投稿期限は本日15:30。飛び入りもちろん歓迎です! お題は以下の中から三つ以上使用してください。「螺旋階段でキス」「悪魔」「あざやかな球体」「火花」「ざらつく」 ということで、今日も楽しくいってみましょう!
スズキさんの家は、我が家からさほど離れていない場所にある。それでも四、五分は歩かなければならないから、近いというわけでもない。通学途中に家の前を通るわけでもないし、友人の家が近くにあるわけでもない。けれど、私は知っている。あの家にいるのがスズキさんであることを。 表札には、片仮名で『スズキ』と書かれている。鈴木でも、壽松木でもない。スズキさん。 スズキさんの家からは、動物の鳴き声がする。犬の鳴き声だったり、鳥の鳴き声だったり。鳥も一種類じゃない。ホーホケキョと鳴いた後に、ホーホーホーという鳴き声がしたりする。鶯に、あれはフクロウだろうか? フクロウとミミズクの違いはよくわからないけれど、きっとあれはフクロウだ。たまに、赤ん坊の泣き声がすることもある。赤ん坊の割には随分と声が低くて、中には悪魔の子供じゃないか、なんていう人もいるくらいだ。 スズキさんの家は植物も豊富にある。庭は植物だらけで、きっと普通の一軒家であろう二階建ての家も、はっきりと見ることができない。 塀から飛び出している木の枝に、林檎がなっているのを見たことがある。その隣に、梨が同じ枝からなっていた。その隣の木からは蜜柑も生えていて、その隣はドリアンだっただろうか、不思議な臭いのする果物がなっていた。そういう、見たことのある植物ならいい。中には銀色に光る鮮やかな球体を果実として実らせている植物もあったりする。あれは食べられるのだろうか? そんな風体の家が話題に上るスズキ家だが、家族構成はわからない。赤ん坊の声がするくらいだから、少なくともその親はいるのだろうけれど、なにをしている人かはわからない。私は密かに、動物と植物をかけ合わせて新生物を作っているマッドサイエンティストが住んでいるのではないか、なんて考えたりもしたことがあるが、真偽は定かではない。 そんなスズキさんの家の前で、ばったりと家人らしき人と出会ったのだから、これは話しかけずにはいられない。「こんにちは」 私がそう言うと、スズキさんは家の前を掃いていた箒の手を止め、表札を指差した。いや、正確には表札の下にある小さな赤いシールを指差したのか。そこには『立ち入り禁止』と書かれていた。百円ショップとかで売っていそうだ。「入ったらあかんよ」「入りませんよ」「入ったら、キムラくんに食べられてしまうかもしれへんからね」「キムラくんってどなたですか」「最近引っ越してきたんよ。キムラくん」 侵入者を退治してくれるキムラくん。その時、家の中から聞こえてきたグルルという唸り声から、たぶん虎かなにかと予想する。「キムラくんはちゃんと躾けてあげないと危ないですよ」「別に、あんたが入らな問題ないんよ」 なるほど、確かにそうかもしれない。そう納得しかけた私の視界の隅で、火花が散った。ちょうど塀の上辺り。「ああ、言わんこっちゃない」 スズキさんは箒を塀に立てかけ、わたわたと庭に走って行った。戻ってきたスズキさんの掌には、白黒のまだら模様の蝶が乗っていた。「サイトウさんだったよ。もう、前から入りたい入りたいって。あかん、あかんよって言い続けてきたのにねぇ。キムラくんがいるから、あかんよって」 キムラくんは虎じゃなかったようだ。 その時、柴犬が走ってスズキ家に入っていった。 危ない。そう声を出そうとする私に先んじて、スズキさんが「おかえり、あんた」と犬に声をかけた。「今日の夕飯はしば漬けだからね」と言いながらスズキさんは箒を手に取り私を見た。「入ったらあかんからね」 そう言い残し、スズキさんは家に入っていった。----------------------------------------- 悪魔、火花、あざやかな球体。 1年ぶりくらいの3語はまあ酷い出来でちょっと笑った。
「今日は何を作ってるの?」 殻となる部分のカーボンを捻じ曲げていると、アヤがやってきて手元を覗き込んだ。「ウミホタル」 僕は短く返し、また作業に没頭する。ピンセットの先をうまく使って、透明な板を捻る。繋ぐ。折る。「そんな小さいもの、よく作れるね」 アヤは呟き、僕の隣に腰掛けた。 かすかに漂ってくる甘い匂いをふり払うように、僕は顕微鏡に意識を集中させた。 僕の趣味は模型作りだ。 模型といっても電車などのプラモデルじゃない。生き物の模型だ。けれど哺乳類や鳥類などの、大きいものはつくらない。 僕が惹かれるのは、微生物である。そのちいさな体にありったけの生殖器官を詰め込んで、シャーレの底を這いずり回り、藻を食む生物。 顕微鏡のレンズ越しにしか見られないが、確かにそこには世界がある。ピボットで吸い込み、プレパラートに落とし込んだ一粒のしずくにも、たくさんの命が息づいている。 そんな極小の世界に僕は惹かれ、そして模型作りを始めた。 微生物の体の仕組みは非常に精密である。ひとつも無駄がなく、全てが合理的にできている。「例えばウミホタルは、ルシフェリンという発光物質を持っている。この物質を酸化させることによって淡く発光するんだ」 アヤの方に顕微鏡を押しやって、覗かせる。シャーレの上では、本物のウミホタルが蠢いているはずだ。「どうしてウミホタルが発光するようになったのかというと……」「ああ、いいよ。ややこしい説明しなくて。どうせあたしには分からないんだし」 優しくたしなめる様なアヤの口調に、僕は口をつぐんだ。 顕微鏡から顔を離して、アヤは小さく笑った。「とってもきれい」。 僕は少しだけ満たされた気分になり、再度レンズを覗き込む。 青緑色の燐光を放つあざやかな球体が、宇宙のような闇に浮かんでいる。神さまの流した涙のような、落ちる寸前に煌く火花のような、うつくしい青。 僕はその光景を、シャッターを切るように瞬きしながら網膜に焼きつけた。瞼の裏の残像が消えてしまわぬうちに、手元のカーボンを同じように切る。「ほんとに器用だね、ユウちゃんは」 アヤの感心したような呟きが聞こえたけど、僕は何も答えない。 しばらく経って、アヤがぽつりと言った。「不思議だよね、生きてるって」 僕はそのとき、小さなウミホタルの中に潜む、豆粒よりも小さな心臓を組み立てていた。爪の先で部品の方向を調整しながら、ピンセットでそっと螺子をはめ込む。「自我が付随しない生だってあるんだよね。羨ましいな」「仕方ないだろう、僕たちは人間に生まれてきてしまった。事実を受け入れなければ」 小さすぎて着色もできなかったウミホタルの心臓は白く、けれどなくてはならないものだ。生命にとって。 例え模型という無機物であっても、これだけは譲れない。だから僕はどんな模型にだって、心臓を入れてやる。「生物は案外簡単に死んじゃうよね」 アヤが言うのと、僕の爪の先から心臓の模型がこぼれ落ちるのと同時だった。慌てて豆粒ほどの心臓を捜す。幸い、机の隅まで転がっていっただけだった。 ほっと溜め息を吐く僕を見ながら、アヤは続ける。「左心房と右心房を隔てる弁を、例えば取り払ってしまったらあたしたちは死ぬ」「シンプルイズベストだな」 ユウちゃん、こっち向いて。 ふいに甘い声で呼ばれ、振り返ると抱きしめられた。 人差し指に乗せたままの心臓の、ざらつく感触を確かめて僕は言った。「ごめん、部品だけ置かせてくれる?」 透明なピルケースの中にそっと心臓を置き、僕はアヤの方に向き直った。アヤは少しふて腐れた顔で、それでももう一度僕を抱きしめてくれた。「ユウちゃんの心臓の音がする」 目を閉じたアヤの顔はまるで人形のようだった。白くすべらかな頬に、つくりもののような長い睫毛。アヤの胸に耳を押し当てると、確かに鼓動が聴こえた。大丈夫、彼女はちゃんと生きている。 僕はケースの中で沈黙する心臓をちらりと見た。 これと同じものがアヤの中にも僕の中にも在って、きちんと動いている。奇跡みたいだな、とどこか他人事のように考えた。 瞼を閉じると、闇の中でウミホタルが青い燐光を放ちながら遊弋していた。ボルボックスも、ミジンコも。僕も、アヤも。「ユウちゃん」「なに?」「生きてるって素晴らしいことだね」 返事を返す代わりに、僕はアヤの頬にくちづける。彼女はくすぐったそうに身をよじり、小さく微笑んだ。 ----------------------「あざやかな球体」「火花」「ざらつく」ぎりぎり一時間!
『ウォルフ、ちょっと体温が上がっているようだけれど、気分はどう?』 話しかけられて、視線を上げた。視界の中に焼き付けられたインターフェイス、その端に丸いウィンドウが立ち上がって、エルマの、ちょっと心配そうな『顔』が映る。 栗色の、ちょっとくせのあるきれいな髪は、今日は下ろされて、肩を流れている。エルマの目の覚めるようなブルーの瞳が、不安げに瞬きをした。「え、そうかい? 自分じゃわからないけど。調子はいいよ」『そう。わかっていると思うけれど、気分が悪くなったら、すぐにコールしてね』「OK、ありがとう」 滑らかで耳に心地いい、エルマのヴォイス。ちょっと聞きには、合成された声だとはわからないのは、単に言葉の接続が滑らかになったからではなくて、その声がこまやかな感情のゆれまで再現できるようになったからだ。 ほんの十年ばかり前のコンピュータには、こんな芸当はできなかった。いや、中央にあるような最新鋭の人工知能には、できたのかもしれないけれど。少なくとも、エルマのように感情たっぷりに喋るAIを、そのへんの宇宙船なんかの制御脳に見かけることは、まずなかった。『唇がちょっと、荒れてるわね。ビタミンたっぷりのスペシャルドリンクを用意しておくから、好き嫌いせずに飲むのよ』 思わず唇をなでて、笑った。二十代の女の子ならともかく、むさくるしい中年男の唇が荒れていたからって、なんだっていうんだ。けれど、素直に頷きを返す。ビタミン不足で壊血病にかかった昔の船乗りの話、小さな頃に古典文学で読んだそのイメージが、頭のどこか奥のほうに、くっきりと焼き付けられている。つい最近読んだばかりの、補助脳にデータを丸写ししたはずの本でも、そうと意識しなければ内容を思いだせないのに、十代くらいまでに読んだ児童書やなんかは、驚くほどはっきりと印象に残って、なにかの拍子に何度も思い出す。人間の脳というのは、不思議なものだ。『それじゃあ、またあとでね』 にっこりと微笑むエルマの声は、うっとりするほど美しい。日替わりで変わるエルマの髪形やファッションといい、この美声といい、この機種を作ったやつは、存分に趣味に走ったに違いない。 悪魔の声は甘い、といったのは誰だったか。そんな考えが、頭の片隅をよぎって、自分の考えに苦笑する。彼らがなにを考えているかなんて、人間のちっぽけな脳で推し量ることは難しい。AIが本気で人類に反乱を企てたら、人間社会はひとたまりもない。それがわかっているから、そんなことは起きないとわかっていても、心のどこかに不安が残る。人類に課せられたジレンマ。どんな厳格な倫理規定にも、どんな堅牢なプロテクトにも、抜け穴はどこかにあるのではないか。その不安を人類が払拭することは、多分、永遠にできない。 廊下を歩いて、食堂に向かううちに、インフォメーション・ボールが視界に現れた。 目の前にふわふわと浮かぶ、色あざやかな球体は、そこに実在しているわけではない。ほんとうにあるようにしか見えないけれど、あくまで視界のインターフェイスの上に再現された、CGだ。その表面を、奇妙な模様が流れていく。乗員はそれを、視線で追うだけでいい。それだけで自動的に、頭蓋の中にインプラントされた補助脳へ、最新のニュースがインストールされる。耳で聞いても目で読んでもいない情報が、いつの間にか頭の中に書き込まれているという、この感覚に慣れるまでに、どれくらいかかっただろうか? 食堂に向かうと、ドアが開いて、テーブルに食事がせり出してきた。エルマがいうスペシャルジュースの、なんとも形容しがたい緑色が視界に飛び込んでくて、思わず眉を顰める。 ひとりきりの昼食。二人乗りの船で、相棒と交代で起きているから、朝晩はともかく、昼はかならずひとりになる。それが不満というわけではない。寂しければ、エルマに話し相手をしてもらえばいい。「エルマ、到着予定時刻に変わりはないかい」 ふと思い立って、エルマをコールする。いつものウィンドウが立ち上がってから、彼女の笑顔がそこに浮かび上がるまでに、ほんの小さなタイムラグがあった。「エルマ?」 名前を読んだときには、もうエルマは所定の位置で、いつものように笑っている。――いつものように? その表情、目の色が、いつもとほんの少し、どこか違っているような気がしたのは、錯覚だろうか。『さっき、デブリ群を避けたときに、ちょっと軌道を修正したから、ほんの少し、ずれるかもしれないわ。それ以外はいまのところ、順調よ。最初の予定どおり、標準暦で十二月十日、時間はずれるかもしれないけれど、少なくとも午前中には到着するわ』 順調、のところで、ほんのわずかに、いつもの甘い声が、ざらついた気がした。「エルマ? きみの調子は大丈夫かい」『あら。これじゃ話があべこべね。あなたに心配されるなんて』 エルマは可笑しそうに笑って、口元を上品に押さえた。そんなささいな指の動きまで、ひどく滑らかで、自然に作られている。『でも、宇宙旅行に油断は禁物だものね。自己診断してみるわ』「そうしてくれ」 いって、食事を続ける。舌が飽きないように、機内食の味付けまで、毎日微妙に変えてくれる。長期の宇宙旅行がぐっと楽になったのは、こういう細かい部分を制御するプログラムが、普及してきたおかげだ。貨物船乗りにはこのうえなくありがたい進歩。『――大丈夫、なにも問題ないわ。でも、次の宙港で、念のため、いちどメンテナンスを受けましょう。大事をとるにこしたことはないものね』 宙港、のところがまたざらつく。けれどそのノイズは本当に一瞬で、近くを通りかかった隕石か、宇宙線の影響かというくらいだった。口の中の食料を咀嚼しながら、視界の中のインターフェイスを起こして、レーダーを呼び出す。また一瞬のタイムラグ。 違和感を覚えながら、遅れて開いた画面を覗く。けれど近くに、強い電磁波や宇宙線を発しそうな天体はひとつもなかった。「エルマ?」『なあに?』 遅れて立ち上がるウィンドウ。さっきと変わらないエルマの微笑。変わらない、はずの微笑。どこか、何かがわずかに違うような気がするのは、錯覚だろうか。「……いや、君の反応がいつもと違うような気がしたんだ。本当になんともない?」『ええ。少なくとも、自分でスキャニングしたかぎりでは、異常はみとめられないわよ。心配性ね、ウォルフ』 安心させるような、エルマの声。「性格でね。なあ、エルマ。到着予定は、標準暦の十二月十日でよかったんだよな?」『あら、十一日よ。途中で変更があったじゃない。忘れてしまったの? ウォルフ』 驚いて、自分の頭の中を探る。たしかにあった。飛行計画変更の記録。 言葉を失っていると、エルマが心配そうな声を出した。『ねえ、ウォルフ。熱が上がってきているわ。今日は休んだほうがいいんじゃない? 向こう四十八時間はいまのところ、あなたたちの判断が必要になるような状況も起きそうにないし、なにかトラブルがあったら、かならずあなたたちを起こして相談するから』 ぐずる子どもをなだめるように、エルマはいう。その心配げな瞳の上に、一瞬、小さなノイズが走ったような気がした。----------------------------------------「悪魔」「あざやかな球体」「ざらつく」
高速回転する赤と黒の盤を見ていた。カッカッと白い玉が跳ねる度、その軌道は変わり、その玉が落ち着くべき所は未だ定まらない。ありえない。あるはずがない。そう私は繰り返し呟いている。外れる可能性は百万分の一。そこさえ、そのただ一箇所の溝にさえ止まらなければ、全ては上手くいくのだ。 口の中がざらついている。手は強張って小刻みに震え、体中の毛穴から汗粒が沁みだす。人生でただの一度にして最大の賭け。それに私は全てを賭けた。勝率が限りなく百パーセントに近い賭けに、私が掛けられる最大級のものを掛けたのだ。外れるはずがない。しかし、もし外れたら――。 ルーレット盤の後ろに立つ黒衣の男が、私の様子を微笑を浮かべて覗っていた。 余命三ヶ月という意味を考えていた。医師が告げた言葉であり、私の娘の病状に対して告げられた言葉だ。 診察室に呼ばれた時、嫌な予感はあった。私の娘は生れ落ちたその時から特異な病を患い、病院でその人生の全てを過ごしている。小康状態と悪化を繰り返しながら、少しずつ成長していった。娘の九歳という年齢としてはあまりに線が細く、身長も低い。それでも私は娘の成長を心から喜んでいた。その娘の余命が三ヶ月だという。「余命三ヶ月」 独り、病院のロビーにあるソファにうな垂れるように腰掛け、なんどとなく呟いていた。あと三ヶ月の命。では三ヶ月後にあるものはなんだ。娘を残して妻は逝った。娘を頼むといいつつこの世を去った。私はその言葉だけを胸に、働き、病院に通い、娘を励まし、己を励まし、今まで生きてきたのだ。「余命三ヶ月」 また呟く。数十回と呟くと、その言葉の意味が私に重くのしかかってきた。娘が死ぬ――ということではないか。娘が死んで、私は独りになる。独りでどうする? それでも私は生きるのか。何のために生きていく。何のために生きてその果てに死ぬ。娘は何のために今まで闘病してきた。薬の副作用に耐え、味気ない病院食を食べ続け、恋もせず、人生をなんら謳歌することなく、儚く逝くのか。一体娘の人生とはなんだったのだ。私はこれから娘に何をしてやれる。どうやって最期を看取り、どんな顔でこれからその病室のドアを叩くのか。 ソファの向かいにあるテレビがかましく騒ぎ立てている。特産物の紹介をレポーターがしており、美味いだの、なんだのと笑みを浮かべている。その笑みが無性にうっとうしくてたまらず、リモコンの電源ボタンを押そうとする時、私の肩に手が置かれた。 振り向けば五十歳ほどの男が立っていた。黒いコートを着込んだその姿が喪服じみて見えるのは、私が死に敏感になっているせいだろうか。男は快心といえる笑みを浮かべて、ハの字になった口ひげを歪めた。「お困りなご様子ですな」 男がそう言ったからといって、今の私にどんな対応ができるだろう。私は返す言葉もなく、相槌を打つこともうなずくこともなく、ただ男を眺めていた。「あなたのような御人を探していました。どうでしょう、私と賭けをしてみませんか?」 この男は何を嬉々と喋っているのか。私をからかって、一体何が楽しいというのか。いい加減に腹が立ち始めた私が、男の胸倉を掴もうする直前、男が告げた言葉が私の胸を貫いた。「あなたが勝てば、娘さんの命、そう、彼女が平均寿命まで生きられることを保障しましょう」「馬鹿な」「ほう、そう仰る。しかし、藁をもすがる思いでいるというのが、あなたの本心ではありませんかな。信じろといっても無理からぬことではありますが、私にはそれだけの力がある。神や悪魔の類といって良いでしょう。私の姿が見えるのはあなただけだ。自分でいうのもおかしいことですが、私の装いは病院にそぐわない。誰にも止められずここまで来たのが、私がそういった類のものである証です」 無言で男の話を聞いていた私を、黒衣の男は値踏みするように観察している。「では、信じられるだけの力をお見せしましょう。なーに、ほんの子供だましほどのことですよ」 暗転。 男が指を鳴らした刹那、私は暗黒の世界の中にたたずんでいた。周囲にはきらめく光。振り返れば、黒衣の男がそこにおり、その先に、あざやかな球体が見えた。見覚えがある。テレビや学校の教科書で衛星写真として見る、青の星。私がいるはずの星。「少々手を回しておりますので、あなたが真空の宇宙で息絶えることはありません。正確に言えば、あなたの意識をつれてきた」「あんたは一体?」 状況を理解しきれぬままに私が問いかけると、男はクククと笑う。「先ほど申したでしょう。神や悪魔の類です」 信じられるはずはない。だが、私はいったいどう思えばいいのだろう。幻覚? 催眠術? しかし、現に私はこうして大気に覆われた我が母星を見ている。 藁をもすがる思い、と先ほど男は言ったが、それに間違いはない。私はどんなことをしても、娘の命が繋がれる可能性がある限りはそれを為そうと思っている。それが事実であるならば、私はこの男の力にさえすがってみるべきではないのか。「どうやら、私の話を聞く耳を持っていただけた様子。よろしい、よろしい。あなたの願い、条件付きで叶えましょう。その条件とは、私を賭けをすること。あなたが勝てば娘さんの命が保障される。私が勝てば、あなたから賭けた何かをいただく」「一体何を賭ければいい? なんでもいい、金でも、私の命すら」「結構、結構。その心意気やよし、といったところですかな。しかし、私はあいにくそんなものを欲してはいない。私が欲するのは――」 男が指差した先に、青の星、地球があった。「地球を賭けろと?」「ええ、その通り。私にとってはあの星も数あるうちの星のひとつ。あなたにあの星の代表者として、私と勝負していただきたいのですよ」「馬鹿馬鹿しい。そんなことできるわけが……」 話にならない、と切り捨てようとするのを見計らったように、男はある数字を私に告げた。「あなたが負ける確率は百万分の一。勝率は限りなく百パーセントに近い。それでもこの賭けから降りますか?」「どうせいかさまを……」「あいにく、いかさまで手に入れられるなら、こんな面倒なことは致しませんよ。私には長い寿命がありましてね、たまに分の悪い賭けをしてみたくなる。負けるはずのない勝負をするだけで、あなたの最大の願いが叶えられる。それでもあなたはこの勝負降りますか?」 そう言われて私にどう反論できるだろう。娘がいない世界などそもそも私には価値がないのだ。どこまで信じきれるものかわからないが、確かにこの男は特殊な存在で、それに応じた力を持つのだろう。であるなら――。「分かった。その賭けに乗る。どんなことをすればいい。百万分の一でしか負けない勝負とはなんだ?」「そうですね。ルーレットをしましょう」「ルーレット? それでどうやってそんな勝率が約束される?」「ご安心を。特注品を用意します」 そういって男は今一度指を鳴らす。瞬きをしたあとには、そこに巨大なルーレットが現れていた。 東京ドームほどの大きさのルーレットがその円周を私の眼前まで広げて存在している。「ちょうど百万の溝が掘られています。外れとなるのは、この一箇所のみ」 男が指差した先には、緑のみぞがあった。「ルーレットが回転し、あなたが玉を投げ入れる。それが最後に緑の箇所に入らなければあなたの勝ちです。あなたの願いは必ずや叶えましょう。その代わり、万が一にもあなたが敗れた場合は、あの星の命運、私が握ります。どうするかはまだ決めていませんが、さぞかし楽しいことをいたいと考えておりますよ」 私は男の口ぶりに身の毛がよだつものを感じながらも、「分かった。乗る」と二言告げた。「よろしい」 ルーレットが回転を始める。高速回転しており、緑の溝がどこにあったかはもう分からない。白い玉を握りこんだ手が痙攣するように震えていた。それでも負けるはずはないと、渡された白い玉を、ルーレットの中心めがけて投げつけた。「これで賭けは成立しました」 男はおかしくてたまらないといった風にくすくすと笑う。「そういえば、あなた、百万分の一という数字が他にどういった確率として計算されたものかご存知でしょうか?」「知るはずもない」「核爆弾実験の前、その爆発が大気さえも吹き飛ばし、地球上の生命が滅びてしまう可能性を予測したものです。それが百万分の一。大変興味深い。人類の生存と、科学の発展を天秤にかけ、当時の科学者はその賭けにでた。その結果はかれらを生かしはしましたが、仮に並列世界が百万あれば、そのうちのひとつは滅んでいるかもしれないのです」「つまり何がいいたい」「気づきませんか? あなたもそうした類の人だということです。娘さえ助かれば、この星がどうなろうと知ったことではない。ヒューマニズムの真の意味とはなんでしょうな」 私はいつしか汗を掻いていた。負けるはずのないかけ。しかし、その本当の意味を私は考えていたのか。 私は不安に潰れそうな気持ちでいると、ルーレットがその回転速度を緩め始めていた。「さあ、勝つのはどちらかな。ふふふ」 男が何か言うたびに私は息が止まりそうになる。緊張で立ちくらみを起こしそうだった。 ようやく静止に近づくルーレット盤をみたとき――「大丈夫ですか?」 そう声をかけてきたのは、看護婦だった。 ここは? そう思って見渡すと、病院のロビーがあたりまえのように広がっている。「うなされているようでしたから、声をかけました」 そう告げる看護婦の横目に、あの男を捜しても、その姿は見えない。 夢、夢だったというのか? あれから二ヶ月半たって、娘はまだ生きている。心なしか回復しているらしく、その声が弾んでいた。 あの賭けが成立していたとするなら、最後にルーレットにとまったのは緑以外のみぞだったのか。 あと半月たって、娘が亡くなったとき、私は賭けにまけ、さらにこの星の命運をかの男にゆだねたことになる。 私は娘を今日も励ます。あってはならない、あってはならない、と心で繰り返しながら。
柘榴さんにはもう三度も会った。 顔をあわすのはいつも街中の居酒屋で、いつもぐでんぐでんに酔っ払っている。下唇にあけた三つのピアスと金髪のボブカットが印象強い、歳若いフリーターの女性である。 最後にみたのは夏祭りからの帰途。友人たちと別れてから、軽くひっかけるつもりで暖簾をくぐった先に、正体をなくして、やはり、いた。 相席を頼むと掘り炬燵の迎いにすわって「どうも」という。周りにいる三、四組の客はこちらを気にすることなく、なにやらこまごまと話し込んでいる。「お久しぶりです。なにしてるんですか」 柘榴さんの卓の前には、ししゃもと、小ぶりなピザと餃子、それから突き出しのポテトサラダが置かれている。中指に指輪をつけた右手には、なみなみとビールの注がれたジョッキを握って、左手はひざにのせたなにやらまるい球体をやたらになでつけている。大きさはテニスボールくらいだろうか、柘榴さんの掌では掴んで覆いきれるかきれないかわからないくらいだ。「あ?」と柘榴さんがいう。「誰っすか」「お久しぶりです。前にもお会いしたでしょう。柘榴さんから声をかけてきて」 しらないですよそんなこと、といってジョッキをあおる柘榴さんはほんとうにぼくのことをおぼえていないのだ。大して強くもないのに、いつだって前後不覚になるまで飲んでいる。「このあいだもおんなじこといってましたよ。おぼえていないんだ。ひどいなあ」 戸惑った様子の店員に冷酒を頼むと、ほら、といって柘榴さんに説明する。「ええとね、片山さんのライブのときに、池下の飲み屋で……」 あー、あー、あー、とすぐに得心して、怪訝そうだった顔はにわかに明るくなった。「<螺旋階段でキス>のカレだ」「そうですそうです」とぼくは苦笑する。以前会ったときにした、他愛のない与太話だったのだが、どうやら印象に残ったらしい。「きょうはどこかいってたんですか」「そうなの、きょうはねえ」といいかけたところで頼んだ冷酒がやってきた。よく冷えたグラスをもらって、徳利を傾ける。「夏祭りがね、あったでしょう。そこに」「ぼくもね、いってきたんですよ。奇遇ですね」 乾杯、といって、杯に口をつけると、柘榴さんがへらへらと笑いながらいった。「この一声がなあ、悪魔を踊らすのだな」「乾杯が?」「そう、乾杯が」ひどくうまそうに、しかしゆっくりとジョッキをあけてゆく。 柘榴さんの左手はあいかわらず謎の球体をなでまわし続けている。「花火があがってましたね、きょうは」「うんうん。みた、みた。きれいだったねえ」「最後なんてそりゃもうあざやかな……」 球体は花火球とはちがってつやつやと黒光りして、いったいなんなのか得体がしれない。 日本酒はやはり居酒屋らしくどこかざつな味がして、どうも美味いとはいえなかった。しかし汗のかわりに身体のなかへ浸みていくアルコールの心地よさのなんと気持ちのいいことか。「花火なんてひさしぶりにみたね。あんな派手なのもたまにはいいね」 といって柘榴さんは笑った。 居酒屋を出るともう終電も間近だった。「ねえ柘榴さん」「え?」「その丸いやつは、なんなんです?」「これかい?」 柘榴さんは店のおもてでぼくを待っているあいだも、その真っ黒い球体を玩んでいた。「気になる?」「ええ、すごく」「きみはどっちへ帰るんだい」 ぼくが駅の方を指すと、そうか、といって「じゃあこれはきみにあげよう」 柘榴さんは手招きをしてぼくを近くへ呼んだ。「手を出しな」 手渡された球体はずっしりと重く、柘榴さんの体温で生暖かくなっていた。見ためほど磨かれているふうでもなく、むしろ触感はおおいにざらついていた。 しかしいったいなんなのか、矯めつ眇めつしてみるが、やはりわからない。「……なんなんです?」「わからない?」「わからないですね」「じゃあ今度会ったとき、教えてあげよう」「おぼえてないでしょう、また」「そうかもしれない」と柘榴さんは笑った。「ところで、本屋へ寄ろうと思うんだけど、どこかあいているかなあ」「ちょっとないでしょうね、この辺りだと」 そうかい、ごちそうさま。というと柘榴さんはぼくとは反対の方向へふらふらと歩いていった。 それっきり柘榴さんのことは見かけていない。 柘榴さんからもらったものの正体もまだわかっていない。もやもやした気持ちはかわらないまま、いまもそれは肌身離さずもちあるいている。
> HONETさま これ、なんか変に好きです。クセになりそう。シュールで不気味なんだけど、スズキさんのくだけた方言の口調が妙にコミカルで、そこがちょっと気が抜けるような、かえって不気味なような、そのバランスが好きだなって思いました。> 沙里子さま いいですねー! チャットでもちらっと言いましたけれど、沙里子さまの文章って、美しいというか、文学の香りがします……嫉妬! 小さな小さなつくりものの心臓の手触りが、しばらく頭の中にのこりそう。イメージ力っていうんでしょうか、かなり本気で羨ましいです。 今後はときどき昼間にもやってみたいです。また一緒に遊んでくださいね!> 片桐さま 普通にドキドキしながら読んでいたのですが、チャットで、賭けの前提を逆にすればよかった(緑の溝に入れば、娘が助かり、そのかわりに地球が男の手に落ちる賭け)と仰っていたのを見て、感動しました。たしかにそのほうが、男にとっては強烈なジレンマですよね。そうか、面白いストーリー作りってそうやるのか、という感じ。み、見習いたい……!> 夕凪さま む、読解力のない身には、少し、話の前後関係や脈絡が掴みづらかった感じです。読み手に親切な作品が、かならずしもいい作品というわけでもないので、よけいな差し出口かもしれませんが……(汗) それはそれとして、独特の味のある文体が書ける方ってうらやましいです。> 端崎さま かなり好きですこの作品。柘榴さんのサバサバしたようで謎めいたキャラがいいですねー。 かなり謎が残ったままの思わせぶりが、物足りないような、かえって味があるような。ともかく楽しく読ませていただきました!> 反省文 うー。設定倒れというかなんというか、うまいオチがつかなったです。
>HONETさま結局スズキさん家って何なのでしょうか……動植物園?とにかくシュールですね。こんな家、実際近所にあったら楽しそうな気もしますが。>HALさまさすがの文章力ですらすら読めました。終わり方がすっごくもどかしいです。これから何か不穏なことが起こるような気配。続きを読んでみたいです。>片桐さま内容はもちろん、その文量に圧倒されました。オーバーされた時間を考えてもすごいです、本当に羨ましい。物語も濃密ですね。ストーリーの流れ作りも見習いたいです。>夕凪さま私の読解力不足が原因なのか、理解できなかったです。ところどころに挟み込まれている古い言葉が何かの鍵なのかなーと思ったりして。色々と申し訳ないです。>瑞崎さま柘榴さんかっこいい!口調とかいいですね、大好きです。結局、黒い球は何だったのでしょう。読み終わったあとも謎が残りました。>自作段落修正のため、一度編集しました。すみません。内容、ところどころ破綻してますね。そもそもカーボンって切れるの?台詞も不自然です。自然な会話を書けるようになりたい……
>>拙作 基本一ネタに時間をかけるタイプだけに、1時間で間に合わせるってのがどうも苦手です。 お題の扱いも雑で、ちょっといただけない出来ですね。反省反省。 ちなみに、同じ木からリンゴと梨が成ることは実は本当にあります。私も最近知って驚いたのですが、接木によって1つの木から両方の果実を実らせることが出来るようです。 さらにちなみに、フクロウとミミズクの違いは、耳のように見えるものがあるかないかです。あるほうがミミズク。 どうでもいい雑学でした。>>沙里子さん 実ははじめましてですよね。確か。はじめまして(遅っ) 生と死の大きな物語の一部って感じですね。微生物好きとか、いいキャラしてます、ユウくん。>「左心房と右心房を隔てる弁を、例えば取り払ってしまったらあたしたちは死ぬ」>「魚なら生きていられるのにね」 なんて会話があるとより知的にっ(ならないかもしれませんが)>>HALさん いったい何が「インストール」されたのでしょうね。さらりとSFが考えられるような脳が欲しいですね。というか何でこんなに文章が書けるのでしょう。さらさらと書けるのがうらやますぃ。>>片桐さん 心配を余計に背負い込んで、もはや娘のみに集中できていないラストがとっても人間的でグッド。しかし皆さんよう書けますなぁ。やはり私は一時間には向いてないなぁと改めて思いました。何この感想。>>端崎さん 方向性が若干似てる? 柘榴さんって名前もいいですね。名前ある登場人物が一人だけなら特徴的なほうが味わい深くなるのかな。
>>HONETさんだめだやられたー。不思議な人がいらっしゃるのは不思議な空間。夕飯がしば漬けっていうのもなんかくすくすできます。ぐぬぬーん。>>沙里子さんなんてクールで知的でティーンな感じの会話なのでしょう。ボルボックスなんていうぼてっとした単語がうつくしくみえるこのバランス感覚。うまいなあ、いいなあと思います。>>HALさんさくっとSFが書けててオチがあって幕引きがこーわーいーのでもうだめですぼくはしにました。エルマ、って名前かわいいですね。エルマ。>>片桐さんなんかすごい不安になります。うひいいどうなっちゃうの運命みたいな。文章量もさることながらこのなんかちゃんと展開がある感じすごいなーと思います。ぜんぜん自分ではわくわくする話が思いつかない……うらやましいです……。>>夕凪さんおつかれさまです。>>端崎さんゴミカスおーつ。