リライト版『自動階段の風景 ――行き交う二人――』 原作:片桐秀和様 ( No.18 ) |
- 日時: 2011/01/18 22:57
- 名前: HAL ID:DC6KyTtw
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
筋書きはそのまま、文章や細部はかなり変えました。HALさんよう、おたく、劣化コピーって言葉を知ってるかい……?(←もうひとりの自分の声)
----------------------------------------
――生涯で一度くらい、運命的な出会いをしてみたかった。 暮れなずむ空に押し包まれながら、そんなことを考えていた。 ごうん、ごうんと、かすかに音が響いている。それは丁度、鼓動のリズムと同じくらいの間隔だ。崖の下に押し寄せる潮騒のように、低く遠く、意識の底を流れる音。 足の下、ゆっくりと上り続ける自動階段は、ちょうど体の幅しかない。両脇に添えられた手すりも、心細いほど低く、頼りなかった。 もう二日ほど、こうしてただ立ち尽くし、この階段に運ばれている。視線で足元をなぞれば、白い階段はどこまでも続き、やがて細って空に吸い込まれている。あとどれだけこうしていればいいのか、手がかりはどこにもなかった。 退屈さにたえかねて身を乗り出せば、はるか眼下に広がる大地。建物どころか、見慣れたはずの地元の地形さえ、切れ切れにかかる雲のむこうに霞んで、確かには見分けられない。いま、どれくらいの高度だろうか。 ――あの中に、ついこのあいだまで、いたんだよな。 そんなことを思ってもみるけれど、思考はただ胸の中を素通りしていくようで、実感がなかった。何を掴んだという感触もないまま、すべてが手の届かない場所に遠ざかっていく。ただそういう漠然とした不安だけが、ゆらゆらと体の中をたゆたっている。 ひとに比べて、特別に孤独な人生を送ってきたというわけではない。……と、思う。友達は多いほうだったし、幸いにして家族との仲もよかった。恋もした。だから、何かが足りないなんて思うのは、ただの贅沢なんだろう。 だけど、心の奥のほうのどこかに、ぽっかりと小さな空白があるような気がした。普段は忘れていられるけれど、ひとりきりになるとふっと見つめてしまう、ほんの小さな隙間。あるいは欠けたピース。出会うべき誰かにまだ会えないままでいるような、そんな感触。 自分の考えに、思わず苦笑した。らしくもなく、感傷的になっているのかもしれない。 視線を前に戻せば、すぐ向かい側に、下りの自動階段がある。数分から数十分おきに、そのうえを誰かが運ばれて、下の世界へ降りていくのとすれ違う。彼らはずいぶんなお年寄りの姿をしていることもあれば、まだほんの幼い子どもの場合もあった。 下りの自動階段は、ちょっと無理をして手を伸ばせば、届きそうな位置だ。もしかしたら、飛び移ることもできるんじゃないかと思うくらいの。 だけどそれは、そう見えるというだけで、実際にできることじゃない。手すりを乗り越えて飛び移るどころか、自分で段を上ったり降りたりすることもできないのだ。鎖で繋がれているわけでもないというのに、いま立っているこのステップから、一歩も離れられない。 またひとり、誰かがゆっくりと、向かいの階段に運ばれて、上の方から降りてくる。白髪の混じり始めた、中年男性。相手のほうが、先にこちらに気がついていたらしく、目が合うなり、会釈をされた。こちらも会釈を返す。その顔が、誰かに似ているような……と思ったときには、男の背中は遠ざかりつつあった。 誰に似ているのだったかなと、記憶の箱をひっくり返す。有名人だろうか。それとも親戚? 友達の父親? 近所の人だろうか。 いっとき考え込んでから、ふっと思い出した。可笑しくなって、ひとり、笑い出す。何のことはない、自分を撥ねた貨物トラックの運転手に、目元が似ていたのだった。
生まれて初めての、そして最後の交通事故にあったのは、二日前の午後だった。引き伸ばされた、永遠のような一瞬。フロントガラスの向こうには、たったいま居眠りから醒めたというのがありありとわかるような、疲れた男の顔があった。濃い色をした隈。半分まぶたの下りていた目が、まず驚愕に見開かれ、続いて何かを懇願するような色に変わっていくのを、たしかに見たと思う。次の瞬間に眼前を過った、信じられないくらいあざやかな走馬灯。そして衝撃……暗転。 そうして二十年の生涯は、驚くほどあっさりと幕を引いた。
日が沈みきるのとほとんど同時に、反対側の空から、月が上ってくる。今日は満月らしい。 ここで見る月は、赤い色をしている。黄砂のカーテンに遮られたときのそれとも違う、ぎょっとするような色。それがゆったりと、寄せては返す波のように濃淡を変えて、明滅している。 地上で見るように月が白ければ、星明りも紛れてしまうところだろうけれど、その不気味な月の色が幸いしてか、地上ではなかなか見られないような、みごとな星空が周りじゅうに広がっていく。もし月がなければ、きっともっと素晴らしい光景になるのだろう。どうせなら、新月のときに死ねばよかったかもしれないなんて、そんな呑気なことを考えた。 もっとも、この階段をあと何日上ればてっぺんにたどり着くのか、よくわかってはいないのだ。五分後ということはないにしても、一時間後なのか、あるいは数日後なのか。月が欠けてもまだ辿りつかないということも、ありえない話ではない。 もしかして、何十年後だったりして……。思わず首をすくめる。ぞっとしない想像だった。 それにしても、さすがは死後の世界というべきだろうか、丸二日ものあいだ、延々とただ狭い階段に突っ立っているというのに、足も腰もいっこうに疲れもしない。ただ退屈なだけだ。おかげで、ついわけもなく、小まめに向かい側の階段を見上げてしまう。降りてきた誰かと目があっても、会釈をするのがせいぜいで、話ができるわけでもないのに。 またひとり、誰かが降りてきていた。その影が視界に飛び込んだ瞬間、わけもなく、どきりと心臓が跳ねた。どうしたんだろう。この二日間ですでに何十人か、へたをすれば百人以上の人々とすれ違ってきて、その誰にも、特別な予感めいたものなんて、感じたりはしなかった。 でも、どうせすぐに通り過ぎて、それで終わりだ。こう薄暗くちゃ、表情だって見えるかどうかわからない。そう思いながらも、礼儀とおもって、会釈をする。相手も小さく頭を下げた。それでその相手が女性だとわかった。ボブカットの髪がふわりと揺れたのだ。 ちょうど、彼女とすれ違った直後、足元にかすかなゆれを感じた。 「え、わっ」 思わず声を上げる。がたん、と音を立てて、自動階段が止まった。振動は小さかったけれど、とっさに手すりにしがみついてしまった。 「なんだろ」 そういえば、この階段に乗ってはじめて声を出したなと、そんなことに気がついた。隣の彼女に話しかけるとも、独り言ともとれないような呟き。 「どうしたんでしょうね」 下りの彼女は、返事をかえしてくれた。二日ぶりの、他人との会話。 声からすると、相手は若い女性のようだった。僕とそう変わらないような感じ。もっとも、これまで死んでいて、いまから生まれなおそうとしている人間の年齢に、普通の基準をあてはめたって、意味はあまりないのかもしれない。 「困りましたね。故障なのかな。ここまで一度も止まらずにきたのっていうに」 そういってから、いや、困るかなあと思い直した。考えてみれば別に僕には、先を急ぐ理由なんてないのだ。 でも、彼女にはあるかもしれない。さっさと下の世界におりて、早く新しい人生をはじめたいと思っているのなら、の話だけど。 ほどなくして、アナウンスが流れた。 『ご利用中の皆様へお知らせします。ただいま定期メンテナンスのため、当自動階段は一時的に運行を停止しております。お急ぎの方々には大変ご迷惑をおかけしておりますが、いましばらくお待ちください。運行は、数分ほどで再開する予定となっております。繰り返しお知らせします。ただいま定期メンテナンスのため――』 マイクを通しているようにしか聞こえない声、いかにも義務的な愛想のよさ。駅やデパートの中あたりで流れていても、ちっとも違和感がないような。死後の世界にふさわしい、不思議なことといえば、その声が足元から響いているようにも、はるか天上から降ってきたようにも聞こえるという、その一点だけだった。 そのことが、なんとなく可笑しいような気がした。くすりと息で笑うと、つられたように、下り階段の彼女も小さく笑い声を立てた。 「意外に事務的なんですよね。こういうのって」 「神様……っていう呼び方でいいのか、よくわからないけど、そういう人たちも、人手不足なんでしょうね。オートメーション化を進めないと追いつかないくらい、人口が増えているのかも」 いいながら、後半、ちょっと早口になった。くすくすと笑う彼女の声を聞いているうちに、照れくさく思えてきたのだ。彼女は笑いやむと、小声でいった。 「でも、よかったのかも。ずっとぼうっと立ってるだけじゃ、飽きてきますもんね」 その言葉に頷き返しながら、自分が会話に飢えていたことを、痛いほどに感じた。もっと彼女と、話をしたい。 衝動的に体をねじって、彼女のいるほうに体を向けると、ちょうど彼女も、こちらを振り向こうとしていた。 きれいな子だった。 その鳶色の瞳と、目が合った瞬間、何か形のないものが、胸のいちばん奥に、すとんと落ちた気がした。思わず、自分の胸元を掴む。ずっとあいていた隙間、欠けたままだったピース。さっきの埒もない考えが、頭の隅を過ぎる。 「あの。どこかで会ったことがあるかな」 これじゃ下手なナンパみたいだ。いうなり自分で赤面した。だけど、彼女は真面目な顔で、小さく頷いた。 「わたしも、いま、おなじことを訊こうと思って」 その瞳の色は、真剣だった。 僕だけの気のせいなんかじゃなかった。だけど、どこで会ったのか、いくら記憶を探ろうとしても、何も浮かび上がってはこない。名前を聞いたら、なにか思い出すだろうか。 「俺は武本。武本コウキ。きみは?」 「わたしは丹羽ミキ」 その名前に、まったく心当たりはなかった。誰か、知り合いと似ているだけなのか。それとも過去に会っているけれど、名乗りあうこともなかったのか。それにしては、彼女をたしかに知っている、というこの確信は、どっしりと胸の芯に居坐っている。 「……ごめん。思い出せない」 「わたしもです」 二人して、ちょっと黙り込んだ。さっきのアナウンスでは、メンテナンスにかかる時間は数分程度といっていた。あとどれくらいの余裕があるんだろうか。 もっとこの子と……ミキと、話をしたい気がした。何か、話すべきことがあるような。だけど、自分が何をいいたいのか、よくわからなかった。言葉が見つからない。 何かいわないと……。焦っていると、彼女が首をかしげた。 「あの。あなたは、どうして?」 その声の調子で、ミキのほうも、名残惜しいと思ってくれているのがわかった。そのことが嬉しい。 「ああ、俺は交通事故で。一昨日の夕方だったんだけど」 嬉しかったとはいえ、間抜けなほど明るく、軽い口調になってしまった。だけど、へんに重々しくいうよりも、よかったのかもしれない。そんな一言でも、彼女は痛ましげに眉をひそめたから。 「ああ……。ご愁傷様でした。痛かったでしょう」 「いや、一瞬だったから。痛いって思う暇もなかった。気がついたら、もうこの変な階段の上に立ってました」 そういうと、ミキはほっとしたように、表情を緩めた。 「そう、良かった。……っていうのも変かな。不幸中の幸いでしたね」 「ああ、そう。それです。俺、変なところで運がいいんだ、昔から。あれ、こういうのは運が良いとはいわないかな」 わざとおどけてみせると、ミキはかろやかな声を立てて笑った。その声の響きに、胸の奥がじんと暖かくなる。 ミキは、笑いをおさめると、しんみりと呟いた。 「そっか。じゃあ、わたしは明後日かな」 「何が?」 「生まれるのが」 ああ――。思わず息が漏れる。 「そっか。俺が二日、ここを昇ってきたんだから、同じだけ降りたら」 「たぶん、ですけど……ね」 ミキはいって、ちょっと微笑んだ。 「おめでとう」 「ありがとう。でも、ちょっと不安もあって」 「え、そう?」 意外だった。だけどたしかに、さっきからの彼女の態度は、喜びに満ちているというには、落ち着きすぎていた。 「生まれなおすときに、いままでのことはみんな忘れてしまう。わたしがいまのわたしでいられるのは、あと二日だけ。そう思ったら、なんとなく……怖くて」 とっさに、言葉に詰まった。いまの彼女の心境を想像しようとしてみるけれど、それさえもままならない。輪廻転生なんてことを、いままで二十年生きてきて、真面目に考えたことがあっただろうか。どういう声をかけていいのかわからない自分が、もどかしくて、悔しかった。 『ご利用中の皆様へお知らせします。現在実施中の定期メンテナンスは、あと三分ほどで終了する見込みとなっております。今しばらくそのままでお待ちいただきますよう、お願いいたします。繰り返し――』 また例の声が、どこからともなく降ってきた。残る時間はわずか。何かもう少し話をしたいという思いに押されて、ろくに考えもせずに、とにかく口を開いていた。 「あの月って、なんで赤いのかな」 変なことを訊いてしまった。すぐに後悔したけれど、彼女は笑うでもなく、すっと月を見上げた。そのまなざしが澄んでいて、思わず彼女の横顔に見とれる。 「あれは、命の色、なんだって」 「いのち」 僕は繰り返して、空を見上げた。赤い満月、この世ならぬ月。 「そう。もう尽きた命と、新しく生まれる命」 「へえ……」 あらためて眺めると、なるほど、あの赤さは、血潮の色なのかもしれないと思えてきた。ゆっくりと明滅を繰り返す光の加減は、そう、鼓動と同じリズム。それを見つめているうちに、ふと、これから先のことに思いが向いた。 「そうだ、ねえ。俺がこれからいくところって、どんな場所なのかな。まさか、地獄みたいな――」 「ふふ。まさか、大丈夫。静かなところだから。それこそお話の天国と違って、蜜の川が流れてるわけじゃないけど。でも、ゆっくりできると思う」 彼女は可笑しそうに笑って、説明してくれた。 「へえ。そこで、どんなふうに暮らすの」 「下の世界を眺めてすごすの」 思わず、眼を瞬く。それはずいぶんと、呑気な話のように思えた。 「え。ただ見るだけ?」 「そう。わたしは二十年くらい、ずっと見続けてたかな。それである日、気がついたら、やっぱりこの階段の上にいて」 「それって、でも、かなり退屈じゃないのかな」 「そう……そうかも。でも、わたしは嫌いじゃなかった。生きているときには、見られなかったものが、たくさん見られたし」 「へえ」 まだあまりピンとこなくて、首をひねっていると、彼女は小さく声を立てて笑った。 「なんだか変な感じね。わたしたち、会ったばかりなのに、妙に打ち解けてる」 「ああ、うん。やっぱりどこかで、前に会ったことがあるのかな」 言ってから、自分の馬鹿さ加減に呆れた。彼女が二十年、この上の世界にとどまっていたというのなら、二十歳で死んだ僕と、現世で会っているはずがないというのに。 二十年――はっとした。 「思い出した」 僕は、よほど驚いた顔をしていたんだろう。怪訝そうに、ミキが首をかしげた。ああ、どうしていままで、彼女のことを忘れていたんだろう。忘れていられたんだろう。 「やっぱり、俺たち、会ったことがあるんだ」 「え。だって……」 「二十年前に。ここで。この、自動階段の上で」
ミキは息を呑んで、目を見開いた。その瞳に揺れる戸惑い。こんな話を、信じろっていうほうが無理なことだ。だけど、筋道立てて説明するだけの時間はなかった。焦る心を押し留めて、言葉をさがす。どうしても伝えたい言葉だけを。 「君に、ずっと伝えたかったことがあるんだ」 口に出すと、その言葉はしっくりと胸の奥になじんだ。そう。僕は彼女をさがしていた。ずっと、ずっと、長いあいだ。二十年前から、いや、もしかすると、何百年も、何千年も前から。 「ずっと前から、君のことが好きだった。話をするのも今日がはじめてなのに、変に思うかもしれないけど」 僕らは何度も、ここで出会っていた。この場所でだけ。繰り返し、繰り返し。 それはいつも、ほんの一瞬の邂逅。言葉を交わす間もない、視線の交錯。 いまの姿をした彼女が死んで、僕が生まれなおしたときにも。その前の僕が死んだときも。もっと前のときにも――。それは、確信だった。既視感なんていうあいまいなものじゃない。魂の底に刻まれた、たしかな記憶。 赤い月明かりの下で、僕は見た。はじめは驚きに見開かれていたミキの目が、ゆっくりと、理解の色を浮かべるのを。そしてその瞳から、大粒の涙がひとすじこぼれて、彼女の頬を伝うのを。 「わたしも」 ミキは一度言葉を詰まらせた。それから喉をふるわせて、いった。 「わたしにも、やっとわかった。わたしたちは何度も、ここですれ違っていたんだね」 その声にこめられた熱を感じた瞬間、胸が震えた。 「わたしもあなたに、会いたかった。ずっと」 その言葉だけで、何もかもが満たされるような気がした。死を悟ったときにも流れなかった涙が、彼女の思いを感じた瞬間、堪えようもなく、僕の中からあふれた。 『皆様にお知らせします。定期メンテナンスは、無事に終了いたしました。まもなく運行を再開いたします。お急ぎの方にはたいへんご迷惑をおかけしました。繰り返しお知らせします――』 弾かれたように顔を上げる。階段がかすかに振動するのがわかった。せっかくこうして、思い出せたのに。せめてもう少しだけでも。 ミキのほうに向きなおると、視線が絡み合った。彼女の目が、哀しみに揺れる。だけど容赦なく、アナウンスは終了する。階段が振動を大きくする。 突き動かされるように、叫んでいた。 「俺は……俺は、君のことを思っている。ずっと、この上から君を見守っているから。君が忘れてしまっても、僕は覚えている。君が悲しんでいるときには、俺も泣く。君が喜んでいるときには、俺も笑う」 「でも、生まれてしまったら――」 彼女のいいたいことはよくわかった。いまのミキがとっているのは、あくまで過去の生の姿。生まれ変わったら、彼女は別の人間になる。 そしてその瞬間を、僕はおそらく、見ることができない。下の世界に生きる、膨大な数の人々の中から、僕が彼女のことを見つけられる保証なんて、どこにもない。 「それでもきっと、僕は君を見つける。君がどんな姿になっても、必ず。約束する」 「……わたしも」 ミキはまっすぐに僕の目をみつめて、うなずいた。 「わたしもきっと、あなたのことを思い出す。そして、次にあなたが生まれなおしたときには、わたしがあなたのことを、見守っているから」 とっさに手を伸ばしていた。同じように差し伸べられた彼女の手に、かろうじて触れる。その小指をそっと、絡ませあう。 「約束」 顔を見合わせて、ちょっと笑った。くすぐったいようなぬくもりが、胸の奥に宿る。わけもなく確信が湧き上がる。大丈夫、この気持ちを、きっと覚えていられる。 ごうん、と鈍い音がして、階段が動き出す。繋いでいた指が、するりと解けた。 「大丈夫。だって俺たちは――」 「そうね。わたしたちは――」 お互いの声はすぐに聞こえなくなった。だけど、下っていく階段に運ばれながら、まっすぐに僕を見上げるミキの目は、僕の魂の底へと、たしかな熱をもって焼きついた。 「大丈夫」 もう一度だけ、そっと呟く。自分に言い聞かせるように。 赤い月に見守られて、夜空の中を、ゆっくりと自動階段が上っていく。どこまでも、どこまでも。 やがてたどりついた場所で、僕は地上に生きる彼女をさがすだろう。そして何十年かのあいだ、静かにその生を見守り続ける。彼女の命が尽きる、そのときまで。
----------------------------------------
幸せでした……! 結果、出来はともかくとして(汗)、書かせていただきながら、とても楽しかったです。己の実年齢も忘れて、きゃーきゃーいいながらリライトしていました。何このお話素敵すぎる……!
|
|