Re: ぼんくらぼんくらゆくんだよ ( No.1 ) |
- 日時: 2011/09/12 04:01
- 名前: 端崎 ID:rPaqhxaM
サッカーボールがてのひらのなかにあって、かわいい。 夏の夕暮れが近づいてきていて近所のちいさい子どもたちがよく響く笑い声と足音とを残して通り過ぎてゆく。西にひらいた窓にむかいながらベッドに腰掛けてそれをきいている。 人差し指で親指の横腹を掻くと、やけに薄皮が剥ける。 風がよく吹いている。納涼祭は水辺の公園でひらかれるから芝のうえを歩きまわるのは気持ちがいいだろうな、とおもう。むかし飲んだサイダーの手にべたべたしてくる感じと、あまったるい匂いをなつかしくおもう。
時間の流れが振子であらわされる。 即ち、僕らは歩く時の腕の振りに気をつけなくちゃいけないんだ。 時間を置き去りにするとろくでもないことになんぜ、と案山子の爺さんが言う。 案山子の爺さんが置き去りにしてきたものは時間だけじゃない。夢のなかに大事な言葉を落っことしてきちまうこともある、と諭すようにしていう案山子の爺さんは脚をなくした場所だけをおぼえていない。 稲穂の揺れに注意しろ、と爺。 夏は小さく揺れる。秋が来ると大きく揺れる。それが時間の流れなのだと。 忘れっちまうと自分も忘れられるのだ。
海と平行に歩くと、砂浜と道路の境目、砂利に生えた青草がやけに不思議に思える。 「生まれた時からずっと一緒なんだ」と年代物のボックスカーを愛する男。 車には民族楽器が満載されていて、一人の悪垂れがディジュリドゥをシュノーケルにして海へ飛び込んだ。 潮騒は寄せては返す。 貝殻を軽薄そうな青色をしたサンダルで踏みつけながら煙草をくゆらせる。故郷の景色のなかにこんな眺めがなかったかどうかが気にかかるのだ。 開け放しのトランクに砂混じりの風が吹き込んできて、楽器は確実に傷んでゆく。 つまみあげて落とした砂粒は落下の速度に耐え切れず急速に劣化して音もなく砕け散った。
天狗茸の裏庭は向日葵畑だ。今年も放射能がようけ獲れるでな、と親父さん。 焼留するための竈はまだ燃えてはいけないのかと、日に妬かれてカッカしていた。 親父さんには遠くに残してきた娘さんと奥さんがいて、嵐が近づく時節になるときっと思い出すのだという。 二百十日は親父さんがそわそわしだすので、夏につかった竈の始末をほっぽりださないよう、つばの隙間に暮らしている芋虫のおばあさんが毎年釘を刺す。
この歳になると自分が緩慢に生きているのかそれとも生き急いでるのかわからなくなる。この季節になると、やたらめったら自分が子供のような気がして、わからなくなるのだ。 海と山の間を、うねって接いでいるこの村ではその感覚が余計に強くなる。 保存しておいたラムネのビー玉を口に含んでみる。 サイダーの甘さが、辛い歳になったのだ。 庄屋の脇を流れる川の底の砂利の来し方を、口のなかでビー玉を転がしながらふとおもう。湿った硬い土の上を踏みしめながら歩いていると、奥歯にかちかちとあたる硝子の感触が故郷にいながらにして郷愁を誘うのだ。それはむかしあちこちを渡り歩いた自分の遍歴をおもいなおすことに、つながるのだろうか。それともこれらはどれもこれもただの感傷か。 橋をいくつも横ぎりながら流れにそって歩けば海のにおいが濃くなってゆく。
村の生活に飽いた若者が、真っ赤な単車で目一杯のスピードをあげる。 うねる道を、揺れ続けることで走りぬけていく。しかし時間は追いついた。 少年の顔は老け、吹き付ける風に衰えた体が浮き上がる。 単車もまた、畳む様に崩れ、両者は道を外れて海に向かって跳んでいった。
時間の流れが振子であらわされる。 舌の上にビー玉を乗っけて、べー、と出す。 ビー球にはサッカーボールのような六角形の模様が浮かぶ。 じっと見つめて、また口の中で転がすと、遥か昔のサイダーの味が蘇る。
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