ツイッター上でリライト企画が盛り上がっていたのが楽しかったので、こちらでも提案してみようという、堂々たる二番煎じ企画です!(?) 今回はひとまずお試しなのですが、もし好評なようでしたらもっとちゃんと企画として考えてみたいなあと、漠然と考えています。----------------------------------------<リライト元作品の提供について> 自分の作品をリライトしてもらってもいいよ! という方は、平成23年1月16日24時ごろまでに、この板にリライト元作品のデータを直接貼り付けてください。* 長いといろいろ大変なので、今回は、原稿用紙20枚以内程度の作品とします。 なお、リライトは全文にかぎらず、作品の一部分のみのリライトもアリとします。また、文章だけに限らず、設定、構成などもふくむ大幅な改変もありえるものとします。「これもう全然別の作品じゃん!」みたいなこともありえます。* そうした改変に抵抗がある方は、申し訳ございませんが、今回の作品提供はお見合わせくださいませ。 また、ご自分の作品をどなたかにリライトしてもらったときに、その作品を、ご自分のサイトなどに置かれたいという方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんが、かならずその場合は、リライトしてくださった方への許可を求めてください。許可してもらえなかったら諦めてくださいね。 あと、出した作品は絶対にリライトしてもらえる、という保障はございませんので、どうかご容赦くださいませ。----------------------------------------<リライトする書き手さんについて> どなた様でも参加可能です。 こちらに提供されているものであれば、原作者さんに断りをいれずに書き始めていただいてけっこうです。* ただし、作品の冒頭または末尾に、かならず「原作者さま」、タイトルを付け直した場合は「原題」を添えてください。 できあがった作品は、そのままこの板に投下してください。 今回、特にリライトの期限は設けません。* 書きあがった作品をこちらのスレッド以外におきたい場合は、原作者様の許可を必ず求めてください。ブログからハイパーリンクを貼ってこの板自体を紹介される、等はOKとします。----------------------------------------<感想について> 感想は任意です、そして大歓迎です。* 感想はこのスレッドへ! リライトしてもらった人は、自分の作品をリライトしてくださった方には、できるだけ感想をかいたほうが望ましいですね。 参加されなかった方からの感想ももちろん歓迎です!
この作品が他の方が書くとどうなるか楽しみです。下手くそな作品ですがよろしくお願いします「孤高のバイオリニスト」(字数800字程度)歌が聞こえる。誰かが歌う歌が。どこか儚いその歌は、でも優しく響く。僕は引き寄せられるように、誰かの下へ歩く。涙流す彼女がそこに。どうして泣いているの?何があったのだろう?悲しいことがあったのか?それはわからないけれど。僕が出来ることは一つ。「涙を拭いて」って。差し出す青いハンカチ。あなたは勢いよく顔をあげ、そしてまた泣いた。「あの人がいなくなったの」震える声で言う。「私はどうしていいのかわからないから歌うだけ」「あの人が、一番好きだったこの曲を聞いたらきっと戻ってくると思って」僕は彼女の横で、ドサリと荷物を降ろす。「歌だけじゃ淋しいよ。だから僕が奏でる」取り出したバイオリン。肩に担いで言う。「さあ、あなたが歌わないと。その方には聞こえませんよ」と。バイオリンの音色。それに乗って響く歌は、世界中に響いた。彼女の思いも共に。いつまでも、いつまでも。僕達は止めなかった。彼女の待つ人が、帰ってくると信じて。そして、ある日。彼女の顔が綻んだ。待ち人はついにやって来て、彼女を抱きしめた。僕は、そんな彼女らを見て、そのままそこをあとにする。まだまだ僕の道は永いから。僕はまた歩き出した。彼女が気付いた時、バイオリニストはもういない。青いハンカチと、笑顔の彼女らを残して。バイオリニストはどこまでも。世界を巡り奏で歩く。彼の生きる時間は、まだまだ永いから。孤独を背負いながら、彼は誰かを笑顔にしていく。今もどこかを歩む、孤独のバイオリニスト。――――――――――――――――――――――――――――――――――「ノワール・セレナーデ」(字数5000字) 雨が降る。俺はそんなのはお構い無しに懸命に走った。冷たい雫が全身を容赦なく叩く。辺りは夜の帳(とばり)に包まれ、静かに寝息を立てている。そりゃそうだ。今の時刻は深夜なのだから。・・・ん?『そんな時間になんでお前は傘も刺さずに出歩いているのか?』って。それは・・・、「うおっ!!!」ビチャリ。水浸しのアスファルトに足を取られ思わず転んでしまった。「く、くそ・・・」悪態をつこうとするが、そんな暇は無い事に気付き直ぐ様立ち上がり走り出そうとした。「そろそろ、死んでくれよ。小僧ううううううう!!!!!!」その瞬間、俺の左側の壁が弾けとんだ。「うあっ!」アスファルトの上を転がり横へと逃げる。「くっそおおおおお!!ちょこまかとうるせぇやつだ!!!」 こいつだ。俺がこうして真夜中の雨中マラソンをしている理由の一つは。 ―ディグラフ―かつては人の魂であったモンスター。幽霊・・・って言った方が分かりやすいかもしれない。まあ、その姿はおおよそのものとは全く違うが。 人型なのだが全身が角張っていて目は縦向きに一つ。口は大きく裂けていて青白い二股の舌が一本、手には三本の指が(ロボットのようなものだが)生えていて、足には指が無く靴のように爪先が丸い。あと、鋭い棘が無数に付いた長い尻尾まであったりする。ほら、俺がモンスターって言った理由がわかっただろ?「おらあああああ!!!」 俺目掛けて尻尾を振るうディグラフ。またもアスファルトの上を転がり回避。そして、立ち上がり走る。 おわかりだろが俺はコイツに襲われているからこうやって逃げている。というと大体は『何故襲われているの?』となるだろう。それは簡単だ。俺にはコイツが見えているから、である。 ディグラフってのは幽霊みたいに見える奴と見えない奴がいる。で、ディグラフは見える奴だけを襲い捕食しようとするんだ。何で見える奴だけなのかってのは、「あーーーーーーもう!!!めんどくせええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」 気づいた時には遅かった。がしり、と頭を鷲掴みにされうつ伏せに地面へと押し倒される。横を向いた事でかろうじて顔面から地面に落ちることはなかったが状況は最悪だ。「いい加減、飽きたぜぇ?」じゅるり、という舌なめずりの音。三本の指の間からギョロリと俺を睨む一つ目。「ちっ・・・」「さぁてー・・・、どこから喰らおうかぁ?」くそっ・・・。あいつは、まだ来ないのか!?あいつが来れば・・・、「やっぱりぃ・・・、頭からガリガリいくのがうまいかねぇ?」「お、俺が知るかよ!」「おおぉ、そうかぁ。じゃあ、教えといてやるよぉ・・・。頭から喰うのってよ、最高にうまいんだぜぇ。・・・恐怖で泣き叫ぶ声が聞けるからなあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」 大口を開けるディグラフ。『これまでか・・・・・!!!』と観念したその時だった。「よくやった。褒めて遣わすぞ、城戸(きど)」 凛とした声が闇夜に響く。いつの間にか雨は止んでいた。いつもなら偉そうな態度に悪態をつくところだが今回ばかりはそうもいかない。「へっ・・・、そりゃどうも。待ち草臥れたぜ、緋和(ひより)」 雲間より現れた月は彼女を照らした。・・・あいつこそが俺がこうやって『ディグラフを引きつけて逃げる』ことになった理由を作った奴。そして、俺にディグラフとは何かを教えてくれた者。「お主が早過ぎるのだ。そして、ちょこまかと動きすぎる。おかげで場所が特定しづらかったではないか」「何だぁ?もう一匹いたのかあ?」「最初からの。まぁ、とりあえず・・・」ズシュッという音と共に頭を抑えていた力が消える。「その汚い腕をわしのペットからどかせてもらおうか」 一瞬の煌き。銀光が走りディグラフの腕は吹き飛んだ。「ぎぃやああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」悲鳴を上げ、のた打ち回るディグラフ。その傍らからゆっくりと歩いてくるのは紺色のセーラー服に身を包んだ白い長髪に紅眼(こうがん)の少女、緋和。「ちょっと待てよ。誰が誰のペットだって?」「・・・早く立たぬか、愚図」「愚図・・・!?」「ペットでなければ愚図じゃ。全く・・・、死にそうだった所を助けてもらったのに礼も無し。それでいて少々の事で声を荒げるのか?」「うっ・・・。・・・ありがとうございます」「うむ、それでよい。まぁ、今の礼で愚図とペットは取り消すとしよう」 緋和はゆっくりと振り返る。見据える先には未だにのた打ち回っているディグラフ。「痛えええええええええ!!!!!痛えよおおおおおおおおおお!!!!!」「ふんっ。わしらを襲った当然の報いじゃよ」「くそっ!くそっ!!!くそおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」激昂と共に緋和に襲い掛かるディグラフ。しかし、ディグラフが緋和に近づくことは無かった。何故ならば、「ノワール・コルディア」銀色の光が瞬いた。次の瞬間、緋和とディグラフの間には頭に王冠を乗せた八本腕の骸骨がいた。―『深淵王』(ハデス)、と呼ばれるその精霊はそれぞれの手に持っていた銀色の死神鎌(デスサイズ)を振るいディグラフを切り刻んだ。「なっ・・・!!!」「お主のようなものと抱擁する気などないわ」 『ノワール・コルディア』。それは、『闇夜の姫』(ノワール・プリンセス)紀雅(きが) 緋和が従える闇の精霊を召喚する魔呪。いきなり闇の精霊とか魔呪とか言われても分からないだろう。順を追って説明しよう。 緋和は、最古の呪術師の家系『紀雅』の第三十一代目当主予定者だ。紀雅家は古来より悪霊や怨霊、妖怪などを討伐することを生業としてきた。時代が移り変わろうともその存在は消えず逆に分家を増やし何時如何なる時代においても様々な魑魅魍魎を倒し続けてきた。そして、それは現代においても続いている。そう、現代の魑魅魍魎こそが『ディグラフ』と呼ばれるものである。 ディグラフの危険性はさっき言った『見える者を襲う習性』だと思うだろうが、実はそれだけではない。ディグラフが見える者を襲うのは『見えない者を襲えない』からなのだが、自分が見える者を襲いその魂を喰らうことによってディグラフはその存在が見えない者でさえも喰えるようになる。これが一番面倒で一番恐ろしいものだ。 倒すには普通の御祓いなどでは無理である。だからディグラフを退治しているものは様々な呪術を使う。緋和の場合はそれが『魔呪』と呼ばれる特別な術で『西洋魔法』と『東洋呪術』を組み合わせた祖母から受け継いだものらしい。魔呪は様々な精霊を行使し敵を攻撃する魔法の特徴と敵を討つのではなく敵を祓う呪術の特徴を持ち合わせている。緋和の使う闇の精霊は彼女が契約したものであり、その精霊が扱う銀の銀色の死神鎌こそが呪術により作り出したディグラフを祓うものらしい。「体が消エるウウウウ!!!!オレノカラダガキエル!!!イヤダ!イヤダ!!イヤダアアアアアア!!!!!!!」「無様なものだ。・・・元は人だったはずが、闇に呑まれ獣となるとはの」「イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!!!!!」「・・・・・。もう、よいのだ」『深淵王』が死神鎌を振り上げる。「お主の罪はわしが祓おう。安らかに眠るがよい。いつかまた、この世界に生れ落ちるまで」振り下ろされた死神鎌はディグラフを真っ二つに裂きディグラフは銀色の光に覆われて天へと昇っていった。「出来れば、次は真っ当に生涯を過ごすのだぞ」緋和の呟きは、夜風に流され俺の耳に届いた。緋和はやはり口は悪かろうと優しい奴なのだ、と思う。 月光が眩しい。「へっ・・・くしゅん!」「何じゃ、くしゃみなどしおって」「しかたねぇだろ。あの雨の中、走り回ってたんだから。・・・ってか、お前は何で濡れてないんだ?」「濡れるわけなかろう。わしは精霊の力で闇を纏っておったからの。姿も見えなければ存在自体も隠せるものじゃ雨になど濡れぬよ」「ちぇっ・・・、反則的な力使いやがって・・・」「お主のようなただディグラフが見えるだけの者ではないからの」「あ、そういやさ。ディグラフで聞きたいことがあるんだが」「何じゃ?」「人の魂はどうやったらディグラフになるんだ?」「・・・・・」「さっきの口振りだと真っ当に生きるとか何とか・・・」「ディグラフは、主に自殺した人の魂の成れの果てじゃよ」「!?・・・自殺者の魂?」「主に、だがの。キリスト教だかの教えでもあるじゃろ。自ら死を望んだものを神は救わない、とな。そして、仏教においても自殺とは輪廻・転生の流れより逸する行為である、とされておる。それらは本当のことなのじゃよ。そうして、生と死の流れより外れた者は苦しみディグラフとなり、新たな生を求めて人を喰らうのじゃ」「・・・・・」「しかしの、それは新たな苦痛を生むだけじゃ。喰らい続けたディグラフに待っておるのは、死などではない。消滅のみじゃ」「消滅・・・。それが、ディグラフの最後なのか」「・・・わしはの、ディグラフを狩るのは人を守るだけではないと思っておる」「え?」「ディグラフを狩るということは、すなわちディグラフを救うことではないかと思う。・・・自ら死を望んだくせに、自分勝手な生を望んで人を殺戮するなど許されることではないのはわかっておるがの。それでもわしは、人を守りディグラフを救いたい。だからこそ、ディグラフを祓い続けていこうと思っておる。何があろうとも、の」 そう言った緋和の横顔はいつものような自信に満ちた顔ではなくどこか不安げだった。それはそうだろう。その考えは異端だ。少なくとも祓うことなど考えずに人を守るためだけにただただディグラフを狩り続けている奴がほとんどなのだ。 何故、誰かを殺したものを許さねばならないのか。救わねばならないのか。そうやって追い詰められるのが目に見えている。でも・・・、「・・・・・」「・・・・・」「緋和」「・・・何じゃ?」「俺はお前の考えの方が好きだぜ」「・・・・・」「貫けよ。何を言われようとも、な。それが、お前なんだから。・・・もし、お前が挫けそうになったら俺が支えてやるからさ」「・・・・・ふんっ・・・・・。お主などに支えられるものか。わしはわし。自分の道くらい自分で歩むわ」 二人並んで歩く。照り輝く月の下で。ちらり、と見た緋和の顔からは、不安げな表情など消えていた。
彼は一昨日死に、彼女は明後日生まれようとしている。 コウキは一昨日死んだ。交通事故だった。今はコウキの魂だけが、天まで伸びる自動階段に乗っている。 登りと下りがある自動階段のうち、コウキが乗るのは登りの方だ。自らの足で――もう肉体はないにしても――登ることは出来ないらしく、ただぼうっと佇んで宙に架かった自動階段が進むのを待っている。 機械仕掛けかどうかも分からない白い階段は音もなく動き、手すりさえないから、ともすれば危険な代物に思えるが、魂だけの存在の乗り物と考えればどうということもない。世界中の死者の魂がこの自動階段で向こうの世界に登っているだろうに、コウキが前後を見渡しても、それらしき人影は登りの自動階段にはない。それはおそらく自動階段があまりに長く、多くの死者の魂を乗せてさえなお、死者たちの魂は点々とのみ存在することになるからだろう。 コウキが出会うのは、寄り添うもうひとつの階段を下っていく魂――つまりはこれから生まれようとする魂たちだ。生まれ変わる命の源というべき存在が、数十分に一度コウキとすれ違う。見た目はまだ前世のままの姿をしていて、老人だったり子供だったりと様々な容姿の男女が、新しい命として生まれるため地上世界へと下っていく。 コウキは彼らとすれ違う時、小さく会釈のみをする。すれ違う人全てがそうするから、自然と自分も倣うようになったためだ。色々聞きたいこともあるが、すれ違う一瞬では詳しい話など聞けそうもない。それが礼儀なのだと割り切って、自らを流れに委ねるよりなかった。 自動階段に乗ったコウキにとって、二度目の夜が来ようとしていた。 ちぎれ雲ひとつない透き通った青空が、あまたの星々を散りばめた暗幕にくるまれていく。生前とひとつ違うことと言えば、空に浮かぶ月がやたらと紅いことだ。爛々とした紅い輝きが、寄せては返すさざ波のように、濃く、薄く、そして濃くとその色を染めなおす。月が紅いのはコウキが生前と違った世界に踏み込んでいるからか、それともコウキが死んでいるからか、コウキには分かりようもない。下っていく人々に会釈をする以外は、紅い月を見ながら、ぼんやりとした頭で地上世界に思いを馳せていた。コウキは建築資材を運ぶ大型トラックに轢かれて死んだが、運転手を恨む気持ちはすぐに失せた。むしろ運転手の今後の人生を思うと、幾らかの同情を覚えるほどだった。コウキが気になるのは、やはり残して来た家族と、特別仲の良かった友人たちを悲しませたことだ。下っていく者に、何かしらの伝言を頼もうとも考えたが、彼らの魂が別人として転生するなら、何を頼んだところで忘れ去られてしまうことになるだろう。 結局どうすることも出来ずに、コウキはただただ自動階段が目的地まで着くのを待っている。 何も起こらないはずの長い旅。しかしそんな中でも、コウキにとって、心を揺さぶられる出来事がこれから起きる。 それは七分間の出来事だった。 自動階段を下ってくる人影を、コウキはぼんやりと見ていた。細身のシルエットが星明かりにをうけて浮かび、やがて近づいてくると青地のブラウスを着た女性をだと分かった。そしてコウキが内心、かわいい女性(ひと)だなと思いながら、軽く会釈をし、丁度彼女とすれ違うかどうかというところで、自動階段が音もなく停まった。「あれ? 故障?」 コウキは自動階段に乗ってから久しぶりの声を上げた。「困りました。どうしたんでしょうね?」 彼女も自然とそうこぼす。 そんな二人に空の彼方から中性的な声が響いてくる。『ご利用の皆様にお知らせします。ただ今、当自動階段は定期検査を行っております。数分間の停止が予想されます。お急ぎの皆様にはまことにご迷惑をおかけいたします。繰り返してご利用の皆様にお知らせします――』 「珍しいことなのかな。お急ぎと言っても、俺は構いはしないんですが」 コウキが独り言のように、しかし彼女に語ったともとれるように言った。「わたしも、急いではいません。もっとゆっくりでもいいくらい」 コウキが自動階段に乗ってから、初めて成り立った会話。それが少し嬉しいことに思えて、何気なくコウキが彼女に見、それぞれの視線が向かいあったとき、二人は瞳を大きく見開いた。コウキはあるはずのない自分の胸がキュッと締まる感覚を覚えた。鼓動が高鳴ることはもうないが、それでもうちの何かが盛んに騒ぐ。「あの、どこかでお会いしたことありませんか?」 コウキが言うと、彼女はとっさに肩を一度弾ませた。柔らかそうな栗色の髪がさわと揺れた。「わたしも、そう、尋ねようと思ったんです」「きみも?」「ええ、どこかで会ったことがあるなって」「俺は武本コウキ」「わたしは丹羽ミキ」 ミキの名を聞いて、コウキは自分の記憶を辿っていくが、それらしき人物にはさっぱり思い当たらない。「ごめん、わからないや」「そうですか。わたしもです」 それだけ言って、二人は次ぐ言葉を失った。それぞれ手持ち無沙汰にあたりを見渡すが、今は夜、話題になりそうなものは見当たらない。しかしお互い気にし合っていることは間違いなく、二人して何から切り出したものかと必死に言葉を探していた。「俺、一昨日交通事故で死んだんです」 ようやく切り出したコウキの言葉がそれだった。出来るだけ神妙にならないよう、気軽に言うことを心がけた。「あら、ご愁傷さまでした。痛かったですか」 ミキが弔いの言葉を口にした。彼女としても死んでいることには変わりなく、不可思議な会話とも取れるが、その表情にからかいの色は一切ない。「いや、一瞬だからどうということも。はは、気づいたらこの変な階段を登らされてました」「そう、良かった、っていうのはおかしいな。不幸中の幸いでしたね」 ミキもあくまで軽快な調子で話すコウキに合わせたのか、おどけた様子を見せた。「ああ、それ、それです。俺って変なところで運が良いんですよ。あれ、この場合は運が良いとは言わないか」 コウキが頭を掻くと、ミキは楽しそうにお腹を抱えて笑った。和やかな雰囲気が一段落すると、ミキが静かな調子でつぶやく。「じゃあ、わたしは明後日かな」「何がですか?」「生まれるのが」 ああ――、とコウキは息を漏らす。「そうか。俺が二日来た道をこれから行くわけだから、明後日生まれることになるんですね」「ええ」「おめでとうございます」「ありがとう。でも、今はあまり嬉しくはないんです」「どうして?」「だって不安じゃないですか。誰でもない全くの別人になるんですよ。もうわたしでいられるのはあと二日だけ。考えても仕方ないことだけど、考えられることはこれくらいしかないし」 コウキは曇ったミキの表情に胸を痛めるが、転生という想像もつかない出来事を迎えようとする彼女に対し、声の掛け方がわからない。再び辺りを覆った沈黙を破るため、コウキは気分を変えて、ミキに別の話題をふることにした。「俺がこれから行くところはどんなところですか? まさか地獄だったりは――」「フフ。そんなそんな。大丈夫、静かなところです。天国っていうほど優雅な感じではないけれど、ゆったりと過ごせるところだから」「へえ、そりゃいいや。そこで何をするの?」「見る、かな」 ミキの言葉にコウキは首を傾げた。「何を見るの?」「あなたがいた世界を」「見るだけ?」「うん、ずっと見ているの。わたしは二十年くらい見続けていた。そしてある日、気づいたらこの階段を下っていたの」「それってかなり退屈じゃないかな。ぼんやり眺めるってのは、たまにはいいけど、ずっと長く、それも二十年にもなれば――」「確かに退屈なことかもしれない。でもわたしは嫌いじゃなかった」「どうして?」「特に理由があるわけじゃないんだけど、長かったようで、長くもなかったようにも思うから。ああ、世界はこんな形と色をしているんだって」「へえ、俺にもわかるかな?」「うん、きっとわかる」 コウキが、そうかなあ、と呟いていると、ミキがこらえきれないように笑い出した。コウキは不思議に思ってミキに尋ねる。「どうかした?」「だって、変じゃない?」「変?」「わたしたち、会ったばかりなのに、妙に打ちとけてるから」「ああ、言われて見ればそうだね。親戚の孫が俺だとか?」「うーん、そういう感じじゃないなあ。もっと別の感じ」「だよね。俺も言いながらそう思った」 ミキも、だよねと囀くように言うと、彼女はおもむろに夜空に浮かぶ紅い月を見上げた。コウキも自然とそれに倣う。コウキがこの二日間ひたすらに見上げていた月だ。「ねえ、どうしてあの月は紅いの?」 コウキは長らく疑問に思っていたことを口にした。答えがあるなら知りたいと思っていたが、今は何よりミキならどう思うかが知りたかった。「命の色だから」「命?」「うん、尽きた命と生まれる命を見守ってるの」「へえ、難しいな」「わたしにもよく分からないんだけど、死ぬことも生まれることもきっと同じくらい大切なんだってそう思うの。うまく言葉に出来ないけれど、あそこで過ごした二十年で分かったような気がする」「大切かあ――」「うん」「――きみが言うならきっとそうなんだろうね」 そんな言葉に照れたのか、ミキははにかんだ。紅い月明かりを受けたミキの表情が、かすかにその色を深めた。 コウキははっと息を呑む。一瞬意識が揺らいだ後、絶対に解けないはずの数式の答えが電撃とともに去来したように、強烈な衝撃がコウキの魂を打った。「聞いて欲しいことがある」 そう切り出したコウキの表情は固い。強張った頬が震えると、唾をゆっくり飲み込んだ。「おかしいな奴だって思ってくれてかまわない。だけど聞いて欲しい。ずっときみに伝えたいことがあったんだ」 どこか苦しそうにも見えるコウキに心配そうな表情を見せながらも、ミキは深く頷いた。「俺はキミが好きだよ。俺はずっとキミが好きだった」「え?」 ミキは驚きのあまりそう言うよりなかったのだろう。それでも言葉の意味するところを、自分なりに必死に掴もうとしている。 コウキは自分でも止められない激しい想い、けれど真摯な想いをゆっくりと言葉にしていく。「何十年も何百年も、いや、何千年も前からキミのことが好きだったんだと思う。ずっと片想いをしていた。いや、思ったんじゃない。分かったんだ」 それを聞いたミキが、あっ、とつぶやくと、突然涙を浮かべ、次いでそれが頬を伝っていった。「わたしにも分かった。わたしたちはここを何度も何度もすれ違っていたんだね。生まれるあなたと死んだわたし、死んだわたしと生まれるあなた。どちらか一方の世界で一緒に過ごしたことはないけれど、こうしてすれ違う度、お互いを意識していた」「お互いを?」「ええ、わたしもあなたを想っていた」 コウキもそれを聞くと、あふれだす涙を抑えられなかった。自分が死んだことにさえ感情をあらわすことはなかったが、自分という存在そのものを遥か昔から想ってくれていた誰かがいたという事実が堪らなく嬉しく、熱い涙を垂れ流した。嗚咽にむせかえりながらもコウキは言葉をつむぎ出す。「ねえ、約束するよ。俺は、きみをずっと見守っている。君が違う誰かになってしまっても、俺とは違う誰かを好きになっても、俺は向こうの世界から、ずっときみを見守っている。きみが悲しいときは俺も泣く。きみが楽しいときは俺も笑う。そう、約束する」「ありがとう」 二人は自然と右手を伸ばしあい、二本の小指を絡めた。「こうやって人間って、命って、続いていくのかもしれない。死んでいく誰かが、生まれていく誰かを見守って」 コウキは笑顔を浮かべてミキに言った。胸がたまらなく熱い。「わたしも、あなたが生まれるときは、あなたをきっと見守るから。すべてを忘れてしまう日が来ても、わたしたちはきっと思い出せる。そしてまた指きりしましょう」「ああ、何度でも。だって俺たちは――」「うん、何度でも。だってわたしたちは――」 二人が同じ言葉を口にした時、七分間停止していた自動階段が動き始めた。それに気づくと、二人は最後にもう一度だけ小指に力を込めて握りあい、そしてゆっくりとそれを解いた。 コウキを乗せた自動階段が昇っていく。やがてそれを下る時が来るとして、それまでの時間が長いか短いかは、彼女の人生で決まるだろう。彼女が生き続ける限り、彼は彼女を見守るだろうから。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 読み返すと、自分でリライトしたい気分にもなりましたw。どんな風に変わってもまったく問題ありません。ご興味をもたれた方、出来の悪い子ですが、かわいがってやってくださいませ。
ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。そのきらきらと輝く光に溺れてわたしは浮いたり沈んだり、ぷかぷか気楽にただよっていた。流れてきたくらげがくらくら笑って、その愛らしさに思わず抱きしめたいくらい。 あの子は電灯の下、そっとたたずんで、わたしが名前を呼ぶと手を振ってくれる。肩の上で切りそろえた髪がちいさく揺れて、そのかわいらしさに思わず抱きしめたいくらい。 ふいにぽちゃん、と音がして視界の端に魚が一ぴき飛びはねた。ピラルクーの身体に、きれいな女の人の顔。「やあ、アルバート・フィッシュだ」 おおきい。とても大きかった。わたしの身長と同じくらいあった。その長い胴体に手を伸ばすと、指先の隙間をすっと通り抜けて、だまし絵みたいな光景がただただ楽しい。抱きしめようとすると、跡形もなく消えてしまって、いったいどこに行ったのやら。「ねえ」 と声がして振り返ればあの子がいる。上を指して、「行こうよ」 わたしは笑って、うなずいて、飛びついて、抱きしめて、腕の中にはたしかな体温があって、ぬくぬくとして柔らかで、その感触にもういちど笑った。 そうして、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。向かうさきは夜空に浮かぶお月さまサ。笑って、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。 ○ 聞いたところによると、この一帯は静かの海と呼ばれているらしい。水もないのに海なんて、ネオンもないのに海なんて。変なの、と呟くと、文句はケプラーに言いなさい、なんて怒られた。あの子のショートカットは無重力にもへっちゃらで、ふんわりとカーブがかって太陽風にそよそよそよぐ。背後に金星がゆれて、あたりは無音。あの子の呼吸の規則ただしい響きだけが耳をくすぐる。上下にうごく胸元から細い首筋が伸びてすこし色っぽい。その純白に頸動脈が淡く走って、中を流れる赤血球に思いを馳せる。指先から子宮まで、身体中をめぐるちいさな細胞。ちょっと羨ましい、なんてそんなことを思った。あの子の頬に手をかさねると、なめらかな肌の感触に、表情筋のしなやかさ。そして、その下に断層をなす脂肪の柔らかな手触り。 わたしが一個の細胞ならよかった。クラゲみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、りんかくがあいまいにぼやけていればよかった。あの子が隣にいて、ふたり、どろどろに融けあって、ひとつだったなら、それだけで全部よかった。 でもわたしたちは人間で、どうしようもないくらいに人間で、しかたないから後ろに倒れ込んで、あおむけに寝ころがった。舞い上がった塵を吸い込んで、咳きこんで、それを見てあの子が笑う。同じように倒れて、同じように塵を吸って、同じように咳をした。「咳をしてもふたり、だね」 そう言ってまた笑う。 ――最初からひとりだったなら、それでよかったのだ。 見あげれば地球。そのテクスチャに重なって、まんまるな眼球が、じろりとこちらを覗いている。それはアルバート・フィッシュの瞳で、証拠に、眼球のイメージに重なって、さきほどの女の人の顔が見える。こうして見てもきれいな人で、どこかで見たことある顔だと思ったら、それは隣のあの子の顔に他ならなかった。 ふいにアルバート・フィッシュが泳ぎだす。よじるように身体をねじって、もがくように背中をあがいて、軌跡が複雑な紋様をえがく。それがだんだんと単純化してきて、四角形となり、三角形となり、やがて完全な円を描くと、尾を噛み、まんまるな状態を保って、その光景に、地球のかたちが重なった。 にやり、とアルバート・フィッシュが笑う。 世界のりんかくが融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。 ○ はっと気がつけば、見慣れた地元の歓楽街に立ち止まっている。ネオンはいっぱいに輝いているけど、たちこめる光に飛び込むことなんてできない。できるはずもない。ネオンの海の見える通り、ストリート・ムーン・マニアック、なんて。そんなの馬鹿みたい。笑ってしまうくらいだ。空を見あげると、すこしだけ欠けた月が浮かんでいる。満月のまんまるからはほど遠い、歪なかたち。でもその歪さが現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなって。 電灯の下、そんなわたしを見ているわたしがいた。振り返ったわたしが見えて、わたしを見ているあの子が見えた。 その時、わたし、あの子だった。 その時、あの子、わたしだった。 その時、ふたり、ひとりだった。 その時、ひとり、ふたりだった。「あっ……」 驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。そんなのもうわからない。わたしたちはひとりで、融けあった一個の細胞で、全身を巡る赤血球すら共有していて、わたしはB型で、あの子はO型で、でもそんなの関係なくて、この身体はふたつの心臓で動くひとつの血液循環系で、あの子がわたしの鎖骨をやさしくひっかいて、そこからにじむ血しょうの、黄昏みたいに鮮やかな赤色!「好きだよ」 って、そう伝えるのに勇気なんていらなかった。「わたしも」 って、そう伝えるのに恐怖なんてなかった。 頬と頬を寄せ合った。額と額を付き合わせた。掌と掌を重ね合った。そうして、唇と唇を、ゆっくり近づけていって、ああ、やっぱり、むなしいな。 遠くから歌がきこえる。かすかにきこえる。へたくそな歌が、きこえる。メロディーは不安定で、歌詞の意味もよくわからない。ただひとつわかるのは、それがラブソングだということ。都市を泳ぐ魚が出会ったマネキンにガラス越しの恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだということ。 それはわたしとあの子しか知らない歌だ。 きこえる。こまくをやさしく震わせて。 本当に馬鹿みたいなのは、わたし自身だったのだ。 ふと見あげれば、欠けた月のイメージに重なって、アルバート・フィッシュが浮いている。「ねえ、あんたってさ……」 やさしいの? ざんこくなの? きちがいなの? かみさまなの? いろいろな言葉が沸いては消えて、消えては沸いて、けっきょくこう尋ねた。「いったい、なにものなの?」 問いかけると、驚異の魚はにやりと笑って、ひらめいて、消えた。それを見たわたしも笑って、わたしであるあの子に別れを告げる。「じゃあね」「うん。じゃあね」 名前を呼ぶと、あの子であるわたしは手を振って、 すべては泡に弾けた。 ○ 目覚めると屋上に寝ていた。仰向けに眺める空には、流れる血よりもずっと鮮やかな夕映えが一面に冴えわたっていた。 そうして、へたくそな歌が聞こえる。「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ。……っと、起きたか。おはよう」「おはよ。……ていうか、その歌あんまりうたわないでね、って言ったよね。もう」「なんでさ、いい歌だと思うよ」「純粋に恥ずかしいんだよ」「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」「ならないならない」「照れるな照れるな」「照れてない照れてない」 必死のわたしの言葉を、あの子はふん、と鼻で笑い飛ばす。そうしてすこし恥ずかしそうに言う。「この歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」「似てない似てない」 似てるはずがない。だってさ。それはさ。「もう、ちゃちゃをいれるなよ。最後まで聞きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中のふたりがそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、ふたり隣り合わせに立っていて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」「……」「……」「……、ねえ」「なに?」「そのセリフ、すっごくクサいよ」「……、ごめんなさい」 空にはいっぱいの黄昏だ。あの切ない輝きがいまにも降ってきそうなくらいだ。そんな空の下、わたしが笑って、あの子も笑った。強く風が吹いた。みじかい髪がちろちろとなびいた。遠くに金星がゆれて、放課後の学校は野球部の怒鳴り声ばかりがうるさい。「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」「もう。だからうたわないでってば!」 ○ 自転車にのって坂をくだる。 あの子はいまごろ彼氏の原付のケツに座って帰宅しているはずだ。むくむくと隆起した腹筋にしがみついて、ぬくぬくと暖かいなあ、なんて思っているはずだ。 ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。 シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。 坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。 地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。 音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。――――――――――これがどう変わっていくのかまったく想像できないですw よろしくお願いします。
今は昔と云えば聞こえは良いが今は今、昔は昔。これより話さんとするは昔の話し。昔々、振り返ったなら気の遠くなるような遙かなる過去。すなわちページを捲ればすぐそこにある別なる世界。ちらと覘き垣間見られるは……美醜に塗れた妖しき幻想。 * 当時、日本国――倭っ国の首都と謂えば京である。京の都は永安京、ナガクヤスンジランコトヲネガフ都である。維新が成って首都が遷されるまで長く帝の御座す倭っ国の中心で有り続けた。まぁ、近代に於いては実質政治も文化も徳川の江戸に奪われたわけではあったがと云って倭っ国の中心が動いたわけではない。帝が御座すそこが倭っ国の中心でなのである。 時の頃は、さて、現代より過去を顧みたならば王朝時代と呼べなくもない頃。洋の西の果てならばビザンツ帝国隆盛がピークに至ろうかと云う頃であったろうか。バシレイオスⅡ世が第一次ブルガリア帝国を滅ぼし、東ローマ帝国がバルカン半島のほぼ全域を奪回する数年前。そんな頃合い。 この時代にも夜はある。否よ否よ。現代などよりも遙かに夜は濃く、深い。闇の明けることの奇跡を感じられるほどに夜の闇は昏く、冥く、果てしなく暗くて救い難い。 永安京は、闇の巣窟であった。 じゃりと踏む小路に異臭の立ち籠めるのは何も今宵に珍しいことじゃぁない。野犬が一匹二匹警戒と威嚇に睨め喉で唸る。折角の獲物を奪われまいと牙を剥く。 馬鹿を言うものじゃない。人間様は獣などと違い同族の屍肉を漁るような浅ましいことなどしやしない――などと言えるのも理想と幻想の彼方成りしか。そんなようにはとても言えないのがご時世である。貧すれば鈍するなどとは云ったもの。喰うに喰われねば禁忌も嫌悪も何もが鈍って感じなくなるらしい。飢饉の見舞うごと都に流民が流れ込み飢えの酷いものは人の屍肉を喰らいて凌ぐと云う。喰わねば飢える。飢えれば死を待つ他はない。喰って飢えのしのげるモノなれば……。その姿を見た者が鬼が出たと騒ぎ立てゴシップに飢えた京童共が怖ろしおぞましく囃し立てれば物見高い京の民が興に乗って婆か嚊に言い触らす。それが近所の婆や嚊に広まって使われる者使う者隠居の爺婆から洟垂れ小僧を通じて犬や猫にまでつぅつぅのかぁかぁ、都に知らぬ者のないなどと云う有様となる。斯くして京は鬼の溢れる都と成りにける――などとはまぁ、まだ誰も云っていない。 ともあれ、広い京の内や外に喰うにあぶれる者が大勢たむろしていることは確かである。溢れていると云っても良い。だからこそ野犬と睨み合うそれ人の眼の血走る様も真剣この上なく命を繋ぐためであれば命すら惜しくないとでも云う体である。なんとも痛ましくまた状況に拠っては他人事と言い切れぬ光景であった。 命を繋ぐためというにはいささかばかり投げ遣りでともすれば馬鹿らしくもある命懸けで真剣な果たし合いの火蓋が切って落とされんとするその場面。俯瞰して眺めれば四つん這いの犬にこれまた四つん這いの人が同じように尻を迫り上げ唸りを上げるのは滑稽を通り越して悲壮と言えようか。そこに通りかかりしは一騎の騎馬。ひひぃんと一嘶きするに両者の目が泳ぐ。ふらりふらりと宙を彷徨うにさりて邪魔者の姿をずいと見上げて睨めてみる。でかい。当たり前である。馬である。しかもこの馬、板東の胴長短足にして田畑を耕すを天職とする寸胴種とは違い亜拉毘亜から遙遙シルクロードを駆けに駆けて本邦倭っ国に辿り着いたという馬界のまさにサラブレッドである。何しろ足が長い。川縁の葦のようである。蘆屋道満もびっくりである。 さて。 月が出ていた。昏い夜の白めく藍の空に白金の月光を背にした黒雲がぞろりと流れる。 月が出ていた。僅かにしか宙を照らさぬ圧倒的な銀照。 その光がただ一点を差し堕とす。溶け流れる銀の小夜滝。産み咽ぶ泪滴の土石流。月がしぶいて結晶を垂れれば地上に神さぶ人の顕る。人なりて人でなし。神なりて神になし。その美瑛をなんと称えよう……、 源判官靜謐、検非違使である。当世都で検非違使と云えば源靜謐、源靜謐と云えばザ・検非違使と云われる当代切っての名追捕尉である。後の遠山左衛門尉景元が密かに手本にしたとかしないとかそんな噂も一部の事情通の中に囁かれると云う。無論、根も葉もない嘘であろうが。 そのザ・検非違使が緊迫感の有るような無いようなこの修羅場の間に割り入ってついと両者の牽制する目線を抜け、片足片腕が既に胴より失われた屍体を眺め降ろす。発育途上の童であった。その持ちたるモノはオノコのツトメを果たすに充分過ぎる程立派なモノであったが、年の頃を云えば元服までにまだ四、五年を要しようかと思ゆる幼き童である。それは……それはさぞ美味かったことであろうよ。柔らかく筋張っていない上に適度な運動によって脂と肉の絡み加減がほんに程良い。この上なく肉の旨味を堪能できよう、畜生の味覚を以てすれば。貧すれば人は獣に堕ちようか。人といえど所詮は二足で立って偉そうにふんぞり返っている獣の成れの果てにしか過ぎぬとでも云うものか。 風に靡く柳の枝のようにゆらりと優美な素振りで源靜謐が利き腕であろう右腕を空に差し出すとその傍らに走り寄るはそれもまた靜謐に付き従うに相応しい美童である。屍体の童と変わらぬ年頃であろうか。随従の童の格好をしているがアンニュイに可憐な容貌は女童のようにも察せられる。いずれその手の好事家からすれば垂涎の一品であることは間違いない。世にロリコンと呼ばれる人々である。 美麗なる随身童のその手に抱えられるは背丈の倍ほどもあろうかと云う、それは太刀であったろうか。ぱっと見には槍であろう。否よ否よ、槍でしか有り得ねぇだろふつー。然りながらそれは鞘に収められた正真正銘の太刀であった。でなければ武器にはならぬ。他の何ものにもならぬ。人のこしらえた物でこれほどに馬鹿げた代物は他にそうそう見れるものじゃぁない。これが世に名高き怪刀「月薙ぎ」である。振るわば月をも薙ぎ捨てる神もが畏れ封じたと云われる破滅の太刀。鍛え上げしは人とも猿と付かぬ時代の狂人。神を屠るためこの世の全てを道連れにせんとし命を捨てて神に牙を突き立てた者。その牙。その執念の結晶がここにある。故にそれはこの世の全てに対して厄災しかもたらさぬ――と云うのは調子乗りの京童お得意の講談である。漫談でないだけましであろうがまぁ八割方は誇張、もしくは法螺である。だとしてもけったいな物であることに変わりない。長すぎるのだ、刃が。この全長ならばどう考えても槍にした方が使い勝手が良い。槍ならば棍と同じくに熟達すれば接近戦にも対応できる。そもそもこの太刀、抜けんのか。 靜謐は差し出された太刀の柄を無造作にひっ掴むと割り箸を包みから抜き出すが如くいとも容易く鮮やかに優雅にそれを抜き放った。美しくも険しい眉目のひとつ揺らぐことすら無く。星の流るるが如くその銀翳は長く鮮光を引いた。 靜謐は太刀の切っ先を童の屍体に向ける。肩に当て器用に捻る。残っていた腕がぽんと跳ね犬っころの前に落ちる。股間に当てる。同じく足が獣に堕ちたる人の前に落ちる。残る頭と胴だけのそれは人の骸か打ち捨てられた穢物か。 しんと静まるは晩秋の宵空。星の溢れそうな夜。そこから漏れる音とて何もない。 そして太刀は元の鞘に収められた。静けさは質量を持ってのし掛かる。 扱うも敵うまいと思われた馬鹿げたほどの長太刀を手足の如くに使い得たそのその恐るべき技能。冷徹さ非情さ。死して捨てられた憐れな童に一片の情けも掛けぬ。然りとて一大三千大千世界を凍えさせ得るはその大道芸にあらず。美醜を超越した艶貌に薄く浮かべたその微笑みであろう。今この場に☆の墜ち流れんことを祈った者が二匹と二人。このままここに留まるよりは遙かにましと思うた。細胞の奥の奥に潜むデオキシリボ核酸の螺旋の捻れが真っ直ぐに伸びる思いであった。怖い。恐れ、畏れ、懼れ、全ての恐怖をその薄微笑みは呼び覚まさせた。 靜謐は四肢を失い温もりは失せても未だ瑞々しさを失うには至らない屍体を拾い上げ馬の背に括り付ける。何故か亀甲縛りであった。美童の従者を連れ立ち去る。残された二匹と二人は長くその目の前に置かれた餌を眺めていた。 * 六条辺りの邸宅、その北対屋である。寝殿に対して北に位置する殿舎には正式な妻、本妻が居所を与えられている。奥方、北の方、北の政所などと云う名称はそこから発祥している。これは本当である。 屍臭の染み付いた厚い雲のぞろりぞろりと天地を覆い埋め尽くさんとする丑三つ。 対屋の真ん中四方を壁に囲まれた塗籠に籠もる女が一人。無論、この家の主婦である……とはとても見えぬ容貌が有りも在らぬ宙空を睨めるのは薄気味悪いを通り越して薄ら寒々しい。落ち窪んだ眼窩の黒い縁取りの奥からぎょろと睨む鈍く濁った眼光。乱れ解れ脂と埃が浮いてそうな髪。袿も袴も汚れと皺が酷い。先の屍体よりもよほど屍体めいた女の姿がそこにあった。誰ぞ見咎める者はないのものであろうか。 塗籠の中には香が焚きしめられている。公家の奥方なら当然のことであうが、しかしこれは幾ら何でもきつすぎよう……うぷっ。例えるなら平均年齢高めのPTA総会と云ったところか。たまにしか出かけることのない初老の主婦が日常の生活臭を消すためにありったけの香水をバケツで頭から被るとしよう。そんなのが何十人と一つ所に集まったならそこはアウシュビッツ並の非人道的空間となると言っても過言ではない。アビキョウタンである。それに匹敵して更にお釣りのくるような臭気が狭いこの部屋を満たしている。フルカラーのアニメなら黄色く色付いているはずだ。 異様なのは住人と臭いだけではない。日常生活には間違いなく不必要な物があちらこちらと散乱している。ぱっと見ても分かるまいから説明しよう。紙包みに含まれた物はクスリである。砒霜石から作ったものであるが成分には後世カレーの調味料にも使われるヒ素が含まれている。雑草の葉のように見えるのは苺、繁縷、藤、皀莢、木槿と云ったところであろうか。他には、男性のカタチをした張り形。皮に似せたビニルで出来たボンテージ衣装。ビキニパンツの裏表に四寸ほどの突起が付いた物は如何に使うものか。先の割れた革製の鞭。真っ赤な蝋燭。三角の木材に土台を付けたオブジェ? など時代考証を無視した妖しげなグッズが所狭しと放り散らけてある。この部屋にいる者は間違いなく一片の疑う余地もなくHENTAIである。断言しよう。 その異様な塗籠に妻戸を開けて現れたのは誰あらんザ・検非違使、源靜謐である。亀甲縛りの目の一つを無造作に掴みだらりと下げるは生を失った童子の成れの果てである。手足を失ったソレに残るは胴と頭と股間からぶら下がる自慢のブツだけである。頬の辺りなど幾らかは犬か人かに囓られて見る影も無くしてはいるが彼の従者には及ばぬもなかなかの美童であったようだ。「所望のモノを持参した」 と無下に放り投げるのを精気のまるで感じられなかった奥方がイチローも真っ青の美麗なダイビングキャッチで受け止める。「おぉ、いたわしやいたわしや」取り縋る様は酷く同情的で悲哀を誘う。「亀丸や、亀丸やぁ」一方で臆面もなく哭き縋る姿には言い様のない据わりの悪さを感じずにはいられない。それが何によるものなのかは賢明なる読者なら察しも付こう。ちなみに亀丸が睾丸に見えた人は注意が必要だ。人の道を外れる前に更正した方が良い。 さて。泣きつくほどに愛おしい我が子を何故埋葬もせずに打ち捨てるかと不審に思われる節もあろう故に解説しようが、この世界というのはおおよそ古代は王朝時代をベースに練られている。当時子供は大人と同じように埋葬してはいけない風習だったのである。かの有名な偏屈親爺「小右記」の藤原実資も愛娘を埋葬できない哀しみに暮れている。嘘ではない。「検非違使殿」 奥方がキッと靜謐を睨め付ける。その眼光の鋭さはプレミア物の美少女フィギアを値踏みするサブカルのプロの眼光に勝るとも劣らない。「足りぬ、足りぬではないか」迸る怒りを迸る唾に込めて奥方は怒鳴り散らした。「其方の大事なモノは付いたままよ。何の不満があろうものか」興味なく靜謐は応える。「えぇい、手も足も無いではないか。足りぬ、足りぬ、足りぬのだ」 奥方の眼球がごろと裏返る。呻きを漏らす口は裂け唾を吐き涎を垂らし泡を吹く。怒髪天を突きかさつく肌は紅黒く腫れ上がる。鬼の形相を尚も怒らせて奥方は手近に有ったもの靜謐に向けて投げつけた。モーターの付いた黒い張り形がぐぃんぐぃんとうねってる。濡れてテカっているのは直前まで使用されていたものであろう。「これでは、これでは、亀丸を甦らせることが出来ぬぅぅぅ」 おぉおおおおぉお 獣じみた咆哮をあげる奥方は夜の闇を一層に濃く重くした障気を目口鼻ありとあらゆる穴から吹き出し吐き散らす。 しかしこのアマ……、反魂を施そうというのか。反魂はおおよそどんな神秘を扱う道の術も禁忌とする非道である。おいそれと成せるものでは有り得ない。有ってはならない。然りとて砒霜石の薬、苺と繁縷の葉、藤で作った糸、皀莢と木槿の灰は西行法師が骨より人を作らんとした時に使った材料である。この奥方はそれを知っていて本気で反魂を試みようとしたのだ。「金烏玉兎集」の写本など転がるは泰山府君祭でも成さんとするものか。アグリッピーナコンプレックスもここに極まれりか。いやはや業の深きものよ。「手足が要るのか」 靜謐が手を伸ばせばそこに美童の従者が控える。差し出すのは無論「月薙ぎ」の太刀の柄である。 銀線が閃く。 ぼとと落ちたるは、腕。 ひとつ、ふたつ。 奥方の目の前に転がる二本の腕。薄汚れた袿の袖がじんわり朱に染まる。理解しがたい状況の中で理由無き緊迫感が息を詰め胸の動悸を昂ぶらせる。きゅぅと喉が締まる。身体の芯だけが異常な熱を持ちインナースペースを圧迫する。恐る恐る自分の両の肩を見る。有るべきものがないと気付くのに数瞬を要した。と、視線の位置が変わる。奥方のである。目の位置と変わらぬ高さに床がある。いつの間にか床に顔を付けて倒れ込んでしまったのか。否。立ちようにも立てないのだ。立ちようがないのだ。何故と言えば、足もまた袴を履いたまま腕の横にちょんと並べられていた。今や奥方の格好は愛おしい亀丸のそれと同じである。 あぁ、あぁ、あぁぁぁ 奥方が嗚咽を漏らす。獣のような慟哭を。その眼に籠もるのは痛みや怒り、恐怖ではない。それは、紛うことなく、偽りなき……、歓喜であった。「手足があった。手足があった。亀丸が甦る、亀丸が甦りよる」 奥方は亀丸に近寄ろうとするも立つことは敵わない。這うことも出来ない。必至に腹をくねらせれば少しは前進する。口で己が腕を咥え持とうとする。が、そこまでである。 あぁ、あぁ、あぁぁぁ「手が無い、妾の手が無い。これでは、これでは、亀丸を甦らせることが出来ぬ。手を、手を、妾の手を」「手は其処に有ろう」靜謐の声は遙か遠く感情もなければ一抹の感心すらも感じられない。「これは亀丸の手。これがなければ亀丸は甦らぬ。妾は、妾はどうすれば良い。どうすればよいのだ、検非違使殿」「さて、な」「教えたもれ、教えたもれ、検非違使殿」「俺は術には詳しくないが一つだけ生者と死者が共にいられる法がある」「ならばそれを」「承知した」 あぁと女の漏らしたのは果たして安堵であったろうか。 *「狂っておいでなのでしょうか」 雲の晴れた月の美しい夜である。微かに吹く風に月の光気が染み入るようで清々しい。「人とは大抵あの様なものだ」「そう、なのですか」「ああ」「ご立派な右大臣様も、大納言様も」「そうだ」「そうなのですか」 主従の翳が洛中の橋を渡って消えていく。 これにて一つ話しの了い。 今より昔、昔より異なる時の夜の話し。
たいへんもうしわけありません、本文はこちらになります。http://blog.bk1.jp/kaidan/archives/011093.html
どれにするか決めきれなかったので、短いやつで。でも、もし「これは書きづらいけど、前に読んだ別のだったら書いてやっていい」という方がいらっしゃいましたら、わたしのサイト(およびブログ)においてある小説だったら、どれでもお好きにリライトしていただいてまったく問題ありません。 どうぞよろしくお願いいたします!---------------------------------------- 真夜中の荒れ野に転がる岩々は、乾いた血のように赤茶けて、地面に這い蹲るようにしがみ付く木々は、どれもとうの昔に枯れているのではないかと思われた。ときおり遠くで鋭く鳥の啼き声が響いても、姿は見えず、地面に動くものがあったかと思えば、固い殻に覆われた小さな虫ばかりで、大きな獣はここにきて一頭も見かけない。吹き付ける砂礫まじりの風は、ひどく冷たい。声をたてるもののない荒野で、ただ風だけが、何度となく嘆き声のような音を立てては、すぐに細って消える。街道を外れてもう二時間ほども歩いただろうか。時の推移を告げるのは、ただ星の位置と月の傾きばかりで、自分が迷っていないのかどうか、一度も確信が持てないまま、目印の岩を、目で探していた。 赤い岩ばかりが転がる中で、ときおり月光に白く浮かび上がるものがあり、目を落とせば落ちているのは古いされこうべ、かつてこの地を去ったときには、そこにまだ服や鎧の名残もしがみ付き、錆びた槍や矢尻のひとつも刺さっていたものだったが、少しでも金目のあるものは、すでに残らずさらわれきったらしい。こんな荒れ野をも、往くものがいるのだ。身包み剥がれたあとには、骨ばかり、きれいな人の形で残っているかと思いきや、どこがどの部位かもわからないほど無残に散らばり、また失われ、見れば噛み砕かれたような痕があるから、いまは姿を見なくとも、鋭い牙もつ獣もいるのだろう。砕けた断面を見れば、猛禽の嘴によるものとも思われなかった。それとも噛み砕かれたと見たのは目の迷いで、年月を経て、自然に風化したものだろうか。風で人はこんなふうに朽ちるものだろうか。 ひとり、無言のうちに彷徨い歩けば、やがて白く光るものの数が増え、それでようやく、どうやら自分が迷ってはいなかったと知る。目を凝らせば地平線の上、月あかりを背負って、覚えのある奇岩の黒々とした影が、ようやく見えはじめた。天を仰げば星の並びも、この地が確かにそうであると告げている。 五年。もう五年にもなるのだ。信じられないような思いで、足を止める。戦が絶えたこと。自分が生きていること。まだこうして血肉の通う体を引き摺っていること。 気を取り直して、また歩き出す。背中で瓶のぶつかり合う、鈍い音が鳴った。荷を降ろして、そこから一口呷りたいような気もしたが、堪えて、背嚢を背負いなおす。彼らが先だ。 奇岩に近づくにつれ、青白く夜に浮かび上がるものの数は、ますます増えて視界を埋める。それらのひとつひとつをじっとつぶさに見るのをやめて、景色ごとぼんやりと眺めていると、無数に立ち昇る人魂のようにも見えてくる。けれどあらためて視線を落とせば、それらはただの白い骨で、誰も人であったころの姿をとって、私に語りかけてきてはくれなかった。 仰ぐ角度によっては竜の頭骨のようにも見える、赤い巨岩のふもとにようやく辿りつくと、重なり合ういくつもの骨の前で、背嚢を下ろした。荷の中で瓶と瓶がぶつかり、水音が響く。獣の顎に噛み砕かれて、誰のものとも区別のつかなくなった、いくつもの骨に向き合って、昔いつでもそうしたように、敬礼をしようかとも思ったが、すぐに思い直した。彼らがそれを喜ぶとも思えない。長く歩いた足が、靴の中で痛む。まだ痛む足を持っていることを感じた瞬間、別の場所が鈍く痛むような気がした。 取り出した瓶を月光にかざすと、中で液体が揺れ、赤く固い地面の上に、波立つ水面の影を落とした。硬い栓を抜くのに少しばかり苦労して、琥珀色の酒を荒野に注ぐと、それは速やかに広がり、瞬く間に地面の下に吸い込まれていく。それを彼らが飲み干したのだと、無理にでも思うことにした。 二本目の瓶も、三本目の瓶も、同じように逆さにして、赤い大地に吸わせてしまうと、その酒は、昔日が嘘のように平和な町中の、夜中に飛び起きた自分の部屋の寝台で、空しく赦しを乞う言葉よりは、まだいくらか彼らに届くのではないかと思われた。ただそう願っただけかもしれない。彼らは何も答えはしない。死者はもう語らない。わかりやすい救いなど、どこにもありはしない。 嘆き声のような音がして、砂礫を含んだ風が吹き付ける。歩くのをやめると、ひどく体が冷えた。手に持っていた瓶の、底に残った一口を呷る。焼け付くような感触が喉をすべりおりて、その熱が、まだお前は生きていると私に告げる。
僕の母は美しい。 顔の造りが丁寧というよりも、肌そのものが内側から輝くような、そんな美しさだ。 皆から母の容姿を褒められるのが嬉しくて、学校の授業参観はいつも楽しみにしていた。 小学四年生のとき。夏休みを直前に控えたある日のことだった。 うだるような真夏日で、太陽が傾く頃になってもまだ空気に熱がこもっていた。 夕飯の前に風呂に入ってさっぱりしようと思い、浴室の扉を開けると、真っ裸の母がいた。母は後ろを向いているせいで僕に気づかず、じっと目を閉じて何かを考えている。 夕陽が窓から差込み、彼女の裸体をオレンジに浮かび上がらせていた。肌の陰影がくっきりと出ていて、まるで彫刻の様だった。 声をかけようと小さく息を吸い込んだ瞬間、母は〝脱皮〟を始めた。 勿論、人間は脱皮をしない生きものだということは当時の僕も知っていた。けれどそのときは、何故かはっきりと、母は今から脱皮するんだな、と分かったのだ。 僕は吸い込んだ空気を静かに宙へ戻して、事の成り行きを見守ることにした。 母はまず身体全体をふるふると震わせた。それから、しゃがみ込んで右のつま先をいじくる。 やがて立ち上がり、両足の爪から、ぴ、と一本の透明な糸を引いた。ちょうど魚肉ソーセージを剥くときのような要領で。 ぱらぱら、と繋ぎ止められていた皮膚が剥がれ落ちる。糸は太腿の辺りでぷつりと切れた。 次に二の腕を爪で引っ掻いて、裂け目をつくる。指を入れて内側からめくり取ると、中から真新しい健康的な肌が現れた。 タイルに落ちた古い皮膚はみるみるうちに乾き、白い粉になった。 顔の皮膚は、鼻や頬の辺りを掻いているうちにぽろぽろと崩れてきた。 額につくった小さな切れ目を上に引き上げると、がばりと頭皮が抜け落ちた。 鋭い親指の爪を立て、喉から下腹部まで一気に引き裂く。薄く切ったせいか血は出ない。 裂傷から左右対称に、ぱかりと皮膚が割れて、母は服を脱ぐかのようにうつくしく脱皮をした。 全てが終わったあと、母はシャワーで髪に絡まった古い皮膚の破片とタイルに散らばった粉を洗い流した。 そして、さっぱりした顔で僕を見て、「あら、直也。どうしたの?」と言った。あの、ひどく美しい顔で。 結局あれが何だったのかは今でもわからない。もしかすると、ただの白昼夢だったのかもしれない。 けれどもやはり、帰省するたび、母の顔をじっと見てしまう。 相変わらず彼女の肌は瑞々しくて、ひょっとしたらまだ脱皮を続けているのかもしれないと思うのだ。---------どう調理して下さっても結構です。よろしくお願いします。
紅月セイル様の作品『孤高のバイオリニスト』をリライトしたものです。図々しく、キャラや設定等もかなり改変しております。---------------------------------------- 歌が、聞こえていた。 か細く、不安げに揺れる声は、まだ年若い少女のものと思われた。彼も知っている曲。優しく、あたたかいはずのメロディーが、どこか切なく、震えながら夜に溶けていく。 肩に掛けていたケースを撫でて、彼はゆっくりと歩き出す。歌声を辿るように。 暮れ方の公園には、ほかにひとけがなかった。切れかけた街灯が、ときおりじりじりと音を立てる。冬の、凛と張り詰める空気が、鋭く肌を刺す。 ひとり歌う、制服姿の少女。そのすぐそばまで近づいたところで、彼はようやく、彼女の頬を伝う涙に気がついた。 歌い終わるのをまって、彼は少女のすぐそばにあったベンチに、かついでいたケースを下ろした。その横に自らも腰掛ける。少女は困惑したように、歌を止めて立ち尽くしている。 やがて少女が涙を拭うのを待って、彼はいった。「どうして、泣いてるの?」 少女は面食らったように、彼の顔をまじまじと覗き込んだ。「なにか、変なことを訊いたかな」「ううん。でも、こんなところで歌ってるなんて、変な子だって思わないの」「別に。ぼくもよくやる」 肩をすくめて、彼はいう。少女はますます怪訝そうな顔になった。「歌手の人?」「いいや。奏者の人」 いって、彼はケースを開いた。そこに収められたバイオリンは、深みのあるつややかな飴色をしている。「プロのバイオリニスト?」「演奏でお金をもらったことがあるかっていう意味なら、そうだね。あるよ」 へえ、と相槌を打って、少女は彼のバイオリンを見つめた。「さて」 彼はバイオリンをケースから取り出して手に持つと、立ち上がった。「ここで弾くの?」「君がいやでなければ」 あっさりといって、彼は肩にバイオリンをのせた。弓を当てて、軽く音を確かめる。あざやかな手つきで調弦する、その手際に、少女はいっとき、息をつめて見とれていた。 やがて満足したようにうなずくと、彼は観衆のいない舞台に向かって、迷いなく弾きはじめた。暗くなった公園に、軽やかなメロディが流れ出す。それは、先ほどまで少女が歌っていた曲だった。 音は柔らかく抱きしめるように、夜の公園を包んでいく。この寒さだというのに、どこか近所の家で、窓を開ける音がした。 息をつめて、音に聞きほれていた少女に、彼は手を止めないまま、問いかけるような目をした。歌わないの、と。 少女ははじめ、ためらっていたけれど、やがて促されるように、おずおずと歌いだした。「急にいなくなったの」 少女はベンチに腰掛けて、きれぎれに語った。 同い年の従兄。すぐ近所に住んでいたため、家族ぐるみの付き合いで、昔からよく一緒に遊んだ。口に出していったことはないけれど、ずっと好きだった。でもそのせいで、ここ何年かは、なんとなくぎくしゃくしてしまって、顔を合わせても、あまり話さなくなっていた…… 少女は足を揺らしながら、自分のつま先を見おろしている。彼はその隣に掛けて、口を挟まずに、バイオリンをしまったケースを撫でている。あるいはときどき指に息を吹きかけて、温めながら、少女の話をじっと聴いている。「ほんとに突然。どこを捜しても、手がかりがひとつもなくて。おばさんも、すぐ捜索願を出して、ビラとか、張り紙とかもたくさん」 家出にしては、書置きの類もなかったし、その直前に家族の誰かと深刻な諍いになったというようなことも、特になかった。なにかの事件に巻き込まれたのではないかと、打ち消しても打ち消しても、不安ばかりが募って。「あの曲は?」「アイツが好きだったから」 少女はいって、自嘲するように、ふっと笑った。「こんなところで歌ってたって、聴こえるところになんかいないって。頭ではちゃんと、わかってるんだけど。馬鹿みたいだって、あなたも思うでしょ」 彼はその言葉には何も答えず、顎を上げて、星の瞬き始めた空を見上げた。「明日もここにいる?」「え。……多分」 驚いたように顔を上げる少女に、彼はにっこりと微笑みかける。そうして何もいわずに、踵を返した。 少女は困惑したように立ち尽くして、彼の背中が遠ざかるのを、ただ見送っている。街灯がじじっと音を立てて、大きくひとつ明滅した。 少女がひとり、歌っている。明るいはずの曲を、どこか悲しげに。空はゆっくりと暮れゆこうとしている。通りかかる人々は、公園で歌う少女には目をとめもせず、暗くなりきる前に家に帰ろうと、家路を急ぐ。 誰もが素通りする中で、たったひとり、少女に近づく人間がいた。少女は歌を中断して、顔を上げる。その眉が、意外そうに上がった。「また来たの」 彼は黙って微笑むと、ベンチにケースを置いた。やわらかな手つきで、バイオリンを取り出す。昨夜と同じように。「少し、雲が出てきたね。この寒さだったら、雪が降るかも」 彼はそういいながら、弦を撫でるように、やさしく弓を当てる。 少女は訳を問うのを諦めて、彼の準備が整うのを待った。 仲のよさそうな二人の少年が、明るい笑い声を上げながら、公園を駆け抜けていく。家に帰るのだろう。一度はそのまま通り過ぎようとした少年たちは、彼がバイオリンを持っているのを見とがめて、足を止めた。背の高いほうの少年が、彼の手元をものめずらしげにのぞきこむ。「それ、ほんもの?」 小柄なほうの子が、目を輝かせて訊いた。そうだよとうなずいて、彼は微笑む。「すげえ。バイオリンって高いんだろ」「いまから弾くの?」 彼はうなずいて、軽く音を出してみせた。すげえ、と目を輝かせた少年たちに、彼はいう。「光栄だけど、急いで帰らないと、すぐ真っ暗になるよ」 いわれた少年たちは、顔を見合わせると、あわてたように駆け出していった。その背中が見えなくなるのを待って、彼は姿勢を正し、昨日の曲を奏ではじめる。 その穏やかな音色に寄り添うように、少女も歌う。ひとりきりで歌っているときよりも、その声はやわらかく、曲のもつ本来のぬくもりを取り戻している。 やがて暮れきった空から、雪がひとひら舞って、彼の肩の上で溶けた。 毎晩、日が暮れるとバイオリンの音が聞こえる。そういう話が広まって、ものめずらしげに様子を見に来る人々がではじめた。一週間が経つ頃には、決まってその時間になると、数人から十数人ほどの人々が、公園に集まるようになっていた。「いや、バイオリンのことはよくわからんが、たいした腕だ」 感心したように、老人が手を叩く。つられて熱心な拍手が上がった。彼は微笑んで一礼すると、またくりかえし、同じ曲を奏でる。そうして一時間ほどで、きまってバイオリンを片付けて、引き上げる。「ほかの曲は、弾かないの?」 何日めかに、そう訊いてきた主婦に、彼は微笑んで頷むだけで、わけを説明しようとはしなかった。 冷たい雨のしのつく日になると、さすがに聴衆は絶えた。そういう日にも、公園の一角、雨よけのある東屋で、彼らはふたりだけの演奏会を開く。毎晩、毎晩。 少女と彼が出会って、二か月ほどが経った。 春はもう遠くないというのに、よく冷え込んだ日だった。公園の樹々の上にも、地面にも、細かく敷き詰めたような雪が被っている。 まるではかったかのように、聴衆のいない夜だった。足元の雪が、街灯の白い光を反射して、まるでステージの上のスポットライトのように、二人を照らしている。 いつものように、彼のバイオリンを伴奏に歌っていた少女は、途中ではっとして、顔を上げた。その目が、信じられないものを見るように、丸く見開かれる。 歌声が止まったことに気がついた彼は、ちらりと視線を上げて、彼らの前に立ちすくむ人影を見た。それでも弓を持つ手は止めない。夜を包みこむように、バイオリンの音色は流れ続ける。「さやか」 名前を呼ばれた少女は、弾かれたように駆け出した。背の高い青年の胸に、迷わず飛び込んでいく。 飛びつかれた青年は、その勢いに戸惑いながら、彼女の細い体を受け止めた。「どこにいってたの」 涙交じりの声に、青年はあたふたとしている。ハンカチを出そうとポケットをはたいて、入っていなかったのか、いっときやり場のない手をさまよわせた。それから、おずおずと少女の肩に手を回す。「いや、その……。なんだ、泣くなよ」「三か月も。みんなに心配かけて」 その言葉を聞いて、青年は驚いたようだった。三か月、と口の中で呟いて、青年は周りを見渡す。そうしてはじめて、雪景色に気づいたようだった。「自分でも、よくわからないんだ。ずっと、夢かなんか、見てたみたいで」「馬鹿! だいたいあんたは、昔っからみんなに心配ばっかりかけて……」 あとは、まともな言葉にならなかった。少女がひとしきり嗚咽するあいだ、青年はただおろおろと、その肩を抱いていた。 青年は泣きじゃくる少女をもてあましたまま、顔を上げて、弾き手の姿を見た。彼はその視線には気づかないふりで、ただ演奏を続けている。「いつのまにか、この近くに来てて。歩いてたら、バイオリンの音がしてさ。誰かこの曲を好きなやつがいるんだなって思ったら、なんか嬉しくなって。そんで、音のするほうに近づいてきたら、あ、お前の声がするって」「……馬鹿! 遅すぎるよ」「ごめん」 やがて余韻を残して、曲が終わる。弓がすっと弦を離れると、雪に最後の音が吸い込まれていった。 彼は満足げに頷いて、バイオリンをケースにしまった。青年の胸元に寄り添ったまま、少女が振り返る。「ありがとう」 とびきりの笑顔で、少女がいう。彼は小さく微笑んで、ただひとこと、よかったねとだけ返した。 少女は頬を上気させて、うなずいた。青年にしがみ付いたままの、その小さな手が、すっと色を失って、透けていく。それを見おろして、青年は驚いたように目を瞠った。 涙の気配の残る眼が、紅潮した頬が、制服の襟が、徐々に、朧になっていく。雪に紛れて、見えなくなっていく。 ――ああ、そうか。納得したように呟くと、青年はついさっきまで従姉を抱きしめていたはずの自分の手を、じっと見つめた。その輪郭もまた、曖昧になって、夜に溶けていく。 ふたりの姿が完全に見えなくなるまで見守ると、残された彼は、満足げな微笑を浮かべた。バイオリンをしまって、空を見上げる。細かな雪はいまもまだ降り続いているけれど、寒いのもあといっときのことだろう。暦ではもう春だ。 彼はベンチに腰掛けて、ひとしきり、バイオリンをいれたケースを撫でる。このところ毎晩、きまってそうしていたように。やがて腰を上げると、もう振り返らずに、夜の公園をあとにした。---------------------------------------- 原稿用紙12枚、約7.8kb。お眼汚し失礼いたしました。 原作のご提供は、本日24時までとなっております。リライトに挑戦される方は無期限ですので、ぜひふるってご参加くださいませ。
熊だった。 昨日のことはよく思い出せない。夜、脳髄がアルコール漬けになってしまいそうなくらい酒を飲んだ。それだけは覚えている。そうして、いつのまにか寝てしまって。 目覚めて、わたし、熊だった。黄土色に毛深い肌から獣の匂いが強くただよって、つんとする鼻の奥に思わず顔をしかめた。 わたしは階段を昇っている。どうして昇っているのか、いつから昇っているのか、わからないけれど、とにかく昇っている。四つ脚で昇っている。階段は長く、無限に続いているように思えるが、しかし、何事にも終わりはある。 廊下の向こう側に部屋があった。白い襖は幼い子供の落書きで一面塗りつぶされていて、色彩が鮮やかに熊の視神経を犯した。わたし、ふらふら、部屋に近づいていって。 襖を開けた。二本脚で屹立して、頭、天井に押しつけながら、前脚で襖を開けた。中をのぞくと、誰かがいる。布団をかぶったまま、うんともすんとも言ってくれない。ふおう、唸ったけれど、依然として黙ったままで。「ンエー、おー、オうー」 とわたしは言った。そうして、うっかり壊してしまわないよう細心の注意を払いながら、そっと、襖、閉めて。 四つ脚で階段を降りる。わたし、いつまでも、いつまでも、降りていく。 ぎしぎし。背後で軋むのは、へらへらとした笑い声だった。――――――――藤村さんのを改悪させていただきました。なんというか、もはやリライトですらないですね。ごめんなさい。原作は、あんなにも短いのに幻想的で、妙な手触りがあって、溢れるセンスずるいなあ、と思いました。むかついたのでそのセンスを土足で踏みにじってみました。ごめんなさい。
ご無沙汰しています。新年おめでとうございます。某所の祭りに参加中で、しばらく三語をお休みしています。昔、アサブロの企画に投稿してボコボコになった黒歴史作品(800字くらい)です。自分でもリライトしてみたりしていますが、他の方がどんな風に料理されるか、とても興味があります。------------------------------------------------------------ 隣の部屋から、お父さんのススリ泣く声が聞こえる。 寝る前に、ひどいことを言ってしまった。だって、高校受験が近いというのに、風呂上りのパンツ姿で「週末、温泉でも行かないか」なんて、のんきなことを言うんだもん。私、頭に来ちゃった。だからつい言ってしまったの、「お父さんなんて不潔! だいっキライ! あっち行って!!」って。 今晩も隣の部屋からススリ泣きが聞こえる。昨日のことなのに、よっぽどこたえたのかなあ……。でも、今日のはちょっと長い。なぜだろうと思い、そっと隣の部屋を覗いてみると――お父さんは、古ぼけた何かを見つめていた。 それは、一枚の絵葉書だった。そこに描かれている風景には見覚えがある。青い空、白い砂浜――それは毎年、家族で出かけていた南の島の風景だった。そうだ、五年前まではみんなで楽しい夏休みを過ごしていたんだっけ。あんな出来事が起こるまでは……。 五年前、あの島での家族旅行は突然終わりを告げられた。火山活動が急に活発化して、全島民が避難することになったのだ。私達は夜中に起こされ、荷物をまとめて慌しく船に乗り込んだ。そういえばあの絵葉書は、避難する日の夕方、島のポストに私が入れたんだっけ。五年ぶりに帰島が実現したというニュースを最近聞いたけど、それまであの絵葉書は、ずっとあのポストに置いてきぼりだったんだ。 あの出来事以来、夏の家族旅行は中止になってしまった。それは私が「あの島じゃなきゃいや」とダダをこねたから。そうしているうちに私は中学生になり、お父さんとの距離もだんだん離れていってしまった。五年ぶりに届けられた絵葉書は、心の中のかさぶたを突然はがされたような、そんな気持ちにさせた。 春になって受験が無事に終わったら、ちょっと素直になってみよう。そして、あの絵葉書に書いた言葉を勇気を出して言ってみよう。「パパ、また連れて行ってね」と。
とりあえず、のものです。以前言っていた、思わずパクっちゃったってやつです。長めのものの一部ですので、これ自体で完結はしてないです。主題とかには触れてません。冒頭部分のイメージだけです。今回は、これをベースにもうちょっとだけ膨らませてみようと思っています。オチがつくかどうかは、成り行き次第ってことで。------------------------------ ねぇ―― ここに空というものがあるとしてだが――、 夜空に瞬く星は、透明な煤色に埋め込まれて、どこか安物のガラス玉くさくて、それでいて、無限に永遠だった。 クレイジー・ムーン・パラノイアへはどう行けばいいの? あたし、雑踏(ノイズ)の波にさらわれて、ここがどこだか分からないの。 僕は、振り向く。 電飾とネオンから溢れる光りの粒子が、ゆらゆらとたゆたい、街を光りの海に沈める。 声を掛けてきたのは、見知らぬ女だった。 ネオンの海に沈む街に、淡水魚の尾びれを持つ女が浮かんでいる。硬い鱗の腰をひねって、器用に泳ぐ姿は、艶めかしくもあり、少々グロテスクでもある。 蒸し暑い夜。 熱帯(アマゾン)の古代魚が色気づくのも分からなくもない。 それはそれとして、クレイジー・ムーン・パラノイアという言葉がいったい何を指すのか僕は知らなかったが、それをわざわざ知らせてやることもないかと黙っていた。 煙草を咥えてみたいと思った。 煙草など吸う癖もないから、むろん僕は持っていない。といって、この女が持っているとは、まさか思えない。 ねぇ、聞いてる? 彼女は、僕の周りをくるりと廻って、存在をアピールする。 くびれた腰をくねらせ、光りの水を掻いて泳ぐ姿態。少し身の余った腹の真ん中にちょこんと窪みがあり臍だと知れる。たわわとはいえないが、そこそこの量感を持つ胸の膨らみは、ちょうど掌に余るくらいで都合が良い。てっぺんの桜色をさりげなく肘で隠しているあたり、羞恥心の芽生えなのか。 僕が苦い顔をしていると、ふわりと浮いて頬を附けるばかりにしなだれかかり、これ見よがしににっこり微笑んでみせる。 なにかぎこちない。 微笑むと言うよりは、口元を歪めて頬を引きつらせているというほうが的確だろう。伏し目がちな瞳をそわそわと泳がせるその瞼の下には、気鬱な隈が浮いて視え、どうにも、痛々しい感が付きまとう――で、だからどうだ。人間分析(プロファイリング)などクソ喰らえだ。 ともかく、彼女は、煙草を入れうるポケットを持っていない。まさか、彼女自身のポケットに煙草は入るまい。人間のそれよりはるかに小さかろうことは疑う余地もなかろう。 僕は、煙草を咥えることを諦めた。そもそも少しも吸いたくなどないのだから、諦めるのにも苦はない。「クレイジー・ムーン・パラノイアとは何だね」 口元が寂しいので、やむなく聞いてみる。ピラルクーの下半身を持つ露出女にものを尋ねるなど、人生の汚点にもなりかねなかったが、それもこれも、どうせ夢の中のことのだから、僕さえ黙っていれば誰にも知られることはない。 あなた、クレイジー・ムーン・パラノイアを知らないの? 僕はちらりと横目で彼女を視、驚きと軽い非難の込もった視線を、それと同じだけの侮蔑を込めた視線で返した。この光りの海のなか無限に這う地蟲の中から、クレイジー・ムーン・パラノイアを知らない僕を選んだのは、僕の責任じゃない。 だってあなた、この海で一番、綺麗だったんだもの。 それは知っている。だからどうなのだ。それとクレイジー・ムーン・パラノイアに何の関わりがある。 そもそも僕は、人を探しているのだ。道理を知らぬ露出女と、わけの分からないクレイジー・ムーン・パラノイアなどというものにかまけている暇はない。 首を傾げて覗き込む女の顎を捕まえ、腰を引き寄せ、強引に口づけする。 乳房をむんずとつかみ、指先で、繊細な突起を羽毛でなぞるように軽やかに撫で、摘み、転がす。 あぁ―― 熱い吐息。 歯の間から舌を差し入れ、女の舌と絡ませつつ、それを引き出し、吸う。 こりッ―― 舌先を小さく咬み切る。流れ出る血液の、鋭い味。味わいつつ、胸の突起を力を込めて摘み、ひねり上げる。 ひぃぃい 短い悲鳴を上げ、女は背筋をのけぞらせ、びくびくと尾びれを振るわせる。所詮、魚類。本能に沁み込んだ生殖を刺激する快楽には逆らえまい。性交しない魚に快感があるのかは、定かではないが。 手を放すと、彼女はどさりとアスファルトの路面に崩れた。しばらくは、忘我自失の態で荒い息を吐き、身体を痙攣させていたが、そのうちに、尾びれの先から透け始め、全体がぼんやりと霞んで――、 そして、消えた。 雑踏(ノイス)が戻ってくる。 有象無象の蟲螻。個々の意志を持つようで群集心理に呑まれ躍らされている。生命なるものの維持には不可欠なのだろうが、僕には関わりない。興味がない。 彼女は、彼女が本来いる場所に戻ったのか、また違う場所で迷子になっているのか、それとも本当に消えてしまったのか。僕には知りようもないが、特別、知りたいとも思わなかった。 ただ予感としては、あれそのものではないとしても、あれと類似したものとして、もう一度会うような気がする。気のせいであることを、盛大に祈りたい気分だった。
>おさん おおお、これは凄いです。濃密。自分の書いたよくわからんのよりずっといいですね。エロいしw ぼくもこういう文章書ければなぁ……。 これ削ったのはちょっともったいないですね。まだここから変わってく、とのことなので、期待して待たせていただきます。
風は果たしてどちらに向かって吹いているのだろう。 背を押すかと思えば胸を圧し、巻き上がり吹き下がり、判然としない。誘うように拒むように、一時さえ絶えることなく吹き続ける風を受けながら、茫漠たる闇の荒れ野をひたすらに歩き続けていた。 周囲に転がる岩々は、風化によって角を丸めているが、乾いた血のように赤茶けた岩肌は闇に染まって黒味を増し、地面に這うように根を伸ばす木々は、葉の一枚さえ付けておらず、とうの昔にすべて枯れはてたと思えた。ときおり鋭い鳥の鳴き声が耳元まで響いてもその影は見えず、月明かりを受けた砂地に古代文字のような痕跡を見つけ、虫や蛇が這った跡かと眼を凝らすが、その余韻さえたちどころに風と闇に掻き消える。数年前には肉食獣の類を恐れたが、むしろ今は生き物らしき気配をまったく感じぬことに居心地の悪さを覚えた。ただ砂を孕んだ冷たい風だけが、嘆きとも叫びともつかぬ声を上げて、そこが確かにある世界だと訴えている。街道を外れてもう二時間ほど歩いただろうか。星の位置と月の傾きが時の推移を告げているものの、はたして自分がかの場所まで近づいているかどうか、一度の確信も持てない。夜明けを待とうかという思いが過ぎるたび、私はそれを打ち消し、闇に不安でいるのは私だけではないはずだと己を叱咤する。 無遠慮に岩ばかりが転がる中で、時折月光を受けて白く浮かびあがるものを見つけ、目を落とせば古い頭蓋骨だと分かった。かつてこの地を去ったときには、骸には衣服のきれぎれや穴の穿たれた甲冑の名残が張り付き、錆びた刀剣や矢じりのひとつなりと突き刺さっていたものだが、わずかなりと金目になるものは、ひとつ残らず剥がされたらしい。荒れ野を往く人はたしかにいるのだ。そして後には曝け出された骸が残る。せめて骸はそのままに残っているかと踏んでいたが、五体が揃ったものは最早この荒れ野のどこにもないのかもしれない。今は気配さえ感じさせぬ獣が、あの戦の後、格好の餌場として荒らしたためか、鋭い牙で砕かれた跡が見える。獣が飢え、ついに餌場を変えねばならぬと差し迫るまで、何度となく骸は砕かれ、乱され、あるべき形を失っていったのだろう。ばらけた骨は風に運ばれたのか、雑多な白い破片がそこらじゅうに散らばっていた。 ひとり呆然としながら彷徨い歩けば、次第に白く光るものの数が増え、自分がかの場所に近づいていると知った。細かな破片を踏みつけぬわけには進めず、一息つこうと顔を上げ眼を凝らした水平線の淵に、奇妙な形をした岩が月光を背負って仄かに輝いていた。周囲を改めて見渡すと、遠い日の記憶が合致を始める。かつて私たちが命を散らした戦地が確かにそこに広がっていた。知らぬ人が訪れたのならば、何の変哲もない荒れ野でしかないだろう。旅人が偶然通りかかっても、雑多な破片の上に腰を下ろすのを嫌がって、足早に立ち去ろうとするほどの場所だろう。それほど時が経ったのだ。 勝利とも敗北ともつかぬままに戦が終わり、もう五年という月日が流れていた。戦果を上げた兵士が称えられた期間が過ぎ、それを吹聴すれば人殺しと呼ばれるようになるだけの時。戦で恋人を失った娘が過去を忘れ、あらたに嫁いで母親になるほどの時。そして、人も町も変わる中で、変われない者らが心の燻りを持て余し続けた時。それが五年という月日だった。 呆然としつつも、私はまた歩み始める。背中で瓶のぶつかり合う、硬い音が鳴った。荷を降ろして一口呷りたい衝動に駆られたが、堪えて背嚢を背負いなおす。彼らが先だ。 奇岩に近づくにつれて、青白く光るものの数はますます増えていった。ひとつをつぶさに見つめれば、湧き立つ思いに心が染まって動けなくなると思い、景色ごとぼんやりと眺めていると、無数の人魂が揺らめいているように見えた。しかし瞬きを繰り返してあらためて視線を向ければ、それらはただの白い骨でしかなく、誰もがかつての姿を取り戻して語りかけてくれることはない。 竜の頭。月光を受けて陰影を濃くしたその赤茶けた巨大な奇岩に至ると、散らばった骨の前で背嚢を降ろした。荷の中で瓶と瓶がぶつかり、水音が響く。獣と風に乱された誰のものとも区別のできない幾つもの骨の前で、敬礼をしようと思ったが、すぐに思いなおした。彼らが喜ぶとは思えない。長く歩いた後に立ち止まったからだろう、足裏に痛みを感じ、蹲って足を揉んだ。不意にそんな姿を晒している自分に気づき、妙な気恥ずかしさを覚えた。 取り出した瓶を月光にかざすと、中で液体が揺れ、赤い地面の上に、泡立つ水面の影を落とした。硬い栓を抜くのに少しばかり苦労して、琥珀の液体を荒れ野に注ぐと、それは速やかに拡がり、瞬く間に地面の下に吸い込まれていく。彼らが飲み干してくれたのだと、無理にでも思うことにした。 身を屈めて、二本目、三本目と同じ箇所に注ぐと、最後は小さな溜りができ、少し間を置いて地面に消えた。その光景にたらふく飲んだ彼らを想像したが、身を起こして見た荒れ野は果てもしれず広がり、私の安直な妄想はたちどころに掻き消えた。それでも、昔日が幻としか思えぬ活気に満ちた町中に身を潜めるように暮らし、夜中に飛び起きた自分の部屋の寝台で、空しく赦しを請うようりは、まだいくらか彼らに届くのではないか。それさえ身勝手な思い込みでしかないなら、もはや私にはどうすることもできない。死者は語らず、形ある赦しなど、もとよりありはしないのだ。 立ち止まって冷えた身体が震え、瓶の底にわずかに残った液体を一口呷った。焼け付くような感触が喉から胃に伝わり、私は熱の篭った息を吐く。吐息を吸った風が心なしか勢いを増して、嘆きとも叫びともつかぬ声を上げていた。相変わらずどちらに向かおうとするのか判然としない風を受け、私はオオウと咽び泣くよりなかった。-----------------------今原作を読み返しても、投稿する気が削がれそうなので、ここは勢いでw。しっかし、自分よりはるかに表現力がある方の作品をリライトするって難しいですね。色んな部分で中途半端に引っ張られて、文章が安定してない箇所があります。でもま、良い経験でした。
真夜中、荒れ野を転がる岩岩はどれも、錆が浮いたように、うっすらと赤い。 枯木が、岩と岩の間に生えている。砂まじりの強い風に吹かれ、哀れな音が鳴る。枯木を軋ませて奔る風は木枯しである。 その枯木のそばを、杖をつきながら歩いていく男がいる。めしいである。めしいの杖の先が砂をかむ音が、木枯らしにまぎれて鈍く響く。 風の音、杖が砂をかむ音、遠くから警笛のように鳴り渡る猛禽の声。めしいにとってはそれだけであった。月に照らされて白く浮かび上がる数多の骸も、めしいには見えていない。 骸には衣服がない。頭部のない骸もところどころにある。金になるものは、すでに剥ぎ取られたのだろう。頭部がないのは、しゃれこうべをけずり粉にすると良薬になると、人の口に膾炙されているからであろう。金にさえなれば、人の頭も追剥の獲物であった。 めしいの杖が、かつんと乾いた音を立てた。 めしいが腰を下ろして取り上げてみると、それはしゃべこうべであった。獣に噛み砕かれたような割れ跡がある。しゃれこうべのうらを、コメツキムシが這いまわっている。 めしいは立ち上がり、しゃれこうべを手に持ってまた歩き始めた。 めしいが進むほど、骸の数は多くなってゆく。杖が骸にあたることも度々になった。しかしめしいはもう立ち止まらない。骨を踏みこえて進んでゆく。 なにやら喋っている。しゃれこうべに話しかけているつもりのようだ。 戦が終わってから五年が経った。戦が終わったあと、名を変えて今まで生き延びてきた。妻も子どももいたが、今どうしているのかは分からない。と、そんなことを云った。めしいはかすかに口元を歪めた。笑ったのだ。 めしいの杖が、岩につきあたった。胴回りで10尺ほどもある大きな岩である。めしいはしゃれこうべを放り捨て、左手で杖をつき、右手を岩につきながら、岩に沿って歩いた。 30歩ほど歩いて、裏にまわったところで、杖はつたにかかった。つたは、岩にびっしりとかかっていた。右手もつたをとらえていた。 めしいはふりかえった。そこには先ほどまでと変わらず、岩と、木と、骸があった。 めしいは句を詠った。それは俊寛の句であった。「此島へ流されてからのちは、暦も無ければ、月日のかはり行くをも知らず。ただおのづから花の散り、葉の落つるを見て、春秋をわきまへ、蝉の声麦秋を送れば、夏と思ひ、雪のつもるを冬と知る。―――」 俊寛は、その句を述べた後、一切の食を絶ち、念仏を唱えながら往生の時を待った。これはそういう句だった。めしいの詠うその句は、荒れ野を淡々と流れゆく。そのなかでめしいは力まず、かといって緩まない、不思議な佇まいであった。 詠い終わり、めしいは懐から瓢箪を取り出し、栓をぬいて下に向けた。酒がこぼれ、酒を啜った土が黒ずんでゆく。 めしいは、瓢箪に残った酒を一口あおり、瓢箪を放り捨てた。 そして、元来た道へと歩みはじめた。 終わりです。 片桐さんと被ってしまいましたね(原作だけ) 私のは、リライトといっていいのかどうか。 リライトはやったことが無かったのですが、難しいことに挑戦してみたかったのでやってみました。 客観的にみて出来はよくないかもしれませんが、とても面白かったです。
筋書きはそのまま、文章や細部はかなり変えました。HALさんよう、おたく、劣化コピーって言葉を知ってるかい……?(←もうひとりの自分の声)---------------------------------------- ――生涯で一度くらい、運命的な出会いをしてみたかった。 暮れなずむ空に押し包まれながら、そんなことを考えていた。 ごうん、ごうんと、かすかに音が響いている。それは丁度、鼓動のリズムと同じくらいの間隔だ。崖の下に押し寄せる潮騒のように、低く遠く、意識の底を流れる音。 足の下、ゆっくりと上り続ける自動階段は、ちょうど体の幅しかない。両脇に添えられた手すりも、心細いほど低く、頼りなかった。 もう二日ほど、こうしてただ立ち尽くし、この階段に運ばれている。視線で足元をなぞれば、白い階段はどこまでも続き、やがて細って空に吸い込まれている。あとどれだけこうしていればいいのか、手がかりはどこにもなかった。 退屈さにたえかねて身を乗り出せば、はるか眼下に広がる大地。建物どころか、見慣れたはずの地元の地形さえ、切れ切れにかかる雲のむこうに霞んで、確かには見分けられない。いま、どれくらいの高度だろうか。 ――あの中に、ついこのあいだまで、いたんだよな。 そんなことを思ってもみるけれど、思考はただ胸の中を素通りしていくようで、実感がなかった。何を掴んだという感触もないまま、すべてが手の届かない場所に遠ざかっていく。ただそういう漠然とした不安だけが、ゆらゆらと体の中をたゆたっている。 ひとに比べて、特別に孤独な人生を送ってきたというわけではない。……と、思う。友達は多いほうだったし、幸いにして家族との仲もよかった。恋もした。だから、何かが足りないなんて思うのは、ただの贅沢なんだろう。 だけど、心の奥のほうのどこかに、ぽっかりと小さな空白があるような気がした。普段は忘れていられるけれど、ひとりきりになるとふっと見つめてしまう、ほんの小さな隙間。あるいは欠けたピース。出会うべき誰かにまだ会えないままでいるような、そんな感触。 自分の考えに、思わず苦笑した。らしくもなく、感傷的になっているのかもしれない。 視線を前に戻せば、すぐ向かい側に、下りの自動階段がある。数分から数十分おきに、そのうえを誰かが運ばれて、下の世界へ降りていくのとすれ違う。彼らはずいぶんなお年寄りの姿をしていることもあれば、まだほんの幼い子どもの場合もあった。 下りの自動階段は、ちょっと無理をして手を伸ばせば、届きそうな位置だ。もしかしたら、飛び移ることもできるんじゃないかと思うくらいの。 だけどそれは、そう見えるというだけで、実際にできることじゃない。手すりを乗り越えて飛び移るどころか、自分で段を上ったり降りたりすることもできないのだ。鎖で繋がれているわけでもないというのに、いま立っているこのステップから、一歩も離れられない。 またひとり、誰かがゆっくりと、向かいの階段に運ばれて、上の方から降りてくる。白髪の混じり始めた、中年男性。相手のほうが、先にこちらに気がついていたらしく、目が合うなり、会釈をされた。こちらも会釈を返す。その顔が、誰かに似ているような……と思ったときには、男の背中は遠ざかりつつあった。 誰に似ているのだったかなと、記憶の箱をひっくり返す。有名人だろうか。それとも親戚? 友達の父親? 近所の人だろうか。 いっとき考え込んでから、ふっと思い出した。可笑しくなって、ひとり、笑い出す。何のことはない、自分を撥ねた貨物トラックの運転手に、目元が似ていたのだった。 生まれて初めての、そして最後の交通事故にあったのは、二日前の午後だった。引き伸ばされた、永遠のような一瞬。フロントガラスの向こうには、たったいま居眠りから醒めたというのがありありとわかるような、疲れた男の顔があった。濃い色をした隈。半分まぶたの下りていた目が、まず驚愕に見開かれ、続いて何かを懇願するような色に変わっていくのを、たしかに見たと思う。次の瞬間に眼前を過った、信じられないくらいあざやかな走馬灯。そして衝撃……暗転。 そうして二十年の生涯は、驚くほどあっさりと幕を引いた。 日が沈みきるのとほとんど同時に、反対側の空から、月が上ってくる。今日は満月らしい。 ここで見る月は、赤い色をしている。黄砂のカーテンに遮られたときのそれとも違う、ぎょっとするような色。それがゆったりと、寄せては返す波のように濃淡を変えて、明滅している。 地上で見るように月が白ければ、星明りも紛れてしまうところだろうけれど、その不気味な月の色が幸いしてか、地上ではなかなか見られないような、みごとな星空が周りじゅうに広がっていく。もし月がなければ、きっともっと素晴らしい光景になるのだろう。どうせなら、新月のときに死ねばよかったかもしれないなんて、そんな呑気なことを考えた。 もっとも、この階段をあと何日上ればてっぺんにたどり着くのか、よくわかってはいないのだ。五分後ということはないにしても、一時間後なのか、あるいは数日後なのか。月が欠けてもまだ辿りつかないということも、ありえない話ではない。 もしかして、何十年後だったりして……。思わず首をすくめる。ぞっとしない想像だった。 それにしても、さすがは死後の世界というべきだろうか、丸二日ものあいだ、延々とただ狭い階段に突っ立っているというのに、足も腰もいっこうに疲れもしない。ただ退屈なだけだ。おかげで、ついわけもなく、小まめに向かい側の階段を見上げてしまう。降りてきた誰かと目があっても、会釈をするのがせいぜいで、話ができるわけでもないのに。 またひとり、誰かが降りてきていた。その影が視界に飛び込んだ瞬間、わけもなく、どきりと心臓が跳ねた。どうしたんだろう。この二日間ですでに何十人か、へたをすれば百人以上の人々とすれ違ってきて、その誰にも、特別な予感めいたものなんて、感じたりはしなかった。 でも、どうせすぐに通り過ぎて、それで終わりだ。こう薄暗くちゃ、表情だって見えるかどうかわからない。そう思いながらも、礼儀とおもって、会釈をする。相手も小さく頭を下げた。それでその相手が女性だとわかった。ボブカットの髪がふわりと揺れたのだ。 ちょうど、彼女とすれ違った直後、足元にかすかなゆれを感じた。「え、わっ」 思わず声を上げる。がたん、と音を立てて、自動階段が止まった。振動は小さかったけれど、とっさに手すりにしがみついてしまった。「なんだろ」 そういえば、この階段に乗ってはじめて声を出したなと、そんなことに気がついた。隣の彼女に話しかけるとも、独り言ともとれないような呟き。「どうしたんでしょうね」 下りの彼女は、返事をかえしてくれた。二日ぶりの、他人との会話。 声からすると、相手は若い女性のようだった。僕とそう変わらないような感じ。もっとも、これまで死んでいて、いまから生まれなおそうとしている人間の年齢に、普通の基準をあてはめたって、意味はあまりないのかもしれない。「困りましたね。故障なのかな。ここまで一度も止まらずにきたのっていうに」 そういってから、いや、困るかなあと思い直した。考えてみれば別に僕には、先を急ぐ理由なんてないのだ。 でも、彼女にはあるかもしれない。さっさと下の世界におりて、早く新しい人生をはじめたいと思っているのなら、の話だけど。 ほどなくして、アナウンスが流れた。『ご利用中の皆様へお知らせします。ただいま定期メンテナンスのため、当自動階段は一時的に運行を停止しております。お急ぎの方々には大変ご迷惑をおかけしておりますが、いましばらくお待ちください。運行は、数分ほどで再開する予定となっております。繰り返しお知らせします。ただいま定期メンテナンスのため――』 マイクを通しているようにしか聞こえない声、いかにも義務的な愛想のよさ。駅やデパートの中あたりで流れていても、ちっとも違和感がないような。死後の世界にふさわしい、不思議なことといえば、その声が足元から響いているようにも、はるか天上から降ってきたようにも聞こえるという、その一点だけだった。 そのことが、なんとなく可笑しいような気がした。くすりと息で笑うと、つられたように、下り階段の彼女も小さく笑い声を立てた。「意外に事務的なんですよね。こういうのって」「神様……っていう呼び方でいいのか、よくわからないけど、そういう人たちも、人手不足なんでしょうね。オートメーション化を進めないと追いつかないくらい、人口が増えているのかも」 いいながら、後半、ちょっと早口になった。くすくすと笑う彼女の声を聞いているうちに、照れくさく思えてきたのだ。彼女は笑いやむと、小声でいった。「でも、よかったのかも。ずっとぼうっと立ってるだけじゃ、飽きてきますもんね」 その言葉に頷き返しながら、自分が会話に飢えていたことを、痛いほどに感じた。もっと彼女と、話をしたい。 衝動的に体をねじって、彼女のいるほうに体を向けると、ちょうど彼女も、こちらを振り向こうとしていた。 きれいな子だった。 その鳶色の瞳と、目が合った瞬間、何か形のないものが、胸のいちばん奥に、すとんと落ちた気がした。思わず、自分の胸元を掴む。ずっとあいていた隙間、欠けたままだったピース。さっきの埒もない考えが、頭の隅を過ぎる。「あの。どこかで会ったことがあるかな」 これじゃ下手なナンパみたいだ。いうなり自分で赤面した。だけど、彼女は真面目な顔で、小さく頷いた。「わたしも、いま、おなじことを訊こうと思って」 その瞳の色は、真剣だった。 僕だけの気のせいなんかじゃなかった。だけど、どこで会ったのか、いくら記憶を探ろうとしても、何も浮かび上がってはこない。名前を聞いたら、なにか思い出すだろうか。「俺は武本。武本コウキ。きみは?」「わたしは丹羽ミキ」 その名前に、まったく心当たりはなかった。誰か、知り合いと似ているだけなのか。それとも過去に会っているけれど、名乗りあうこともなかったのか。それにしては、彼女をたしかに知っている、というこの確信は、どっしりと胸の芯に居坐っている。「……ごめん。思い出せない」「わたしもです」 二人して、ちょっと黙り込んだ。さっきのアナウンスでは、メンテナンスにかかる時間は数分程度といっていた。あとどれくらいの余裕があるんだろうか。 もっとこの子と……ミキと、話をしたい気がした。何か、話すべきことがあるような。だけど、自分が何をいいたいのか、よくわからなかった。言葉が見つからない。 何かいわないと……。焦っていると、彼女が首をかしげた。「あの。あなたは、どうして?」 その声の調子で、ミキのほうも、名残惜しいと思ってくれているのがわかった。そのことが嬉しい。「ああ、俺は交通事故で。一昨日の夕方だったんだけど」 嬉しかったとはいえ、間抜けなほど明るく、軽い口調になってしまった。だけど、へんに重々しくいうよりも、よかったのかもしれない。そんな一言でも、彼女は痛ましげに眉をひそめたから。「ああ……。ご愁傷様でした。痛かったでしょう」「いや、一瞬だったから。痛いって思う暇もなかった。気がついたら、もうこの変な階段の上に立ってました」 そういうと、ミキはほっとしたように、表情を緩めた。「そう、良かった。……っていうのも変かな。不幸中の幸いでしたね」「ああ、そう。それです。俺、変なところで運がいいんだ、昔から。あれ、こういうのは運が良いとはいわないかな」 わざとおどけてみせると、ミキはかろやかな声を立てて笑った。その声の響きに、胸の奥がじんと暖かくなる。 ミキは、笑いをおさめると、しんみりと呟いた。「そっか。じゃあ、わたしは明後日かな」「何が?」「生まれるのが」 ああ――。思わず息が漏れる。「そっか。俺が二日、ここを昇ってきたんだから、同じだけ降りたら」「たぶん、ですけど……ね」 ミキはいって、ちょっと微笑んだ。「おめでとう」「ありがとう。でも、ちょっと不安もあって」「え、そう?」 意外だった。だけどたしかに、さっきからの彼女の態度は、喜びに満ちているというには、落ち着きすぎていた。「生まれなおすときに、いままでのことはみんな忘れてしまう。わたしがいまのわたしでいられるのは、あと二日だけ。そう思ったら、なんとなく……怖くて」 とっさに、言葉に詰まった。いまの彼女の心境を想像しようとしてみるけれど、それさえもままならない。輪廻転生なんてことを、いままで二十年生きてきて、真面目に考えたことがあっただろうか。どういう声をかけていいのかわからない自分が、もどかしくて、悔しかった。『ご利用中の皆様へお知らせします。現在実施中の定期メンテナンスは、あと三分ほどで終了する見込みとなっております。今しばらくそのままでお待ちいただきますよう、お願いいたします。繰り返し――』 また例の声が、どこからともなく降ってきた。残る時間はわずか。何かもう少し話をしたいという思いに押されて、ろくに考えもせずに、とにかく口を開いていた。「あの月って、なんで赤いのかな」 変なことを訊いてしまった。すぐに後悔したけれど、彼女は笑うでもなく、すっと月を見上げた。そのまなざしが澄んでいて、思わず彼女の横顔に見とれる。「あれは、命の色、なんだって」「いのち」 僕は繰り返して、空を見上げた。赤い満月、この世ならぬ月。「そう。もう尽きた命と、新しく生まれる命」「へえ……」 あらためて眺めると、なるほど、あの赤さは、血潮の色なのかもしれないと思えてきた。ゆっくりと明滅を繰り返す光の加減は、そう、鼓動と同じリズム。それを見つめているうちに、ふと、これから先のことに思いが向いた。「そうだ、ねえ。俺がこれからいくところって、どんな場所なのかな。まさか、地獄みたいな――」「ふふ。まさか、大丈夫。静かなところだから。それこそお話の天国と違って、蜜の川が流れてるわけじゃないけど。でも、ゆっくりできると思う」 彼女は可笑しそうに笑って、説明してくれた。「へえ。そこで、どんなふうに暮らすの」「下の世界を眺めてすごすの」 思わず、眼を瞬く。それはずいぶんと、呑気な話のように思えた。「え。ただ見るだけ?」「そう。わたしは二十年くらい、ずっと見続けてたかな。それである日、気がついたら、やっぱりこの階段の上にいて」「それって、でも、かなり退屈じゃないのかな」「そう……そうかも。でも、わたしは嫌いじゃなかった。生きているときには、見られなかったものが、たくさん見られたし」「へえ」 まだあまりピンとこなくて、首をひねっていると、彼女は小さく声を立てて笑った。「なんだか変な感じね。わたしたち、会ったばかりなのに、妙に打ち解けてる」「ああ、うん。やっぱりどこかで、前に会ったことがあるのかな」 言ってから、自分の馬鹿さ加減に呆れた。彼女が二十年、この上の世界にとどまっていたというのなら、二十歳で死んだ僕と、現世で会っているはずがないというのに。 二十年――はっとした。「思い出した」 僕は、よほど驚いた顔をしていたんだろう。怪訝そうに、ミキが首をかしげた。ああ、どうしていままで、彼女のことを忘れていたんだろう。忘れていられたんだろう。「やっぱり、俺たち、会ったことがあるんだ」「え。だって……」「二十年前に。ここで。この、自動階段の上で」 ミキは息を呑んで、目を見開いた。その瞳に揺れる戸惑い。こんな話を、信じろっていうほうが無理なことだ。だけど、筋道立てて説明するだけの時間はなかった。焦る心を押し留めて、言葉をさがす。どうしても伝えたい言葉だけを。「君に、ずっと伝えたかったことがあるんだ」 口に出すと、その言葉はしっくりと胸の奥になじんだ。そう。僕は彼女をさがしていた。ずっと、ずっと、長いあいだ。二十年前から、いや、もしかすると、何百年も、何千年も前から。「ずっと前から、君のことが好きだった。話をするのも今日がはじめてなのに、変に思うかもしれないけど」 僕らは何度も、ここで出会っていた。この場所でだけ。繰り返し、繰り返し。 それはいつも、ほんの一瞬の邂逅。言葉を交わす間もない、視線の交錯。 いまの姿をした彼女が死んで、僕が生まれなおしたときにも。その前の僕が死んだときも。もっと前のときにも――。それは、確信だった。既視感なんていうあいまいなものじゃない。魂の底に刻まれた、たしかな記憶。 赤い月明かりの下で、僕は見た。はじめは驚きに見開かれていたミキの目が、ゆっくりと、理解の色を浮かべるのを。そしてその瞳から、大粒の涙がひとすじこぼれて、彼女の頬を伝うのを。「わたしも」 ミキは一度言葉を詰まらせた。それから喉をふるわせて、いった。「わたしにも、やっとわかった。わたしたちは何度も、ここですれ違っていたんだね」 その声にこめられた熱を感じた瞬間、胸が震えた。「わたしもあなたに、会いたかった。ずっと」 その言葉だけで、何もかもが満たされるような気がした。死を悟ったときにも流れなかった涙が、彼女の思いを感じた瞬間、堪えようもなく、僕の中からあふれた。『皆様にお知らせします。定期メンテナンスは、無事に終了いたしました。まもなく運行を再開いたします。お急ぎの方にはたいへんご迷惑をおかけしました。繰り返しお知らせします――』 弾かれたように顔を上げる。階段がかすかに振動するのがわかった。せっかくこうして、思い出せたのに。せめてもう少しだけでも。 ミキのほうに向きなおると、視線が絡み合った。彼女の目が、哀しみに揺れる。だけど容赦なく、アナウンスは終了する。階段が振動を大きくする。 突き動かされるように、叫んでいた。「俺は……俺は、君のことを思っている。ずっと、この上から君を見守っているから。君が忘れてしまっても、僕は覚えている。君が悲しんでいるときには、俺も泣く。君が喜んでいるときには、俺も笑う」「でも、生まれてしまったら――」 彼女のいいたいことはよくわかった。いまのミキがとっているのは、あくまで過去の生の姿。生まれ変わったら、彼女は別の人間になる。 そしてその瞬間を、僕はおそらく、見ることができない。下の世界に生きる、膨大な数の人々の中から、僕が彼女のことを見つけられる保証なんて、どこにもない。「それでもきっと、僕は君を見つける。君がどんな姿になっても、必ず。約束する」「……わたしも」 ミキはまっすぐに僕の目をみつめて、うなずいた。「わたしもきっと、あなたのことを思い出す。そして、次にあなたが生まれなおしたときには、わたしがあなたのことを、見守っているから」 とっさに手を伸ばしていた。同じように差し伸べられた彼女の手に、かろうじて触れる。その小指をそっと、絡ませあう。「約束」 顔を見合わせて、ちょっと笑った。くすぐったいようなぬくもりが、胸の奥に宿る。わけもなく確信が湧き上がる。大丈夫、この気持ちを、きっと覚えていられる。 ごうん、と鈍い音がして、階段が動き出す。繋いでいた指が、するりと解けた。「大丈夫。だって俺たちは――」「そうね。わたしたちは――」 お互いの声はすぐに聞こえなくなった。だけど、下っていく階段に運ばれながら、まっすぐに僕を見上げるミキの目は、僕の魂の底へと、たしかな熱をもって焼きついた。「大丈夫」 もう一度だけ、そっと呟く。自分に言い聞かせるように。 赤い月に見守られて、夜空の中を、ゆっくりと自動階段が上っていく。どこまでも、どこまでも。 やがてたどりついた場所で、僕は地上に生きる彼女をさがすだろう。そして何十年かのあいだ、静かにその生を見守り続ける。彼女の命が尽きる、そのときまで。---------------------------------------- 幸せでした……! 結果、出来はともかくとして(汗)、書かせていただきながら、とても楽しかったです。己の実年齢も忘れて、きゃーきゃーいいながらリライトしていました。何このお話素敵すぎる……!
>HALさん この度は拙作をリライトしていただき恐悦至極。なんでしょうこの感覚。僕の作った設定や筋ではあるんだけど、一方で僕の作品じゃないわけで、文章は作品に合った感じで、色々と解釈された上で付け加えられている部分もあったりで、そんなこんなでこの話を読んで思ったのは、うぎゃーーー! ってことでしたw。作品に照れているのか、自分がこんな話を書いていたことに照れているのか、それをこうやってすばらしい作品にしてくれて喜んでいるのか、まあ、いろんな気持ちがごっちゃになって、叫びたくなりましたw。 何度も読ませてもらうことになると思いますが、うぎゃーってならなくなったら、もうちょっと色々考えてみたいと思います。学ばせてもらいます、はい。 とにもかくにもすっごい嬉しかったです。ありがとうございました。
>HAL様リライトしてくださってありがとうございます。さすがの出来栄えですね。完璧にHALさんらしい作品になってました。構成もラストもすばらしかったです。私自身考えたものもありますがいい刺激を貰えたと思います。
> 弥田様 『ほらねんね』リライトへの感想 わっ、リライトというよりも、二次創作……なのかな。原作を補完するようなストーリーですね。面白い! わたしは原作を読んでいて、熊=男性だと思ったんですよね。アルコールのイメージは、実はわたしにもちょっとあったのですが、女性というのは意外でした。すごいなあ。 壊さないように細心の注意を払うところが、想像するとなんとなく物悲しいような、可愛いような。不思議な感触の作品でした。> お様 『Fish Song 2.0』リライト? への感想 うわあ、これはまたがらっと変わりましたね……! まるきりの別作品のつもりで楽しませていただきました。 美麗な語り口と、魅力的な世界観がマッチしていて、不思議な味わいです。幻想的なところと、生々しいところのバランスがいいなと思いました。完成版を楽しみにしています。> 片桐秀和様 『荒野を歩く』リライトへのお礼と感想 ありがとうございます……! すごく嬉しいです! 文章の硬軟でいえば、やや固い印象かなあ。でも内容や心情は、より噛み砕かれて、むき出しになった感じがします。わたしの原文では言葉遊びが過ぎて、まわりくどかったり、鼻についたりするようなところが、丁寧に解かれて、生の感情に近い形で、力強く表出しているような感じ。とくに風の描写がいいな、と思いました。 うわあ、うわあ。嬉しいです。ありがとうございました!!> 新地様 『荒野を歩く』リライトへのお礼と感想 わあ、ありがとうございます! 和風だあ! そして盲人。三人称にされたこともあって、がらりと印象が違いますね。しゃれこうべをけずり粉にすると良薬になる、のくだりが強烈でした。 主人公が何を思って古戦場跡を訪れたのか、ほとんど完全に伏せられていて、読まれる方の想像に大きく託された感じでしょうか。こちらの主人公の性格は、どことなく超然とした印象がありますね。 楽しく拝読しました。ありがとうございました……!> 自分 『孤高のバイオリニスト』リライトの反省 いくらなんでも改変しすぎですね?(汗) 原作のキモは、バイオリニストが人の幸福に手を貸しておきながら、自分は一人ぽっちで去っていってしまうところだと思ったのですが、そこまで思っておきながら、細部に気を取られるあまり、肝心のところがぼやけてしまった気がします。うわーん。 勝手に設定を付け加えた挙句、字数だけ無駄に使ってしまったような感が。無念です……。 出来はともかくとして、謎めいた男を書くのがとても楽しかったです。歌う女の子というのも、いいなあと思いました。書かせていただいてありがとうございました!> 自分 『自動階段の風景 ――行き交う二人――』リライトの反省 楽しかった……! 腕不足のせいでせっかくの素晴らしい原作を台無しにした感がいなめませんが(汗)、とてもいい勉強をさせていただきました。 なるだけ原作の空気を壊さずそのまま書きたかったのですが、慣れない呼吸でこの長さを書ききるのは、体力的に辛かったので、劣化を承知で、文章や細部の描写は、ほぼまるまる自分流にリライトさせていただきました(汗) それにあわせて各エピソードの順番を入れ替えたのと、あとはアナウンス一回増やして、コウキ君が貨物トラック(原作は建設資材の運搬車)に轢かれた瞬間のシーンを加筆。そう考えたら、けっこういじったのかな。筋書きや主題は動かしていない……つもりです。 素敵な作品のリライトをさせていただいて、本当に幸せでした。ありがとうございました!
HAL様の『荒野を歩く』をリライトしました。(というかアフターストーリー?)勝手ながら大幅な改変と設定を付加したところがありますのでご了承ください。―――――――――――――――――――― 荒野は相変わらずの静寂と嘆き声のような冷たい風にその身を曝していた。変わっていない。まるでここだけが時間の流れに取り残されたかのように、何もかも。乾いた血のように赤茶けた岩々も、地面に這い蹲るようにしがみつく枯れ果てた木々も、頭上で休むことなく瞬く星々も、ただただあの時と同じだった。「ただいま」 帰ってきたことを告げる言葉。それは誰もいない荒野にすっと溶けていった。俺が訪れたのは小高い丘の上にあるしゃれこうべに囲まれた竜の頭骨に似た巨石のふもと。かつて激しい戦いがくり広げられ多くの仲間が命を落とした場所。昔一度ここを訪れたときは至るところに骨々が転がっていたが、道中にはもうそれらしきものはなく、ここにはかろうじてしゃれこうべと思える白い塊が転がっていた。 背負っていた背嚢をおろしそこから幾つか酒瓶を取り出し口を開ける。琥珀色の液体が満ちたその瓶を逆さにして、砂礫で汚れたしゃれこうべに注いだ。十五年前と同じように手向けた酒は、十五年前と同じように彼らを濡らし、赤い大地へこぼれては速やかに広がって染みいった。彼らが飲み干したのだと思いこもうとしたあの時が少し懐かしかった。一本目が終われば二本目を、それが終われば三本目、四本目・・・・・・と背嚢から取り出し栓をあけ、しゃれこうべと赤い大地に注いでいった。最後の一本を少しだけ残し自分の口に含む。焼け付くような感触が喉を滑り降りていった。久しぶりの酒をしっかりと味わうと今度はたばこを取り出し口にくわえ火をつける。彼らにも手向けてやろうかと思ったが彼らの中には煙草が嫌いな者もいたためやめた。巨石の根本に背を預け竜の頭骨とその先の星々と月を仰ぎみながら深く息を吸い紫煙を吐いた。紫煙が淡い月の光に照らされながらゆっくりと夜空に上っていく。 ふと、十五年前にここに来た時のことを思い出した。あの時は、ただただ後悔と懺悔に苛まされ、救いを求めるようにここへ来て、話すこともないしゃれこうべに話しかけ酒を手向けた。しかし、わかりやすい救いなど得られるはずもなく、ただただ自分がまだ生きていることを痛感しただけだった。数日後後、俺はここに近い町に借りてあった部屋を出て、逃げるように旅に出た。あの戦争を生き残ったため金だけはそれなりにあった。 あてもなくさまよい歩き、様々な町や村々を訪れ、様々な人に出会いその営みを見てきた。昔日など嘘のような平和な日々を笑いあい過ごす人々。誰もが笑って過ごせる世界があった。 いつの間にか十五年もの月日が流れ、気づいたときには足は自然とこの場所へ向かって進んでいた。歩き慣れた足はあの時のように痛むこともなく、長い荒野には迷いを抱くこともなく、時の推移を告げる星々には愛おしさを感じるだけだった。崩れた彼らの骨々に酒を手向けても心は苦しくもなくあの時のように痛みもしない。こうして横に並んで闇夜に包まれた荒野と、その先で大きな影を浮かび上がらせる山々と、輝く星と月を眺めてもただただ美しいとしか思えなかった。 それでようやっと気付いた。『俺の心にはもう後悔も懺悔もないのだ』。いや、本当は気付いていながら心の奥底にしまっていたのかもしれない。この場所を訪れるまでは、と。 戦争に身をゆだね必死になって平和な世界を作ろうとしてその礎になった彼らがいた。戦争という過ちを繰り返すまいと立ち上がった人たちがいた。戦争が終わり、にこやかに笑い合って過ごす誰かがいた。そうして出来上がった世界に俺は生きている。それに気付けた時、答えは出た。 ――何故俺だけが生き残ったのか。 それはきっと、彼らが戦い求めた平和な世界が、出来上がっていくのを見届けるためだろう。彼らの代わりに、彼らの遺志を受け継いで。 もちろん彼らの死を悼む気持ちはまだある。死を悼む気持ち、それは生きている者ならば誰だって持つものだろう。家族、親族、友人、戦友、恋人……。そういった愛する者たちを亡くすのは誰だっていつかは経験すること。俺たちはそれを乗り越え、生きていかなければならない。俺たちはまだ……、生きているのだから。 短くなった煙草を、地面に押しつけて消し、立ち上がる。背嚢に空になった酒瓶を詰めて背負うと、巨石に向きなおった。「あなた方が守り抜いた平和はこれから『生き残ったものたち』(俺たち)が守っていきます。……だから、安らかに眠ってください」 そう言って敬礼し、「さようなら」 俺はその場を後にした。 荒野を風が吹き抜けていく。嘆き声のような風の音は相変わらず寂しげで悲しそうだった。しかし、先程よりもずっと暖かく感じたのは気のせいだろうか。 遠のく男の背中を、崩れたしゃれこうべたちが見つめ続ける。――――――――――――――――――――原稿用紙約六枚と短いものですが、とりあえずやりたいことはやりました。原作からかなりかけ離れた感じがあり、また内容的には実力不足が大きく出ていると思います。しかし、楽しかった……w。読んでくださりありがとうございました。
紅月セイル様の作品『孤高のバイオリニスト』をリライトしております。------------------------------------------------------ 長かった戦争が終わり、人々の顔に安堵と歓喜が戻った。まるで春の訪れを待ちわびた植物の芽のように街には人があふれ、昼だというのに道の真ん中で麦酒を酌み交わし合い、そして音楽を奏で、笑顔で歌う。 そんな街に追い出されるように、私は街外れの岬へとやってきた。男一人で歩くには寂しい海辺の岬だ。 そこに歌が聞こえてきた。歓喜で溢れた街での歌とは違う、今にも壊れてしまいそうな儚い、そして、誰かを思う優しい歌。 その歌に引き寄せられるように私は歩いていった。 そこで彼女を見つけた。 彼女は涙を流しながら、歌い続けていた。 その時、私はただ、彼女の歌に聞き入っていた。彼女が私に気付く様子もないし、なにより、その歌を聞いていたかった。 それは本来、女性が歌うようなものではない。 戦時中、戦地に赴く男が国に残す家族に向けて、必ず生きて帰ると約束する歌だ。 私は知った。 彼女の中で、戦争はまだ終わっていないのだと。 しばらくして、彼女の歌が止まった。いや、止めてしまった。 歌を聴くことに集中しすぎ、私の持っていた荷物が手から滑り落ちてしまったから。「いつから……」 いつから聞いていたの? そう言おうとする彼女に対し、私はぎこちない笑みを浮かべ、青いハンカチを渡すしかできなかった。 彼女は私のハンカチを無言で受け取り、涙を拭う。「いい歌ですね」「……彼がよく歌ってくれたんです」「信じてるんですね」「ええ」 そうですか、私はそう答えた。 戦争が終わった幾日か経つが、全ての兵が故郷に戻れたわけではない。何らかの理由で故郷に戻れない者も数多くいた。それは、都市占領後の治安維持活動のために現地に残されたり、病や怪我のため動けなかったり、あるいは、すでに死んでいる場合すらもある。 彼女が心配しているということは、手紙も来ない状況、普通に考えれば彼が無事である可能性は少ない。それでも、彼女は彼が戻ってくると信じていると言った。 私は久々に嫉妬を感じた。そこまで彼女に思われる男に対しても、そして、そこまで人を好きになることができた彼女に対しても。 背負っていたケースから、ヴァイオリンを取り出す。「ご一緒してもよろしいでしょうか?」 私の提案の意味を彼女は理解できないようで、怪訝な顔を浮かべた「伴奏があったほうが貴女の思い人に歌が届く可能性が高くなるでしょうし……」 私は恥ずかしそうな笑みを浮かべてこう言った。「私も見てみたいんです。歌が起こす奇跡って奴をね」 小さな奇跡は、それから一週間後に起こった。 岬で歌い続ける彼女の話が一人の新聞記者の耳に留まり、記事となった。ただ、それだけのはずだった。その新聞が国内でトップシェアを誇る新聞誌でなければ。 そして、その話は国内だけではなく、世界に広がった。彼女の許には日々励ましの手紙が届けられた。 ある日、彼女はその中から一通の手紙を見つけた。 それは、かつて敵だった国の病院からの手紙。「彼がいたの。手紙を書けるような状態じゃないけど、生きてるって! 私に会いたいって言ってるの!」 手紙と一緒に、封筒の中には乗船券が入っていた。 相手国からしても、新聞で話題となった彼女を招待することが、対外的に善しとは判断したらしい。「今すぐ、彼のところに行ってくる。ありがとう、あなたのことは一生忘れないわ!」 彼女は笑顔で船へとかけていく。 一人残された私は、再びヴァイオリンを背負い、歩いていき、彼は自分の言葉に笑う。「奇跡……ね」 それは奇跡などではない。そもそも、歌には心を伝える力がある。ただ、それはとても小さな力だから、私はその力をできるだけ多くの人に伝えるように手助けをした。だから、彼女の歌が、心が強いから、その気持ちが彼の元に届くのは奇跡なんかではなく、必然だった。 そして、私は再び歩いていく。 伝わらない心の歌を誰かに届けるために。------------ 少し設定をかえています。彼は戻ってくるのではなく、敵国で怪我をして動けなくなっている、という状況になっていますし、オチも微妙に違います。 どちらかといえば、改悪でしょうか?
>ウィル様改悪なんてとんでもない。素晴らしい作品になっています。「そうか、この手があったか!!」と思わず手を叩きました。ラストもすごくカッコ良くてとてもいいですb>自作主人公を殺さなくて良かった……w。そして二次創作気味になってしまい申し訳ありません……。
弥田さまの『Fish Song 2.0』をリライトさせていただきました。---------------------------------------- ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。そのきらきらと輝く光に溺れてわたしは浮いたり沈んだり。流れてきたくらげがくらくら笑って、その愛らしさに思わず抱きしめたいくらい。 見下ろせばいろとりどりの電飾の下、佇むあの子は笑って手を振ってくる。切りそろえられた前髪がゆらゆら揺れて、その愛らしさに思わず抱きしめたいくらい。 ふいにぽちゃん、と音がして、振り向いた先で魚が一ぴき飛びはねる。ピラルクーのからだに、きれいな女の人の顔。赤みがかった銀のうろこ。「やあ、アルバート・フィッシュだ」 おおきい。とても大きい。わたしの身長とかわらないくらい。だけど手を伸ばすと、指の隙間をすうっと通り抜ける。わたしは自分の手を見つめる。アルバート・フィッシュは女の顔で笑っている。もう一度手を伸ばす。やっぱりすり抜けてしまう。だまし絵みたいなその光景。だんだん楽しくなってきて、抱きしめようと飛びつくと、とたんに跡形もなく消えてしまう。えらのある胴体も、あんがい細い尻尾も、細い首筋も、きれいな顔もぜんぶ。最初からなかったみたいに。「ねえ」 と声がして振り返ればあの子がいる。水面を指して、「行こうよ」 わたしは笑って、うなずいて、飛びついて、抱きしめて、腕の中にはたしかな体温、ぬくぬくとしてやわらかで、その感触にもう一度笑う。 そうしてふたり、昇っていく。向かう先には夜空に浮かぶお月さま。白くて、丸くて、けばけばしいネオンと対照的な、そっけない顔。わたしが笑って、あの子も笑って、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。 着地した場所は、ごつごつしていて、暗くて、ついでに寒かった。さっきまでとは大違い。 あの子がいうには、このあたりは静かの海というらしい。水もないのに海なんて。ネオンもないのに海なんて。ヘンなの。そういうと、文句はケプラーにいいなさい、なんて怒られた。 あの子のショートカットは無重力にもへっちゃらで、太陽風にそよそよそよぐ。あの子の背後に金星が昇る。 無音の世界。あの子の呼吸と、かすかな鼓動だけが、わたしの耳をくすぐる。あの子の上下に動く胸元から、細い首筋がすうっと伸びて、それがなんだか色っぽい。真っ白い肌に頚動脈が淡く透けている。その中を通る赤血球を、思い浮かべてみる。あの子の指先から心臓を通って子宮まで、体中をぐるぐる回る、ちいさな粒。ちょっとうらやましい、なんて、そんなことを思った。 血管の透ける白い首に、そっと手を伸ばす。触れる手のひらにしっとり吸い付くような、あの子の肌。くすくす笑う吐息が指をくすぐる。くすぐったくて、わたしも笑う。 ――わたしたち、ひとりだったらよかった。 わたしがあの子の中を漂う、たった一個の細胞ならよかった。クラゲみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、輪郭があいまいにぼやけていればよかった。あの子と二人、どろどろに溶け合って、わたしたち、ひとつだったら、それだけで全部よかった。 でもわたしたちは人間で、どうしようもないくらいに人間で、しかたないから手を放して、ゆっくり後ろに倒れると、ごつごつした石が頭に当たって、細かな塵が月面を舞った。思わず咳き込むわたしを見て、あの子は笑う。笑ってから、同じように倒れて、同じように砂塵を舞い上げて、同じように咳をした。「咳をするのもふたり、だね」 そういって笑う。その目がきらりと光って、そこに地球が映りこむ。 あの子の瞳から目を逸らして、その視線の先を追えば、真っ暗な空にぽつりと浮かぶ、青い地球。まるいその形を、ぼんやりと眺めていたら、そこにアルバート・フィッシュの瞳が重なって見えた。 地球の背後にぐんとひろがるおおきな顔は、ネオンの海で見たものと同じ。何度ながめてもため息がでるほどきれいで、それにしても、どこかで見たことがある顔だと思ったら、それは隣で寝転がっている、あの子の顔にほかならなかった。 アルバート・フィッシュが体をよじる。真っ暗な海を泳ぎだす。体をねじって、尾をくねらせて。その残像が複雑な軌跡を辿って、めまぐるしく移り変わる。じっと見つめていると、それがだんだん単純化していって、四角形になり、三角形になり、やがて完全な円を描く。その後ろに重なる、真ん丸い地球。わたしたちはそろって歓声を上げる。あの子は上機嫌に歌いだす。それはいつかどこかで聴いたメロディー。 自分の尾をかんで、ぐるぐるまわるアルバート・フィッシュは、回りながらちらりとわたしたちのほうを見て、たしかに笑った。 世界の輪郭が融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。 ※ ※ ※ あの子の声がする。よく知っているメロディー。へたくそな歌。「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートのなかで、くらくらくらくら笑っていてさぁ。……っと、起きた? オハヨ」「おはよう。……その歌、歌わないでっていったよね?」「なんで。いい歌じゃん」「恥ずかしいんだよ」 立ち上がりながら、目を擦る。背中が痛い。足が冷えていた。 ちょっとのつもりで、すっかり眠り込んでたみたいだった。屋上から見える町並みは、夕焼けに赤く染まっている。ちょっと離れたところでは、歓楽街のネオンが目立ち始めている。「いいじゃんいいじゃん。だんだんその恥ずかしさが快感に」「ならないならない」「照れるな照れるな」「照れてない照れてない」 必死に手を振ったら、あの子は軽やかな声をたてて笑い飛ばした。それから同じ歌を、こんどは歌詞をつけずにハミングする。その目の端が、ちょっと照れくさそうに緩んでいる。「好きなんだ。この歌」 いいながらあの子は伸びをする。くるりと背を向けて、「ちょっと私に似てる気がして」 と小声で付け足した。「似てない似てない」 思わず即座に否定する。だってさ、それはさ。「もう。茶々をいれないで、最後まで聴きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だからとか、そんなんじゃなくて、純粋に歌いたいから歌ってるんだよ」 わたしは憮然としてそっぽを向く。だけど背中に、あの子の、思いがけず熱っぽい声が降ってくる。「すごいことだと思わない? このでっかい球体の表面には、六十億人以上の有象無象がいて、その中のたった二人なんだよ。そのふたりがこうやって隣り合わせに立ってて、シンパシーをもっててさ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。いまなら宝くじだって当てちゃいそう」 顔を上げたら、あの子は背中を向けていた。その耳が、夕焼けの光に照らされて、ちょっと赤くなっていて。風でさあっと流れる肩までの髪が、屋上のタイルに間延びした影を揺らす。空を見上げれば一番星。金星って、いまくらいに見えるんだっけ。「ねえ」「なに?」「そのセリフ、すっごくクサいよ」「……、ごめんなさい」 赤から青のグラデーション。一秒ごとに暗くなっていく空のした、わたしが笑って、あの子も笑った。強い風が吹く。グラウンドからは、野球部のかけ声。足下からは吹奏楽部の練習、軽快なメロディーが、つっかかって途切れる。「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」「歌わないでってば!」 自転車を漕ぐ。夕焼けのなごりが、かすかに空の端のほうにしがみ付いている。空にはたくさんの星。風が少し冷たい。 あの子はいまごろ、彼氏の原付のケツに座っているはずだ。あのしなやかな腕を、彼氏の腹筋に巻きつけて、ぬくぬくと暖かいなあ、なんて思ってるはずだ。 ブレーキから手を放す。下り坂なのに、めいっぱいペダルを漕ぐ。ぐんぐん上がっていくスピード、線になって溶けていく世界。ペダルが空回りする。このまま溶けてしまいたい。風になって流れてしまえばいい。だけどわたしの確固たる境界線が、それを許さない。許してくれない。 シンパシー。共鳴。ふたつの音叉。同じことで同じように笑って、同じ歌を好きになって、同じ場所で息をする、ふたりの人間。 下り坂が終わる。少しずつブレーキを握る。スピードが緩んで、ほどけて、世界が輪郭を取り戻す。 自転車の上から見上げる、少しだけ欠けた月。東の空の低いところに、ぽっかりと所在なさげに浮いている。夢で見上げたようには、丸くはなくて。 口笛を吹く。最初はかすれた音になった。だんだん調子を取り戻す。自作のメロディー。作った翌日に友達に聞かせて、夜中にベッドで死ぬほど後悔した曲。 音の連なりが頭を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のまま、アップテンポのメロディーに乗って、力強くペダルを踏む。そのスピードがチェーンをつたわって、自転車は進む。風をきって進む。 ※ ※ ※ ストリート・ムーン・マニアック、なんて、そんなの馬鹿みたい。ひとり、くすりと笑う。 眠れなくて、そっと家を抜け出した。真夜中のさびれた商店街。ひとけのない通り。はがれて風にさらわれるチラシ。たまに聞こえるテレビの音。 空を見上げると、欠けた月。肌をちりちりと焼くような、冷たい光。満月のまんまるからはほど遠い、いびつなかたちをしている。でもそのいびつさが、現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなって。 月明かりの下、そんなわたしを見ているわたしがいた。首を回すと、振り返ったわたしが見えて、わたしを見ているあの子が見えた。 そのとき、わたし、あの子だった。 そのとき、あの子、わたしだった。 そのとき、ふたり、ひとりだった。 そのとき、ひとり、ふたりだった。「あっ……」 驚きに思わず漏らした声は、どっちのものだろう。歩み寄りはじめた最初の一歩は、どっちが踏み出したんだろう。わからない。わたしたちはひとりで、融けあった一個の細胞で、全身をめぐる赤血球さえ共有していて。わたしはB型で、あの子はO型で、でもそんなの関係なくて、この身体はふたつの心臓で動くひとつの血液循環系で、あの子はわたしの鎖骨をやさしくひっかいて、そこからにじむ血しょうの、黄昏みたいに鮮やかな赤色!「好きだよ」 そう口に出すのに、勇気なんていらなかった。「わたしも」 そう答えるのに恐怖なんてなかった。 頬と頬を寄せ合う。額と額を付き合わせる。手のひら同士を重ねあう。そうして、唇と唇を、ゆっくりと近づけていって、ああ、やっぱり、むなしいな。 歌が聞こえてきていた。小さくかすかな声。それはわたしとあの子だけしかしらない歌。へたくそで、メロディーも不安定で、歌詞もなんだか意味不明で、ただひとつはっきりわかるのは、それがラブソングだということ。ネオンの海を泳ぐ魚が、ガラス越しのマネキンに恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだっていうこと。 空を見上げると、欠けた月のイメージに重なって、アルバート・フィッシュが浮いている。あの子の顔をして笑っている。「ねえ、あんたってさ……」 訊きかけて、詰まる。どうしてそこにいるの? 優しいの、それとも残酷なの? ちょっとおかしいの? それともおかしいのはわたし? いろんな言葉が浮かんでは消えて、消えては浮かんできて、泡のようにはじけて。「いったい、何者なの?」 驚異の魚はにやりと笑った。銀のうろこを月光にきらめかせて、ひとつおおきく身をよじると、泡のように消える。まるではじめから、なんにもなかったみたいに。 まぶたのうらに残った笑顔の残像に、わたしは笑い返して、小さく別れの言葉を口にする。「じゃあね」 うん、じゃあね。どこか遠くから、返事が聞こえた、気がした。---------------------------------------- 倒れることがわかっていて挑んだじぶんの勇気を誉めてあげたい(真顔) どうかお気を悪くされませんように。お目汚し失礼いたしました……!
> 紅月セイル様 『荒野を歩く』リライトへのお礼と感想 わあ、ありがとうございます! これはまたずいぶん雰囲気が変わりましたね。後日譚だからというだけではなくて、主人公のキャラクターが新鮮。わたしの感覚では、主人公は死ぬまで戦争にとらわれ続けるだろうと思っていたし、死んでいった兵士たちが「平和な世界を築くために命をささげた」っていう発想がなかったんですよね。だからこちらを読んでいて、主人公の前向きさが、とても意外で、新鮮な感じがします。 楽しく読ませていただきました。ありがとうございました!> ウィル様『孤高のバイオリニスト』への感想 おー! 素敵なラストですね! わたしは本作をリライトさせていただくにあたって、小説として書くなら「歌を聞いて相手をが戻ってくる」という部分の整合性やリアリティを、どう築いたらいいんだろうと、そこから手をつけていって、結果、かんたんなほうに流れて幽霊譚に走ったわけですが、本作では新聞報道、身動きの取れないけがと、原作の雰囲気をちゃんと残しつつしっかりと地に足のついたお話に仕上がっていて、感動するやら、悔しいやら。 企画小説なのに無茶を承知でいうなら、後半が、ちょっとあっさりしすぎかな? という印象がありました。というよりも、前半がもっともっと膨らみそうな予感をさせていたのかな。後半にもうちょっとよけいに尺をとって、手紙が届いた前後をじっくり書かれたら、より感動したかも……なんて思いました。 歌が、ふつう兵士たちが残す家族にむけて歌う歌だ……というところがすごくいいなって思いました。> 自分 『Fish Song 2.0』リライトの反省 どこをどういじっても原作の雰囲気ぶち壊しになるような気がして、かなり悶々としました……。 いちばん迷ったのは、2.0じゃないほうの『Fish Song』に出てきたアルバート・フィッシュと、本作のアルバート・フィッシュが同じものなのか、それともまったく別のものなのかということ。作品世界に存在する現象なのか、あくまで主人公の空想の産物なのか。どちらともとれるような気がして、悩んだ結果は……ええと、その(汗)逃げ腰気味に……。 一個一個のエピソードはほぼそのままで、エピソードの順番だけをひょいと入れ替えたら、話の印象ががらりと変わらないかなー、という出来心の産物です。たしかに印象はかわった気がしますが、どう読み返しても改悪した気しかしません。ごめんなさい!(逃走)
うぉんうぉん。上手な人にリライトしていただけると、自分がいかに未熟なのかが浮き彫りになりますね。さっそく色々とパク……、参考にして、書き直したい誘惑にかられました。 構成とかセリフ回しとかもこっちのほうが断然好きです。うぉんうぉん。屋上での会話とか、ほんとに見違えるようですね。『Fish Song』との関連についてはぼくも全然考えてませんでした汗。というか、あんなのも読んでくれてたんですね。嬉しいです! どうもありがとうございました!
弥田さまの「Fish Song 2.0」をリライトさせて頂きました。リライトというより二次創作です。本当にすみませんでしたっ(脱兎------------------------- ぼくは、アルバート・フィッシュの鱗を持っていた。冷たくて硬い、小さな鱗。 拾ったのは、まるい三日月が光る夜、グレープ色の光の下。近くの移動遊園地から子どもたちの歓声が聞こえ続けていた。雑踏をかき分けて、光る欠片を拾う。ひんやり冷たい。 現実と夢の曖昧な狭間で、鱗の冷たさだけがくっきりと輪郭を保っている。 鱗の全体は白く不透明で、灰色に滲む燐光を放っていた。硝子屋の軒先に提げられた雫型の電灯に透かすと、中に通る静脈と淵が薄紅梅に染まって見える。 親指の爪ほどの大きさのそれを、ぼくはそっとポケットに入れた。自分のものにしてはいけないことは、どこかで分かっていた。けれど、どうしてこの美しい欠片を捨て置けと言うのか。 音の渦を越えて、帰路を急ぐ。後ろからどろどろした黒いものが追いかけてくる気がする、気がしただけだ。ただの錯覚。 ドアの鍵を閉めてから、少し息を吐いた。鱗を失くさないよう、小さな木箱に入れてテーブルにしまい込んだ。 急に眠気がやってきて、ぼくはうとうとと目を閉じた。眠ってはいけない、どこかで声がした気がする。気がしただけだ。ただの空耳。 強い風が窓を叩く音がする。明日は雨か。 どこまでも広がるうすいピンクの空を見て、ここが夢の中だと理解した。 アルコールの海、たっぷりしたドレープがさざめく。振り返ると、暗い宇宙。まんまる青色の円がひとつ、ぽっかりと浮かんでいた。「ねえ」 突然降ってきた声、海の底に女の子が沈んでいた。黒髪のショートヘアーと白いワンピース、こちらを睨む双眸。「あなた誰? ここはわたしのあの子だけの場所なのに」 女の子が喋ると、水泡がごぷりとはじけた。ぼくは息を止め、海に飛び込んだ。呼吸ができる。オレンジ色のとろりとした水に包まれる。水じゃない、コアントローだ。揺らめく光の網をくぐり、女の子に近づいた。「あなた、鱗もってるでしょう」「うん、持ってる」「早く返さなきゃ、あなたもヒトでない存在になるよ」 女の子の声音は静かで、ぼくは思わずポケットに手を伸ばした。硬い感触。まさかと思って引っ張り出すと、それは確かに鱗だった。「返して」 女の子が鋭い声で言う。いや、女の子ではなかった。うつくしい女の人。下半身が、魚だった。 僕は踵を返し、一気に走り出した。海底は凹凸がひどく、けれど地上と同じように走ることができる。追ってくる気配はなかった。息を切らし、走り続ける。ようやく陸が見えてきて、駆け上がろうとした瞬間、視線に気がついた。 恐る恐る水面から顔を出すと、空に眼球が浮かんでいた。幾つも、幾つも。まるい網膜。ウロボロスの環。何千匹もの、アルバート・フィッシュ。 僕は悲鳴をあげ、握り締めていた鱗を放り投げた。眼球がいっせいにそちらを向いた隙に、再度走り出す。 突然、足元が崩れ始めた。ドレープが、コアントローの海が、壊れる。眼球はひび割れ、粉塵と化した。 世界のりんかくが融けていく。ゆっくりゆっくりほどけていく。 激しい雨音で目が覚めた。時計を見ると午後二時半。眠っていたのは数時間だけのようだ。起き上がり、木箱を手に取る。開けると、やはり中身は空っぽだった。 窓を開けると、ネオンの海。移動遊園地が賑やかな音楽とともに去っていく。 机に置いたコアントローの瓶を傾けたとき、異変に気付いた。右の手のひらが冷たいのだ。特に自分では思わないのだが、左手で触ると氷のように冷たい。皮膚の表面は硬化し、ところどころささくれていた。 人外となった右手を見ながら、僕はもう一度コアントローをあおった。 雨の夜は静かに更けていく。
そもそもアルバート・フィッシュなる存在はクトゥルー神話の影響を受けていて、僕はシェアワールドみたいなのに強い憧れを持っていたのです。なので、こういうのはすごい嬉しいのです。やった! 作風的には『Fish Song』のほうに近い感じですね。コズミック・ホラー風味というか。移動幼稚園だったり、ドレープだったり、振りかえると暗い宇宙だったり、まんまる青色の円だったり、コアントローだったり、素敵な単語が飛び交って、うっへえ、と僕はやられてしまったのでした。最後の変形オチもいいです。すごくいいです。全体的に僕の好みすぎてもうたまらないのです。 どうもありがとうございました!
弥田さんの「Fish Song 2.0」に宛てて。あー、あれです。長い。すみません。えーっと、私信的になりますが、これは例の350枚もののパーツとして使えるように前提して書いたものなので、いろいろ、設定的な部分とかで抜け落ちているところがあります。そこらあたりは、想像の翼を広げて補完してやってください。すみません。そんなことで、よろしくお願いします、†------------------------------† 永遠に続くかと思われた銀の閃光の渦巻く螺旋(スパイラル)を抜けると、音と光と匂いの洪水が押し寄せてきた。 見覚えのない街。灰色にくぐもった夜空に向けて、無節操に伸びる古びたビルの群。その合間を縫う街路には、多種雑多な人々が方々から規律もなく湧いては行き交い消えゆく。雑然として、人と物、光と音に溢れ、欲と打算、背徳と捨て鉢でできた街。蜘蛛の糸のように張り巡らされた細く暗い路地は、どこもかしこも血と嘔吐の匂いがした。 オレは、薄暗い路地に建つ掘建て小屋の裏木戸を背に、獲物を見失った狼のような無様さで茫然と突っ立っていた。過去数年、これほどの間抜け面をさらしたことはないだろう、そんな自覚とともに。 その言葉は、ありとあらゆる雑沓(ノイズ)の中、無垢な有様で、無造作に打ち捨てられていた。 ねぇ 月狂いの幻影(ミラージユ・オブ・ムーン・パラノイア)を知らない? オレは、電飾(イルミネーシヨン)と放電灯広告(ネオンサイン)がたゆたう光の海の底から、どこにあるとも知れぬ水面を透かして、その先にあるはずの永遠(そら)を仰ぎ見た。捨てられた声の奏でる音色が、宇宙(そら)から降り注ぐ恒星群(ほし)の拍動(パルス)のようにも思えたのだが、空は、空というものがそこにあるのなら、空は、月のない夜の空は、地上のざわめきに掻き乱されて語る言葉を失っていた。 小さな失望を感じながら、欲望の泥海を見渡す。自意識剥き出しに着飾った夜の蝶(おんな)も、上っ面に語り合う家族、今宵限りの恋人たちも、街の街路の交差を行き交う誰一人として、その言葉に、その声に気付かない。気付けない。 オレは、闇を打ち消して輝くどぎつい原色の波と、闇を忘れんと華やぐ欺瞞に充ちた人いきれとを掻き分け、無惨に打ち棄てられたその言葉を拾い上げる。 誰の発した言葉か。いつ、どこで、どこから、誰に向けて? この声は、この声の持ち主は? 眺めるうち、その声は――懐かしくもあり、まるで聞き覚えのない、歌うようでありながら、その実、まるで抑揚のない冷淡なその声は、手の内でゆらゆらと揺らめいて、まばゆい無限色の光を放ったかと思うと、百億のきらめく熱帯魚(パイロツトフィツシユ)となって、星の海に跳ねて泳ぎ散って消えた。 月狂いの幻影(ミラージユ・オブ・ムーン・パラノイア)――、まったく聞き覚えのない、しかして、よくよく聞き知ったその響きを残して。 月狂いの幻影(ミラージユ・オブ・ムーン・パラノイア)、なるほど、世の中にはそんなものを捜そうという者がいるのか。 浴びせられた怒声に意識を引き戻される。ガタイのいい人力車の車夫が何ごとかわめいている。邪魔だとかそういうことだろうが、何を言っているのか聞き取れないので、全宇宙共通の言語で応える。怖れ知らずは結構だが、相手は選ぶべきだったのだ。半年は車を牽けまい。 人の気が遠退いた通りを、当てもなく歩く。意図せずたどり着いた街だ。抜け出すにも、意図のない行動を取る他ない。 いくつかのタイプに分類されうるステロタイプの見本市をそぞろ歩くうち、翅を持つ光る魚が目の前をよぎって行くのに出会す。南の空を映す穏やかな海の彩(カリビアンブルー)に輝く翅を羽ばたかせて泳ぐ熱帯魚(バタフライフィツシユ)は、まるでオレを誘うようにちらりと感情のない丸い眼を向け、その後は、何ごともなかったように泳ぎ去って行く。 人の気の引き方を心得た魚とは、面白い。 その少女は、ピンクの水玉が躍っている可愛らしいパジャマを着て、所在なげに、たった一人、街の片隅の、薄暗い裏道にしゃがみ込んでいた。上空を、ビル影の切れ目にわずか見れる空を眺めていた。「あ、ソードフィッシュ」 少女が、空を指して言うその声は、オレの期待したものではなかったが、瑞々しく澄んだ声音は、それなりに魅力的と言えなくもなかった。 真っ赤な複葉プロペラ式の旧型メカジキ(ソードフィツシユ)は、少女の指す空の闇から騒音を響かせて現れ、窓明かりの星座を浮かべるビル群をかすめて、再び夜の闇へ飛び去って行った。 少女はすでに興味を失い、ふんふん♪と口ずさみながら、指で地面に何か書き付けてる。見るともなく見ると、蛙の幼生(おたまじやくし)が列になってのたくっている。裏町で曲を生み出す少女、か。路面が舗装されていなかいことに、今、気付いた。 落ち着きなく泳ぐ魚(バタフライフィツシユ)が、少女の前を通り過ぎる。 つと少女が顔を上げ、視線を、泳ぐ魚と共に泳がせる。 見えて、いるのか。「ねぇ」 少女は、半ば眠っているような弛緩した顔で、けだるげな声を振り絞って問いかけた。「月狂い街(ストリート・ムーン・マニアツク)はどこにあるの?」 その言葉は、オレに向けられたものなのか、それとも、先導する蝶翅魚に問うたものなのか、判断は付かなかったが、少女はふらりと立ち上がると、よろよろとオレとならんで、小さな光る魚に連れられ歩き出した。 月狂い(ムーン・マニアツク)、そして、月狂い(ムーン・パラノイア)。罪作りな月は、今宵、その姿を見せていない。「あたし、会わなきゃいけない人がいるの」 夢現に少女はつぶやく。 オレは少女の顔を覗き見る。「誰に、会う」「うーん」 少女は、眠たげな表情(かお)のまま、眉間に皺を寄せて考え込む。さらさらとセミロングの黒髪が揺れる。「誰だっけ?」 覚えていないのか。「あれぇ、思い出せないなぁ。あたし、なんでこんなところにいるんだろう? てか、ここどこ? 月狂い街(ストリート・ムーン・マニアツク)って、なに?」 一応、訊いてみる。「君は誰だ」「あたしは……、あたしは浅里絵里。そこまでベタじゃないよぉ」 少女は、ぷくっと頬を膨らませる。血色のいい艶やかな頬。朱い唇をすぼませ、瞳で咲っている。可愛らしくないとは、言わない。「じゃあ、君は、思い出せる限り一番最近、何をしていた」 少女は再び首を傾げる。表情のころころと変わる娘だ。「あたし、自分ちの自分の部屋の自分のベッドで、眠ってた――、はず……なんだけど」「眠っていた、か」「もしかして、これって、夢?」 冗談めかして少女が問う。 オレは、軽く受け流すことが出来ない。「でも、夢ってこんなにリアル? 見たこともない場所なのに、こんなにはっきり見えるし、触れれるし、聞こえるし、痛いし、疲れるし。それに、こんなこと考えたり、話したり。夢ってこんなに色々できるもの?」「夢にもよるがね」 これは紛れもなく夢だ。いわゆる現実(リアル)ではない。物理世界で繰り広げられる、現実(リアル)という名の物理臨場感の幻想では、ない。『瑞樹煜』の見ている夢。オレの見ている夢。オレが否応なく放り込まれる、毎夜繰り返される疑似現実(ゆめ)。これくらいの臨場感(リアリティ)は生易しい方だ。 だから彼女は、オレと同じく『瑞樹煜』の視る夢の登場人物(キヤラクター)。オレが、崩壊し分裂した煜の精神の一部を引き継いだように、彼女もまた、『煜』の精神の中にあるなにかしら情報(きおく)から生じた投影人格――のはずなのだが。 何か、根拠の思い浮かばない違和感を感じる。これは――、今までに感じたことのない感覚。何かが、おかしい。 一つの可能性としてだが、この娘は、『瑞樹煜』の精神が創り出した幻影ではないのかも知れない。つまり『瑞樹煜』の抱え持つ『記憶(ストツクメモリー)』の投影でもなければ、何らかの『役割(ファンクシヨン)』を振られて創られたものでもない。では、何か。 ……分からない。分からないが、あるいはこれは……。 鍵は、先導して泳ぐ魚(バタフライフィツシユ)が握っている――、のかも知れない。「誰かに会わなきゃいけない気はするんだろう。だったら、誰かと会うさ。夢ならばね」「そういうもの?」「あれに付いて行けば、分かるだろうさ」 蝶翅魚が、薄ら澱んだ眼でこちらを見ている。 少女は納得いかなげに、疑惑のこもった瞳でオレを見るが、しばし考え、他にどうすることもないことを再確認して、「仕方ない、付いてってあげるわ」 と、どういうわけか恩着せがましく宣った。 獰猛な魚が来るわ 月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)に気をつけて その言葉は、少女の口から発せられたようでもあり、しかし、その声は、月夜よりも華やかで闇夜よりも澄み切ったその声は、少女の声ではありえなかった。「今、何か言ったか」 答えを知りつつ、問いかける。「へ?」 返ってきたのは、案の定、寝ぼけたような間抜けた声だった。「いや、聞き違いだろう。気にすることはない」「ふーん」 少女自身、何か気に掛かるところがあるのか怪訝に首を捻るも、諦めも早い。「ま、いいか」と、けろりとしている。 月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)――、さても月狂いに縁のある日だが、これは月の詛いなのか。 それは普通の、あまりにも普通で、雑然ときらびやかな繁華街には似合わない、簡素な街灯だった。その電灯の灯す光が、街灯の笠に張り付く光の繭のようにねっとりと膨れる。 滴り落ちる、一滴の、液状の、何か。 ぴちょん と弾けて、飛び散る。 その中から、生まれ出たものは――、魚、か? それとも、少女か? 獰猛な魚が来るわ 月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)に気をつけて 可憐な熱帯魚(グツピー)の艶やかな尾びれを持つ少女は、先に聞いたのと同じ言葉を、その可憐な唇から発した。 そして、絵里の方へつるりと泳ぎ寄ると、頬を両手に挟み、唇をぺろりと舐める。「あたし、あなたのこと好きよ」 と、熱帯魚の尾を持つ少女が言った。「あたしも好きだよ、梨花」 と絵里が返した。 二人は親しげに抱き合っている。 梨花という、下半身は素っ裸で鱗の肌を露出させているが、上半身にはなぜか体操着を着ている熱帯魚な少女は、じっと絵里を見詰め、「月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)に気をつけて」 と繰り返し言った。「月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)?」 絵里が聞き返す。「月狂い街(ストリート・ムーン・マニアツク)と何か関係があるの?」「あるとも言えるし、ないとも言える」 梨花は意味ありげに頬を歪め、「ここが、月狂い街(ストリート・ムーン・マニアツク)よ」「ほえ? じゃあ、あたしが会わなきゃいけないのって、梨花ちんのことだったの?」 いつも会ってるのにぃと屈託なく咲う。「あたしはあなたの親友の梨花であって、梨花そのものじゃない。あたしは、あなたの中のあなたの一部で、この姿は、あなたの親しい者の姿を投影してるだけのこと。けれどあたしは、そのもの梨花ではないけれど、やっぱりでも梨花でもあるの。だから、あなたを守りたい」 絵里が顔中に「?」を描いている。「そういうのは、きっとあの人の方が詳しいわ」 と、梨花がオレの方を指す。 そして、歌い始めた。――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ――「あ、それ、さっきあたしが創った歌」 絵里がくすりと咲う。「それ、あんまり歌わないでって、いつも言ってるのに」「これは、守りの歌。月狂い(ムーン・マニアツク)は誰の心の中にもある心の影。歌は、月狂い街(ストリート・ムーン・マニアツク)を月狂い(ムーン・マニアツク)で満たさないための祈り。でも、今回のは違う。これはあなたの心の影じゃなく、誰かの……」 夜が揺れる。 闇が震撼し、街が凍える。 空と地上が反転し、空に光が溢れ、地上は闇に包まれる。喧噪と静寂が化合(コンバイン)し、騒音の嵐(ノイズストーム)が吹き荒れる。天空に混沌が生じ、地上に虚無がのしかかる。 雷光を孕み渦巻く暗雲を別けて、姿を現したのは、顔。面長で、額と顎が長く半分以上を占める。押しつぶされた鼻、ぎょろりとした感情のない眼、下唇が魚のように突き出した人のように見える顔。ただし、雷雲の中に喘ぐその顔は、ゆうに二十メートルを越す。 その巨大な長顔のあとに続いて雲間からせり出したのは、青光りする鋼の鱗に覆われた獰猛な淡水魚(ピラニア)の胴体。 ぐわっと拓いた口には、鋭い歯がびっしりと並び、雷鳴轟かせる雷光を跳ねる。「なに、あれ。グロっ!」 絵里が下を突き出して嫌悪を示すのも無理はない。あれは人間が感じる嫌悪そのものを体現してる。「あれが、月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)――、なのか」 あまりの醜悪さに、情況の異様さも忘れ呆れ果てる。「そう、あれが月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)。アルバート・フィッシュとも言うわ。人喰らいの、いえ、『世界』を喰らい尽くす獰猛な魚。あなたなら、見たことがあるでしょう?」 そう問われて一度は、「いや、ない」 と応えたものの、自分の発したその答えに、オレは異議を唱える。「ある。オレは、何度かあれを、あれに似たものを狩っている」 どういうわけか記憶があやふやではっきりしないが、確かにオレは、いくつかの『世界』であれを狩っている。なぜ、何のために。思い出せないのは、なぜだ。 空が暗黒の雲に呑まれ、『世界』のあった場所に虚空が吐き出される。月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)が大地ごとさらえ呑む。生ける者も、そうでない物も、何もかも。『世界』が浸食されていく。その様子を目の当たりに見る。「普通月狂い(ムーン・マニアツク)はゆっくり時間を掛けて当人が克服していかなけらばいけない心の疵(トラウマ)。だから強制的に駆逐することはできないの。喩えそれが誰かに植え込まれたものだとしても。それができるのは、唯一、月狂い(ムーン・パラノイア)だけ。月狂いの幻影(ミラージユ・オブ・ムーン・パラノイア)と呼ばれるあなたなら、この『世界』を、あたしたちを救える」 オレがその月狂い(ムーン・パラノイア)だと言うわけか。その役割機能(ファンクシヨン)は今まで自覚したことがない。他人の夢に入り込むのも、初めてのことだ。こんなことが出来るとは、知りもしなかった。 それにしても、「随分と都合のいい話だな」 この街にたどり着いて以来ここまで、ずっと誰かのシナリオ通りに進められていたわけだ。成り行きに逆らわず来たのだから、そういう予感は無論していた。が、そうではあっても、実際、はっきりするといい気はしない。「招いたのは?」「あたし。そして、彼女。もしくは……」 輝く蝶の翅を持つ魚(バタフライフィツシユ)が、ぶるっとひとつ身震いする。と、白く輝いて蝶翅魚(バタフライフィツシユ)とグッピー女が一つに重なり、そして、絵里の中に融け込んでいく。ぐるぐると、どろどろと、『世界』だったものと合わさって、融けて、一つになって、たった一つの白い柔珠の中から生まれた、『世界』という名の古代魚(ピラルクー)。未来の絵里の上半身と、アマゾンの古代魚(ピラルクー)の下半身を持つ、巨大な、『世界』と等価の魚は、『世界』を取り巻いていた宇宙をぞろりと回遊する。「けれど、誤解しないで。あたしは、あなたのことは知らないかった。だってそうでしょう? あたしはこの『世界』の中だけのモノ。外の世界のあなたのことなんて知りようがないもの」 さっきまでの絵里のあどけなさを面影にとどめながら、格段に艶やかな大人の色気と、男には永遠に理解できないだろう深い慈愛と両立するなぞめいた微笑みを浮かべる世界魚(火らクルー)が、この期に及んでなお、言葉を弄ぶような言い訳めいた言葉を並び立てる。 オレは、彼女の掌に載せられ、その言葉を聞く。「どういうことだ」「あなたを招いたのはあたし。でも、そのお膳立てをしてくれたのは、あなたのよく知っている女性(jひと)」 あぁ。合点した。なんてことだ、それに気付かなかったことが、どうかしていたのだ。「もういい、分かった。皆まで言うな。あれの真意は、あれに聞かねば分かるまい」 瑞樹まど香――、瑞樹家の長姉。崩壊し分裂した『瑞樹煜』から生じた、かつての長姉を思う気持ちが人格化した。天下無敵のお節介焼き。「やれやれ、だ」「助けてくださるのね」「オレに、他の選択肢は与えられていない」「ありがとう」 三人が三様の声で礼を言った。「礼は、あれに言ってくれ」 溜息を吐きつつ、必要以上にぶっきらぼうに聞こえるよう言った。 言ってる間にも、月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)が迫り来る。目標を細くした捕食者が、牙を剥いて襲ってくる。 三人が、一つの唇で、三つの声、三人分の祈りを込めて、歌を歌う。――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ―― 緊張感に欠ける曲だが、『世界』を『世界』として保とうとする願いが込められている。 追従して唸りを挙げるエンジン音。「ソードフィッシュか」 旗魚(ソードフィツシユ)の長く鋭利な角(レイピア)が、獰猛な歯をむき出して威嚇する月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)を貫く。 月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)の動きが鈍り、サイズも、いつの間にか、格段に手頃なところに落ち着く。それでも、この『世界』のモノに月狂いの魚(ムーン・マニアツク・フィツシユ)を捕殺することはできない。 だからこそ、オレがいる。 オレの背丈よりも少し大きいだけになった、クリストファー・ウォーケン似の魚の背に馬乗りになり、馬鹿長い額に、強烈なデコピンを喰らわす。「ギャバン、ダイナミック!」 * ――というところで目が覚めたの」 浅里絵里は、橘梨花と二人並んで、学校の屋上に仰向けに空を望んで寝っ転がっている。「いい天気だねぇ」 語り終えた充実感を噛みしめて絵里がつぶやく。 梨花は、むっくり起き上がって、いつも持ってるギターを小脇に抱えて歌い出した。――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ――「だから、その曲は歌わないでって」 絵里は、赤面しつつ慌ててギターを止めようとするが、ギターは留まっても梨花の声は留まらない。「世界を救う歌だよ、一緒に歌おうよ」「だからそれは、夢の話しだってば」「夢だって、大事な大事な『世界』だよ」 梨花がつぶやく。 絵里が不思議な顔をするが、「そうね、そうかもね」「じゃあ、夢を救う歌、歌いまーす」――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ――「だから、それは止めれって」 少女たちの笑い声が、抜けるような雲一つない青空に響く。 どうやらオレは、ひとまず御役御免のようだ。
改僕しました。良くも悪くも、僕っぽく。良い悪いは読む人しだいで。連投ですが、今日、午前中、予定に反して暇だったんで、合間合間見ながら、3、4時間で書いたもんです。まぁ、珍しく早く書けちゃったんで。ご容赦ください。†------------------------------†ボウズへ なぁ、ボウズ。 俺ぁ、今、お前の知らねぇ土地にいる。聞きゃあ名前くらいは知ってるだろうが、お前の来たことのない、まぁ、どんなとこか想像も出来ないような場所だ。俺にとっちゃ特別だが、誰にとっても忘れられた土地だ。過去に取り憑かれた者だけが、いつまでも覚えていて引きずってる。お前は笑うだろうがな、ボウズよ。 経験の浅いお前のために、ちょっとばかり詩的に書きつづってみようか。笑うなよ。地べた這い蹲ってきた雑兵の戯言だからな、そう巧くいくはずもねぇ。なぁ、ボウズ。人生たぁ、巧くいかないものの中から、ほんのちょっとましなものを選んで、なんとかかんとかこなしていくものなのかも知れねぇな。だから、ちょっとばかり巧くいかねぇからって、すぐに投げ出したりするんじゃねぇぞ。 月が出てる。いいお月さんだ。お月さんてなぁな、なぁんにもねぇまっ暗な荒野を歩くにゃあ女神さんみたいなもんだ。行先を照らしてくれるしな、敵の襲ってくるのも知らせてくれる。ただまぁ、女てな、皆、気紛れなもんでなぁ。いつもいつもいい顔を見せてくれるわけじゃねぇからな。なぁ、ボウズ。お前もいつか女を知るだろうが、女てな表面上の言葉や仕草なんかじゃあ量り知れねぇ。もっとずっと奥の深いもんだ。そこんところは、肝に銘じておくこった。 見渡す限りの荒野だ。緑なんかありゃしねぇ。まぁ、こう暗けりゃあっても見えやしねぇけどな。赤茶けた砂だか岩だかが延々続いてる。こいつはな、血だよ、ボウズ。俺らの流した血を吸い尽くして、この土地は赤く染まってる。そうだな、お前なら、そんな馬鹿なとか笑うだろうな。けどな、ボウズ。どんな馬鹿げたことでも、信じれば真実になる。覚えとけ、ボウズ。馬鹿の一念は岩を通すもんだぜ。 今は使われていない、まぁ忌まわしくて使う気にもならんだろう旧街道を外れて、二時間ほどか。近頃にしちゃあ、よく歩いたもんだぜ。めっきり身体もなまっちまって、隣町へ行くのすら億劫だったからな。それから思えば、たいしたもんじゃねぇか。やっぱりよ、なにはなくとも身体だきゃ鍛えとくもんだぜ、なぁ、ボウズよ。 歩けど歩けど砂と岩山ばかりだ。方角だけはなんとか見失わずにいる……はずだ。月と星とか知らせてくれちゃいるが、確信は持てねぇ。なんせ、五年ぶりだからな、荒野を歩くのは。ちょいとばかり勘が狂っちまってることは、ありうるわな。そうは思いたくねぇんだが。 たどり着けなかったらどうするつもりなんだって? そんときゃ、そんときさ。俺は余分に五年もの時間を貰ったんだ。誰がくれたんだかはしらねぇが。お前がいっちょ前の口を叩くようになるまで、なんとか一緒にいれたんだ。まったく、御の字だぜ。今ここでくたばっちまっても、別に悔いはねぇぜ。俺ぁ五年も前にここでくたばっちまってて当たり前の人間なんだ。ここらに散らばってる、このけったくそ悪い骨どもと同じでよ。今さら、長生きしようなんざ、これっぽちも思っちゃいねぇ。 しかしまぁ、見事に、白けちまいやがってよ。俺らが引き上げるときにゃ、無惨じゃああったが、それでもまぁ、着るもんは着てたし、人間の面ぁしてたもんだが。まるっきっり面影もねぇな。これじゃあ、誰が誰だか分かったもんじゃねぇ。まぁ、こんだけありゃ、どっちみち同じこったろうけどな。敵も味方も分け隔てねぇ。平等なもんだ。 こんなところにも人はいるらしい。お前の言うとおりだよ、ボウズ。さっきから明かりらしき物をちらちらと見ることがある。そん度に身を隠してよ。戦乱後の火事場泥棒が居着いて盗賊化したなんて言われりゃ、そんなもんかと思うがな。なぁ、ボウズ。お前は昔からそういう小理屈ばっかり巧かったな。そのくせ、理屈に詰まると癇癪起こしてよく当たり散らしてたもんだ。覚えてるか、なぁ、ボウズよ。 歩いていくたび、ばきばきと乾いた物を砕く音がする。気にしちゃいない。気にしたところでどうにもならん。こう暗い上に、こうそこら中にあったんじゃ、避けろって方が無理な話しだ。 まぁ、どのみち、どいつもこいつも、いっぱしの「戦士」気取っちゃいたが、半端もんの集まりでよ、ろくでもねぇヤツばっかりだったぜ。女犯して村ぁ追われた好きもんの坊主とかよ、盗賊上がりのやさぐれもんとか、妹とできちまって家放り出された元貴族のぼんぼんてのもいたな。どっちにしろ、世間にまともに面ぁ見せられねぇようなヤツばっかりだった。俺はどうなんだって。俺はまぁ、戦場しか知らねぇ戦争屋だからな。戦場じゃあいつらより幾分ましだったが、他のことはからっきしだ。お前も良く知ってるようにな。よくよく、不器用にできてるらしいぜ。 そういやぁ、俺があの戦役に駆りだされたのが、ありゃ、お前が七つか八つの頃だったか。あん頃は戦線がちょいとばかり落ち着いてて、珍しく家に長くいたんだったな。それが、どこだかの馬鹿な王族が止めときゃいいのに相手の国のお姫さんに手ぇ出したあげく、護衛の騎士を斬り殺しちまった。馬鹿な話しだぜ。折角落ち着き掛けてたもんが全部おじゃんだとよ。まったく、笑っちまうぜ。 お前ぁ、あんとき、泣いて行くなって駄々こねたっけなぁ。覚えてるか、ボウズよ。それが、どうだ、今ぁ、もう、十五だってか。驚いたんもだぜ、いっちょ前の顔しやがってよ。戦役から帰って五年。まぁ、あんまり良い父親はしてやれなかったがよ。それでもまぁ、よくも育ったもんだぜ。これからは一人で生きていくなんて抜かしやった日にゃ、なに寝言抜かしてやがると思ったもんだが、考えてみりゃ、俺ぁ十の頃にゃ、戦場にいて剣やら槍やら振りまわしてたっけなぁ。お前が独り立ちしてぇって気持ちも、分からなくはねぇんだぜ。 だけどよ、母親のことだけは、しっかり面倒見てやれ。女手一つでお前を育てたようなもんだ。父親は当てになんなかったからなぁ。だから、父親のこたぁ、どうだっていい。俺はお前に頼るほど落ちぶれちゃいねぇしな。なぁ、ボウズ。そこんとこだきゃ、よろしく頼むぜ。 なんかよ、こうしてると、五年なんて月日はまるで夢だったように思えてくる。お前やお前の母親との日々も、五年間のいろんな苦労や、歓び、哀しみやなんやかんやも、そうだな、こうして頭ん中でお前に語りかけてる今この時まで、夢なんじゃないかって思えてくる。オレ自身がよ、本当は、ここらに転がってるこの髑髏の一つなんじゃないかってよ。俺は、五年前からここにこうやって転がって、ずっと夢を見続けてるんだ。そうじゃないなんて、誰が言えるってんだ? ぼちぼち、目的の場所が見えてきたぜ。 見方によっちゃあ、竜の頭蓋骨のようにも見えなくもねぇ。竜頭岩てやな、敵味方が争ってぶんどりあおうとする、ここいらのシンボルさ。ここに旗ぁ突き立てたもんが、ここらを占領したことになる。そいつがここらの支配者さ。だからよ、ここじゃあ、大勢のヤツが死んだんだぜ。あいつらも、大方、ここで死んじまった。 俺ぁ、あいつらに別に引け目なんてものぁ、感じちゃいねぇ。生き延びたのは、ただ単に運が良かったからだ。あいつらには運がなかった。それだけのことだ。ただまぁ、時々は同情することもないでもない。あいつらの人生てのはなんだったんだろうな。どっかの時点で踏み外して、結局、元に戻せなかった。不器用なヤツらだったんだろうな。俺とちっとも変わりゃしねぇじゃねぇか。 よっこいせ、と。 なんとか登り切った。最後の仕上げがこれじゃあ、なまりきった身体にゃ、さすがに堪える。 戦役の最後の方はじり貧でな。酒どころか、まともな物も喰えねぇ。水すら、奪い合うほどの貴重品だった。お前にゃあ、想像もできまい、なぁ、ボウズ。今の世の中、いつでもどこでも望めば望んだ物が手に入る。高望みさえしなけりゃな。分相応に生きてるぶんにゃ、そう不自由はしない。あいつらは、そんな時代を知りもしないがな。 俺はあいつらにゃなんの引け目も感じちゃいない。あいつらは、今の世の中が訪れることなんか考えてもいなかったろうしな。ただ、今を過ごせれば、今日生き延びれば、金を掴んで、美味い物喰って、女抱いて、そしてまた、戦場に赴いて、生きるだ死ぬだを繰り返す。そんなことしか考えなかった連中だ。今の俺を羨もうにも、そんな考えさえ浮かばなかったろうさ。あいつらには、戦場が必用だったんだ。かつての俺がそうだったようにな。 だったなんでこんなことするんだってか。さあ、なんでだろうなぁ。俺と違って、ちゃんと勉強もして、世の中のこともよく知ってるお前なら、分かるんじゃねぇか。いや、分かんねぇか。分かんねぇよな。なんせ、俺が分かんねぇんだからよ。 さっきから背中でがちゃがちゃ音をたてる酒瓶を、バックパックから取り出す。 酒が呑みてぇ、女抱きてぇてのが、あんときの俺らの口癖になってた。さすがに女ぁ連れてきてやれねぇからよ、せめて、酒だけでも持ってきてやったんだ、感謝しやがれってんだよ、まったく。 さてと。月は皓々とこの荒れ野を照らしてる。温度差の激しい荒野の夜にしては、言うほど寒くはない。もっともっと凍えるような夜を何夜も過ごした。それに比べりゃ、高級ホテルにいるようなもんだぜ。雨の降る気配もない。明日も晴れるだろう。身体も、まだ動く。 酒瓶に残った酒をちびりとやる。 熱い塊が、体中を駆け巡る。 ちっ。まったく、まだ、生きてやがるぜ。人間てなぁ、案外としぶといもんだ。なぁ、ボウズ。人間てなぁ、生きる気さえありゃ、案外いつまでもだらだらと生き続けられるもののようだぜ。だからよ、何があったって、そう悲観することもねぇ。這い蹲ってたって生きてさえいりゃ、もう一度お前の顔を見ることもできるってもんだ、なぁ、ボウズ。 どうやら、俺は、もうしばらくお前の父親でいてもいいらしい。お前がどう思うかはしらねぇが、悪ぃがもうしばらくは、厭でも付き合って貰うぜ。生まれついた運が悪かったと諦めてくれや。 なぁ、ボウズよ。
調子に乗って3本目。†------------------------------†バイオリン弾きのゴフシェの奇跡 バイオリン弾きのゴフシェは、屋根裏に住んでいた。別に好きこのんで暗くて埃っぽい屋根裏に住んでいるわけではなく、バイオリン弾きのゴフシェは、金を持っていなかった。知人夫婦に無理を言って、わずかな家賃で住まわせて貰っているのだ。その家賃すら滞ることがあって、そろそろ大家の夫妻には渋い顔をされている。潮時かも知れなかったが、次どうするかなど思い当たることはなかった。 バイオリン弾きのゴフシェは、ある日、広場で歌を聴く。それは美しい声だった。技術もなにもあったものではなかったが、思い詰めるほどの願いが込められていた。それは、歌という祈りだった。心を奪われていた。知らず、涙を浮かべていた。その歌は、女性の歌う歌ではなかった。男の、戦役に赴く男が、家族や友人、そして最愛の恋人との別れを惜しみながら旅立っていく歌だった。バイオリン弾きのゴフシェは、歌が聞こえなくなり、まばらな拍手の音も聞こえなくなってからも、しばらくその場に茫然と立ち尽くしていた。歩き出す気力が湧かなかった。打ちのめされていた。 バイオリン弾きのゴフシェは、屋根裏部屋に帰ってからも、ずっと、広場で聞いた歌のことを思っていた。そして、一つのことに思い当たった。そして、笑った。大いに笑った。涙の涌き出るほどに笑った。 バイオリン弾きのゴフシェは、その日、早くから広場にいて、女の歌い出すのを聞いていた。歌い始めてしばらくもしないうちに、女が涙に声を詰まらせる。今日は、広場にも人がまばらで、女の歌を聞く者はあまりなかった。バイオリン弾きのゴフシェは、女にハンカチを差し出した。一瞬怪訝そうな表情をした女は、バイオリン弾きのゴフシェの笑顔を見て、ハンカチを受け取り涙を拭った。「恋人を待っているのですか」 女はこくりと頷いた。「僕に、お手伝いさせて貰えませんか」 と言って、ケースからバイオリンを取り出す。「あなたの思いを見せ物にしようって言うんじゃないんです。でも、より多くの人の興味を引き、多くの人に聞いて貰い、多くの人の口の端に登れば、思い人に届く可能性が高まるんじゃないかと思うんです。そのお手伝いをさせて貰えませんか」 誰でも知っている短い曲を、きゅきゅ、と弾いてみる。音色は楽器から溢れ、零れ落ち、ほんの少しだけ女の心を落ち着かせた。「これでも、ずっと以前には王宮で弾いたこともあるんですよ。たった一度だけですけどね」 冗談めかせて言うと、女は小さく微笑んだ。「一度でも、凄いことですね」 一度。そう、たった一度。一度だけ。「そうですか、そうでもないですよ。師匠について行っただけですから」 バイオリン弾きのゴフシェは、自慢の楽器を鳴らす。曲を弾き始める。女が音色に合わせて歌い始める。二人の奏でる歌は人々の心を惹き付け捉え、いつもより、ほんの少し多くの人々が集まり、ほんの少し大きな拍手が起こった。「明日も、ご一緒していいですか」「こちらこそよろしくお願いします。」 女は、モリーと名乗った。 バイオリン弾きのゴフシェは、ここ数日そうしているように、夜、酒場に行って、飲めない酒をちびりちびりやりながら、広場で歌う女のことを、少しばかり大げさに、知っていることも知らないことも、同情を引くようにとつとつと話した。この習慣は、その後も続く。 一ト月も経たないうちに、広場で歌う女とバイオリン弾きの噂は王国中に広まる。各地から来る商人たちや、旅人たちが、二人の歌を聞いた感動とそれにまつわる噂話とを、旅先や故郷に持ち帰って広めていたから。 バイオリン弾きのゴフシェは、ある日、旧知の男の訪問を受ける。同じ師匠に付いた男で、宮廷楽団でバイオリンを弾いている。その男の言うのには、とある貴族が二人の演奏を聴いてみたいと持ちかけられたのだという。一応、モリーの意志を確認する旨を伝えるが、その気であることは相手にも伝わっただろう。 バイオリン弾きのゴフシェは、モリーを説き伏せ、侯爵家での晩餐会への出席を実現させる。二人で演奏を始めてから、ちょうど、一ヶ月が経っていた。侯爵家の晩餐会には他国の貴族も集まる。人捜しに不利になることはない。そこでの歌は、多くの貴族を魅了した。素朴なままの姿で歌う美しい女、純粋で美しい声、素朴な歌、技巧的でありながらそれを感じさせず優しく響くバイオリン。 バイオリン弾きのゴフシェは、満足していた。想像以上の成り行きに満足していた。あれから、何回か貴族の屋敷で演奏した。モリーはいやがったが、なんとか説き伏せた。もちろん広場での歌も続けた。噂はどんどん広がる。それこそ、都市から都市、港から港を渡って世界中へ。 バイオリン弾きのゴフシェは危惧をしていた。そろそろ、時期かも知れない。急がなければならない。でなければ、すべてがご破算になる。バイオリン弾きのゴフシェの元には、いくつかの情報がもたらされていた。その中には、信憑性の高そうなものも含まれていた。すなわち、モリーの恋人の所在についての情報だった。急がなければならない。急がなければ……。 バイオリン弾きのゴフシェは、旧知の男と密会する。そして、一つの約束を取り付ける。 * ある月の皓々と晴れやかな夜。ゴブシェの元をモリーが訪れた。手紙が来たと言う。恋人からの手紙で、怪我を負って動けずにいたが、ようやく快復の見込みが出てきたので、少し無理をしてでも逢いに帰ると。船に乗り込む算段も付いていると書かれていた。その日から換算すれば、この街に彼が着く日はおおよそ知りうる。それほど遠い街ではなかった。手紙の到着も通常より遅れていることもない。バイオリン弾きのゴブシェは祈るような気持ちでいた。 数日後、再びモリーが訪れる。彼がもう近くの街に着ている。三日後、この街に着くという。三日後は、王宮で演奏することになっている日だ。モリーは、どうにかして断れないかという。そんなことができるわけがないとゴブシェが言う。相手は王様なんだよ。いくらなんでも断ったらどんな目にあうか分からない。なんとか、一日だけ延ばせないかな。「ゴブシェ、なんだか変わってしまった」「僕が変わったかどうかは知らないけども、はっきり分かることがある。一庶民が王様の機嫌を損ねたらどうなるかってことだよ。いくらなんでも、僕は牢屋に入れられるのは厭だよ」「じゃあ、あたしたちと一緒に行きましょう。三人でこの国を出て、彼のいた国で暮らすの」「本気で言ってるの」「本気よ、ねぇ、そうしましょう」「考えさせてくれ」 * バイオリン弾きのゴフシェは、煩悶していた。なんとなく、こうなるんじゃないかと予感していた。結局、巧くはいかないのだ。なにをやっても、巧くいかない。何ごとも巧くこなせる自身はある。それは今でも緩がない。でも、巧くいかない。どんなに巧く立ち回っても、結果、どうしても思い通りにならない。最後に破綻する。モリーを説得することはできたはずだった。晩餐会は夜なのだ。モリーが恋人と落ち合って、三人で王宮へ行けばいい。そうすれば、王様も、他の列席者も大喜びで、三人は歓待されるだろう。お祝い気分で、ゴブシェも、望み通り宮廷楽団にバイオリニストとして迎えられるかも知れない。その可能性は、むしろ飛躍的に高まるだろう。でも、それを言い出せなかった。なぜか。それも、もう、分かっていた。ゴフシェの中にある思いが芽生えていたからだ。 バイオリン弾きのゴフシェは、モリーに手紙を出した。晩餐会には僕一人で行く。君は恋人と二人きりで過ごせばいい。お幸せに。 バイオリン弾きのゴフシェは、たったひとり王様の前に立っていた。失望と怒りの鋭い視線が注がれる。「今宵、私が一人で参上いたしましたのは、皆様のおかげをもちまして、モリーが、念願であった恋人との再会を今日、果たしたからであります」 王宮の広間がどよめく。拍手が沸き起こった。「ならば、その恋人共々この場へ連れてくるがよい。朕が自ら祝ってしんぜよう」「恐れながら王様に申し上げます。若い二人のことでございます、どうぞ、今宵は二人にさせてやって貰えませんでしょうか」「なるほど、そなたの言うも一理だな」 やや不満そうではあったが、隣に座る后に突かれて王様がしぶしぶゴフシェの言い分を認める。「では折角来たのだ、そなたの演奏を聴かせてみよ。聞けばボールゲルテの弟子だというではないか。ならば、腕は確かなのだろう」 バイオリン弾きのゴフシェは、恭しく丁寧に愛着を持って師匠譲りのバイオリンを取り出し、そして、それを、王様の目の前で、叩き割った。「何をする」 王宮が色めき立つ。「本日奇跡が起こりました。モリーの恋人は、ブラント国のフォンバリス家に滞在していた折りいたく気に入られたそうで、婿養子との誘いもあったそうです。一度は、彼も命を救われた恩義に背くことができず、その話に応じる決意をしたそうです。しかし、彼を待つモリーの歌の話しを聞いて、居ても立ってもいられなくなって、フォンバリス家のご当主に申し出たそうです。ご当主も、その申し出をお許しになり、そればかりか、二人ともフォンバリス家に迎えたいとまで仰ったということです。これを奇跡と言わずしてなんといいましょうか」 王宮は静まっている。「私はその奇跡に便乗した卑しい貧者です。私のような者がその奇跡を汚すようなことは許されません。それに、私の音楽は彼女あってのもの。私の音楽はとっくに死んでいたのです。それを彼女に出会って、仮初めの生命を得たにすぎません。それもこれも、彼女のための奇跡なのです。私のためではありません。ですから私は、自らの手で、私の音楽を殺すのです。元の通りに。私は充分に奇跡を助けた報酬を受けました。彼女と共に演奏できた日々が私にとって最高の報酬でした」 バイオリン弾きのゴフシェは、その日以来、街から姿を消した。 バイオリン弾きのゴフシェのことを耳にすることはなくなり、バイオリン弾きのゴフシェを見かけることもなくなった。 ただ、たった一組のカップル、その築いた家族から彼の話題が絶えることはなかった。†------------------------------†ずっと引っかかってて思い出せずにいた。思い出した。宮沢賢治だった。
弥田さんの「Fish Song 2.0」をリライトしました。原作よりずっと長くなって原稿用紙約二十一枚、字数6789字です。かなり加筆してますのでご了承ください。蛇足とは思いますしたが……。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ストリート・ムーン・マニアックはネオンの海に沈んでいる。キラキラと輝く光に溺れて、わたしは浮いたり、沈んだり。ぷかぷかと気楽にただよう私を見て、通り掛かったくらげがくらくら笑った。 その愛らしさに思わず抱きしめたくなってそっと手を伸ばしたけれど、くらげはゆらゆらゆれながら流れていった。 残念、って思っていたらわたしの名前を呼ぶ声が。あの子が輝くネオンの下にそっと佇んで手を振ってくれていた。手を振る度に肩の上で切り揃えた髪が小さく揺れて、そのかわいらしさに思わず抱きしめたくなった。わたしも手を振り返していると――ぽちゃん。振り返って見れば目の前に魚が一匹。ピラルクの身体に綺麗な女性の顔があるその魚をわたしは知っていた。「アルバート・フィッシュだぁ」 おおきい。とてもおおきい。わたしの身長よりもある。長い胴体は黒と赤と銀色に輝いていた。その鱗が綺麗で思わず右手を伸ばしたけれどアルバート・フィッシュの身体は指先の隙間を通り抜ける。 小首を傾げながら右手を見つめるわたしにアルバート・フィッシュは女性の顔で笑う。もう一度、今度は左手を伸ばしたけれどまたすり抜ける。だまし絵みたいな光景。少しもどかしくて、でも面白くて、何度も手を伸ばした。そしてとうとう、両手で抱きついてみたけれど、その途端消えちゃった。一体どこに行っちゃったのだろうと探して見たけど、どこにもいない。と、思ったらネオンの海の彼方に、真ん丸お月様に向かって昇っていくアルバート・フィッシュ。「行こ」 いつの間にか、わたしのすぐ隣に立っていたあの子が言った。「私たちも」 わたしと同じく月へ昇るアルバート・フィッシュを見つめながら。 わたしは笑ってうなずいて、あの子の腕に抱きついて、抱きしめて、あの子の確かな体温を感じながら、笑った。 そうして、ふたり、ぷかぷかゆっくり昇っていく。アルバート・フィッシュを追って。夜空のお月様へ。笑って、ふたり、ぷかぷかと。〇 ここは静かな海だよ、ってあの子は言った。そこは平坦な大地が続くだけ。水もないのに海なんて、ネオンも無いのに海なんて、変なの、って呟いたら、文句はケプラーに言いなさい、なんて怒られた。あの子の髪は、無重力にもへっちゃらで、ふんわりとカーブがかかった髪は太陽風にそよそよそよぎ、抱きつくわたしの頬をくすぐる。ふと見ればあの子の後ろで金星が瞬いていた。 無音の宇宙に、あの子とわたしの規則的な呼吸の音が広がる。上下に動く胸元から、細い首筋が伸びていて思わずドキッとしちゃうほど色っぽい。真っ白い肌に淡く浮かぶ頸動脈。そこを秒速63センチメートルの早さで流れる赤血球に思いを馳せた。あの子の心臓を、肺を、指先を、子宮を、脳を、全身を駆け巡る赤血球。ちょっと羨ましい、なんて思った。あの子の細い首筋に頭をあずけると、心地よいコンマ8秒ごとの鼓動がわたしの鼓膜を揺らす。あの子の鼓動はどんな子守唄よりもわたしを優しく眠りに誘うだろう。見上げると彼女の横顔。滑らかなで真っ白な肌、しなやかそうな表情筋、真っすぐな瞳、少しだけ盛り上がった鼻。『わたしたちひとりだったらよかったのに』 くらげみたいに透明で、満月みたいにまんまるで、りんかくがあいまいにぼやけていれば、わたしはあの子の中の一個の細胞として、あの子の一部になれたのに。もしくは、ふたり、どろどろに溶け合って、ひとつになれたならどんなによかったか。 でも、わたしたちは人間で。 どうしようもないくらいの人間で。 どうもできない人間だ。 そっと目を閉じて、ゆっくりとあの子の腕を離した。ふわり、ふわりとわたしは静かな海に沈んでいった。そうして、海底にたどりつくと砂塵がわたしを飲み込んだ。わたしは砂塵を吸い込んで、激しく咳き込んだ。それをみながらあの子は海底にふわりと舞い降りた。心配そうにわたしにわらいかけながら、手を伸ばす。そしたら、あの子もまた砂塵を吸って咳き込んだ。同じように咳き込む内にいつの間にか笑っていた。「咳をするのもふたり、だね」 そういってまた笑う。 ふたり、手を繋ぎそっと海底を蹴った。ゆっくりとわたしたちはまた昇っていく。わたしの目に映る青い、青い地球。きっとあの子の瞳にも今映ってる。「青いね」「青いね」 ふたりの声が無音の宇宙に溶けていった。 ふいに地球の影から顔を覗かせたアルバート・フィッシュ。ネオンの海から静かな海へ、そうして今は、青の海へとたどり着いていた。ゆっくりと地球の影から這い出てくるアルバート・フィッシュの横顔が、心地よい鼓動を聞きながら見上げたあの子の横顔だと、気づくにはそう時間がかからなかった。どおりで見覚えがあった、どおりで綺麗だと思ったはずだ。 アルバート・フィッシュがゆっくりと地球を覆っていく。その身体を巻き付けて。瞬く間に地球は覆い尽くされた。地球だったものの影から首を出したアルバート・フィッシュは自分の尾に噛み付いた。そうして、完全な球体になったアルバート・フィッシュをわたしたちはただただ見上げていた。わたしの横からよく知っているメロディーにのって、へたくそな歌がただよってくる。あの子は静かに歌い出していた。 ――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ・・・・・・・・ それを聞きアルバート・フィッシュがにやりと笑った。途端に世界が青い光に包まれる。視界が歪む。ぐにゃり、と。「さよなら」 どこからか聞き覚えのある声が響いた。〇 いつの間にか見慣れた地元の歓楽街に立っていた。辺りいっぱいに輝くネオン。ネオンの海だけどネオンの海じゃないネオンの海に、本当のネオンの海のように飛び込むようになんてできい。できはずもない。ネオンの海の見える通り、ストリート・ムーン・マニアック、なんて。そんなのばかみたい。笑ってしまうくらい。空を見上げると、ネオンの狭間から少しだけ欠けた月が顔を出していた。真ん丸満月から程遠い、歪なかたち。でもその歪さが、現実なんだなあ、なんて、うなずいて。なんとなく切なくなった。 電灯の下、そんなわたしを見ているわたし。振り返ったわたしと目があって、わたしであったわたしはあの子だった。 その時、わたし、あの子だった。 その時、あの子、わたしだった。 その時、ふたり、ひとりだった。 その時、ひとり、ふたりだった。 嘘っぱちのネオンの海がぐにゃりと歪み、夜の闇と混じり合う。ネオンの光がその色合いを失ってただただ白くなり、黒と白の世界がわたしとあの子を包んでいく。入り乱れた黒と白のコントラストはまるで世界が生まれる前の原始の混沌。わたしとあの子は今生まれ変わるんだって思った。どちらともなくわたしたちは一歩踏み出した。続けて一歩、また一歩……って歩み寄り、手を伸ばせばお互いの顔に触れる距離まで近づいて、あの子はわたしの頸動脈を優しくひっかいた。見えなくてもわかる。じわりとわたしの首からにじむけっしょうの、黄昏みたいな、鮮やかな赤色が。 あの子はそっとわたしの首筋にかみついて、あたしの血を吸い出した。でもそれは全然痛くなくて、むしろちょっと気持ち良くて、どこかの映画で見た愛する吸血鬼に血を吸わせる女性の気持ちってこんな感じなのかな、って思った。 ごくん、ごくんってあの子の喉がなる度に、いつもの声とは程遠い艶(なまめ)かしいわたしの声が響く。今、私の血は、あの子の身体の中に染み入って、全身を駆け巡っている。あの子はO型で、わたしはB型なのに、きっとふたつはひとつになって、そうして、あの子の細胞のひとつひとつにわたしが溶けているだろう。 おもぐろにわたしの首元から離れたあの子は、今度は自分の首筋を出して柔らかに笑い目を閉じた。わたしはあの子がしたように、首筋を優しくひっかきそしてかみついて、あの子の血を味わいながら吸った。あの子の血はしょっぱくて、ほのかに甘かった。あの子の血がわたしの身体を巡っていくのがわかる。わたしの血とあの子の血がお互いの身体に溶けあった。わたしはそっとあの子の首筋から離れた。「好きだよ」 って、そう伝えるのにもう勇気なんていらなかった。「わたしも」 って、そう伝えるのにもう恐怖なんてなかった。 頬と頬を寄せ合った。額と額を付き合わせた。掌と掌を重ね合った。そうして、唇と唇を、ゆっくりと近付けて・・・・・・。 あの子の後ろに私たちを見つめるピラルクがいた。〇 気付いた時、私は泳いでいた。ネオンの海を。あの子と一緒に。並んでじゃない。一緒に、だ。 ふたり、ひとつ、だった。私は、ピラルクの身体。あの子は、女性の顔。そう、私たちはアルバート・フィッシュになって泳いでた。きらびやかなネオンの光に包まれて速く、とても速く泳いでいた。心地よかった。人間の時と違って身体は軽やかで、軟らかくて、何よりあの子と一緒だったから。 私たちは調子にのって飛びはねた。そしたら、目の前に人間がいた。それは、人間の頃のわたし。 そうだ、あの時のわたしだ。くらげに笑われ、逃げられて、あの子に呼ばれて、手を振り返したあの時のわたしだ。 わたしは私を見て感嘆の声をあげ、私を触ろうと手を伸ばすけれど、その手を私はすり抜けた。不思議そうに、ひとり小首を傾げるわたしにあの子は笑いかける。もう一度、今度は左手を伸ばすわたし。私はその手をまたすり抜けた。だまし絵みたいなその光景を面白がってわたしは何度も手を伸ばし、そしてとうとう抱きついてきた。私はわたしの両手をすり抜けてネオンの海の上へ逃げた。あの子と一緒なのにわたしと遊ぶなんて時間の無駄だった。『そうだ、静かな海へ行こう』 って思って私たちは月へと向かった。 ピラルクの尾鰭は、宇宙空間もへっちゃらでまるであの子のショートカットのよう。無重力の海を掻き分けてどんどん進む。人間だった頃よりもずっと速く静かな海へとついた。 滑らかな海底を砂塵を巻き上げながら泳ぐ。肺なんて無いから砂塵を吸ったって咳き込むことも無い。「気持ちいいね」 って私は言ったけどあの子はただ笑うだけ。 なんだろう、この感じ。さっきから変だ。あの子はずっと笑うだけで何も言わない、何も答えてくれない。 さっきまで楽しかった。人間じゃなくなって、あの子と一緒になって。でもこの違和感に気付いたら、そんな気持ちもなくなって、何か……嫌だった。 わたしとあの子の声が聞こえた。変なのって呟いたわたしに文句はケプラーに言いなさいってあの子はいった。 わたしとあの子、寄り添う、ふたり。 海底に降りて、砂塵を吸って咳き込むわたしに笑うあの子。あの子も砂塵を吸って咳き込んだ。 わたしとあの子、笑い合う、ふたり。 手を繋ぎ、海底を蹴ってゆっくり昇るわたしとあの子を見て、私は胸が苦しくなった。いや、これはきっともっと奥、奥底にある、私の心。『……ああ、そうか』 ようやく気付いた。あの子が何も言わないのは、何も答えないのは、私の心が苦しいのは、なぜか。 わたしとあの子は、今、ひとつだからだ。わたしとあの子がひとつになって、アルバート・フィッシュになったように、わたしとあの子の心はひとつになって、私になった。そう、あの子が何も言わないのは、心がないから。私の心が苦しいのは、あの子が私の隣にいないから。 ふたり、ひとりになって。 ふたつ、ひとつになった。 失われたあの子の心。あの子の身体。「私は一体何を望んだのだろう」 ひとつになりたい、って望んだ結果がこれだ。 私はどうして気づかなかったのか。 あの子とわたし。ふたりだったから楽しかった、幸せだった。 悔やんでも悔やんでも流す涙なんてない。悲しくて悲しくて赦しを乞いたくなったって、あの子はもう、私だ。私を赦してくれる人はもう、いない。私を救ってくれる人はもう、いないのだ。 砂塵を掻き分けて宇宙(そら)へと昇る。わたしとあの子のずっと下を通って地球に向かう。もう何も考えてはいなかった。 地球をピラルクの身体で覆う。あの子の顔でピラルクの尾を噛んで球体になる。そんな私を、わたしとあの子は見つめていた。 わたしは、目を輝かせながらただただ見ていた。でも、横に並ぶあの子は違った。あの子の瞳は潤んでて、その柔らかな頬に一筋の涙が光ってた。あの子の唇が動いて、呟いた。 ――だ い じょ う ぶ ――わ た し が ――ゆ る し て あ げ る「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ・・・・・・」 かすかにきこえる。へたくそな歌が聞こえる。メロディーは不安定で、歌詞の意味もよくわからない。ただひとつわかるのは、それがラブソングだということ。都市を泳ぐ魚が、出会ったマネキンにガラス越しの恋をする、ちょっと馬鹿みたいなラブソングだということ。 それはわたしとあの子しか知らない歌だ。 きこえる。私の鱗をやさしく震わせる。 歌は続く。ずっとずっと遠くから。 まるで私を呼び戻すかのように。 ――ああ、そうか。これ…… ふいにあの子と目があった。あの子はにこりと笑って、私に手を振った。そうして、わたしとあの子は消えた。 唐突に世界のすべてが泡となって弾けた。〇 目覚めると屋上に寝ていた。仰向けに眺める空には、流れる血よりもずっと鮮やかな夕映えが一面に冴えわたっていた。 再び歌が聞こえる。「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。キミの真っ赤なハートの中で、くらくらくらくら笑っていてさぁ……っと、起きたか。おはよう」「おはよ。……ていうか、その歌あんまりうたわないでね、って言ったよね。もう」「なんでさ、いい歌だと思うよ」「純粋に恥ずかしいんだよ」「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」「ならないならない」「照れるな照れるな」「照れてない照れてない」 あはは、って軽く笑いながら、必死のわたしの言葉をあの子は流す。そうして、少し恥ずかしそうに「この歌、好きなんだよ。……すこし私に似てる気がして」「似てない似てない」「もう……、ちゃちゃをいれないで、最後まで聞きなさい。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて。純粋に、うたいたいから、うたってるの」 そう言って夕暮れの空を見ながらあの子は続ける。「これってすごいことじゃない?この12756キロメートルの世界に六十億人の有象無象がいて、その中のふたりがこうやって隣り合わせに立っていて、シンパシーを持っててさ、こうして笑ってるんだよ?とんでもない確率じゃない?もう、奇跡、だよね」 あの子の横顔は、茜色に染まっていて、あの子の髪は港から吹く風になびいていた。そんなあの子が眩しくて、愛おしい。「……ねえ」「なに?」「すっごくクサいよ、そのセリフ」「なっ……!」 あの子の顔が空よりも朱くなる。「そ、それ言わないでよ!……は、恥ずかしいじゃん」 そう言ってそっぽを向くあの子を見て、わたしは笑った。あの子は最初頬を膨らませて怒ったけれど、そのうち吹き出して笑った。 徐々に暗くなる空にふたりの笑い声が響いた。放課後の学校からは、部活に精を出す生徒の声。ずっと遠くで、宵の明星が瞬いていた。「――ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」「だからうたわないでってば!」〇 自転車に乗って、満天の空の下を駆け抜ける。風がずっと冷たくなった。 あの子は今頃、彼氏の原付のケツに座っているはずだ。彼氏の腹筋にしがみついて、ぬくぬくと暖かいなぁ、なんて思ってるだろう。 ブレーキから手を離す。スピードがどんどんあがっていく。足の離れたペダルはうるさいくらいに、カラカラカラカラ回る。このまま風になれればいいんだけれど、わたしの確固とした境界線はそれを許さない、許してもくれない。 シンパシー、共鳴、ふたつの音叉、ふたりの鼓動。 坂が終わる。少しずつブレーキを握って、少しずつスピードを落とす。スピードの螺旋がほどけて夜の闇に溶けていく。 水平線を進む船の明かりが幻想的で、その上には真っ白な欠けた月が輝いていた。 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日友達に聞かせてみせて、夜中ベッドの中で死ぬほど後悔した曲を。 連なる音がわたしの頭を満たすから、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭でペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。 ――ボォォォォォーーー!! 水平線へと旅立った一隻の船が最後に鳴いた。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――原作の雰囲気を守るところは守って壊すところは壊す、とやりましたが中途半端に……。まだまだ力不足を実感しました。でも、とても参考になりました。
襖ががたがたと鳴って、隙間から熊の鉤爪が見えた。わたしは音を立てないように気をつけながら、おお急ぎで布団にもぐりこむ。 前脚で器用に襖を開けて、熊はのっそりと入ってくる。 わたしは熊がきた、また熊がきたと思うのだが、布団の中に顔を埋めて、ぜったいに眼をあわせてやらない。布団の中は蒸し暑く、湿ったにおいがして、息苦しい。だけどいま顔をだすわけにはいかない。あの眼をみると食われてしまうぞ、と自分にいいきかせながら、息を殺して、じっと体を硬くしている。 気が付かないふりをしていれば、熊はいつかあきらめて去っていく。ほんとうはそんな保証なんて、どこにもないのだけれど――考えてはいけない。おまじないのコツは、信じること。疑えば効力はどこかに消しとんでしまう。あっちにいけ、と念じる。あっちにいけ、あっちにいけ、あっちにいけ。ぎゅっと小さくなって、息を殺して、ああどうせならこのうるさい心臓もとまってしまえ。 ふおう、と唸る声がする。いやな臭いが布団の中にまで届く。どすどすと、いらだつように、熊は部屋をうろつく。踏まれるんじゃないかと、わたしはぎゅっと目を瞑る。瞼の裏がちかちかする。 熊はいっとき部屋の中をあきらめ悪くうろついていたが、「ンエー、おー、オうー」 というと、とぼとぼと部屋を出ていった。しばらくのあいだ、開けたままの襖の向こうから、じっとこちらを見ているような気配があったけれど、それでもわたしが死んだふりをしていると、やがて熊はそろそろと襖を閉めた。 熊が階下にくだってゆく音を聞きながら、わたしは布団からでた。蒸し暑さから解放されて、肺を冷やす新鮮な空気が気持ちいい。まだ視界がちかちかしている。おおきく息をつくと、へらへらとした笑いが下腹からわき起こって、思わず笑い声を上げそうになった。それをかろうじて飲み込んで、わたしは耳をすます。熊が階段を軋ませるたびに笑いの衝動はいっそうおおきくなる。 ぎし、と階段が鳴る。熊はいまや四つんばいで階段をくだっているにちがいない。---------------------------------------- えっと……いかにも無粋な解釈をつけくわえて台無しにした感がいなめませんね? うわあ。ごめんなさい!(土下座) 順番が逆転しましたが、今回は皆様の作品をひととおりリライトさせていただくつもりでいます。書けたぶんから投稿していきますね。原作者さま方、どうか改悪されても怒らない、広いお心でごらんになってください……!
母が脱皮をするところを見たのは、小学四年生の夏だった。 僕の母は美しい。顔の造作のことだけではなくて、肌の内側から淡く輝くような、そんな美しさだ。僕にはずっとそれが自慢で、子どもの頃はいつも、授業参観が楽しみだった。あるいは初めて家まで遊びに来た友達が、ちょっとぽかんとして母に見とれるのに、得意な思いを抱いていた。 夏休みを間近にしたある日、僕は家に駆け込んで、ランドセルを放り出した。それはうだるような真夏日のことで、友達とサッカーをした帰りだった僕は、汗と泥にまみれていた。水を浴びてさっぱりしようと浴室にむかうと、扉が開いていて、そこには真っ裸の母の、白い背中があった。 僕はそのころ、まだときどき母と一緒に風呂に入っていた。だからそれは見慣れた姿のはずだったのだけれど、それでも僕は、何故だかとっさに息をつめて、立ちすくんだ。 母は僕の足音にも気が付かない風で、じっと背を向けていた。夕日が窓から射しこみ、白い肌にくっきりとした陰影を落としている。 やがて、かすかな音がした。それは小さな小さな音だったのだけれど、普段耳にするどんな音とも違っている気がして、僕は辺りを見渡した。どうやら、その音は母の体から聞こえてくるらしかった。 母は座ったまま、顔を上げた。その反った背中に、僕はちいさな皹(ひび)を見た。母が身じろぎするのにあわせて、その亀裂が広がるところも。 やがて母は手を伸ばして、右足のつま先を触った。足指をまさぐる指先の、きれいに整えられたピンクの爪が、しばらくして、何かを探り当てたようだった。 ぴ、とかすかな音を立てて、母はそれを引っ張った。半透明の、ほそい糸。魚肉ソーセージを剥くときのように、あるいはCDのパッケージを剥がすときのように、母はその糸をゆっくりと引き上げていく。そしてそれは、母の静脈の透ける太もものあたりで、ふつりと切れた。 母の手のひらが、右の腿をこすると、皮はずるりと剥け落ちた。 その出来ごとが異常なものだと、僕はわかっていた。だけど、その場で声を上げることはできなかった。だってどういったらいい? お母さん、せめて僕の見てないところで脱皮してよって? はがれた皮の下には、淡く色づいた真新しい皮膚があらわれた。母はつぎに左足を、続いて両腕を、同じようにしてすっかり剥いてしまうと、胸元をひっかいた。それから脇を。 背中の皮を剥くとき、母は少しばかり苦労したようだった。だけどそれ以外の部分では、その作業はとても自然でなめらかな手つきで進められていき、ああ、慣れているのだなと、僕は悟った。母にとってはそれは、定期的に繰り返している日常の作業なのだ。 あれだけやわらかく自然に剥けた母の皮は、浴室の床に落ちると、ぱりぱりと白く乾いて、こまかく割れていった。 洗顔するときと同じように、手のひらで顔をこすって、そのまま顎の下から首周りまでを一巡すると、母はシャワーを出して、体中に残った皮膚の欠片を洗い流した。それからゆっくりと頭皮を揉むようにして、髪を洗いはじめる。髪の中からはがれて落ちた白く薄いものが、湯にまじって、排水溝に吸い込まれていった。 すべてが終わったあと、母はシャワーで風呂場のタイルを洗い流そうとして、ようやく僕のほうを振り返った。「あら、直也。帰ってたの」 なんでもないような声音だった。だから僕も、なんでもないように頷いた。「声くらいかけたらいいのに。へんな子ね」 そういって首をかしげる母は、やさしく微笑んでいた。うっとりするようなあの美貌で。 母の脱皮を見たのは、その一度きりのことだった。僕は母に、あれは何だったのかと訊いたことはないし、母も説明はしなかった。だから、もしかしたらあれは夢だったのかもしれない。そう考えるほうが、むしろ自然なことだ。 だけどいまでも帰省するたびに、僕はじっと母の顔を見つめてしまう。相変わらず瑞々しく、実年齢のとおりには見えない、輝くような肌を。---------------------------------------- 流れも内容もほとんどそのままで、文章だけを変えてみました。原文があれだけの美しさだというのにまさかの無謀な挑戦。なんていうか、ごめんなさい!(ダッシュで逃走)
紅月セイルさん「孤高のバイオリニスト」のリライトです。『河のほとりにて』「静かに時間が通り過ぎます――」 夜のレッスンを終えた鷹斗が隅田川のほとりを歩いていると、川の方から女性の歌声が聞こえてきた。 ――なんて美しい歌声なんだろう。 耳を傾けながら鷹斗が川の方に近づくと、不意に歌が止まる。「誰? タカさん? 孝彦さんなの?」 どうやらその女性は、鷹斗と別の男性を間違えたようだ。しかし、同じ「タカ」という名前を呼ばれて鷹斗はドキリとして立ち止まる。「孝彦さんじゃないのね……」 気落ちした女性のため息に、鷹斗は軽い罪悪感を感じていた。「ゴメンなさい、歌の邪魔をしてしまって。あまりにもあなたの歌声が美しかったので」「いいの、気にしないで。私が勝手に間違えただけだから」 そして二人の間に沈黙が広がる。ボーと汽笛を鳴らして、隅田川を船が通り過ぎていった。「さっきの唄……」「えっ?」「先程あなたが歌っていた唄、僕も知ってます」 そう言いながら、鷹斗は抱えていたケースを地面に置くと、その中からバイオリンを取り出した。先程までレッスンで使っていた愛用品だ。 そしてバイオリンを顎に挟むと弓を構え、うろ覚えであったが女性が歌っていた唄のイントロを弾き始めた。 美しいバイオリンの音が、夜の川辺に響き渡る。 水面のさざなみ、橋を行き交う車の騒音、それらの喧騒をすべて打ち消してしまうほどの圧倒的な音色だった。「…………」 いつまで経っても歌い始めない女性に、鷹斗は弓を動かす手を止めた。「うっ……、ううっ……」 どうやら女性は泣いているようだ。「どうなさったんですか?」 鷹斗はポケットからハンカチを取り出し、すすり声に向かって差し出す。「ごめんなさい。ありがとうございます。この唄は孝彦さんが好きだった唄……なんです。あなたの美しい演奏を聴いたとたんに、あの頃を思い出してしまって……」 そして女性はゆっくりと話し始める。「ちょうど十二年前のことです。詳しくは話せませんが、私達は別れ別れになってしまいました。その時私は、彼に手紙を残したんです。永代橋が見える場所で、また会いましょうと」 水面には、青くイルミネーションに光る永代橋が揺れている。そう、それは鷹斗が渡したハンカチの色のように。「十二年経ってこの場所もすっかり変わってしまいました。もしかしたら、孝彦さんは迷っているのでしょうか?」「そうかもしれませんね。だったらまた歌いましょうよ。きっとあなたの歌声を聞いて、孝彦さんもこの場所が分かるに違いありません」 鷹斗はそう言うと、再びバイオリンを弾き始めた。そしてそれに続くように女性も歌い始めた。「誰?」 遠くで男性の声がして、鷹斗は演奏を止めた。「孝彦さん! やっぱり来てくれたんだ……」 歓喜で声が震える女性に、鷹斗は声をかける。「よかったですね。孝彦さんが来てくれて」「ええ、もう思い残すことはありません。これでやっと成仏することができます。どなたか知りませんが、本当にありがとうございました」 そう言う女性の声が次第に遠ざかっていった。「えっ、えっ、どういうことなんです? 成仏って……」 困惑する鷹斗の元に、先程の男性が駆けてきた。そして息を切らしながら鷹斗に問いかける。「君がさっき弾いていた曲って?」 鷹斗は何て答えたらいいのか分からなかったが、正直に話すことにした。「先程までここに女性が居て、その方が歌っていたんです」「えっ、女性がここに居たんですか? それはどんな方でした?」「御免なさい。僕は目が見えないので……」 鷹斗は顔を上げて、男性の方を向く。孝彦と思われるその男性は、鷹斗を見て驚きの声を上げた。「あなたは……、もしかして先日のコンクールで優勝した盲目のバイトリニストの……」「そうです。西条鷹斗と申します」 鷹斗は孝彦に向かってお辞儀をした。 「今日は多恵子の十三回忌なんです」「そうだったんですか……」 隅田川のほとりに二人で座り、孝彦は鷹斗に語り始めた。「十二年前の今日、多恵子はこの場所で身を投げたんです。一通の手紙を残して」「…………」 きっと多恵子さんはこの場所でずっと孝彦のことを待っていたのだと鷹斗は思う。「多恵子は何か言っていましたか?」「あなたの姿を見れて心残りが消えたと」「そうですか……」 孝彦は少し考えた後、遠慮がちに口を開いた。「世界的なバイオリニストにお願いをするのは大変恐縮なのですが……」 孝彦は鷹斗を見る。「先ほどの曲をもう一度弾いていただけないでしょうか?」「ええ、喜んで」 そして鷹斗は、静かに『精霊流し』を弾き始めた。----------------------------------------------------某所の冬祭りに参加しているうちに、すっかり出遅れてしまいました。こんな感じのリライトでよければ、ぼちぼち参加したいと思います。>紅月セイルさんこんな風にしてしまってスイマセン。バイオリンの曲って、これしか思いつかなかったので。僕のブログに、このリライトを載せても構わないでしょうか?(追記2/2:HALさんのコメントを参照して、冒頭の歌の部分を修正しました)
HALさまリライトしてくださってありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです!細やかな描写や台詞がもう何と言うか、あの、好きです。大好きです。どうやったらこんな風に書けるんだろう……精進します。本当に、ありがとうございました!
HALさまの「震える手」のリライトです、本当にすみません……!リライト希望作としてHALさまがあげられていた「荒野を歩く」は、既に他の皆様が素晴らしいリライトを書いておられるので、わざわざ私が恥晒しをする必要もないかと……。それで、サイトを観覧させて頂いて以来ずっと気になっていたこの素敵な作品をリライトさせて頂きました。覚悟はできています、どうぞ石でも何でも投げてください受け止めます(ぇ----------------------「先輩が好きです」 読書クラブの後輩、水谷くんの掠れた声が、廊下の冷たい空気を微かに震わせた。 私は数回瞬きをして、水谷くんの瞳を真正面から見つめてみた。揺れる網膜。淡い熱。 知っていた。彼の気持ちが私に向いていることは、何となく分かっていた。クラブ活動中ずっと私に向け続けられる視線や、すれ違う瞬間に感じる柔らかな、いとおしみの気配にも。 けれどいつまで経っても、何も言ってこない。最近の男子は奥手なんだな、と待ち続けること一年。もういっそ私から言ってしまおうかとまで思い始めたとき、ようやくその言葉をもらえて、少し安堵した。「でも、」 水谷くんは続ける。伏せた睫毛のうすい影。舌先で、唇を濡らして。呟くように。「ぼくは先輩に、触れられないんです」 空気が揺れた気がした。ん? と私は首をかしげた。「どういうこと?」「だから、ぼくは先輩に、じゃなくて先輩以外にも、誰にも触れられないんです」 搾り出すような声でそういうと、水谷くんは私の方に手のひらを伸ばしてきた。 白い甲に、長い指。皮下に流れる薄青の血管が、うすく透けて見える。爪の先の白いカーブがうつくしくて、私はそっと触れようとした。 瞬間、指先は引っ込められた。黒いカーディガンの袖に隠れる掌。 視線を上げると、水谷くんは頬を染めてうつむいていた。唇をやわく噛んで、耐えるように。恥じ入るように。「理由は分かりません。本当に触れたいのに、できないんです」 華奢な肩が小さく震えた。私は言葉をなくして、彼の手のひらが在った空間をぼんやりと眺めた。「先輩のことは、好きです。ほんとに心から、大好きなんです」 そういう水谷くんは今にも泣き出しそうに見えた。栗色の巻き毛が、廊下の窓から差し込む午後の日差しに透ける。 私は、小さく一歩足を踏み出した。それに応じて、水谷くんも一歩後ろへ退く。歩く。退く。歩く。 とん、と軽い音がして、とうとう水谷くんは壁に背をつけた。私はそっと手を伸ばす。「せんぱい……、あの、やめてくださ、」 怯えるようにぎゅっと目を瞑る彼の頬を、つ、と撫でた。すべらかな白い皮膚が指先に馴染む。 水谷くんは肩を震わせ、必死に耐えていた。けれど、伏せた睫毛の隙間から涙が滲むのを見て、私は彼から手を離した。「ごめんね」 言うと、彼はふるふると首を横に振った。何だか小動物みたいで、哀れに思えてくる。「ぼくが悪いんです。ぼくが、いけないんです」 でも、と彼は続ける。「ぼくは先輩が好きです。大好きです」 沈黙。からからと、枯れた木が風に揺れる音がする。私はしばらく考え、そして言った。「付き合おうか、私たち」 その言葉に、水谷くんが顔を上げる。彼が驚いている隙に、私は彼のカーディガンを握り締めた。ひっ、と情けない声を漏らして、でも水谷くんは腕を振り払わなかった。 数秒の停滞。どくり。どくり。心臓の鼓動がやけに大きく響く。空気がざわつき、ゆっくりと動き出す。 ぽとり、と床に水谷くんの顎から滴った汗が落ちて、私は腕を離した。「服の上からは大丈夫なんだね」「直接触れられる、よりは」 荒い呼吸をしながら彼は言った。ぐったりと背を壁に預けて、息を吐く。「先輩、本当に付き合ってくれるんですか?」「さっき言ったはずだよ」 返すと、水谷くんは掠れた声で囁くように言った。「だけど、手も握れないし、キスもできないですよ」 自分から告白してきておいて何を言う、と私は内心嘆息した。「それでも、いいんですか」 震える声を聞いて、ああ彼は怖いんだ、と思った。私に拒否されることより、承諾されることの方が怖いんだ。 けれど、いつか受け入れなければ、きっと君は幸福になれないよ。「いいよ、付き合おう」 キスも手繋ぎもしなくていい、隣にいるだけでいいよ。それで充分、満たされるでしょう? 同情じゃない。ただの哀れみでもなくて。本音を言うとキスもしてみたいし、手も繋いでみたい。 水谷くんと、このままずっと触れ合えない可能性も、全く否定できない。 でも私は、彼のことが好きだった。彼の柔らかな話し方や優しいまなざし、本のページをめくるときに踊る、なめらかな指。 栗色のゆるい巻き毛に、可愛らしい笑顔。猫背気味のまるい背も、いつもだらしなく伸びているカーディガンの袖も、読書をするときの真剣な目も。 全部全部、好きだった。「私は水谷くんが好きです。付き合ってください」 微笑みながら言うと、彼はくしゃりと顔をゆがませ、笑い泣きの変な表情になった。「ありがとう、里穂さん」 いつの間にか薄暗くなり始めた廊下を、私たちは二人で並んで歩く。お互いの袖を握っているせいでときどき転びそうになりながら、一緒に歩く。 このままずっと歩き続けたいな、と水谷くんのカーディガンに頬をつけながら、私は思った。
> 沙里子様 『鱗とコアントロー、まるい海。』への感想 うわあ、これすごい好きです。原作のせつなくって甘酸っぱい空気も大好きなのですが、こちらのリライト作品は、原作とはまた違う方向性の『好き』を感じます。 鱗、コアントロー、ドレープ、移動遊園地……小道具や単語の使い方が、すっごくいいなあって思います。 ラストが淡々としてるところがまたいいなあと思います。羨ましい、こういうのスマートに描けるようになりたいなあ、嫉妬……!> お様『ふぃっしゅ そんぐ にーてんれー』への感想 リライトというより、ほんとに「宛てて」というかんじですね。いろとりどりのイメージの氾濫。小道具や舞台の使い方がすごくて、見習いたいです。 感動的なかんじのクライマックスでいきなり出てくるデコピンにずっこけました。ええええ!?> お様『荒野を歩く』リライトへのお礼と感想 わあ、主人公がタフな男になってる! そして心情描写が濃密……! キャラクターも文体もジャンルも、まるきり違うかんじで、なんていうか、もとになったものが自分の書いた作品だという気がしなくて、普通に楽しんでしまいました。そして、キャラクターものを書きたいと身としては、いろいろ勉強になります。 ありがとうございました!> お様『バイオリン弾きのゴフシェの奇跡』への感想 原作やほかのリライト作品と比べると、ぐっと泥臭い(念のため、いい意味です)タッチですね。ゴフシェの自虐的な感じやジレンマ、心情の推移にドラマがあって、すごくいいなと思いました。 最後、ゴフシェはどうなったんだろう。追放されただけですんだのかな、それとも……。> 紅月セイル様『Fish Song―Capriccio―』への感想 あっ、そういう読み方があったんだあと、目から鱗が落ちたような気分です。新鮮。なんだろ、リライトすると、ふつうに感想を書くときよりも、作品解釈のわかれかたがはっきり表に出てきますねー。 そして、拙作をリライトしていただいたときにも思いましたが、紅月さまが書かれるラストは、前向きさがありますね。> 自分 『ほらねんね』リライトの反省 うー、やっぱりすごく無粋な感じがする。不思議は不思議のままだからいいんですよね。それがわかっていてなぜやった。ごめんなさい……(汗)> 自分 『僕の母は美しい。』リライトの反省 ぎゃーごめんなさい! どう考えても劣化したとしか思えません。 しかし出来を度外視すれば、リライトしていてとても楽しかったです。ありがとうございました!> つとむュー様 『河のほとりにて』への感想 あっ幽霊ネタかぶった! しかし、わたしの無理やりな幽霊ネタと違って、きれいな流れで、切なくもほっこりする仕上がりでした。いいなー。 企画ものなのに批評的なことをいうのもなんていうかすごく無粋なんですけど(大汗)、「♪」や「~」は、ちょっとコメディっぽいというか軽い感じがするというか、作品ぜんたいの雰囲気を考えたら、もう少し違う表現のほうがよかったのかな、って思いました。 あれですね、原作が詩というスタイルもあって、細かい背景を書き込まずに余白をとってあるので、リライト作品を読み比べるのが楽しいですね。> 沙里子様 『手のひらの熱』への感想とお礼 ありがとうございます……! 描写がこまやかになって、彼氏が同級生から後輩になって、そしてちょう可愛くなってる! カーディガン、いいです……! 小動物感が増してて、この子すごい好きですどどどどうしよう(落ち着け) すごくうれしいです。ありがとうございました!
隣の部屋から、すすり泣く声がする。 真夜中だ。一歩間違えればホラー映画のシチュエーションだけれど、うらめしそうな女の声ではなくて、野太いオジサンの泣き声では、なんとなくしまりがない。しかも、男泣きなんていう雄雄しいものではなくて、まさにめそめそという感じ。あれが自分の父親だと思うと、恥ずかしくてしかたがない。 母さんがいてくれれば、と思う。そうすれば、なだめすかすか叱りつけるかして、なんとか泣き止ませるなり、せめて隣の和室から引き剥がして、わたしの勉強の邪魔にならない場所にどかしてくれただろうに。 信じられないことに、もう三時間、この調子なのだ。弟はとっくに逃げ出して、友達の家に避難している。わたしだってそうしたかった。だけど受験生の友達の家に、急に夜中に押しかけて「今晩泊めて」なんていう度胸は、あいにく持ち合わせがない。 泣き声は収まる気配をみせない。まったく、大の男がいつまでも、情けないことこの上ない。聞こえよがしにため息をついても、襖の向こうの声は、さらに泣き声のトーンを上げただけだった。嫌味な。 こっちは受験も間近だっていうのに、いったい何を考えてるんだろう。おかげでイライラして、ちっとも勉強に集中できない。 襖に向かって、消しゴムを投げつける。投げるものを目覚まし時計にしなかった自分の理性を、誉めてやりたい。家庭内暴力をふるう男の気持ちが、ちょっとだけわかるような気がした。大きくため息をつく。 父さんに向かって「ウザい。死ねクソ親父」と吐き捨てたのは、三時間前のことだ。いくらなんでもいいすぎだろうか。いいすぎだろう。自分でもわかってはいる。だけど、それくらいのことは、いいたくもなるのだ。 センター試験まで、残り一か月。この追い込みの大事な時期に、風呂上りにパンツ一丁で部屋にやってきて、よりによっていうことが「週末、温泉にでもいかないか」ときた。 誰のせいで、と思う。いったい誰のせいで、こんなに必死で勉強する羽目になっていると思うのか。 一年前のことだ。四十もとっくに過ぎて、上司とそりが合わないからなんていう子どもみたいな理由で仕事をやめた父さんは、不況の中でどうにか働き口を見つけたはいいけれど、年収は当たり前のようにガタ落ちした。 どうして上司に辞表を突きつける前に、一瞬でも子どもたちのことを思い出してくれなかったのかと、なじりたいのを堪えに堪えて、わたしはそれから必死に勉強に追われている。どうせあんまり頭はよくないんだし、大学になんていかなくてもいいっていったのに、それはダメだなんていい張ったのも父さんだ。ローンの残るこの家もさっさと処分して、家賃の安い公営住宅にでも申し込もうよって、わたしがそういっても、思い出のある家を手放すなんて無理だとごねたのも、やっぱり父さんだ。あのおっさんの脳ミソには、現実を見るっていう能力が、最初から備わっていないに違いない。 そんな状況で、私大に通うような余裕はウチにはない。もともと受験に対して呑気に構えていたわたしが悪いといえば、そのとおりだ。だけど、誰のせいで、と思わずにはいられない。 すすり泣きはおさまらない。いいかげん腹に据えかねて、椅子を蹴立てて立ちあがった。どすどすと畳を踏み鳴らして、襖を開く。父さんは肩を落として、小さくなっていた。その丸まった背中がどうしようもないほど情けなくて、思わず拳をにぎりしめていた。 怒鳴ろうと、大きく息を吸い込んだ瞬間だった。父さんが手にもっている、一枚のカードに気がついたのは。 色あせた、けれどたしかに見覚えのある風景写真。それは五年前、家族旅行のときに買った絵葉書だった。 どうしてこれが、いま父さんの手元にあるんだろう。驚きのあまり、怒鳴りかけていた声もしぼんで、どこかにいってしまった。 それは、いまも遠い南の島の、街角にあるポストの底で、ひっそりと眠っているはずの品だった。 五年前のそのときまで、毎年かかさず、その南の島に家族そろって出かけるのが、わたしたちの習慣になっていた。だけど五年前、まさにその旅行の最中に、非常事態が起きた。火山活動が急に活発化したのだ。 その噴火は、最初の予想以上に大きくなって、最終的には全島民が避難するはめになった。わたしたちも夜中にホテルの従業員から起こされ、おおあわてで荷物をまとめて、船に乗り込んだ。そして数日後、島は封鎖された。 あれが家族そろっての、最後の旅行になった。翌年、三人でどこかに行こうといった父さんに、あの島でなければ絶対に嫌だと、わたしがごねたからだ。 本当は、旅行の場所なんてどこでもよかった。母さんがいないのに、三人で旅行なんてするのがいやだっただけだ。「ごめんね」と、母さんはいった。家を出て行く前の晩のことだ。父さんとひどい喧嘩になって、言葉と皿とが飛びかった。わたしと弟は、わたしの部屋に避難して、うんざりだよねとか、いい加減にしてほしいとか、そんなことをいいあっていたと思う。いっときして、母さんがそこに顔を出して、たった一言、ごめんねといった。 わたしたちは、その「ごめんね」が、「みっともないところをみせてごめんね」だとか、「いやな思いをさせてごめんね」だとか、そういう意味だと思っていた。翌日、学校から帰ってきて、母さんがいなくなっていることに気が付くまでは。 家を出た直接のきっかけが、なんだったのかは知らない。たまに連絡してくる母さんも、母さんのことに触れると顔を歪めて黙り込む父さんも、ぜったいに話そうとしないからだ。 だけど、そういうことの原因が、ひとつきりのわけがない。日ごろの色んなことが、たとえばこういう父さんの無神経なところだとか、考えなしで現実を見ないところだとか、すぐにめそめそするところだとか、そういう不満やなんかがずっと積み重なって、混ざりあって、それである日、なにかのきっかけで堰を切るのだ。 だけどどうして、この絵葉書がいまごろになって……。 そう考えて、やっと思い出した。ついこのあいだになって、ようやく島民の人たちの帰島が叶ったと、ニュースでたしかに聞いたのだった。 ではこの絵葉書は、熱い灰の降ってくる町の一角の、あの国独特の形をしたポストの中で、焼けずに耐えていたのだ。そして、戻った島民たちの手によって、五年越しに送り出されてきた。面白がってそれを投函した、当のわたしも、とっくに忘れたころになって。 絵葉書の裏には、記憶違いでなければ、わたしたち四人の署名がそれぞれ入っているはずだ。 父さんの肩は細かく震えている。厭味のためのウソ泣きには見えなかった。なにも考えきれない人なのだ。相手の気持ちになってみるっていうことが、とことん下手くそなだけの。 何もいわずに襖を閉めて、自分の部屋に戻る。椅子を軋ませて座り、イヤホンを耳に突っ込んで、ボリュームをあげた。おっさんのすすり泣きよりは、フルボリュームのロックのほうが、まだ勉強の邪魔にはならないだろう。耳は悪くなるかもしれないけれど。 明日の朝になったら、と、数学の参考書を睨みながら、頭の隅のほうで思う。温泉、行ってもいいって、いってみようか。ただし、受験が終わったあとにねって。 謝るのは癪に障るけれど、それくらいは歩み寄ってやってもいい。どうせ大学に受かったら、次の春にはこの家を出るのだし、わたしのほうがちょっと大人にならないと、どうやら仕方がないみたいだから。---------------------------------------- ごめんなさい、勝手ながらだいぶ設定いじっちゃいました。えらく口汚い娘さんになってしまった……。 お目汚し、大変失礼いたしました!
HALさんへ「お父さんのススリ泣き」をリライトしていただきありがとうございます。これはすごい勉強になりますね。感謝、感謝です。それにしても、まさかお母さんが……(笑)僕のブログに載せても、いいですよね?紅月セイルさんの「孤高のバイオリニスト」のリライトの感想もありがとうございます。他の方のリライトは読まずに書いているので、ネタが被ったということは、もしかすると原作にそういう雰囲気があるのかもしれませんね。♪や~は、やはりなにか軽い感じがしますね。さて、リライトは順番にチャレンジしたいと思います。(すいません、紅月セイルさんの「ノワール・セレナーデ」は一巡してからにしたいと思います)次は「自動階段」。ヘンテコなアイディアは浮かんだのですが、はたして文章にできるかどうか。
> つとむュー様 どうぞどうぞ!>転載 勝手な設定を付け加えてしまってごめんなさい……!(汗)年齢も変えちゃったし、弟まで増やしちゃったし。 原作で、お母さんの描写がどこにも出てこなかったので、お父さんが泣いていても別室で知らん振りを決め込んでいるのか、家族を置いてお泊まり旅行にでもいっているのか、それともすでにいないのか……と。> 反省 これだけ複雑な家族構成に改変するんだったら、もっと尺をとって、じっくり腰をすえて書くべきだったのではないかと……。 お母さんが、子どもたちを連れて家を出るのではなく、ひとりで出て行ったところに、事情への鍵があるっていうか、ほんとうは非はお父さんにばかりあるのではないのだけれど、娘は無意識に母親の味方をしている……っていうのをなんとなく匂わせたかったのですが、どう考えてもうまくいっていませんねorz わたしはロコツに書くところとにおわせるところと伏せるところの選別を、もうちょっとどうにか身につけないといけないなと思いました。反省。
片桐秀和さん作「自動階段の風景 ――行き交う二人――」のリライト作品『千年後の自動階段』 紅かった。月が。 輪郭がぼんやりしているのは、まだユウキの意識が朦朧としているからだろうか。 その紅い月は、ちぎれ雲ひとつない透き通った青空に浮かんでいた。 そしてユウキの体は、その青空の中を上昇しているようだった。 ――このまま天国に行くのだろうか。 そう思ってユウキは、はっと意識を取り戻す。 ――あれからどうなったんだろう? 意識を失う直前にユウキが見たのは、猛スピードで突っ込んでくる建築資材を運ぶ大型トラックのボンネット。とても避けられたとは思えない。 ――きっと俺は死んだんだな。 ユウキは体を動かそうとしたが全く動かせない。体を横たえているのは、白く細長い床のような場所。手探りで形状を探ると、細長い床の片方は壁のようになっていて、もう一方は下に切れ落ちている。 まるでそれは階段のようだった。しかも、エスカレーターのように上昇している自動階段。 丸一日階段に横たわっていたユウキは、やっと体を動かせるようになった。 相変わらず月は紅い。 なんとか上半身を起こして周囲を見渡すと、ユウキが居たのはやはり階段だった。上にも下にも人が居るようだ。それよりも驚いたのは、反対側には下りの自動階段もあることだった。 二日目になると、ユウキは元通りに体を動かせるようになった。 ユウキは階段に座って紅い月を眺める。 自動階段は相変わらず上昇を続けている。反対側の下降する階段を見ていたこともあったが、乗っている人はみな同じ顔に見える上に、それがものすごいスピードですれ違うものだから気持ちが悪くなってしまった。 だからユウキはずっと月を眺めていた。なんであんなに紅いのだろうと思いながら。 すると突然自動階段が止まり、空の彼方から中性的な声が響いてきた。『ご利用の皆様にお知らせします。ただ今、当自動階段は定期検査を行っております。七分間の停止が予想されます。お急ぎの皆様にはまことにご迷惑をおかけいたします。繰り返してご利用の皆様にお知らせします――』 ――なんだよ、点検かよ。 ユウキは少しふて腐れるように反対側の下り階段を向く。案の定、下り階段も止まっていた。そしてそこに乗っていた人と顔を合わせて、思わず声を上げた。「えっ!?」「あっ!」 反対側の階段からも驚きの声が聞こえてきた。そこに乗っていたのは――なんとユウキと瓜二つの顔をした男性だったのだ。「あなたも……」「そうです、私もタイプEです」 西暦二五○○年。 人類は存続の危機に面していた。 男性が持つY染色体が、子孫を残せないほどに小型化してしまったのだ。 もともとY染色体は修復が効かない染色体だった。しかも、突然変異を繰り返すたびに小型化していった。 ――このままでは人類は絶滅してしまう。 そう判断した科学者達は、Y染色体があまり小型化していない人々を選び出し、そのクローン人間を作ることで人類を存続させようと計画した。 そしてその計画の発動から五百年が経った西暦三○○○年には、人類の男性はタイプAからEまでの五種類だけになってしまったのだ。 ユウキはタイプEのクローンだった。そして反対側の階段に居た男性も同じくタイプEのクローンだった。「珍しいですね」「僕も同じタイプの人間に会うのは初めてです」 クローンにはAからEまでの五タイプが存在していたが、その存在比は著しく偏っていた。例えばタイプAが七○%、タイプBが二○%、という具合に段々と減っていき、タイプEはわずか○.○○○一%の存在だったのだ。「俺は武本ユウキ」「僕は丹羽ミキオ」 二人は何か運命的なものを感じていた。「俺、一昨日交通事故で死んだんです」 ユウキは淡々と切り出した。「それは、ご愁傷さまでした。痛かったですか」 ミキオが弔いの言葉を口にした。彼としても死んでいることには変わりなく、不可思議な会話とも取れるが、その表情にからかいの色は一切ない。「いや、一瞬だからどうということも。はは、気づいたらこの変な階段に乗って上昇していました」「そう、良かった、っていうのはおかしいな。不幸中の幸いでしたね」 ミキオもあくまで軽快な調子で話すユウキに合わせたのか、おどけた様子を見せた。「ああ、それ、それです。俺って変なところで運が良いんですよ。あれ、この場合は運が良いとは言わないか」 コウキが頭を掻くと、ミキオは楽しそうにお腹を抱えて笑った。和やかな雰囲気が一段落すると、ミキオが静かな調子でつぶやく。「じゃあ、僕は明後日かな」「何がですか?」「生まれるのが」 ああ――、とユウキは息を漏らす。「そうか。俺が二日来た道をこれから行くわけだから、明後日生まれることになるんですね」「ええ」「それはおめでとう」「ありがとう。今はとっても楽しみです」「そうですよね」 人間界ではタイプEの男性は大変珍しいので、どこに行ってもモテモテだった。そりゃ世界の男の七○%が同じ顔をしているのだから、そうなるのは当然だ。「俺がこれから行くところはどんなところですか? まさか地獄だったりは――」 人間界に戻るミキオに比べて、ユウキの方は不安で一杯だった。「いや、名前は天国でした。着いた先の看板にそう書いてあったから。でも、ある意味地獄かもしれませんね。だってこの階段は男性専用だから」「げっ、それは難儀だな」 つまり行き着く先には、タイプAの同じ顔をした男性がうじゃうじゃ居るということだ。「だから見てはいけないんです」「というと……?」「考えるんです。人類とは何なのか、ということを」 溢れんばかりの同じ顔をしたクローン人間。天国をそのような状況にしてまでも人類が存続し続ける意味は一体何なのか。「僕はずっと考えていました。二十年くらい。そしてある日、気がつくとこの下り階段に乗っていました」「それで答えは出たの?」「いいえ、何も答えは出なかった」「そうか……」 ユウキが沈黙すると、ミキオはおもむろに夜空に浮かぶ紅い月を見上げた。ユウキも自然とそれに倣う。ユウキがこの二日間ひたすらに見ていた月だ。「ねえ、どうしてあの月は紅いんだ?」 ユウキは長らく疑問に思っていたことを口にした。答えがあるなら知りたいと思っていたが、今は何よりミキオならどう思うかが知りたかった。「命の色なんだと思う」「命?」「うん、尽きた命と生まれる命。いくら取り替えが効くクローン人間だって、命に色があってもいいんじゃないかって思ったんだ」「へえ、難しいな」「僕にもよく分からないんだけど、死ぬことも生まれることもきっと同じくらい大切なんだってそう思った。うまく言葉に出来ないけれど、あそこで過ごした二十年で分かったような気がする」「大切か――」「ああ」 ユウキははっと息を呑む。一瞬意識が揺らいだ後、絶対に解けないはずの数式の答えが電撃とともに去来したように、強烈な衝撃がユウキの魂を打った。「聞いて欲しいことがある」 そう切り出したユウキの表情は固い。強張った頬が震えると、唾をゆっくり飲み込んだ。「おかしいな奴だって思ってくれてかまわない。だけど聞いて欲しい。ずっと君に伝えたいことがあったんだ」 どこか苦しそうにも見えるユウキに心配そうな表情を見せながらも、ミキオは深く頷いた。「俺は君だよ。そして君は俺なんだ」「え?」 ミキオは驚きのあまりそう言うよりなかったのだろう。それでも言葉の意味するところを、自分なりに必死に掴もうとしている。 ユウキは自分でも止められない激しい想い、けれど真摯な想いをゆっくりと言葉にしていく。「何度も何度も、こうして俺達は出会っていたんだよ」 それを聞いたミキオが、あっ、とつぶやいた。「僕にも分かった。僕達はここを何度も何度もすれ違っていたんだね。生まれる君と死んだ僕、死んだ君と生まれる僕。どちらか一方の世界で一緒に過ごしたことはないけれど、こうしてグルグルと入れ替わっていたんだ」「お互いにな」「そうだ、僕達は同じタイプEのクローンじゃないか」「じゃあ、約束しよう。次に君が死んでもこうやってこの階段ですれ違うって」「ああ、約束しよう」 二人は自然と右手を伸ばしあい、強く握手を交わした。 その時だった。 突然ユウキがミキオの手を強く引っ張ったのだ。そしてその勢いでミキオの体は宙を舞い、上り階段に着地した。一方、ユウキの体はミキオと入れ替わって下り階段に移動する。「な、何を!?」 驚愕に震えるミキオ。何が起こったのかわからないという表情でユウキを見つめている。 その時、七分間停止していた自動階段が動き始めた。「だから言っただろ。俺は君で、君は俺だって。だったら入れ替わったって変わりはしないんだ。また天国で二十年の瞑想にふけってくれ」「くそっ、騙したな」「もしかしたら君は、こんな感じでこの場所と天国とをずっと行き来しているのかもしれないぜ」「そ、そんなことは……」「ま、天国でゆっくり考えるんだな。じゃあな、またこの階段で会おうぜ。あばよ」 ユウキを乗せた階段が下っていく。あと二日我慢すれば、また人間界に戻れる。そうすれば、タイプEのクローンはモテモテの人生を歩むことができるのだ。まさか、タイプAに生まれ変わるということはあるまい……。-------------------------------------------------------ゴメンなさい。こんな変な作品を書いてしまいました。リライトというか、パクリに近いです(でも楽しかった)。片桐さんの文章をそのまま使っている部分が多いので、文章力の差が浮き彫りに(泣)(この作品を僕のブログに掲載してもよろしいでしょうか?)次は「Fish Song 2.0」。これは強敵ですね。(紅月セイルさん「孤高のバイオリニスト」のリライト作品『河のほとりに』ですが、冒頭の部分を修正しました)
日も暮れようとしたとき、旅人のパイアケトが墓場の前を通りかかりると何か女の啜り泣きが聞こえる。ぎょっとして墓場を覗き込むと、一つの墓石の前でうずくまる女がいた。旅をしていると気味の悪い噂話をいろいろと聞く。無念を晴らせずさまよう幽霊、墓場で死肉を貪る怪物、真夜中に呪いの儀式を執り行う狂人。迷信などを信じて必要に怖がることはないが、それでも旅の途中で気味の悪いものに近寄ろうとも思わない。恐ろしくなったパイアケトが足早に町に向かおうをしたとき、その女のしくしくという嗚咽に混じって、なにかを呟いているのが聞こえた。途切れ途切れだが、あれは歌だ。故人の霊魂が悪霊に汚されず、迷わず無事に天国へと行けるよう願う歌。嗚咽によって旋律も歌詞も消えかけているが、確かに彼女は歌っている。夫か恋人か息子か、ともかく誰か親しいものを亡くした女らしい。 押し寄せる哀惜の念に、我を忘れ、時がたつのにも気がついていないのだろうか。もうすぐ夜になる。こんなうら寂しい場所に女一人を残して立ち去ってはいけない。女への同情心とともに、倫理観がパイアケトの胸に湧き上がる。「お嬢さん、もう一番星が天に昇っていますよ。何があったのかお察ししますが、私と一緒に町へ向かいませんか。この時間にはスープのやパンのこげる匂いが漂っていて、きっとほっとしますよ」 声をかけられた女がハッと顔を上げる。女は手に持っていたナイフをとっさにパイアケトにむけたが、慌てて手を上げたパイアケトを見てすぐに警戒を解いた。目元や耳のあたりに鱗を生やした見たことのない種族であったが、若い女であることは知れた。赤く腫らした目から、ずいぶん長い間泣いていたに違いないとパイアケトは思う。女は何かを言おうとしたが言葉にならず、パイアケトが差し出したハンカチを黙って受け取った。 女はすこしの間、落ち着こうと努力してからようやく「どなたかは存じませんが、親切にありがとうございます」と言い、しかし「私は今夜、この場を離れるわけには行きません」 ケケト族のポアラと名乗る彼女の話によると、彼らは霊感の鋭い種族なのだという。それゆえに悪霊たちにとって、死んだばかりのケケト族の無防備な霊魂は格好の餌であるという。男は娘や妻が死ぬと槍を持って悪霊たちを退く、女ならば歌を捧げて霊魂を導いた。ポアラはまだ娘といっても通じる外見であるが、つい先日伴侶を失った未亡人である。結婚してから二年、夫は夭折の人であった。ケケト族の慣わしに従えば、妻であるポアラは夫のために一夜を通して歌い続けなければならない。さもなくば夫の霊魂は現世をさまよい、いずれ悪霊に食い散らかされてしまう。 それまで黙って話を聞いていたパイアケトは、腹を立てて言った。「しかし冷たい一族ですね。あなたが歌っている間、だれも付き添いさえしないとは」「友人たちを起こらないでください。この辺りには獣も出ませんし、物騒な話もありません。それに一人でいさせてくれと、私が頼んだのです」 女は俯き、沈痛な言い方で続けた。「私はその、恥ずかしい話ですが、音痴なのです」 音楽や芸能を愛すケケト族は皆、美しい歌声をもつ。その歌や踊りに乗せ出産を祝福し、運勢を占い、恋人を愛で、結婚を喜び、故人を偲ぶ。この種族の者にとって、歌や踊りができないことは人格を疑われるほどの恥ずべきことではあった。ポアラに親しい者たちは、彼女の音痴を知り彼女を嫌うことはなくても、激しく同情し、彼女自身も己の才覚のなさを情けなく思っていた。しかし、夫の魂を導く歌は妻の役割であり、他の誰かに変わってもらうわけには行かない。耳障りな歌声を晒してしまうくらいならば、誰にも聞かせることなく、一人で夜を過ごしたほうがよい。彼女はそう考えているようだった。 先ほどうずくまって泣いていたのも、夫を亡くした悲しみももちろんあったが、それよりも愛すべき人を満足に送ってやれない自分の歌声を嘆いてのことでもあった。「いくら歌っても、あの人の霊魂を導けず、あの様にさまよわせてしまう」と彼女は言い、情けなさそうに「あはは」と力なく笑った。その言い方はあたかも彼女にさまよう夫の霊魂が見えるかのようだったが、もちろんパイアケトにはそれが見えず、あいまいに返事を返すしかなかった。 なんと言うべきか思いつかずパイアケトがまごまごしていると、彼女はどこかに言ってほしそうな仕草をパイアケトに送ってくる。しかしパイアケトは心配であった。 ごほんと咳払いをしたパイアケトは、どうでしょう、と提案をする。「私は旅人です。私にかく恥ならば、あなたもそこまで気にすることはありません。私に一晩、あなたのお手伝いをさせていただけませんか」「手伝いとは」 なにが手伝えるのかと疑問に思うポアラに、これですと言いながらパイアケトはドサリと置いた荷物の中から楽器を取り出した。「演奏があれば多少は歌いやすいでしょう。歌を教えてください」 彼女は迷ったが、「旦那さんが一生さまようのと、一時あなたが恥をかくこと、どちらが重大か」という旅人の言葉にしぶしぶ納得した。パイアケトに彼女が歌った曲は確かにひどい歌だった。音程は外れ、調子も悪い。しかしパイアケトはこの地方によく聴く音楽と照らし合わせ、何種類かの曲を再現してみせた。ポアラは「すごい、その曲で良いと思います」と驚いて「よく私の歌から、正しい音をつくれましたね」と目を丸くして言った。「では弾きますね」 パイアケトが曲を奏でると、ポアラも意を決して歌い始めた。パイワケトは歌を聴きながら、そらで歌うよりもましになったと思ったが、もちろん口には出さず黙って楽器を鳴らす。最後まで歌い終えたら初めに戻り、また頭から歌う。自身の歌に満足できないのか、ポアラが涙ぐむこともあったが、そのときはパイアケトはあえて強い調子で楽器を弾き、彼女を元気付けた。パイアケトにとって難しい曲ではなかったが、夜が更けても何度も繰り返し楽器を引き続けることは体力を削る。ああしまった、こんなきつい事になるのなら引き受けるんじゃなかった。眠いし、つらいし、寒いし、そういえば夕飯を食べ損ねたのではないか、ちょっと休憩とか言ってご飯を食べてはいけないのだろうか、いやいや彼女は一生懸命やっているし、言い出した私がやめるわけにはいかない。パイワケトの体に疲労がたまり、思考が固まらなくなる。やがて風の音と、自分の演奏と、彼女の下手な歌と、虫の声と、心臓の鼓動と、何もかもが交じり合うころに、ぴたりとポアラの歌声がやんだ。「あ、ああ」 ポアラが感極まったように、声を漏らし、涙を流した。「よかった。本当によかった。私の声で、天へと逝けるのですね。こんな声でごめんなさい、今まで愛してくれてありがとう」 空中の何かに抱きつくように、ポアラが天へと両手を伸ばした。しばらく彼女はそうしてから、はっと我に帰ったように、パイワケトのほうを振り向いた。「ありがとうございました。夫もこれで、あれ」 そこにもう、パイワケトはいなかった。 ケケト族の町では音痴の女が、無事に霊魂を天に送ったことが話題になっていた。もしも霊魂を送ることができなかったならば、慣習にそむくことではあるが、彼女の代わりに歌うつもりの者も何人かいたらしい。迷信を強く信じる風習のある村で慣習を破れば、白い目で見られることも多いと旅で何度も経験してきた。いい人たちの多く住むいい町だなとパイワケトは人々の噂を聞きながら思う。みな、彼女が霊魂を送れたことを喜んでいた。ケケト族のしきたりとはいえ、みんな彼女のことを心配していたのだ。彼女が儀式を上手くできなかったとき、命を絶つのではないかと心配していたという声も聞いた。その指摘は間違ってはいないのではないかと、パイワケトは思う。人を遠ざけ、一人で墓場で泣き暮れていた彼女を思い出す。彼女に声をかけたとき、とっさに振り向いた彼女は手にナイフを持っていた。獣もおらず、治安も悪くないこのあたりで、常に手に刃物を持って警戒ているというのは考えにくい。あの時、手に持っていた刃物はもしかしたら、と考えが及ばないでもない。 宿で昼食を取るパイワケトの隣で、若いケケト族の二人が話しをしている。「なあなあ、ポアラさんの話を聞いたか」「彼女、今まで歌のせいで自信をもてなかったみたいだけど、霊送りができて少しは元気になれたみたいだね」「なんでも親切な旅人が絡んでいるらしいな。ポアラさんの歌にあわせて楽器を弾いたんだってな」「そしてポアラさんが旦那さんの霊と話しているとき、気を使ってそっとその場を去ったらしい」「夫婦の最後の会話だもんな。気が利く旅人だ」「きっと、さわやかでかっこいい人なんだろうな」 さてと、とパイワケトは席を立った。この町はいい町だが早く去ろう。 あの時、女が歌い終わる直前、空中に浮かぶ男に「妻を救ってくれてありがとう」と微笑まれて、怖くなって逃げたとはまさか言えない。****************************ごめんなさい。何度も書き直していたら、かなり原作から外れてしまった気がする。仮面ライダーがけったり踏んだりの大活躍をするバージョンは封印(?
おさんの『バイオリン弾きのゴフシェの奇跡』を読んで、打ちのめされました。ああいうのなんだ! ああいうのがリライトなんだ!!くっそー!
今日も熊がわたしの部屋に来た。狭い階段を二階までわざわざ登ってきたらしい。お疲れさん。でもこの部屋には何もないよ。わたしが布団に入っているけど、そんなもんだ。熊は器用に前足を使い、押入れのふすまを開けた。私が寝ている布団分、広くなっている押入れの中。熊はがんばってそこに体を入れてみようとしたが、ごめんね、その隙間はもう布団で予約済みなんだ。 頭まで布団にもぐって、寝たふりをして、熊の行動をこっそり観察する。なぜこんなことをするのか問われても答えられない。あ、押入れをあきらめて漫画読み出したぞ。それ読むの五回目じゃないか。おい毛が落ちるから尻をかくな。実はあいつ、漫画なんてほとんど読んでいないんだ。ちらちらとわたしのほうを見てくるからすぐ分かる。でも目なんてあわせない。わたしは「コンセントの穴ってなんであんなに黒いんだろう」みたいなことを考えて、熊の目を見ない。 しばらくして、熊は何かをあきらめたように首を振った。「Yo、ちぇけらっちょ、アイヤー」 そう吠えてから屁をこいて、熊は一階に下っていった。匂いだけが部屋に残った。-------------------------------------なんて無力なのだろう……手も足も出ませんでした。熊の無力感を描いたつもり。
> つとむュー様 『千年後の自動階段』への感想 ま、まさかのギャグ。予想外でした。 たしかに、わたしも原作をリライトしながらちらっと「これ、反対側に飛び移れたら蘇っちゃうのかな?」とか、そういうことを考えたりはしたのですが、しかしこんな展開がくるとは……(笑) 無粋を承知で贅沢をいえば、前半にギャグになりそうなにおいがしなかったので、違和感があったような。中盤までのシリアスな空気に対して、「モテモテ」という単語が軽すぎるのかな。このオチなら、序盤~中盤をもうちょっとコミカルに描いたほうがよかったかも? と思いました。> 星野田さま 『バンシーの歌』への感想 わあ、さっそくのご参加ありがとうございます! きのうの夜に書き始められたはずなのに、すごい設定が……!(戦慄)少数民族の独自の風習って、なんていうか、すごくロマンを感じます。 そしてラスト一文、笑いました……。 チャットで仰っていた仮面ライダーが活躍するバージョンも気になるのですが……!> 星野田さま 『アイヤー』への感想 こちらもまさかのギャグ。なんだろう、リライトを提案したとき、二次創作的・番外編的なリライトは想定にあったのですが、シリアス⇔ギャグみたいなリライトは思いつかなかったです。わたしの頭が固いのか…… お尻をかく熊、マンガを読む熊、可愛いです。アイヤー!----------------------------------------> 事務連絡 お試し版ということでやってまいりましたが、おかげさまでご好評(?)をいただきまして、原作を出してみようかなというようなお声も、ちらほら聞かれましたので、「みんなの掲示板」に正式移行して、あらためてリライト企画を立ち上げたいと思います。 近々(今日明日?)、向こうに第一回正式版の記事を出そうと思いますので、皆様方、あらためてよろしくお願いいたします。 なお、こちらのお試し版も、リライト作品の投稿および感想コメントは無期限で受け付けておりますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。
弥田さん「Fish Song 2.0」のリライト作品『Fish Song 2.06』 歓楽街を歩く少女は、ライブハウスのネオンサインの前で立ち止まる。そして迷いもせずに地下へと続く階段を降り始めた。 ――今日は大好きな、ストリート・ムーン・マニアックのライブだから。 少女はこの日を心待ちにしていた。階段まで漏れ聞こえるギターの音が、少女の心をウキウキさせる。 そしてライブハウスの重い扉を開けると――ギーンと脳天を揺らすようなギターサウンドが少女の耳を突き抜けた。 ――これだ、この感覚だ。 破壊的なサウンドとは裏腹に、少女の心は嬉しさで飛び上がりそうだった。 受付でお金を払うと、少女は観客の合い間をすり抜けて最前列に出た。そしてステージを前にして直接床に座る。ここが彼女のお気に入りの場所だ。 目の前ではクララと呼ばれるギターの女の子が、歌いながら髪の毛を揺らしている。淡い栗色に染めた肩くらいまでの髪は、ふわふわとカールしていて可愛らしい。 少女はもう夢見心地だった。スポットライトを浴びたクララが飛んだり跳ねたりして髪がふわりと揺れる度に、走っていって抱きしめたい衝動に駆られる。「クララ!」 思わず少女は叫んでいた。クララも少女に向かって手を振ってくれる。 すると今度は目の前に大柄な男性が立ちはだかる。ベースのピラクルーだ。親指を激しく動かして、小粋なチョッパーのリズムを刻んでいる。 ベースのソロが終わると今度はドラム。両足で連打するバスドラの迫力は、お腹の底から少女を突き上げるような衝撃を与えた。「いいぞ、アルバート・フィッシュ!」 観客からドラマーに向けて声援が飛ぶ。バンドと観客が一体となった夢の空間に、少女はすっかり酔いしれていた。 ソロパートが終わると、またクララの歌声が響く。少女がクララを熱く見ると、彼女はウインクをした。「さあ、行こうよ」 そう言われているような気がして少女は立ち上がる。曲に合わせて体を動かすと心はだんだんと上昇する。いつの間にか少女もクララと一緒にシャウトしていた。 それは一年前のこと。「お前はクララだ」 有鳩雨雄は、ギターの倉田羅々に向かって宣言した。「えっ、クララ? まさか、倉田羅々(くらたらら)でクララってわけじゃないでしょうね」「その通りだ」「ちょっと安易じゃない? それにデスメタルに『クララ』はちょっと……」 羅々は不満そうだった。 雨雄はそれに構わず、今度はベースの平野廻の方を向く。「そして廻は……、平野廻(ひらのめぐる)の前と後を取って、ピラクルーってのはどうだ。図体でけぇし」「……」 無口の廻は、まんざらでもないという顔をした。「ふん。じゃあ雨雄、今度はあんたの番ね。メンバーのニックネームを勝手に決めたんだから覚悟なさい」「お手柔らかに頼むよ、羅々」「そうね……、有鳩は『ありはと』だから、『アルバート』というのはどう?」「ほお。ナイスだね」「それで、雨雄は……、『レインマン』?」「おいおい、『アルバート・レインマン』って、長すぎねえか」「なによ、文句あるわけ?」「……フィッシュ」「廻、何か言ったか?」「……雨雄は、『うお』と読めるから……、『フィッシュ』」「たまには廻もいいこと言うじゃん。『アルバート・フィッシュ』、いいんじゃない、これで」「ちょっと恐そうだけどな」「構わないわよ、デスメタルだし」「じゃあ、今度はバンド名だな」 そう言いながら、雨雄は各メンバーに五枚ずつ白い名刺大のカードを配り始めた。「これに各自好きな言葉を書いて一枚ずつめくるんだ。それでバンド名を決めよう」「なんか、レミオロメンみたいね」「……(キュッ、キュッ)」 廻はすでにカードに言葉を書き込んでいた。 三人がそれぞれ五枚のカードを書き終わると、雨雄がそれを集め、裏返しでテーブルに広げてかき混ぜた。「じゃあ、羅々から引いてくれ」 羅々は、ど真ん中のカードを裏返す。そこには『ストリート』と書かれていた。「誰? このカード書いたの」「……」 廻が静かに手を上げる。「じゃあ、次は廻だ。一枚めくってくれ」 すると廻はテーブルの端にあるカードをめくった。「……」「『ムーン』か。羅々だろ、これ書いたの」「そうよ、なんか文句ある?」「最後は俺の番だな。それっと」 雨雄がカードをめくると、そこには『マニアック』と書かれていた。「はははは、自分が書いたカードを選んじまうとはね。でもちょうど良かったんじゃないか、三人それぞれのカードが選ばれて」 こうして、デスメタルバンド『ストリート・ムーン・マニアック』が誕生した。「じゃあ、次の曲は『月の海』です」 クララが曲名を告げると、ピラクルーのベースが不気味なリズムを紡ぎ始める。「純白に頸動脈が淡く走って――」 そして、先ほどの曲とは一転したクララのダウナーボイスが、ライブハウスに響き渡る。「赤血球に思いを馳せる――」 観客も静まり返った。ピラクルーのベースとクララのボイスだけの異様な空間。「指先から子宮まで――」 それは静かの海に居るかの如く、クララのふわりとした髪の毛が無重力に揺れている。「身体中をめぐるちいさな細胞――」 そしてクララが突然シャウトしたかと思うと、アルバート・フィッシュのドラムの連打が激しく会場を揺さぶる。クララは後ろに倒れこみ、あおむけに寝ころがってギターを弾き始めた。 ゴホッ、ゴホッ。 舞い上がった塵を吸い込み、咳をしながらもクララはギターを弾き続ける。埃は少女ものところにも舞い上がった。 ゴホッ、ゴホッ。 少女が咳をすると、クララが少女を見てニコリと笑った。まるで「一緒に咳をしてるね」と言わんばかりに。 ギターのソロが終わると、次はドラムのソロだった。アルバート・フィッシュは不規則にリズムを刻み始める。 ある時は三拍子、ある時は四拍子。単純化したかと思うと、複雑なリズムを紡ぎ出す。身をねじるように、もがきあがくように、そして自由奔放に。そしてドラムを叩く手が激しく踊り始め、それが絶頂に達したかと思うと静かにスティックを持つ腕を円を描くように動かした。 にやり、とアルバート・フィッシュが笑った。『月の海』の後はラブソングだった。ストリート・ムーン・マニアックのレパートリーの中て唯一のラブソングだ。 クララは声の調子を元に戻し、アルバート・フィッシュとピラクルーが刻むエイトビートに乗せてラブソングを歌い始める。 クララの目の前にいる少女は、再び床に腰を下ろし、うっとりとその歌を聴いていた。 ――そういえば私も少女の頃は、ライブハウスの一番前でこうしてラブソングを聴いていたんだっけ。 クララは昔の自分を思い出していた。家を飛び出し、繁華街をうろついた十代。キラキラと光るネオンサインに目を奪われながら、勇気が無くてそのどれにも飛び込めずにいた。その時だ。ロックのリズムが地下に続く階段から聞こえてきたのは。 ――その時、わたし、あの子だった。 あの頃の私は、ボーカルのお姉さんを見上げながらあんな風になりたいと思っていた。 ――その時、あの子、わたしだった。 そしてこの気持ちが伝わるようにと、熱くお姉さんを見つめていた。 ――その時、ふたり、ひとりだった。 目が合うと心が繋がっているような気がした。 ――その時、ひとり、ふたりだった。 自分にも歌がうたえるようになれると信じたのは、あの頃からだったんだ。「あっ……」 驚きに思わず漏らした声は、いったいどっちが発したものなんだろう。 互いに歩み寄りはじめたその一歩目は、いったいどっちが踏み出したんだろう。 成長したクララは、いつの間にかこうしてギターを弾きながら歌をうたうようになっていた。そう、あの時のお姉さんのように。 ラブソングが終わると、クララとアルバート・フィッシュがマイクを持つ。「今日は、ストリート・ムーン・マニアックのライブへお越しいただき誠にありがとうございます」 バンドのメンバーが深々とお辞儀をする。「それにしても、ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁ。皆さんの真っ赤なハートの中でも、くらくらくらくら笑っていると思いますが……」「誰がクラゲじゃあ、こらぁ」 すかさずクララがツッコミを入れる。「ていうか、そのネタあんまり使わないでね、って言ったよね。もう」「なんでさ、いいネタだと思うよ」「純粋に恥ずかしいんだよ」「いいじゃんいいじゃん。きっといつかその恥ずかしさが快感に」「ならないならない」「照れるな照れるな」「照れてない照れてない」 顔を赤らめるクララは本当に可愛いと少女は思った。スポットライトを背後から浴びると、クララの髪はにふんわりと光の中に浮かんでいるように見えた。「さっきの歌、好きなんだ。すこし私に似ている気がして」「似てない似てない」「もう、ちゃちゃをいれないでよ。最後まで聞いて。……だからね、別にあんたが作った歌だから、とかそんなんじゃなくて、純粋にうたいたいからうたってるんだ。これは凄いことだと思うよ。六十億人の有象無象がいて、その中からこうして集まってくれた人達がそうとは気付かないシンパシーを持っていて、そうして、こんなに狭い空間に居合わせて、さ。とんでもない確率だよね。奇跡だよね。今なら宝くじだって当てちゃいそうだ」「……」「……」「……、ねえ」「なに?」「そのセリフ、すっごくクサいよ」「……、ごめんなさい」 すると、会場からどっと笑いが起きた。ミラーボールの光が反射するライブハウスの中で、みんなが楽しそうに笑っている。「ストリート・ムーン・マニアックにはクラゲがいてさぁー」「もう。だから言わないでってば!」 自転車にのって坂をくだる。 クララ達は昨日のライブが終わった後、打ち上げに繰り出したようだ。今頃は二日酔いで頭痛に悩まされているに違いない。 ブレーキから手を離すとスピードが全身を駆けめぐる。このまま流れて風になってしまいたいけれど、わたしの確固とした境界線がそれを許さない。許してくれない。 シンパシーという現象。共鳴。ふたつの音叉。ふたりの人間。 坂が尽きていく。すこしずつブレーキを握って、すこしずつ減速していく。スピードがほどけていく。 地平線に煙突が屹立して、もくもくと煙をふきだしているのが見える。その上で、欠けた月が刃物のように輝いている。燐光に肌がちりちり震えて、いまにも切り裂かれてしまいそうだった。 口笛を吹く。自作の歌のメロディーを。作った翌日に友達に聞かせてみせて、夜中ベッドで死ぬほど後悔した曲を。 音の連なりが脳を満たすので、わたしは何も考えないですんだ。からっぽの頭のままペダルを踏む。そのスピードがチェーンを伝わって、自転車は進む。風をきって進む。------------------------------------------------------リライトというか、実写化に挑戦したという感じになってしまいました。すっかり素人ビデオ映像になってしまい恐縮です(ペコリ)。最後の部分は結構気に入っていたので、そのまま使ってしまいました。他の方のリライトはまだ読んでいませんが、きっとどれも素敵なリライトでしょうから、まあ、一つくらいはこんなのもあってもいいんじゃないかということで。よろしくお願いいたします。
『吹きすさぶ風に乗って』吹きすさぶ風に乗って煌めく砂粒数多照らす月の円転がる岩の棘吹きすさぶ風に乗って夜を渡る鳥一羽嘆く骨ばかりの木嘆く殻ばかりの虫ほむらほむら瞼に映るやいばくれない天の蒼吹きすさぶ風を抜けて座り込む男一人傾ける杯の雫落ちる眦の涙吹きすさぶ風を抜けて寄り添う友数多歌う骨ばかりの体歌う身ばかりの命ほむらほむら幽かに燃えるやいばみえない戦の跡***************かなり強引ですね(滝汗)詩らしくカッコつけようとあがいた結果がこのありさま。もはや(以下略)HAL様、詩でのリライト許可ありがとうございました。
五年。まだ五年しか経っていない。大戦の終幕に発動された大魔法は、この地に大きな傷跡を残した。生き物が住めるようになるにはあと五十年が必要だろうと言われる。しかしじっと足元に目を凝らせば、小さなムカデのような虫が這いずりまわっているのを見つける。ようなというのは、頭が二つあり、胴でひとつにつながり、そしてまた尾の方が二つにわかれているのだ。もともと異世界に住む虫が、大魔法の影響でここに移ってきたのか、それともこの世界の虫に異変が起きてああいう形を取っているのか、それは知れない。なんにせよ、この場所を生身でうろつき回っているというのは驚異的なことだ。私たち人間は魔法障壁帰ったら研究所の人間に虫のことを教えてあげよう。嬉々として採集に来るに違いない。遠くで獣の遠吠えのような音がしたが、あれは風が荒んでいるだけだろう。「あーにシリアスな顔しちゃってんの」 私の後ろを付いてきた同行者が方に覆い被さり、酒臭い息を吹きかけてきた。この人の希望で、この古戦場へとくることになったのに、この人にはまったく真面目さが感じられない。「先輩、重いです」 しっしと追い払うと「つめたーい」と同行者の彼女はげらげら笑い私から離れる。彼女とは三年ぶりに合うが、一緒にいてため息が止まらない。これが私の憧れた、五年前の戦争の英雄なのだろうか。凶悪な侵略者に対抗するため、当時の魔砲学の最高峰にいる者達で結成された世界の希望。私たちの希望を背負い戦い、大魔法の発動の際に多くの者が命を散らした。先輩はその中の、生き残りの一人だった。不意に私の隣で「ぽんっ」と空気が弾ける開けられる音がした。見るとまた新しい酒ビンのコルクを開けたようだった。英雄である先輩の生活は、今ではすべて税金で賄われている。彼女が水のように煽り酒も当然、税金から出ている。喉を通りきらなかった酒が口の端からぼたぼたと垂れて、乾いた地面へと吸い込まれていく。私は酒には詳しくないが、安い酒でないことは、ラベルの格調からわかった。戦争は世界に混乱と貧困をもたらした。無駄にこぼれた酒一滴の値段で、今世界で苦しむ人を何人救えるだろうか。この乾いた大地に住む虫はかえって水が苦手なのだろうか、先輩のこぼした酒を浴びて慌てて逃げたムカデがいた。それに気がついた彼女はしゃがみこみ「ほれほれー、こっちの水は甘いぞー」と瓶を逆さまにして酒をこぼし虫をいたぶる。私はイライラとして「先輩、行かないんですか」と言いながら足を鳴らした。声色にもずいぶん棘が入ってしまったのは仕方ない。「こわいこわーい後輩ですねー」 自分の言ったことにへらへら笑いながら、先輩は殻になった瓶を投げ捨てた。緑色のガラスが岩にぶつかって割れる。赤い地面に散らばった破片は、しばらくすれば得体の知れない虫たちの住処になるに違いない。ガラスに反射した空に、白ばんだ月が映った。こんな調子で歩いていたせいで、もう夜はとくと暮れてしまった。他の者たちが先輩に同行するのを嫌がったはずである。堕落したという話は聞いていたが、まさかここまで重症だとは思わなかった。アルコールに汚染された不快な体臭を撒き散らし、ぼさぼさの艶のない髪をかき回しながら「ねえねえ、彼氏とかで来たの。綺麗になったねえ。私とは違ってさあ、あっはっは」と出会い頭に私に向って言った先輩。美しく、気高く、知的で、優しい彼女は、いなかった。「ねえねえ見て見て。かっこいーっしょ」 どこから拾ってきたのか、先輩が槍を持ってきた。穂先が穢らわしく汚れた、大戦時の槍だ。私は思わず数歩引き下がり、怒鳴る。「ちょっと。捨ててください。汚染されますよ」 この地域に落ちているものに直接触れるのは危険極まりない。大魔法によって、一帯の物質、生物には形容しがたき呪いがかけられた。ただ歩いているだけならば、法衣や魔法障壁によって呪いを退けられるが、呪いにかかったものに触れば自身も呪いに侵されるかもしれない。「遠くに捨ててください。それをもって私に近寄らないでください」「けーちけーち、ばーか」 先輩はつまらなそうに口を尖らせるが、私に言われたとおり槍を重そうに投げ捨てる。ほとんど足元に落としたような、弱々しい投擲だった。全盛期の先輩ならば、あの槍は地平線を貫かんばかりに、遥か彼方に飛んでいったに違いない。「行きますよ」と先輩の手を引き、その槍から足早に離れた。「えへへ、私妹みたい」ダメだこの人は。 人なのか獣なのか、魔物なのか。原型も定かではない何者かの骨が私の足にあたった。そんな些細な衝撃で、骨がぼろりと崩れ落ちる。たかが五年、通常ならばこんなにも早く風化はしまい。呪いのせいなのだろう。恐ろしさというか、気色悪さが背筋を駆け上がる。吐き気が込みあげたが、無理くり飲み込んだ。さっさと先輩の用事を済ませ、温かみのある我が家と戻りたい。まともな人間と話がしたい。あれは味方の魔法戦士だったのか、敵の魔物だったのか。もしかしたら、五年前に私が憧れていただれかの亡骸なのかも知れない。「今の骨っ子、近くにイヤリングがおちてたねー。ヨーちんかなー、あれ」 後ろで先輩が呟いていた、聞きたくない聞きたくない。吐き気がした。後ろのこいつを捨てて、引き返そうか。一人ならば夜が開ける前に帰りの船に乗れる。さっさと島を離れ、船の上で歯を磨いて、身体を水で流し、頭を洗い、スヤスヤと眠って朝が開けて、ああ嫌な夢だったと思いながらトースターとコーンスープでも飲んで。ああもう嫌だ。「うへへー、ショックだったかな。うそぴょーん、大丈夫だよ。さっきのは多分、君の大好きだったヨーちんじゃなくて、あまり面識のなかった五班の」「いい加減にしてください」 握っていた手を、地面に叩きつけた。先輩が転ぶ。先輩が空いている手に持っていた酒瓶が地面に転がる。じゃばじゃばと酒が溢れる。赤く乾いた大地が貪欲に酒を吸い込んでいく。先輩は「あうーあうー」と阿呆の子のように呻いて、痛がった。私は自分の身体の頭からつま先を、怒りが、憤りが登ったり降りたりを繰り返すのを感じた。「なんなんですかあなたは。私は、私はあなたを尊敬していたのに。あなたは私のたどり着けない目標で、みんなから尊敬されて、愛されて、すごい、すごい人で。それなのに今のあなたはどうしたんですか。どうしてそうなったんですか。何を考えているんですか。何をして欲しいんですか。私には判らない。あなたが全く判らない」 全身から搾り出して叫んだ割に、全く意味の伴わない言葉だなと、言ってから思った。こんなの、体力の無駄だ。「いやーん。怒ったー」 先輩は何も感じなかったかのように、今までと同じ調子で私を見上げ、けらけらと笑った。ああ、私は、本当に体力と気力を無駄に使ったのだな。そう思った。「いいよ。私をここに置いていっても」 先輩は新しい瓶をどこからともなく取り出し、煽る。「昔のテレビみたいにさ。悪を倒した正義の味方は、次の星にむかって飛び去っていきましたみたいなさ、そう言うのがベストなんだよね。この世界にはもう私、いらないじゃん、みたいなさ。いても邪魔だし、扱いに困るし。怖いでしょ。こんな場所を作れちゃう私たちってあれだよね。戦争終わったのに爆弾は残ってますみたいな。そんなふうにみんながうすうす思ってるのわかるよ。だから置いていっていいよ。ここなら寂しくない、寂しくないんだ」 ねえ、みんな。そう呟いて先輩が瓶を逆さにする。どくどくと酒が溢れ、乾いた土へと呑み込まれていく。「ここにはみんないる。あの頃の味方も、敵も、みんないる。だから平気よ。運命とは、最もふさわしい場所へと貴方の魂を運ぶのだ、ってねー」 ふいーっと先輩はため息をついて、そのままぐったりと力を抜いた。すぐに寝息が聞こえてくる。イライラと、どこにもぶつけ用のない、名前のない想いが全身を駆け巡る。激情にまかせ、「もう知りません」と私はその場をさった。腐っても、大戦の英雄だ。放っておいても平気だという確信はあった。それにしても私にはあの人が判らなくなる。今先輩が話したことを考えながら、方向なんて関係なく歩いた。あんなことを考えながら五年を過ごしていたのだろうか。先輩の言葉には、失望や絶望がにじみ出ていた気がする。隠された悲しみは、塞がれた天火のように、その心を灰にするまで燃え尽くす。そんなものを私は感じた。 うろつき、時々星を眺め、考えているうちに空は白くなってきた。そろそろ先輩を迎えに行かなければいけない。今日の昼くらいまでには、帰りたい。来た時の調子を考えると無理だろうけど。 戦争から五年、まだ五年しか経っていない。大地も人も街も、何も癒えてはいない。私はこの五年で、どう変わってきただろうか。そんなの、知らない。---------------------------・過去も荒野、今も荒野 → 過去は荒野で今は違う というコントラストのほうが書きやすそう・五年という時間の経過を感じさせたい。人の風化以外にも・逆に、五年じゃ変わらないことってなんだろう。・墓参りみたいなことを、夜に歩いている必然性はなにか・世界背景をもっと匂わしたい。・生き残った人が、あえてここで「私は生きているらしい」と思うのは、どういうときかというところを考えつつ、酒をにおぼれる魔法少女とかどうだろうという考えから生まれました(ぇ最初は彼女一人でしたが、やっぱり飲んだくれのダメなやつは外からそのダメっぷりを描写したい。ということで、最初に考えた六点を半分くらい無視して出来上がり。後輩がどっか言っている間の先輩の描写が原作だと考えると、整合性がとれるかも!! とか書き終わった後に気が付きました。なんだか取れている気がする!!!(ぇ最初は売れ残った刺身のつぶやき、とかにしようと思ったけど、思い直してよかった
夜の帳を起こすように、雨が降る。 城戸は、その中を駆けていた。 冷たいしずくが全身を容赦なく叩く。だが雨に構う余裕もない。傘はさしていない。途中で捨ててきた。走るのに、傘は邪魔でしかない。「うおっ」 水浸しのアスファルトに足を取られて思わず転んでしまった。びしゃり、と水を弾くどこか間抜けな音とはうらはらに、全身を打つ衝撃は鈍く響く。「くそがっ……!」 悪態をついて起き上がろうとして、全身総毛立つような悪寒に襲われる。 とっさにアスファルトを転がる。「ちょこまかとうるせいやつだぁ」 さっきまでいた場所に、鋭い棘が無数についた物体が振り下ろされていた。ぞっとする。あんなものが直撃したら、ミンチか串刺しか。アイアン・メイデンに抱かれるよりも救いがないに違いない。 その尻尾の元をたどれば、そこには化け物がいた。全身四角ばった人型の、化け物だ。もう、化け物としか表現のしようがない。「鬼ごっこにも、そぉろそろ飽きてきたぜぇえ?」 その化け物が、大きく裂けた口を使って、喋った。 靴のように丸い爪先をした足が動く。歩くたびに、ずしんと地面が微かに揺れた。 逃げなくては。 城戸は立ち上がり駆けだそうとして、しかし遅かった。「うわっ」 巨大な手で一握り。身体を掴まれてしまった。「ひひっ。つぅかまぇたぁ」「放しやがれ!」 全力で暴れるが三本の指は小揺るぎもしない。しかもとても生物とは思えないほど、金属的で固い。「ひひひっ、あぁきらめなぁ」 ぐっ、と化け物が力を入れる。「ぐあぁ」 苦悶の声が漏れる。その気になれば一気に潰せるだろうに、そうしない。化け物は、縦についたひとつ目で、苦しむ城戸を愉快そうに眺めていた。 ただ、深夜にコンビニに出かけただけだったのに。 なんでこんな事になったのか。 城戸は、昼間あった忘れがたい少女のことを思い出した。 幽霊が見える。 城戸は、そんな特赦な体質の持ち主だ。 城戸の目には、今も見えている。 子供の幽霊だ。おろおろと左右を見渡している。 城戸は思わず立ち止りかけて、しかしやめる。立ち止って、どうするのだ。あの幽霊の子供に話しかけて、しかしその次は? どうもしようがない。幽霊が見えるだけなのだ。その助けになれはしない。幽霊を助けるなんて、できはしないのだ。 だから城戸は幽霊が嫌いだった。自分は見えるのに、自分は何もできないのだ。そんな無力感に襲われるのが、たまらなく嫌だった。 城戸は空を見上げた。 日差しのない曇天だ。救いのない今の気分にぴったりで皮肉である。「はあ」 城戸は溜息をひとつ。泣く子を置いて通りすぎようとし「迷子かの」 そんなつぶやきに、今度こそ立ち止ってしまった。 見えるのか。そんな衝撃と共に振り返る。 それを呟いたのは、城戸と同じくらいの少女だった。紺色のブレザーを着た女子高生だ。帽子をかぶり、中に髪をしまっている。一瞬大学生かと勘違いしそうなほど大人びた端正な顔立ちをしているが、しかし何より人目を引くのは、その目だろう。 深紅、だった。「これ、童よ」 目線を合わせるためにしゃがみこみ、ぽんと子供の頭に掌を乗せる。その少女はごくごく自然に子供に語りかけていた。 相手は、幽霊だというのに。「ふえ?」「案内を、どこにやったかの」「あんないって……?」「わからぬか。まあ、大方、道の途中で目移りしているうちに迷子なったのじゃろうな。童らしいとは思うが……バカじゃのう。案内するのは、お主の母ではないのだぞ。道を外したからといって探してはくれぬ……とと。おお、これ。泣くでないよ」「うえ、ふぇえ」 そんなことを言っても、道理も分からない歳だ。少女の説教は子供からしてみれば泣きっ面に蜂だろう。ますます泣き顔を歪め、びいびいと声を上げる。 少女はしばし閉口していたようだが、ふう、と嘆息。「しかたなのう。ほれ」 子供その鼻面に、少女がひょいと指を突きつける。反射的にだろう。その不意打ちに、子供がびくりと動きを止めた。「ご覧」 その隙そう言って、少女が優しく微笑む。「ノワール・コルディア」 唱えた少女の指先に、黒い蝶が現れた。手品のようなそれに、子供の顔がぱあっと輝く。「わあっ」「ほれ、これについておき。今度は道草を食うでないぞ。昼だったからよかったものの、夜だったらの。お主なんぞ、ぱくりと食われとっても不思議でないのだぞ」 少女のよくわからない脅しに、子供は一所懸命こくこく頷いた。少女の指先から離れた黒い蝶々を追って、ふいとどこかに消える。 それを見届けてから、少女は立ち上がる。そうして、真っ直ぐ城戸のほうに歩いてきた。「くっくっく。闇夜の姫たるわしも、泣く子には勝てんよ。多くの闇を祓ってきたわしの難敵がかような小さき存在とは、何ともおかしいのう」 血の如き、紅の目。 それがはっきりと城戸を見据える。「なあ、そうは思わんか、城戸よ?」「……誰だお前」「は」 少女の紅い目が、まん丸になった。「なんじゃ。お主、わしのことを知らんのか?」「しらねえよ」 断言する。随分と特徴的な少女だ。その紅い目だけは、一度でも見かけたら記憶に焼き付いて離れないだろう。「ていうか、なんでお前は俺の名字を知ってるんだよ」「え、いや、だってのう……」 城戸は眉をひそめる。少女の不審な態度もそうだが、それだけではない。子供とのやり取りのときもそうだが、おかしな喋りかただ。洋装の制服よりも和服が似合いそうな古ぼけたしゃべりかた。それが、非現実的な紅い目と相まって、随分な違和感を感じさせる。「はて……いやしかしこれはむしろ、都合がよいのかのう……」 顔をうつむけて、ぶつぶつと何かを呟く。そんなことをされたら、城戸の不信感はさらに高まるだけである。「何だよ、お前」「おお。自己紹介がまだだったのう。わしの名前は紀雅緋和(きがひより)という」 にっこりと、典雅に笑う。不覚にも、目を奪われてしまった。 緋和と名乗った少女が、一歩近づいて手を差し出してきた。「お主、わしのペットにしてやろう?」 「はあ?」 非常に衝撃的な言葉である。「うむ、本当にわからんようじゃな」 だが緋和という女は、かえって満足そうだった。むしろわからないことに安心したような様子だ。「さて、では順を追って話そうか。この世には、魑魅魍魎が溢れておる。古来よりいまにいたるまで、それはあり続けておる。当然じゃの。魑魅魍魎のもとは、人じゃ。人がある限り、魑魅魍魎もまたあり続けるじゃろう。しかし、中には人に害をなす危険なものもおってのう。それらはディグラフと総称されておる」「ディグラフ?」「そうじゃ。そして我が家は、呪術師の家系での。それを祓うのを習わいとしておる。それをちいっとばかし手伝ってくれないかのう」「……」 言葉にせずとも視線で察してくれたのだろう。 信じられない。 それがすべてである。 だって城戸は、そんなものを見たことがない。幽霊は見たことはあるが、あれはどこまでも無害なものだ。 それに初対面の相手をペット呼ばわりするような人間とは、付き合いたくもない。「悪いな。別をあたってくれ」「なんじゃ。幽霊は見えても、悪霊、怨霊は見たことはないか。妖怪は信じられんか?」 緋和は、くつくつと笑う。愉快そうな顔のまま首をことんと傾ける。「まあ、信じられんのなら、それでもよいさ」 意外と潔く、勧誘を打ちきった。 ひらひら、と腕を振り「では、縁があったらまたの」 そう言って、緋和という少女は踵を返した。城戸に背を向け、すっと背筋を伸ばした気持ちのよい姿勢で歩いていく。 ――そういえば、なんで俺の名前をしっていたんだ? ふわりと翻ったスカートに、城戸はそんなことを思った。ただそれも一瞬。怪しいやつが離れてくれたのだ。わざわざ追いかけるまでもないと結論を出し、城戸はいつもどおりの帰路に戻った。 あれを、断ったのが悪かったのか。 あれを受けていれば、いまごろ苦しむこともなかったのだろうか。 そんな現実逃避はしかし何の助けにもならない。ぎりぎりと締め付けてくる感触は、どうしようもなく逃れられない本物だ。「さぁってぇ。どっから食おうかねえ?」 ぎょろりと睨むひとつめ。先が二股に分かれた舌が、ちろちろと顔をなめる。 生理的嫌悪で、ぞっと鳥肌が立つ。元が人だと言うが、信じられない。間近で見れば見るほど、醜い化け物としか思えない。「やぁっぱりぃ、頭からガリガリいくのが一番かぁあ?」「く、そ……が。しる、かよっ」 せめてもの抵抗も、身体を締め付けられているせいで、切れ切れとしたものになる。 大きく裂けた口が、にたぁっと歪む。「おおそうかぁ。じゃあおしえてやるよ。頭から食ってのはな、最高にうまいんだぜぇえ」 化け物が、ぐばぁっ、と大口を開く。前のめりになり、城戸を覆う。 ああ、死ぬのか。 城戸の頭に浮かんだのは、そんな陳腐な一行だった。「獲物が恐怖で泣き叫ぶ声が、一番良く聞こえるからなぁ! あひゃはひゃあはひゃひゃあは――あ?」 ぽとり、と。 化け物の腕が落ちた。「愚図が」 凛と、声が響いた。「その汚い手を、わしのペットから放さんかい」 化け物の腕と一緒に、どすん、と城戸は地面に落ちる。そうしてふと、それに気がついた。 巨大な、鎌。 雨がいつの間に止んでいたのか、遥か上空の雲が割れる。かすかな月光を反射して、化け物の腕を切断した刃がぎらりと光った。 それが、ぐるんとまわる。地面に尻もちをうった城戸は、痛みも忘れ半ば呆然とその軌跡を追って鎌の持ち主を見た。「ディグラフよ」 声の主は、かつり、と足音を立てて陰から出てくる。 こんな時間に道端を歩いていたら補導されかれない格好の、ブレザー。だが昼間と違い帽子はない。惜しげもなく月光の下にさらされているその髪の色は、真っ白だった。 紀雅緋和。 忘れようにも忘れられない、深紅の瞳を持った少女だ。「元は人が、闇に呑まれて、畜生以下まで堕ちたか」 化け物に、その見かけよりもなによりも。人をいたぶる心根が醜いと言った。「うぎゃぁああああぁあああ!」 いまさらのように、ディグラフが叫ぶ。腕を切られた痛みにのたうちまわる。「お前……」およお、城戸よ。縁があったようじゃのう」「だれがペットだよ」 真っ先にそんな見当違いな言葉が出たのは、まだ城戸が混乱していたからだ。「おう」 緋和の眉が下がる。不本意、という顔だ。「なんじゃ、お主。命の恩人に対して、それか。この状況で図太いことだが、礼のひとつもいえんとは……ふんっ。お主なんぞにペットの名称はもったいない。餌で充分じゃな」 どこかすねたようにそっぽを向く。 さっきまで食われかけてた身としては、冗談にならない名称である。反論しようとして、ふと城戸はあることに直感する。「お前もしかして――」「うぁあ゛ぁああ」 問い詰めようとした城戸の言葉が、ディグラフの叫びに遮られる。「貴様ぁ、貴様ぁあ! ノワール・プリンセスぅうう!」「ああ、やはり知っとったか」 切られた腕を押さえてうめくディグラフに、緋和は鷹揚に頷く。「そうじゃ。主らの怨敵の闇夜の姫。世の裏に住まう最古の呪術師の本家、『紀雅』の第三十一代当主の予定者じゃ。往生せい」「くそっ、くそっ、くそぉおおぉおおお!」 ディグラフが叫び声を上げる。城戸を追いまわしていたような余裕は一切ない。大音声をまき散らしながら大地を揺らす、大熊が如き吶喊。その巨体が迫ってくるのは、ただそれだけでも恐ろしい。 それに対し、緋和は鎌を構えるでもない。いっさい慌てることなく、鎌を無造作に宙に放った。「ノワール・コルディア」 そう緋和が唱えた瞬間。 ずぶり、と、地面から出てきた白い腕が、宙にあった鎌を受け取った。 いや、違う。白い腕などではない。それは、骨だった。骨の腕が、月光がかたどった緋和の影から出てきたのだ。 それは、腕だけではないらしい。城戸が見ている間にも、窮屈そうに影から出てくる。城戸の主観では、その全容が出てくるのはひどくゆっくりに見えたが、ディグラフの突進を考えればそれはほんの数瞬で出現したはずだ。 八本腕の、骸骨。しゃれこうべに王冠を乗せ、各々の腕に死神の鎌を携えた闇の精霊。「深淵王」 深淵王のハデス。それが、名前。 緋和は己が従える精霊に、命令を下す。「やれ」 たったの一言。緋和が言うと同時に、深淵王の腕がかすむ。 一閃が、八閃。 死神鎌の銀閃がまたたく。「――――!」 悲鳴すらも上がらない。一瞬をさらに八等分する斬撃。ディグラフはばらばらに切り刻まれて宙を舞った。「うおう」 吐息とも、感嘆とも、畏怖とも取れるものが城戸の口を突いてでた。ディグラフの死体は、宙にあるうちに銀色の光に覆われ消え去った。「できれば次は真っ当な生涯を過ごすのだぞ」 その光を見送り、緋和はそう呟いた。「へっくしゅん!」「なんじゃ、エサ。くしゃみなぞしおって」 呆れたように緋和が言う。そういう彼女は何故かちっとも濡れていない。「仕方ないだろが、あんだけびしょぬれになったんだからよ。ていうか、なんでお前は濡れてねえんだよ」「無能なエサと違ってのう、わしは精霊の力で闇をまとえるのじゃ。現世より姿も消せれば存在も隠せる。雨などに濡れる道理もなかろう」「……ああ、そうだ」 そこで、城戸は目を細める。「お前、俺のことを囮にしたろ?」 でなくば、あんなタイミングで助けが入るわけがない。おそらくは、いま自分で告白した反則的な力を使って城戸のそばにいたのだろう。そもそも襲われたのも、城戸が緋和にあった日の夜なのだ。作為を感じて当然である。「おや、気づいたか」 だが緋和に悪びれた様子もない。城戸の指摘をあっさり認めて笑う。「この町にはしばらくおるのじゃが、ここのところディグラフがこそこそと隠れてのう。ずいぶんと狩ったおかげで、警戒し始めてなかなか尻尾をださん。なにかおびき寄せる手段がないかと思案しとる時に、『紀雅』の遠縁がこの町に住んどると聞いての。囮になるのは『紀雅』の縁者であるお主が適任と判断したまでよ」「は? 遠縁?」「うむ」 緋和が頷く。「どうやら本気で知らんかったようじゃが、お主はわしの親戚じゃ。『紀雅』は分家を増やし続けてその数を増やしておるからのう。お主の霊視の能力も、『紀雅』の血によるものじゃ。ただ、お主の家は本家『紀雅』からは随分と離れてしまっておるが故、当主予定者たるわしのことも、ディグラフのことも知らんかったのじゃのう。まあ、知らぬなら知らぬで、こっちで勝手にやってしまおうと思っての」 なるほどなるほど、と城戸は頷く。全然知らなかったことだが、ここまで来て緋和を疑う気もない。そこまでは、いい。色々と衝撃の事実が明らかになった気がするが、まだ納得できる。 重要なのは、緋和が勝手にやってしまった何かだ。「ようし、じゃあ落ちついて聞くぞ」 城戸は、緋和の紅い目としっかり視線を合わせて聞いた。「なんで都合よく、今夜俺は襲われたんだ?」「簡単じゃ。ディグラフの獲物となるのは、見えるものなのじゃ。ディグラフは見えぬものは襲えないからのう。まあ、見える人間を食べ続けたディグラフは見えぬ人間も喰らえるようになるのじゃが……それは別じゃな。 しかしディグラフとて、そう都合よく見える人間は見つけることはできん。わしも、最初のうちは見える故に向こうから勝手に襲ってきてくれて楽だったよ。ようするに、見える人間と知れば、ディグラフは寄ってくるのじゃ。そうとなれば簡単。お主が見える人間じゃと、ディグラフに教えてやればよい。ちょいと特殊な方法で、お主が見える人間だとここらのディグラフにリークさせてもらったぞ」 ぶつんと音を立てて、城戸の何かが切れた。「ふっざけんなアホがぁああ!」 全力の叫びだった。「む、阿呆とはなんじゃ。傍流が本家の、ましてや当主予定者たる何たる口を聞くか」「いや知らねえよ! 本家とか傍流とか俺の人生でいままで関係した事ねえよ!それよりどうしてくれんだよ。いまの話を総合したら、俺、これからずっと襲われるってことだろ!?」「返り打ちにすればよかろうが」 いとも平然と答える。パンがなければお菓子を食べればいいのに。意味は繋がらないが、マリー・アントワネットもこんな感じでかの有名な台詞を言ったに違いないと確信させられる調子だった。「いやあ、さすが本家とやらの人。言うことが違いますねぇ」 ひくひくと口元がひきつる。「さすがに今のお主のままでは無理じゃということぐらいわかっておるわ。ディグラフとの闘いかたを、わし自ら教えてやろう。なに、お主とて腐っても『紀雅』の血を引いておるのじゃ。そんじょそこらの霊能者よりは大成しようぞ。それともなんじゃ」 ひょい、と紀殿顔を覗き込む。「ディグラフに関わるのは、嫌か?」「……あたりまえだろ」 当然だ。殺されかけたのである。「ふむ」 しばらく考え込んでたようだが、口を開いた。「わしはの、ディグラフを狩るのは人を守るためだけではないと思っておる」「え?」「ディグラフはの、自殺をした人間の魂のなれはてじゃ」「自殺……?」「主に、じゃがの。多くの教えにおいて、自ら死を望んだものは許されぬ。生と死の流れから外され、もがき苦しむ。人を喰らえば戻れぬのではと妄執に取りつかれ、現世で暴れまわる。それがディグラフじゃ」「……」「しかしの、いくら喰らったところでディグラフが人に返ることはない。生と死の流れに沿えるわけでもない。罪を重ねたものの行く道は、消滅じゃ」「……自業自得、だろ」「むろん、それはそうじゃろう。自分で死を望みながら、自分勝手に生を望み人を殺しまわるなど畜生以下の所業じゃ」 緋和は否定することなく受け入れた。「だけれどものう、わしはそれでもディグラフを救いたい。わしが狩れば、ディグラフは、真っ当な生と死の流れに返ることができる。だからこそ、わしは人を守りディグラフを狩るのじゃ」 その思想が異端だろうことぐらいは、城戸にも分かった。何故殺した者をも救うのか。そうやって追い詰められることだってあるだろう。 無言でいる城戸になにを思ったか、緋和は微笑んだ。「長々とすまんかったのう。考えてみれば、無茶をいった。お主にも、無理にとはいわん。しばらくは堪えてもらわんと仕方がないが、少々無理をしてでも早晩ここらのディグラフの全てを片付けよう」「いや」「ん?」 初めてでた緋和の好意。それを、城戸は否定した。 幽霊が嫌いだった。けれども、考えてみれば幽霊自体が嫌いだったのではない。幽霊に対して無力だった自分が嫌いだったのだ。「俺は、お前の考え方、好きだぞ」 城戸は、緋和に向かって手を伸ばす。 いつだって見ているだけというのが嫌だった。いつも、助けたいと思っていた。幽霊もディグラフも一緒だ。そしてこの少女は、そのやりかたを教えてくれるというのだ。 ならば、受けるのが当然だ。 ディグラフの恐怖がなんだ。生まれてこのかた付き合ってきた、あの無力感のほうがよっぽど恐ろしい。「そうか」 緋和が、にっこりとほほ笑んで城戸の手を取る。 照り輝く月下で、ふたりはしっかりと握手を交わした。-----------------------------------------------------------原作の設定を、精いっぱい使って書いた、つもりです(目逸らし)。いや勝手につけ足したり、三人称にしたり、シーン増やしたりは、変な解釈のしかたしたりしてますが……書いてて楽しかったです! 紅月さん、勝手ながら原作お借りしました。ありがとうございます。おかげさまで、楽しいひと時を味わえました。
HALさんの「荒野を歩く」についてリライトした作品について感想を。読み比べるの楽しいですね!! 再構成された語り手も、世界観も、みんな独自のものが描かれているのに、どの作品にも共通するのが登場人物の無名性というのが面白いかも。> HALさん作「荒野を歩く」のリライト( No.16 ) 片桐さん> 風は果たしてどちらに向かって吹いているのだろう。 リライトを書くときに、五年という月日が何を残し、何を変えたのかを書きたいなあと思いました。だからでしょうかこの作品の一部、> 勝利とも敗北ともつかぬままに戦が終わり、もう五年という月日が流れていた。戦果を上げた兵士が称えられた期間が過ぎ、それを吹聴すれば人殺しと呼ばれるようになるだけの時。戦で恋人を失った娘が過去を忘れ、あらたに嫁いで母親になるほどの時。そして、人も町も変わる中で、変われない者らが心の燻りを持て余し続けた時。それが五年という月日だった。 を読んだ時、「おおこれだ、これを書きたかった、やられた」と思わせられました(笑 終わり方が原作からはひと捻りしてあって、こういう読み方というか、書き直し方もあるのだなと思えました。原作の雰囲気や描写に引きづられていると仰っていますが、作品としては原作のそういうものと、片桐さんの付け加えた物語なりがよく融合していて、まとまり良くなっていると思います。真面目にリライトした作品だな……!! と我が行いを恥じる(ぁ>HALさんの荒野を歩くのリライトです ( No.17 ) 新地さん> 真夜中、荒れ野を転がる岩岩はどれも、錆が浮いたように、うっすらと赤い。 すごい。独特の世界が出来上がっている。これがリライト……!!! 書き直しどころか、いい意味での再構築、といっていいくらい、違う味わいになってますね。勉強になる。髑髏が薬になるとか、瓢箪とか、細部のちょっとした演出に、知的さや世界を作るセンスを感じます。こういうの、ちょっと昔の作品に本当にありそうで。原作を呼んで浮かぶ風景と、まったく違う風景が思い浮かびました。面白かったです。>リライト作品「そして、しゃれこうべたちは見つめ続ける」 ( No.22 )紅月 セイルさん>荒野は相変わらずの静寂と嘆き声のような冷たい風にその身を曝していた。 作者さんの意図すいるところではないかも知れませんが、序盤の方に「しゃれこうべ」の頻出さが、なんだか面白かった(ぇ。かつて、こんなにもしゃれこうべが出てきた作品はああっただろうか!!(? 原作者さんも感想で仰っているように、前向きな方向性が意表を疲れたというか、「おお、たしかにこれもありだ」と眼から鱗でした。原作とあまり使われ方の変わらない手向けの酒なのに、この話の流れだとなんとなく肯定的な意味合いの小道具に見えてくるから、雰囲気って不思議ですね。そういう意味でも面白いなあと思った作品でした。一作品を展開させただけというか、派生させただけなのに、ここまでいろいろな作品ができるんだなあと。>「ボウズへ」/HALさん「荒野を歩く」に宛てて ( No.31 ) おさん>ボウズへ 何この渋い雰囲気。実はゴーシュを読んで、そのままHALさんの原作も読まず「ボウズへ」も読んでしまったりしました。そんなわけで、「荒野を歩く」をリライトするとき、この作品に引きづられないことをかなり意識した。だからあえて魔法少女をかいたという面もある(ぇ)。「酔っぱらいを描写するにはだれか観察する人がいたほうがいいのでは」とかいたのも、この作品の語り手の、酔っぱらいっぽさに対抗してでした。あれ、引きづられていないよね……!? 上手いなと思うのは、調子のいい語り口と、前へ前へと進む語り手を映すような描写と、気持ちと、周りの殺伐とした風景などの描写などが綯交ぜになって自然と描かれていること。おかげでスラスラと読みながら、場面や人物の心理が読み取れる。真似したい良いテクニックですね。ゴーシュの時も感じたのですが、良い意味で原作のリライトになってるなあと思います。原作を読んでからこれを読み「ああ、こんなふうに書けるのか」みたいなひとつの回答が見えるというか。竜の頭蓋骨のあたりの再構築は素敵すぎると思う。 しいて難点を上げるなら「さっきから背中でがちゃがちゃ音をたてる酒瓶を、バックパックから取り出す。」が妙に客観的で浮いているような感じがするってところでしょうか。まあそれは細かいところですがともかく、全体的にとてもいい雰囲気で、面白かったです。やられた。>『吹きすさぶ風に乗って』リライト『荒野を歩く』HAL様 ( No.49 ) 笹原さん>吹きすさぶ風に乗って 原作を読んだ時、詩にしたらよさそうだなと思ったのですが、先をこされました!! 嘘です。詩にチャレンジしたけど難しかった……「嘆く骨ばかりの木/嘆く殻ばかりの虫」から一転して第三節で「ほむら/ほむら/瞼に映る」と変わったのが、鮮やかに感じられました。静かな場所で目を閉じ、風に当てられながら昔を回想する。そんな状況を一緒に感じられた。 HALさんの原作が風景描写に力を入れてある作品で、その特徴をうまく抽出できていて上手いなあ、と。詩を作ろうとしたとき、「私はまだ生きていてもいいのだ」という部分をなんとか演出しようと思ったのだけど、こういう方向性もクールで素敵ですね!>【風よ、岩よ、屍よ】 原作:HALさん『荒野を歩く』 ( No.50 ) 星野田タイトルが内容とマッチしてませんね。チャレンジした詩のなかのワンフレーズをタイトルにもってきただけなのでした。
>リライト作品『夜に溶ける』( No.8 )HALさん 両方ドロンちょ!(?) 彼だけというのは思いついたけども、両人共というのは考えなかったなあ。バイオリン弾きにだけ見えているような描写でしたが、彼にだけ彼女に気づいた理由はなんだったんだろう、と思うのは無粋かな(物語の主軸はそこではないですしね)。これは個人的な想いですが、かの男女には死霊ではなく生霊であってほしいな、みたいに読んでいて感じました。交通事故とかで二人とも意識を失って三ヶ月がたった。ある日二人がほぼ同じ日に目を覚ます。男の子は「なんだか歌に呼ばれているような気がして」と語り、女の子は「素敵なバイオリン弾きさんとあった夢を見たの」と笑った。みたいな。とかってに話を作ってみました(ぁ 儚げな雰囲気が素敵な作品だったと思います> 歌の奇跡 ( No.23 ) ウィルさん「歌が世界中に広まる」「歌を知ることで帰ってくる彼」「それをバイオリン弾きに語る話の流れ」などの設定というか、物語の流れが実にスムーズ…そうか、こう書けばよかったのか。「女が歌うのは戦いに出向く兵士が家族に向ける歌」というくだりが、歌う彼女が今まで生きてきた歴史を感じさせる設定で素敵でした。さりげなくこういう演出をつくれるのはかっこいい。 読み終わって「あれ?」と思ってのが、冒頭で「明るい雰囲気の町に追い出されるように郊外に出た」「私は嫉妬した。そこまで彼女に想われる男と、そこまで人を好きになることができた女に」という下りから、この語り手にも何か物語があるに違いない。と思わされたのにそこには触れられず話が終わってしまったことでした。悔やまれる悔やまれる!!!(ぇ とにもかくにも、よいリライトだったとおもいます。HALさんも感想でおっしゃっていますが、詩から物語を起こそそれを読み比べるのって楽しいですね!!!>「バイオリン弾きのゴフシェの奇跡」/紅月セイルさん「孤高のバイオリニスト」に宛てて ( No.32 ) おさんちくしょう!このやろう!(ぁいい物語だ…!!ラストで描かれる、「みんな忘れてしまったけど、彼が幸せにした家庭ではことあるたびに『あのバイオリン弾きさんが』と話題に上がる」というバイオリン弾きのあり方が。+゚((ヾ(o・ω・)ノ ))。+シュキーー! でした。…いま満喫で感想打ってるんだけど、変換がすごいな。「好きでした」の変換ですごいのでた。うん。全体的に上手い、いや美味い作品でした。ちくしょう。ほんとちくしょう。>『河のほとりにて』 紅月セイルさん「孤高のバイオリニスト」のリライト作品 ( No.36 ) つとむュー さん「君はポツリとありがとう。彼岸過ぎたら僕の部屋も、あたたかくなる」みたいな 呼び止められた名前が似ていて立ち止まる。という話の導入が自然だなあ。きれいにしめくくられる話ですね。奏でられる曲が副題になりそうな雰囲気があって、よいとおもいました。改変まえは読んでいませんが、まとまりのよい、良い物語になっているとおもいました。男女両方ともがでてきて、お互いがピアニストに相手のことを語るというのが、思いつかない展開というか、こういう書き方もあるのになんでやらなかったんだろう、自分、とか思いました… ちょっと思ったのは、この話は鷹斗を主軸において展開していますが、盲目の彼に女や男が語るという物語構成なのならば、風景描写といか、光景の描写はあえて書かないほうがまとまりがいいように思います。さざなみや汽笛の音で波や船の存在を感じるのはとてもいいとおもうのですが、水面に写る橋なんかはちょっとじゃまかも、みたいな。感想として…!!>自作 歌う彼女が音痴、というのはなかなか良い設定ではなかったかなと思ったりする。自歌自賛でした。*************>『ノワール・セレナーデ』 原作:紅月セイルさん『ノワール・セレナーデ』 ( No.51 ) とりさとさん これは絶賛しないではいられない!!! 城戸君の立場が原作とはずいぶん変わりましたが、これはありですね。っていうか、うわーやられた。読んでいてきゅんきゅんしました。続きはいつでしょうか!!!(ぁ ここにもう一人、渋いおっさんとかが出てきたら個人的には最高だなとか、いやなんでもありません。 しかし餌とはひどい…城戸君の扱われのひどさと、でもへこたれない彼の態度が素敵過ぎますね。いいもん読んだ!!ところで、ふと思ったこと。弥田さんの「Fish Song 2.0」とミックスして「孤高のバイオリニスト」をかけはしないかとか、いやなんでもありません。
> つとむュー様 『Fish Song 2.06』への感想 おお、なんだか斬新なリライト。原作にある不思議さ、非現実感、そういう部分を完全に排除した形でのリライトは、こちら一作だけでしたね。(少なくとも、いまのところは)あくまで現実世界にある普通の風景、という位置づけで、そこにすごく意表をつかれました。 命名やMCのあたりが、やや強引な感がありますが(笑)、「――その時、わたし、あの子だった。」からはじまるくだりの使い方が、なるほどなあと思いました。> 笹原様 『吹きすさぶ風に乗って』へのお礼と感想 わああ、ありがとうございます! すごい! 詩になってる……! なんだろう、物悲しさがぎゅっと詰まったような、切ない感じがします。すごいなー。短文でもこんな空気を作れるんだなあ……。う、うらやましい。 自分が詩心のない人間で、詩をかくことができないというのもあって、とてもうれしかったです。ありがとうございました!> 星野田様 【風よ、岩よ、屍よ】へのお礼と感想 ありがとうございます……! わあ、なにこれ面白い! そして主人公が女の人になってるー! 英雄の背負う影、主人公の抱える闇の痛々しさもですが、後輩のキャラがまた魅力的で、うわあ面白い!(大事なことなので二回いいました) あとがき? を拝読しながら「そっか、しまった!」ってなったのが、夜に旅する理由のところでした。「昼夜の寒暖の差が激しい砂漠などでは、夜に旅をします。昼に歩くと消耗するのと、夜に休むと冷えるから、そして、星を見て方角を確かめながら歩くためです」……っていうようなことを、書くときにずっと意識していたので、それをちらっとでも作中に書いておけばよかったなあって。いまさらですがー。 リライトもですが、読み比べての感想も、ありがとうございました……!> とりさと様 『ノワール・セレナーデ』リライトへの感想 おおー。原作の少年漫画っぽさがさらにUPした感じがする! キャラクターの魅力がさらに前に出てきたのと、状況説明と演出をうまく絡めているのとで、原作のいいところを活かしつつも、さらにぐっと引き込みが強くなった印象があります。原作の主人公のちょっとへたれっぽい感じもそれはそれで好きなんですけど、リライトのほうは、少年漫画の主人公向きな前向きさがありますねー。 楽しく読ませていただきました。もしよろしければ、みんなの掲示板で正式稼動したリライト板のほうも、ときどきのぞいてやってくださいませー。
夢の中で、彼女はいつも、こちらを見ている。あの大きな瞳を見開いて、小さな唇を引き結び、ただ、こちらを見ている。 何かを、言わなくてはならない、と思う。何かを。あの時には伝えられなかった言葉を。彼女に捧げるべき言葉を。何か。 だが、言葉は喉に重たく蟠り、俺の唇は動かない。彼女は、じっとこちらを見つめている。俺を。あの、黒い、強い瞳で。俺の目を。じっと。あのときのように。何か。言わなくてはいけないのに。何か、とても大切なことを。 そして、気付く。 彼女は、もう、いないのだ、と。俺だけが、生きているのだ、と。 そして、俺は自分の叫びで、目を覚ます。 ここは、どこだ。 低く唸る風に、微かに異音が混じっている。どうやら、鳥の鳴き声のようだ。何かを引き裂くような、あるいはもっと直接的に、断末魔のような、甲高く耳障りな、鳴き声。 昼には赤黒く見える大地には、断末魔めいた鳴き声のほか、生命を感じさせるものはない。砂というより小石まじりの風が、ただ吹き荒れるだけだ。背中で、がちり、と重たくガラスが鳴った。風に足を取られながら、どうにか進む。街道を外れてから、五時間。命あるものには、一度も出会うことはなかった。行くべき方角に向かっているという確信もないまま、足を運ぶ。月が、不吉なほどの白い明るさで、夜空を飾っている。 ここは、どこだ。 口の中に溜まった砂が不快で、吐き出そうとした唾を、しかし飲み込む。ざりざりとした唾液が、喉の半端な部分に引っかかる。 ここは、どこだ。 頭の中にはただ、その埒もない疑問しかない。ここは、どこだ。ここは、どこだ。問いは、脳裏に響く足音のように、一歩進むごとに頭に浮かび、消えていく。ここは、どこだ。言葉から、意味が剥がれ落ちるまで、問い続ける。ここは、どこだ。 砂を踏む音。耳元で布がはためく音。遠い鳥の悲鳴。 ここは、どこだ。 月と星から、方角を推察する。進路からはおそらくそう外れてはいないことを、消極的に確認し、のろのろと足を運ぶ。 ここは、どこだ。 不意に、その言葉が、頭蓋の内側に突き刺さる。ここは。ここは。 月は、雲ひとつない空に冴え冴えと光り、地面を照らす。黒く沈む大地に浮かぶように、白く丸いものが、そこかしこに散乱している。月明かりを吸い込むように、白く、丸く、輝いている。人の、骨が、輝いて、いる。 ここは。 問いを打ち消すように、足を運ぶ。砂が入り、目が痛む。 五年も経てば、全てはただの歴史になる。あの破壊も、あの恐慌も、あの混乱も、戦場に行かなかった人間には、紙の上の出来事、そうでなければせいぜい苦渋に満ちてはいるが過ぎ去ってしまった思い出でしかないのだ、ということを、この頃思い知らされる。今でも悪夢を見る、ということ、自分の中で、決して戦は終わってはいないのだ、ということを、その人々にどう説明すればいいのか、わからない。というよりも、それはそもそも不可能なことなのだろう。あの場所にいなかった人間が、あんなことを信じられるとは、思えない。自分があの場所に、それまでの二十一年で育んでいた人間としての全てを踏みつけにされ、置き去りにしてきた、ということ。そしてそれが、もう決して取り返しがつかない、ということ。それを、一体誰にわかってもらえるというのだろう。 そしてたとえば、そう、たとえば、今でも彼女の夢を見る、ということを、一体誰に言えるだろう。こちらをにらむように見据えるあの昏い焔のような黒い瞳を、日と風に強く洗われたような形のいい額を、高いが細い清潔な鼻を、すっきりと滑らかな頬を、そして、少年のようなその顔の中で、花のように鮮やかにつややかだった、あの唇を。そこから覗く、青いように白い歯を。軍服に包まれ、いつでもまっすぐ伸びていた背を、そして、細い、頼りない腰を。子供のように小さな肩を。なんの飾り気もなく、ただそこにいただけで、しかしどうしようもなく幼く美しかった、彼女のことを。 初めて見たとき、とてもこの世のものとは思えなかった。白い、裾の長い衣は、曇り空の下でもそれ自体が輝いているかのように豪奢に煌き、頭につけた薄いベールはかすかな風にも優雅に翻った。その下で、その美しい少女は、静かに瞼を伏せていた。何か、花の香りが、埃と汗と、それから血の匂いを洗うように、柔らかに漂っていた。戦場に突如降り立ったその少女を、兵士たちは呆然と、半ば恍惚と、迎えた。 その天女のような少女は、実際のところ、自分では及びもつかないような戦歴を持つ軍人で、歴戦の猛者とでも呼ぶべき存在だった。夢のような登場のすぐ後、ドレスではなく軍服に身を包み、胸元にはいくつもの勲章を燦然と輝かせ、朗々と響く低い声で、彼女はこう宣言した。「私は君たちを守るためにここに来た!」 花の香りが、まだ漂っていた。あれは薔薇の香りだと、誰かが言った。 彼女は戦乙女だった。もうほとんど伝承の中にしかいないような、稀な性質の少女。清らかな身をもち、祈りを捧げ、戦場を守る、乙女。あの少ない人員で、あれほどの期間持ちこたえられたのは、ほとんどが彼女の力のおかげだった。尊厳も感受性も血と痛みと飢えに塗れたようなその戦場で、彼女だけは、ごく自然に、ただ生きていた。生きて、祈っていた。 実際、彼女はこんな前線に来るような人間ではないのだ、と兵士の間では囁かれていた。彼女の父親は政治家で、本来ならもっと平和な場所で、その平和をもっと堅固にするために祈っているような人間なのだ、と。「ぴらぴらのドレスを着て、柔らかいベッドで眠って、毎日薔薇の匂いの水で顔を洗うような生活っていうのも、私は嫌いじゃないけどね」 彼女は自分のような二等兵が相手でも、対応に分け隔てがなかった。「では、どうしてそうしなかったんですか」 疑問をぶつけると、彼女は眉を跳ね上げて、おかしそうに笑った。からかうような洒脱さの中で、目だけが無骨なまでにまっすぐに、こちらを見据えていた。彼女はいつもそうだった。その目に見据えられているときだけは、そこが戦場であることを、すぐそばに死が迫っていることを、忘れた。彼女と向き合っている瞬間だけは、俺は、自分が人間であることを思い出した。「誰も、そりゃ前線にいけとは言わなかったよ。でも、本当のことを考えたら、私は行くべきだ。それが正しいことだろう。だから、来たんだ。それだけだよ」 思考をただ生き延びることと殺すことだけに使うことに慣れた頭では、彼女の言葉が、よく理解できなかった。「正しいこと?」 彼女は頷いた。「そうだよ。正しいこと」 そして、俺の中の奥の奥を見極めようとするかのように、つるつるした広い眉間に皺を寄せ、じっと此方を見つめるのだ。「人はいつだって、正しいことを求めるものだよ。違うかい?」 俺は答えなかった。彼女の黒檀ほどに黒い大きな瞳が、自分の中の熱で、俺の中にいる、脅えも倦怠も知らない、誰にも傷つけられない柔らかな部分に、直接訴えかけていた。正しいこと。正しく生きる、ということ。 ただ突っ立っている俺に、彼女は目元をふっと緩めた。日に焼けて骨ばった、しかしとても小さな手で、ぽん、と軽く、俺の肩を一つ叩き、自分の持ち場に戻っていった。 肩に、柔らかな、けれど確かな感触を持ったまま、彼女の背中を見た。自信に満ちたような、すがすがしくも勇ましい、大きな歩幅と伸びた背筋。まぶしいような心地で、目を細めても、彼女の輪郭だけが、どこかくっきりと浮き立っていた。 歩みを進めるにつれ、骨は数を増していく。軍服までも身に纏い、そのまま柩に横たえたいような一揃いもあれば、獣に食い荒らされたかのように、折れ、砕けているものもあれば、飴細工のように溶け、捻じ曲がっているものもある。自然の手によるものとは思えないその造形。魔術でしかなしえない形での、殺戮。 魔術。それらの前で、我々がなんと無力だったことだろう。加護を与えるはずの戦乙女を擁していながら、敵側に強力な魔術師が参戦したという情報がもたらされた後、戦況は徐々に、だが確実に不利になり、負傷者は陣営に溢れ、増えすぎた死者にはやがて弔いの言葉さえかけられなくなった。殺すため、生き残るため以外の何一つ考えず、話さなくなった兵士たちの間でも、状況は火が灯された蝋も同然だということは、公然とした事実だった。 敗戦の、そして死の気配。それは陰鬱な雰囲気という漠然としたものなどではなく、現実的な痛みとして、我々を苛んだ。空気は紙やすりのように皮膚を、神経を削り、生きていくその一秒一秒が、すでに戦いだった。 人は、脆くもあるが、強靭でもある。生きたい、とは誰もすでに考えてはいなかっただろう。だが、生きなくては、という、その前提は、ほとんど揺らぐことはなかった。我々は、生にしがみついた。生は既にそれ自体で拷問だったが、手放すという選択肢はなかった。良識や理性や、そういったまっとうな生活で身にまとっているものを何もかも剥ぎ取られ、残っていたのはぎらぎらと燃え滾る生命の源泉、生きなくてはという、自己ではなく生命そのものの要求だけだった。 今となってみると、空恐ろしくなる。自分の中に息づく、生命、という得たいの知れないものの持つ、力。自分自身の存在には、社会的にも、あるいは自分自身に対してさえも、いかほどの価値もなくとも、ただその存続を、何に変えても求める力。 足を運ぶ。夜気に、体が冷えてきた。目的地までは、おそらくそう遠くはない。足は疲労に痺れ、荷を負うための紐が肩に食い込んで痛む。 もしも、今、死ねと言われたら、抗わないだろう。 そう考える。それはとても簡単で、安らかなことのように思えた。生きている、ということ。あの戦を、生き延びた、ということ。それにどれだけの意味があるのだろう? 帰還したとき、母と妹は生きていて、顔を会わせる前から、泣いていた。まだ幼い妹の柔らかな頬を首筋に感じ、暖かな涙が胸に注がれたとき、気付いた。自分の中にはもう、それを喜ぶようなものは残っていないのだ、と。お前の涙を捧げられるべき兄は、もうどこにもいないのだ、と。 何かに足を取られ、躓く。舌打ちをして足元を見ると、頭蓋骨が、虚ろな眼窩をこちらへと向けていた。つま先で脇へよけようとして、躊躇する。 これが、彼女ではないと誰に言い切れるだろう。 腹の中に、重たい空虚が溢れ、すっぱいものが舌の奥までせりあがる。視線を無理に引き剥がし、進む。もうすぐだ。もうすぐ、そこへ着く。 あのときのことを、思い出す。記憶が薄れそうになるのを恐れるように、瘡蓋につめを立てていつも新鮮な痛みと血をそこにもたらすために、何度でも。 限界だった。死はそこまで来ていて、誰にもそれは避けられないのだと分っていた。恐怖と苛立ちは限界まで膨れ上がり、ほんの少しの棘があれば、爆発してしまうことを、誰もが感じていた。 きっかけは、なんだったのだろう。兵士たちの、食料だか何かを巡る、ほんのちょっとした諍いだった。五、六人の、暴力と罵倒が入り混じる、ほんのちょっとした、しばらくすれば疲労の中に埋まってしまうような。 あの時、彼女がたまたま、そこを通りかからなかったら。彼女が、彼女一流のあの正義感から口を出さなかったら。そう言うことも、できるだろう。だが、きっかけなど、なんでもよかったのだ。あのとき彼女がそうしなかったとしても、いずれきっと、他の何かが棘となり、同じことが起こったのだろう。「そんなことをしている場合じゃないだろう! 君たち!」 思い出す。あの荒んだ場にはまるで似つかわしくない朗々と響く声は、そのとき、俺の耳にさえ耳障りだった。殴られ倒れていた兵士は立ち上がり、鼻血に塗れた顔で、怒鳴った。「うるせえこのクソアマ!」 それが呼び水となったかのように、その場にいた、諍いとは何の関係もない兵士たちも、口々に彼女を罵倒した。彼女は、その場に呆然としたように立ち尽くした。小さく口を開き、何の屈託も困難も知らない、ただの少女のように。 もはや一つ一つの言葉など聞き取れない、耳を聾する怒号の中、俺は自分の胸のうちに、何か途方もなく暗く、醜いものがあることを自覚していた。そして、それは頬を張るようなこの罵声に共鳴し、俺の喉から今まさに、飛び出したがっていた。彼女はただ、立っていた。困惑したように眉を寄せ、心細い様子で。 そんな、普通の少女のような姿で。 その瞬間、俺の中にあった何かが、焼ききれた。俺は、喉が切れるほどの勢いで、叫んだ。「俺たちは、どうせ死ぬんだ! このまま、見殺しにされるためだけにここにいるんだ! あんたが何を祈ったって、どのみち死んじまうんだ! こんな場所のどこに正しいことなんかあるんだ! どうせ、どうせ死ぬのに!」 叫びは血の味がした。彼女ははっとしたように、俺を見た。怒号は納まる気配など見せず、鼓膜を殴りつけていた。俺の掠れた叫びは、おそらく波に飲まれたひとすじの水のように、彼女の耳に意味のある言葉としては届かなかっただろう。けれど、彼女は確かに俺を見た。その黒い、よく光る目で。かちり、と視線が噛み合った、その一瞬。俺は祈った。 何を祈ったかは覚えていない。ただ、祈った。俺の中の善きものも悪きものも強いものも弱いものも全てで、その一瞬、彼女の瞳に、祈った。 どうか。どうか。お願いだ。どうか、あなたが。 彼女は、瞼を伏せて、俺から目を逸らした。 わけのわからない怒りに襲われて、俺は彼女に飛び掛り、その顔を、殴りつけた。あっけなく彼女は床に倒れた。手のあまりの手ごたえのなさに、泣きたいような心地になり、それを振り払うように、軍靴で彼女の肩を、蹴りつけた。誰かが、俺を羽交い絞めにした。そして、痛みに低く呻く彼女の、上着を引き剥がした。彼女の肩は白く白く、悲しいほどに小さかった。怒号はなり続けていた。 そして誰かが、彼女の肌へと、手を伸ばした。 彼女は僅かに目を開き、此方を見た。そして、目を、閉じた。その後のことにも、彼女は抵抗を、しなかった。 月を背負うその岩を、仰ぎ見る。これほど小さかっただろうか。かつて戦場を睥睨する竜の頭骨、あたかも死と力の象徴だったそれは、今は、ただの少しばかり大きな岩でしかない。地面を埋め尽くすかのような人骨が、僅かに戦火の激しさを、偲ばせるだけだ。 とても、本当のこととは思えない。何もかもが、間違っている。 戦乙女の守りを自らの手で剥ぎ取った後は、あっという間だった。禍々しく輝く焔が目を焼き、気がつくと、病室の床に横たわっていた。あの攻撃の後、俺たちの知らぬ場で全ての決着はつき、戦は終わった。あそこで生き残ったのは俺と、ほんの僅かばかりの人間だけだった。その中に、彼女の名はなかった。 背嚢を下ろし、壜を取り出す。硬く閉ざされたガラスの中、月明かりを反射し、薄桃色の液体が、緩やかに煌いた。 寒さに痺れた指先で、扱ったこともない繊細な栓を、どうにか開く。きゅぽ、と軽い音を立てて、壜は開いた。 風が、薔薇の香りを、振りまいた。 唇を噛み締め、赤黒い大地へと、その香水を、注いだ。馥郁たる、というには鼻腔を刺激しすぎるその香りは、かつて、彼女がつけていたものだ。あの日。白いドレスに身を包んだ彼女が。「君たちを守るためにここに来た!」といった彼女が。黒い瞳に、何か強い、尊いものを光のように抱いて輝かせていた、彼女が。 もう、どこにもいない、彼女が。 脚が萎え、腰を下ろす。汗に濡れた皮膚が風に冷えて粟立つ。肺が、軋み、痛む。自分は、生きていた。彼女はもう、どこにもいないのに。正しいこと。彼女はそれだけを信じて、ここへやってきた。そして、俺と、ほんのわずかばかりの人間は生き残り、彼女は死んだ。何もかもを奪い取られ、決定的に汚され、傷つけられた末に。正しいこと。 彼女の白い身体とその感触を思い出し、俺の中の本能が、僅かに反応しかける。嫌悪で臓腑をかき回され、嘔吐しそうになる。いっそ、何もかも吐き出してしまえればいいのに。この皮膚の下に詰まっているもの全て、吐瀉物のほうがいくらかましな程度のものだ。 顔を覆い、目を閉じる。やや薄まった薔薇の香りが、鼻腔をくすぐる。こんなことをして、何になると言うのだろう。彼女はもういない。どんな香りも、どんな祈りも、どんな謝罪も、届かない。届けることは、許されない。 決して。※ご、ごめんなさい…
> ねじ様 『荒野を歩く』リライトへのお礼と感想 お礼が遅れました……! リライトありがとうございます! じわじわっと明らかにされていく過去の陰惨な出来事。原作では出し切れていなかった怖さ、生臭さ、凄惨さが加わって、濃厚な物語になっていて、おもわず激しく嫉妬……! 嫉妬しつつも、嬉しい>悔しいな感じで、ごろんごろん転げまわっていました。 戦乙女の世間知らずな理想主義の、まぶしさというか、痛ましさというか、こう、すごくぐっと胸に迫ってきて。余韻の苦さも。 あと(星野田さまのバージョンもですが)、世界観が魔法アリの異世界ファンタジーになっていることが、個人的にこっそり嬉しかったりします。実際、自分でも剣と魔法の世界のつもりで書き出したはいいのだけれど、60分厳守の即興三語だったこともあり、筆力不足で、世界観を盛り込むところまで追いつかなかったのでした……orz ありがとうございました!!
年を取る、ということは、寝た女に対して、父親めいた気持を抱くようになることなのだろうか。 ミネラルウォーターのペットボトルを半分ほど開け、シーツからはみ出した丸い肩を眺める。その肌の滑らかさと血色のよさは、半ば非現実的で、いまだに僅かにうろたえてしまう。君がこの部屋にいる、ということ。自分の前に、その若くて柔らかな美しい体を、あまりにも無防備に投げ出している、ということ。 煙草を吸いたくなるが、水をもう一口飲むことでどうにか誤魔化す。君には、自分は禁煙をしているということになっている。といっても、吸う量は僅かにも減ってはいないので、おそらく気付かれているのだろう。煙草というのは、皮膚にも、血にもしみこむものだから、深く口付けるような関係なら、気付かれないわけがない。けれど、君はニコチンがしみこんだキスにも、私の下手な嘘にも、何も言わない。いっそ、言ってくれればいいと思うのだ。言ってくれれば、私は今、チェストの中のセブンスターに手を伸ばすことも出来るし、何より、君のために煙草をやめることができない、という事実に、後ろめたさを覚えることも、きっとなくなる。 君はひどく無邪気な様子で、枕に顔を埋めている。幸福そのもの、というその姿は、あまりにも混じりけがなく純粋で、神々しいほどだ。何かたまらないような心地で、その小さな肩へと、そっと手を置く。「そろそろ起きなよ」 君は口の中で言葉にならない声を噛み締め、シーツにしっかりとしがみつく。子供じみたその仕草に、どうしてこんなに困惑してしまうのか、私にもわからない。君はこんなところにいるべきじゃないのだ、と、その両肩をしっかり掴んで、諄々と言い聞かせたい衝動に駆られるが、しっかり肉体関係を持っている私がそんなことを言うのは滑稽を通り越して卑怯でしかないので、無難な、いつもの言葉を口にする。「明日、仕事なんだろ」 君は億劫そうな生返事をして、でも、不承不承ながらも、瞼を開く。「送るし。車の中で寝てなよ」 優しい言葉をかけるのは、容易だ。君は私を見ずに、うん、と曖昧に頷いて、シーツからのろのろと抜け出した。その瞬間に、私は決して慣れることができない。どうしてだか、理不尽な気がするのだ。君がここから出て行く、ということに。理屈に合わないことだが、それも、きっと仕方のないことなのだろう。君がここにいることに対する違和感も、君がここを出て行くことに対する違和感も、どちらが正しいということはない。ただ、そこにあるだけだ。 正しいこと、というのがあるのだ、とかつてなら思っていた。誰かを傷つけるにしろ面倒ごとを背負い込むことになるにしろ、全てが自然で無理がない状態にかちりと嵌り、それから全てが正しくスムーズに進む、あるべき姿、というのがというのが。 いかにも不服そうに、服に体を押し込む君は、それをまだ、信じているのかもしれない。 小さなオレンジの明かりを反射して、君の肌が、ぼう、と暖かく、浮かんでいる。 帰りの車の中で、君はほとんど口を聞かない。本当は、言いたいことがあるのだと、拗ねた子供のように口を結んで。その閉ざした唇で、こちらをじっと見つめるその瞳で、百の言葉よりももっとこちらに多くを訴えかけても、けれど、言わない。だから私も、何も言わない。 本当は私にも、言いたいことはいくつもある。そんな風に傷つく必要など何もないのだ、とか、君のことは、私なりに大切に思っている、とか、こんな男に、そんなふうに自分を投げ与えるのはやめなさい、とか。 けれど、そのどれも君がほしい言葉ではないことは、わかっている。だから、言わない。 君がほしいものは、もっと違うものなのだろう。たとえば来週の約束とか、そういう些細なものなのだろう。そして私には、それを言うことはできない。言うこと自体は容易で、言ってしまえ、と揺れることもあるが、でも、できない。 それは、青春時代まるごとともに過ごし、自分の皮膚のように近く感じていたにも関わらず、結婚直前で私の弟と駆け落ちしたかつての恋人のこととも、この年になっていまだ不安定と背中合わせの多忙から脱せられない仕事のこととも、じりじりと年老いていく両親のこととも、ある意味ではまったく関係のないことだが、また、まったく同じ重さで、全てに関係のあることでも、あった。 問題はただ、私がそれら全てを潜り抜けた三十八歳の男であることと、そんな男から見たらまだ幼いほど若い君の、息苦しいほどに思いつめたまなざしだった。 顔の半分に、じりじりと皮膚を焦がすような視線を感じながら、私は車を走らせる。ハンドルを繰る指に、眼鏡の奥で細めた目尻に、君のまなざしが触れ、熱を持つ。夜の道を滑る小さな車の中の酸素が、徐々に薄くなっていくような、居心地の悪さ。 この居心地の悪さを、もうしばらくは味わいたいと考えるのは、おかしいだろうか。 だが、車はいつもと同じだけの時間をかけて、見慣れた、だがそれ以上のものにする気はない町並みへと辿り着く。 ゆっくりと、滑らかに、車を止める。君は私の横顔から視線を滑らせて、ほんの一秒、瞼を伏せる。そして、その幼いふくらみを持つ唇に、微笑みに似た表情を浮かべる。 夜に不似合いに無骨な音で、君はドアを開け、飛び跳ねるように車から降りる。少年のようなつたない乱暴さでドアを閉め、私に、微笑みかける。「送ってくれて、ありがと」 私は君よりは少しばかり自然な笑みを浮かべ、頷く。君は小さく息を吸い込んで、私にそっと、大切なものを差し出すように、尋ねてくる。「来週は、会える?」 私はそれに、気付かない振りをする。「わからない。電話する」 君の瞼が、ぴくり、と痙攣する。瞬きには少し長く目を閉じ、そして目を開く。「待ってる」 私は小さく頷いて、窓を上げる。君は静かに、自分の家へと入り、ドアを閉ざす。私はエンジンをかけ、自分の家へと帰っていく。煙草の匂いのしみついた、居心地のいい、私の家へと。※せっかく直接お願いして書くのだから!と張り切っていたのですが、どうにも上手く行きませんでした…申し訳ないです。
> ねじ様「まだ若い君へ」への感想とお礼 ごめんなさい、お礼が遅くなりました! チャットでお話したからか、とっくに感想を書いたつもりになっていました……(汗) ということで、リライトありがとうございます! 原作には男の年齢を書いた覚えがないのにこの設定、まさに萌えツボどストライクで、心の中を読まれたかと思って動揺しました。ぎゃー!(じったんばったん) いっこいっこの表現が好きすぎます……! あのビミョーな原作を、こんな素敵な恋愛小説にされてしまうと、もう嫉妬の炎に悶えていいやら、萌えに悶絶していいやらです。でも最終的に嫉妬よりも嬉しいのが勝ち四回読みました。幸せであります。 ありがとうございました!
たいへん遅まきながら、リライトしてくださった方々、ありがとうございます。楽しんで拝読しました。>>弥田さん……( No.9 )襖に落書きがしてある、っていうのがどことなくリアルで、お酒でうろんになっているところにぐっとアクセントのある感じがすげーなと思いました。こわくなっている……!部屋のなかのことにはあえて触れない、というのも視点かえるとできるんですね。語り口もふらふらというかふわふわというかしていて、あああー、って感じでした。まっさきにリライトしてくださってほんとにありがとうございます。>>HALさん…… ( No.34 )「どすどす」という直接的に振動している感じとか「いやな臭い」や熊が「とぼとぼと」部屋を出ていくところとか、肺にあたらしい空気が入ってくる感覚とか、いろんな、こまごまとしたところが挿入されていて、なんて丁寧なんだろう、と感嘆しきりです。そういうものの入ってくる余地があったのだなあと思うと、なんだかうれしい気がします。あっちへいけ、のリフレインが特にそうだと思うんですが、感情的な部分を推すことで定まるものがあるんだなあ、と思いました。こんな小さな作品までリライトしてくださってありがとうございました。>>星野田さん……( No.46 )完敗です。たまりませんでした。大喜びです。ほんとうにありがとうございます。なんてぼくは無力なのでしょう。わーい。いろいろ勉強になりました。どうにかこうにか、なんとかしたいと思います。ほんとうにみなさんどうもありがとうございます……!