お母さん
「おやすみ」
それは私が唯一聞いたことのあるお母さんの言葉。

お母さんはいつも忙しくて、朝は私が起きる前に仕事に行ってしまっていた。
帰ってくるのもすごく遅くて。
だから朝、起きたときに「おはよう」って言われたこともないし、保育園のお迎えはいつもお兄ちゃんで。小学校に上がり、家に一人で帰るようになってからは「おかえり」と言ってくれる人すらいなかった。
私はすごく寂しくて。せめてお母さんが帰ってくるまでは起きていようと思っていたけれど、幼い私には難しかった。
それでも、お母さんがすごく頑張って早く帰ってきてくれていた、誕生日やクリスマス。
そっと寝ている私の傍によって、頭を撫でながら「おやすみ」って言ってくれていた。
起こさないように、静かにって思っていたとは思う。
でもね、お母さんの少し引きずった足音は静かな部屋にはよく響いてたんだよ。
私はお母さんに抱き着いて「おかえり」って言いたかった。でも疲れてるお母さんの顔を見ちゃったら、寝ているふりをするしかなかった。

お兄ちゃんが働き始めて、お母さんも休めるようになるかなって思い始めたころ。
突然倒れて、帰らぬ人となってしまったお母さん。
お兄ちゃんとたまたま通りで会い、一緒に帰る途中だったらしい。
私は修学旅行に行っている真っ最中で。死に際に立ち会うことすらできなかった。
お葬式の後、お墓の前で手を合わせていると、お兄ちゃんがやってきた。
そして"死ぬ間際に一度だけ目を覚まして、私に一言だけ伝言を残した"と言った。
 「おやすみ」
その一言を聞いて、私は涙が止まらなくなった。
お母さんは多分、私が起きているのに気が付いていたんだと。
一度起きてしまった私が眠りにつくまで、頭を撫で続けてくれていた。それは知ってるよという合図だったのかもしれない 。
あの時お母さんのメッセージに気付けていたら、「おやすみ」以外の言葉も聞けたかな。

涙が止まらなくていい加減息が苦しくなり始めたころ。
ふと風がそよいで、ほんのり甘い香りを運んできた。
それはお母さんのつけていた香水の香り。
いろんな花の混じった優しいその香りが、私は大好きだった。
香りの主を探して、顔をあげたその先に笑顔のお母さんが見えた気がして。
泣いてる場合じゃない。元気だよ、これからもがんばるねって伝えなきゃ。そう思った。


お母さんへ。
初めて伝える、私からのメッセージ。
いつもお仕事忙しそうで、いつも疲れた顔で。
そんなお母さんしか見た覚えがなかった。
でもお兄ちゃんから「お母さんはお仕事が大好きなんだよ。」って聞いてすごいな、お母さんみたいになりたいなって思いました。
だからお母さんは私の憧れの人です。

いつも、今まで、ありがとう。
これからはお母さんの分まで、私頑張るね。
だからお母さんはゆっくり休んで。
「おやすみなさい」

お母さんの娘の如月 ねねより
此花 蛍
2016年12月29日(木) 10時22分28秒 公開
■この作品の著作権は此花 蛍さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
E☆エブリスタにも投稿してある作品です。
泣きたいときに、心温まりたいときに読んでいただけたらと思います。

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No.1  逃げ腰  評価:40点  ■2017-04-04 18:21  ID:QmqNILQPWJs
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>>でもね、お母さんの少し引きずった足音は静かな部屋にはよく響いてたんだよ。

この頃から変調はあったということなんでしょうか。
現実だとしたら、胸にくるものがある。



最後の一連は、手紙の形式に見えました。
もう少し形式がかっちりしてるとずっと見栄えが良くなったなと感じました。
今のままで少女らしさが出てます。良いですね。

>>私はお母さんに抱き着いて「おかえり」って言いたかった。
>>でも疲れてるお母さんの顔を見ちゃったら、寝ているふりをするしかなかった。

課題はどのタイミングで「おかえり」って言うのか、ということかもしれない…。
言い残した言葉をどうするのか、みたいな。
たとえば、お盆であったり、何気ない風景の中に母の残滓を見たり。
自分の内にある、母の懐かしさであったりと。
ふとした瞬間の母の気配というか…。気をつけないとホラーなので、難しい。
でも、やりようによっちゃ化けまくりますよこの小説…。しかし、かなり難しい。
うるさくてごめんね…。
総レス数 1  合計 40

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