色をしているんだって」 「へえ、俺にもわかるかな?」 「うん、きっとわかる」 コウキが、そうかなあ、と呟いていると、ミキがこらえきれないように笑い出した。コウキは不思議に思ってミキに尋ねる。 「どうかした?」 「だって、変じゃない?」 「変?」 「わたしたち、会ったばかりなのに、妙に打ちとけてるから」 「ああ、言われて見ればそうだね。親戚の孫が俺だとか?」 「うーん、そういう感じじゃないなあ。もっと別の感じ」 「だよね。俺も言いながらそう思った」 ミキも、だよねと囀くように言うと、彼女はおもむろに夜空に浮かぶ紅い月を見上げた。コウキも自然とそれに倣う。コウキがこの二日間ひたすらに見上げていた月だ。 「ねえ、どうしてあの月は紅いの?」 コウキは長らく疑問に思っていたことを口にした。答えがあるなら知りたいと思っていたが、今は何よりミキならどう思うかが知りたかった。 「命の色だから」 「命?」 「うん、尽きた命と生まれる命を見守ってるの」 「へえ、難しいな」 「わたしにもよく分からないんだけど、死ぬことも生まれることもきっと同じくらい大切なんだってそう思うの。うまく言葉に出来ないけれど、あそこで過ごした二十年で分かったような気がする」 「大切かあ――」 「うん」 「――きみが言うならきっとそうなんだろうね」 そんな言葉に照れたのか、ミキははにかんだ。紅い月明かりを受けたミキの表情が、かすかにその色を深めた。 コウキははっと息を呑む。一瞬意識が揺らいだ後、絶対に解けないはずの数式の答えが電撃とともに去来したように、強烈な衝撃がコウキの魂を打った。 「聞いて欲しいことがある」 そう切り出したコウキの表情は固い。強張った頬が震えると、唾をゆっくり飲み込んだ。 「おかしいな奴だって思ってくれてかまわない。だけど聞いて欲しい。ずっときみに伝えたいことがあったんだ」 どこか苦しそうにも見えるコウキに心配そうな表情を見せながらも、ミキは深く頷いた。 「俺はキミが好きだよ。俺はずっとキミが好きだった」 「え?」 ミキは驚きのあまりそう言うよりなかったのだろう。それでも言葉の意味するところを、自分なりに必死に掴もうとしている。 コウキは自分でも止められない激しい想い、けれど真摯な想いをゆっくりと言葉にしていく。 「何十年も何百年も、いや、何千年も前からキミのことが好きだったんだと思う。ずっと片想いをしていた。いや、思ったんじゃない。分かったんだ」 それを聞いたミキが、あっ、とつぶやくと、突然涙を浮かべ、次いでそれが頬を伝っていった。 「わたしにも分かった。わたしたちはここを何度も何度もすれ違っていたんだね。生まれるあなたと死んだわたし、死んだわたしと生まれるあなた。どちらか一方の世界で一緒に過ごしたことはないけれど、こうしてすれ違う度、お互いを意識していた」 「お互いを?」 「ええ、わたしもあなたを想っていた」 コウキもそれを聞くと、あふれだす涙を抑えられなかった。自分が死んだことにさえ感情をあらわすことはなかったが、自分という存在そのものを遥か昔から想ってくれていた誰かがいたという事実が堪らなく嬉しく、熱い涙を垂れ流した。嗚咽にむせかえりながらもコウキは言葉をつむぎ出す。 「ねえ、約束するよ。俺は、きみをずっと見守っている。君が違う誰かになってしまっても、俺とは違う誰かを好きになっても、俺は向こうの世界から、ずっときみを見守っている。きみが悲しいときは俺も泣く。きみが楽しいときは俺も笑う。そう、約束する」 「ありがとう」 二人は自然と右手を伸ばしあい、二本の小指を絡めた。 「こうやって人間って、命って、続いていくのかもしれない。死んでいく誰かが、生まれていく誰かを見守って」 コウキは笑顔を浮かべてミキに言った。胸がたまらなく熱い。 「わたしも、あなたが生まれるときは、あなたをきっと見守るから。すべてを忘れてしまう日が来ても、わたしたちはきっと思い出せる。そしてまた指きりしましょう」 「ああ、何度でも。だって俺たちは――」 「うん、何度でも。だってわたしたちは――」 二人が同じ言葉を口にした時、七分間停止していた自動階段が動き始めた。それに気づくと、二人は最後にもう一度だけ小指に力を込めて握りあい、そしてゆっくりとそれを解いた。
コウキを乗せた自動階段が昇っていく。やがてそれを下る時が来るとして、それまでの時間が長いか短いかは、彼女の人生で決まるだろう。彼女が生き続ける限り、彼は彼女を見守るだろうから。
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読み返すと、自分でリライトしたい気分にもなりましたw。どんな風に変わってもまったく問題ありません。ご興味をもたれた方、出来の悪い子ですが、かわいがってやってくださいませ。
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