ツキアカリ:始まりの馬

伝説の競走馬、とやらはポンと出てこないとその日、心からわかった。





その人は、日に焼けた肌と、落ち窪んだ瞳と、皺だらけの顔と、そしてらんらんと輝く瞳を持っていた。白い髪の毛は薄く、杖を持つ手はシミだらけでしわくちゃだけれど、彼はしゃんと背を伸ばして立ち、高そうなスーツが不思議と似合っていた。
「この前電話してきた東か?」
その老人はしわがれていない声で、部屋に入ってくるなりそう言った。彼こそが、日本の競馬界の伝説、進藤努さんだ。彼が、日本史上最強とも呼ばれ、海外でも成功した競走馬、サムライを作ったのだ。
サムライは伝説だ。史上最強馬の名は伊達ではなく、国内外問わずの大レースを制覇している名馬。競馬に興味がない人でも知っている馬。それがサムライだ。
そのオーナー兼生産者が目の前にいる。ただの記者でしかない僕は頭を下げた。老人は、僕を見ている。どこか見定めるような瞳で。
「はい。先日お電話させていただいた東晴翔です」
そう僕が言うと、進藤さんはソファーに腰を下ろした。彼は、持っていた杖でカーペットを一度叩いた。
そして彼は、僕を見ていった。
「どこから話せばいい?」
「よろしければですが、一番最初から」
進藤さんは、そこで初めて微笑んだ。どこか懐かしむような、思い出すような、優しい笑みだった。
「あれは、まだ戦後だった時代だ。わかるか、?」


「 まだ時代が戦後だった頃だ。高度経済成長はまだ先だった頃、まだ戦争の記憶が新しくて、カラーテレビどころかテレビ自体あまりお目にかからないものだった時代。
競馬で言ったら、まだ地方競馬がなかった時代。そんな時代のお話。
そんな時代の、まだ若かった俺には今はもう生きていない友人がいた。その友人は、競走馬の調教師だった。安馬を安く調教していて、一番のお得意さんが安馬を買って死ぬまで走らせる奴だった」
「そのお得意さんが飼っていたたくさんの馬の中に地味な鹿毛の馬がいた。そいつの性別はメスで、名前はツキアカリで、足はそんなに早くなかったけれど、運が向けば勝てることもあった、そんな馬だ。」
「丈夫で、なんだかんだ言って自分のエサ代ぐらいは稼いでいたツキアカリだったんだが、ある日そいつは怪我した。二度と競馬をできないような怪我さ。で、自分の馬は繁殖にあげたりしない馬主が、セリにその馬を出した。肉屋ぐらいは買いそうなもんだが、ツキアカリの疲れきった顔を見てやめたらしい。誰も手あげんくて、ツキアカリは馬主の場所に戻ってきた。」
そこで、進藤さんは一息ついた。彼は紅茶を一口飲んで続ける
「そこで、馬主は俺ん友達に言った。馬を引き取りてーやつはいないかと。そーゆー愚痴をそいつは俺に言った。俺は競馬に興味があった。そんときまで一つの仕事にも定着できんくて、日雇いをうろうろしていた時だった。とんだ間抜けだったと思うさ、今になっては」
そこで、進藤さんは意味もなく笑った。豪快だった。
「二月だった。寒い日で、俺はその馬主の厩舎に行って、厩務員から縄とその先につながれたツキアカリを引き取った。そんとき初めて会ったのさ、ツキアカリに。アカリは俺について歩くのを嫌がった。なんでだ?思ったけれど、びっくりしていたんだろな」
進藤さんは瞳をつむって開けた。
「俺は稼いだ金でツキアカリを青森まで連れて行って、そこにあった預託金が安かったボロ牧場に預けた。馬の世話の仕方なんて知らんかったからな。人に任せるしかなかった。俺はその周辺の日雇いの仕事をしながら、馬の世話を教えてもらって、四月ごろ、貯めた金で一番高くて、血統の妙がある馬とツキアカリを交配させた。」
「11ヶ月後、ツキアカリの初めての子が生まれた。オスだった。勝手にやったことだったから、牧場からは大目玉を食らったさ。」
進藤さんは、どこか愉快そうにウィンクした。
「そいつが生まれる時には、俺は馬の世話ができるようになっていて、俺は牧場を移った。別の預託牧場だったが、ツキアカリと赤ん坊は預託馬じゃなくて、俺が世話をしていた。そいつらのエサ代やらは、その預託牧場で他の馬の世話をして稼いだ。けど足りんかったし、赤ん坊が将来まともな競走馬になる自信もなぐて、乳飲み子だった赤ん坊をセリで売った。」
記録が正しければ、その乳飲み子だったツキアカリの初子は結局一勝もせず処分されている。早めに売り飛ばした進藤さんの判断は正しかったととしか思え無い。
「で、次の春にはメスが生まれた。将来繁殖にあげられるから俺はそいつを売らないで、アサガオって名前つけて、例の友人に預けて調教つけて、デビューさせた」
ニコ、と進藤さんが笑みを作った。
「5戦目ぐらいで、アサガオが初めて勝った時には小躍りどころか宙返りできるほど喜んだよ。その夜は眠れなくて困った。」
「その次の子は、ゲッコウだった。またメスだったからとっておいて走らせた。一度走っただけで怪我したから売った。ひ弱な馬は要らなかったからな」
「その次の子は、オスだったから売った。確か3勝はしているはず。売ってもったいないことをしたと思ったよ」
「アサガオを引退させて牧場に帰ってきた時、彼女が勝った時の賞金でそれなりの種牡馬に付けた。1年後の三月に、アジサイが生まれた。三勝を上げて、俺の馬で初めて重賞に出走した馬になった。」
「ツキアカリの五頭めの子が結構良い値で売れた。その金で次の年、ちょっと奮発していい種牡馬に付けた。その次の年、そいつが生まれた。ツキヒカリだ。」
「ツキヒカリはメスだったから俺の名前でレースさせることにした。友人が突然ぶっ倒れて休んでいたから、これまた奮発して、良さげな調教師に元に送った」
「ツキヒカリは俺が初めて生産した、G1に出走した馬で、G1は勝てなかったけれど初めて重賞勝った馬になった。ツキヒカリが引退した頃には、俺は北海道に土地を買って、俺の牧場を作った。ツキアカリ牧場を」
「ツキヒカリは初年度から重賞勝ち馬をだした。その頃かなあ。雪だるま式になったのは。金があるからいいエサをやったり、いい種牡馬にメスを送ったりできた。いい親がいる馬はそれなりの確率で走ったり、結構な値段で売れる。そしてその値段で再び良い種牡馬をつけられる」
「ツキヒカリの三匹目の子だった。当時トップの種牡馬の仔だった。オスだったんだけれど、どうしても手放せなかった。」
「ツキヒカル、ってつけた」
初めてウィキペディアにページがある馬が出てきた。
「ツキヒカルは強かった。デビュー3連勝、そして日本ダービーを勝ってくれた。俺はそいつを俺の牧場で種牡馬にした。」
「外の連中が俺に金を払って、ツキヒカルと自分の牝馬を交配させていった。そして、俺はアジサイの娘のヒメユリとツキヒカルを交配させた。」
「ヒカルツキが生まれた。メスで、桜花賞を勝った。」
「俺がだいぶ年を食ってきた頃、ヒカルツキの孫が生まれた。当時はやりだった海外の血を入れたオスで、なんとなく強そうだった。」
「俺はそいつにヒカリへってつけた。海外遠征ではぼろ負けだったが、国内では無敵だった」
ヒカリヘ。競馬に興味ない人でも、その馬が走っていた年を知っている人なら知っている名前だ。
「ヒカリへから何代もたった。ツキアカリはとっくに死んだ。ツキアカリの子供も孫も全員死んで、血統書の遠くの方にツキアカリの名前が載っているだけになった頃。
昭和が平成になって、少しした頃、ヒカリへの血を引く牝馬が別ルートからツキアカリの血を引く牡馬の子を産んだ。」
「俺はなんとなく、そいつにウミノムコウって名付けた。そいつは海外でG1ひとつ勝った。で、そいつの息子と、ツキヒカリの最後の子の血を引く牝馬の間に生まれたのが」
彼が何をいうのかわかっていても、なんとなく身構えてしまう
「サムライだ」
進藤さんは、笑った。


その後、彼が何か質問はあるか?と尋ねるので、一つ、聞かせていただいた。
「後悔していることってあるんですか?」
「ツキアカリの扱いだろうな。22の秋、ヒノデが乳離れした翌日、放牧場でぶっ倒れて死んでいた。その頃はまだ余裕がなくてな。」
進藤さんは弁明するようにそういった。
「彼女は、6歳で俺が引き取ってから死ぬまで毎年子供を産んで育てた。産ませるのはヒノデで最後にするつもりだった。多分、ツキアカリも終わりのつもりだったんだろう」
進藤さんは、どこか悲しみを持った瞳でそう語った。
「ツキアカリは、丈夫な馬だった。病気もせずに、毎年毎年。子供を産んで育てて。それなのに、俺はろくに墓さえ作ってやらなかったさ。」
進藤さんはどこか悲しげな瞳で微笑んだ。
「今まで飼ってきた馬で、一番覚えているのはツキアカリさ、、、対して大事にしたとは言えない馬なんだが……」
ローズ
2016年06月07日(火) 17時58分03秒 公開
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