HALさん作「荒野を歩く」のリライト ( No.16 ) |
- 日時: 2011/01/19 18:13
- 名前: 片桐秀和 ID:WXVvW6ag
風は果たしてどちらに向かって吹いているのだろう。 背を押すかと思えば胸を圧し、巻き上がり吹き下がり、判然としない。誘うように拒むように、一時さえ絶えることなく吹き続ける風を受けながら、茫漠たる闇の荒れ野をひたすらに歩き続けていた。 周囲に転がる岩々は、風化によって角を丸めているが、乾いた血のように赤茶けた岩肌は闇に染まって黒味を増し、地面に這うように根を伸ばす木々は、葉の一枚さえ付けておらず、とうの昔にすべて枯れはてたと思えた。ときおり鋭い鳥の鳴き声が耳元まで響いてもその影は見えず、月明かりを受けた砂地に古代文字のような痕跡を見つけ、虫や蛇が這った跡かと眼を凝らすが、その余韻さえたちどころに風と闇に掻き消える。数年前には肉食獣の類を恐れたが、むしろ今は生き物らしき気配をまったく感じぬことに居心地の悪さを覚えた。ただ砂を孕んだ冷たい風だけが、嘆きとも叫びともつかぬ声を上げて、そこが確かにある世界だと訴えている。街道を外れてもう二時間ほど歩いただろうか。星の位置と月の傾きが時の推移を告げているものの、はたして自分がかの場所まで近づいているかどうか、一度の確信も持てない。夜明けを待とうかという思いが過ぎるたび、私はそれを打ち消し、闇に不安でいるのは私だけではないはずだと己を叱咤する。 無遠慮に岩ばかりが転がる中で、時折月光を受けて白く浮かびあがるものを見つけ、目を落とせば古い頭蓋骨だと分かった。かつてこの地を去ったときには、骸には衣服のきれぎれや穴の穿たれた甲冑の名残が張り付き、錆びた刀剣や矢じりのひとつなりと突き刺さっていたものだが、わずかなりと金目になるものは、ひとつ残らず剥がされたらしい。荒れ野を往く人はたしかにいるのだ。そして後には曝け出された骸が残る。せめて骸はそのままに残っているかと踏んでいたが、五体が揃ったものは最早この荒れ野のどこにもないのかもしれない。今は気配さえ感じさせぬ獣が、あの戦の後、格好の餌場として荒らしたためか、鋭い牙で砕かれた跡が見える。獣が飢え、ついに餌場を変えねばならぬと差し迫るまで、何度となく骸は砕かれ、乱され、あるべき形を失っていったのだろう。ばらけた骨は風に運ばれたのか、雑多な白い破片がそこらじゅうに散らばっていた。 ひとり呆然としながら彷徨い歩けば、次第に白く光るものの数が増え、自分がかの場所に近づいていると知った。細かな破片を踏みつけぬわけには進めず、一息つこうと顔を上げ眼を凝らした水平線の淵に、奇妙な形をした岩が月光を背負って仄かに輝いていた。周囲を改めて見渡すと、遠い日の記憶が合致を始める。かつて私たちが命を散らした戦地が確かにそこに広がっていた。知らぬ人が訪れたのならば、何の変哲もない荒れ野でしかないだろう。旅人が偶然通りかかっても、雑多な破片の上に腰を下ろすのを嫌がって、足早に立ち去ろうとするほどの場所だろう。それほど時が経ったのだ。 勝利とも敗北ともつかぬままに戦が終わり、もう五年という月日が流れていた。戦果を上げた兵士が称えられた期間が過ぎ、それを吹聴すれば人殺しと呼ばれるようになるだけの時。戦で恋人を失った娘が過去を忘れ、あらたに嫁いで母親になるほどの時。そして、人も町も変わる中で、変われない者らが心の燻りを持て余し続けた時。それが五年という月日だった。 呆然としつつも、私はまた歩み始める。背中で瓶のぶつかり合う、硬い音が鳴った。荷を降ろして一口呷りたい衝動に駆られたが、堪えて背嚢を背負いなおす。彼らが先だ。 奇岩に近づくにつれて、青白く光るものの数はますます増えていった。ひとつをつぶさに見つめれば、湧き立つ思いに心が染まって動けなくなると思い、景色ごとぼんやりと眺めていると、無数の人魂が揺らめいているように見えた。しかし瞬きを繰り返してあらためて視線を向ければ、それらはただの白い骨でしかなく、誰もがかつての姿を取り戻して語りかけてくれることはない。 竜の頭。月光を受けて陰影を濃くしたその赤茶けた巨大な奇岩に至ると、散らばった骨の前で背嚢を降ろした。荷の中で瓶と瓶がぶつかり、水音が響く。獣と風に乱された誰のものとも区別のできない幾つもの骨の前で、敬礼をしようと思ったが、すぐに思いなおした。彼らが喜ぶとは思えない。長く歩いた後に立ち止まったからだろう、足裏に痛みを感じ、蹲って足を揉んだ。不意にそんな姿を晒している自分に気づき、妙な気恥ずかしさを覚えた。 取り出した瓶を月光にかざすと、中で液体が揺れ、赤い地面の上に、泡立つ水面の影を落とした。硬い栓を抜くのに少しばかり苦労して、琥珀の液体を荒れ野に注ぐと、それは速やかに拡がり、瞬く間に地面の下に吸い込まれていく。彼らが飲み干してくれたのだと、無理にでも思うことにした。 身を屈めて、二本目、三本目と同じ箇所に注ぐと、最後は小さな溜りができ、少し間を置いて地面に消えた。その光景にたらふく飲んだ彼らを想像したが、身を起こして見た荒れ野は果てもしれず広がり、私の安直な妄想はたちどころに掻き消えた。それでも、昔日が幻としか思えぬ活気に満ちた町中に身を潜めるように暮らし、夜中に飛び起きた自分の部屋の寝台で、空しく赦しを請うようりは、まだいくらか彼らに届くのではないか。それさえ身勝手な思い込みでしかないなら、もはや私にはどうすることもできない。死者は語らず、形ある赦しなど、もとよりありはしないのだ。 立ち止まって冷えた身体が震え、瓶の底にわずかに残った液体を一口呷った。焼け付くような感触が喉から胃に伝わり、私は熱の篭った息を吐く。吐息を吸った風が心なしか勢いを増して、嘆きとも叫びともつかぬ声を上げていた。相変わらずどちらに向かおうとするのか判然としない風を受け、私はオオウと咽び泣くよりなかった。
-----------------------
今原作を読み返しても、投稿する気が削がれそうなので、ここは勢いでw。しっかし、自分よりはるかに表現力がある方の作品をリライトするって難しいですね。色んな部分で中途半端に引っ張られて、文章が安定してない箇所があります。でもま、良い経験でした。
|
|