未成年
 その庭を洋祐が見つけたのは、季節外れなぐらい熱い日だった。
 洋祐が学校への往復に使用している通りから一本外れただけの道。学校をサボり、気の向くまま歩いていたら見つけたのだ。白く長い塀に囲まれた家の、、その庭を。
 洋祐が何気なく門から庭を覗いてみると、そこには風に吹かれてゆらゆらと怪しく踊る、赤、朱、青、黄、緑、紅、複数の色が咲き乱れる鮮やかな世界が広がっていた。どれもこれも洋祐の見たことがない花々。洋祐は図鑑を見ることを好んでいたが、記憶にはない花ばかりだった。
 ゆらり、ゆらり、催眠術にかけてくるように花たちは洋祐をいざなう。うとうとと。洋祐は何だか変な気分になり軽く頭を振った。塀と同じ白色の門構えにまで花は絡みついていた。門につるを張っているというより、門をしっかりと縛りつけているように伸びている茶っ褐色のつる草たち。

 庭の一輪の紅の花が、かま首をもたげるようにこちらを観ている。洋祐はそんな気がした。
 思わず目をそらす。代わりに目に入った表札に、「弥生」とあった。女の人の家かな。洋祐はそんなことを考えながら、庭を門越しにぼうっと眺めていた。庭に咲き乱れる花々はよく手入れをされているようで、雑草などは見当たらない。培養液のボトルがざくりと土に刺さっていたのを見て、本当に水と培養液だけでこんなに沢山の花が育つんだろうかと洋祐は不思議に思った。

『桜の下にはね。人間が埋まっているんだよ。だからあんなに怪しく、美しく、咲くのさ』

 いつの頃だったか、亡くなった祖母がからかうように話してくれたことを洋祐は思い出した。もしかして、この庭の下にも人間が埋まってたりして。そんなことを考えていたら、
「何か用かい?」
 不意にかけられた声に、背筋がしゃんと伸びる。声のした方に振り向くと、そこには真っ赤なワンピースを着た女性、洋祐の目には祖母と同じぐらいの年の女の人が立っていた。
「あ、その、花が、とても綺麗だったから……」
 女性はちらりと洋祐が背負うランドセルを見た。普段なら学校に居る時間。叱られるかと洋祐が上目遣いで見ると、女の人は口の端で笑って門を開いた。
「もっと近くで見せてあげるよ。おはいり」
 好奇心に背中を押されて足を踏み出す。老婆、というにはそぐわないすらりとした女性は、洋祐が後についてくるのを確認することもせず、ぐんぐん庭へと進んでいく。そんな二人を、庭の花々は変わらず観ていた。

 万華鏡のように色とりどりに飾られたその庭は、外から覗いた時より広く洋祐は感じた。あいかわらず風に吹かれて花々は揺れている。一番隅のほうにケシの花があった。洋祐に分かるのはそれだけだった。
「この花々はね。私の子供みたいなもんだよ」
 女の人はそう言うと、すぐそばの白い花に手を触れた。朝顔に似ている。でもどこか力強く、洋祐の目には映る。
「それって、なんて花ですか?」
 女の人はにやりと笑った。
「朝鮮朝顔さ。ここにある花達はね。みんな毒花なんだよ」
 ドクバナ? 聞きなれない言葉の旋律。洋祐は一瞬理解できなかった。
「根や花や葉にね、毒があるのさ。特にこの花はね、猛毒だよ」
 毒、その言葉は知っていた。ただし洋祐にとってそれは、意味を知っているというだけの、それがどんなものなのかということは分かっていない未知のモノだった。庭の花々に現実とは思えない不思議な怪しさを感じたのは、毒というモノを備えているからなんだろうか。
 洋祐は惹かれるものを感じた。知らなくていいこと。知っておくべきこと。大人は色々と言ってくる。でも、最後に踏み出すべきは、きっと自分の足でだ。そんな思いが少年を動かした。

 洋祐は魅入られたように庭を眺め続けていた。どうしたら、もっと知ることが出来るんだろう。どうしたらもっと、入り込めるんだろう。考え続ける洋祐の前に麦茶の入ったコップが差し出された。
「それには毒なんて入ってないよ」
 冗談めかしく口角をにじり上げて、女の人が自分の麦茶を一気に飲み干す。どことなく言動が祖母と似ていたせいだろう、洋祐はなんだか懐かしく、嬉しくなった。一口麦茶を飲み込む。のどが涼やかになる。
「どうして、ですか?」
 家に招いた理由を洋祐は聞いてみた。
「うん、この子らを呑んで、死のうと思ってねぇ」
 しわの少ない顔で、女の人はそっけなく答えた。
「長く生きてると色々とあってね。五年前に植えたのさ。育ててるうちにいいなぁって。どうだい、私に良く似合うだろう?」
 女の人はまるで自身に語りかけるように呟いた。洋祐は妙に納得した。おばあちゃんと似ていると思ったけれど、似ているのは自分の方にかもしれない、と。
 洋祐は自分だけの世界にこもることが多かった。友だちは少なかった。そのことをよく祖母にたしなめられてもいた。
 美しく妖しい花々に囲まれて横たわる女の人。それがこの女の人の世界。祖母とは違う望む先。そして自分の味わいたいことでもあるのかも。そう洋祐は強く思えた。

 ゆらり、ゆらり、ゆれて、ゆれる。
 花霞の中でまどろむように、花々を眺めている時間はすごく心地のよいものだった。

 だいぶ日が暮れて、学校の終わる時間が近づいてきていた。洋祐が名残惜しそうに立ち上がると、女の人はちょっと待てと洋祐を止めた。
「これ、持っていきな」
 手渡されたガラスの小瓶には、少し干からびた葉のようなものが入っていた。
「ほら、あそこの青紫の花。トリカブト。猛毒さ。いつか役に立つよ。あんたにあげる、持ってきな」
 その花なら洋祐は知っていた。よく推理ドラマなんかで使われているものだったからだ。
 抵抗なく、渡されるまま洋祐は受け取った。
「またおいで」
 一礼して小瓶を胸ポケットに入れる。くんっとした興奮が洋祐の胸のあたりに湧き上がった。

 それからしばらくの間、洋祐はランドセルを背負ってちゃんと学校へ通った。胸ポケットにあの小瓶をいれて。何度かクラスメートに、「それなんだ?」と聞かれたが答えなかった。
 ある日の学校帰り、洋祐はなんとなくまたあの家に行きたくなって、脇の道に入った。一度行っただけでも道のりは覚えていた。目にだんだんと白い塀が見えてくる。洋祐の胸は高まった。またあの不思議な世界を味わえるかと思うと、踏み出す足に力が入る。
 
 あと少し、もう50メートル先、といったところまで進んだ時、洋祐は様子がおかしいことに気づいた。女の人の家に人がたかっていたのだ。
 車が複数台並び、家を囲っていた。サイレンを点けたパトカーも紛れている。洋祐はランドセルを放り投げて駆け出した。大勢いる大人たちは動揺しているように慌てており、洋祐は気づかれることなく、するりするりと敷地内に入れた。髪の毛の先にかすかに花々が触れてくる。庭には変わらず、ゆらりゆられる万華鏡の花々があり、洋祐が朝鮮朝顔と教えられた花もあった。そしてその花の根もとに女の人は横たわっていた。世を恨むような、ひどく恐ろしい形相で。鬼のように険しい表情をこびりつかせて。その大きく開いた口からは、詰め込まれた花やら葉が見え隠れしていた。
 大人たちの一人が洋祐に気づき、庭から離させるように腕を掴む。しかし洋祐は離れたくなかった。目の当たりにした女の人に心が凍りついていた。
 
 ――違う。違う。全然違う。こんなんじゃない。こんなんじゃないっ!
 
 洋祐の目に映る女性は目を見開き、くちびるはひび割れさせ、苦悶にのたうち回ったように醜かった。
 
 ――苦しんだんだ。すごく苦しんで死んだんだ。望んだ世界なのに、辿りついた先なのに。
 
 ――私に良く似合うだろう?
 ――いつか、役に立つよ。

 在りし日の女の人の声が、洋祐の頭の中の遠くの方で響いた。

 その後のことを洋祐はよく憶えていない。大人が無理やり自分を抱きかかえて、遠くに離したらしい。踏み入れてはいけない世界、知ってはいけない世界がその庭にはあった。
 帰り道の途中で、洋祐はポケットから小瓶を取り出した。小さな運河にさしかかり、小さな腕が振るわれて小瓶が投げ捨てられる。ゆるやかな放物線をたどり、水面にわずかな飛沫があがった。そうしなければいけない、そんな気がしたのだ。
弥生灯火
2016年01月12日(火) 20時33分02秒 公開
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No.4  弥生灯火  評価:0点  ■2016-04-08 01:30  ID:dPOM8su8lqs
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こむさんへ
感想ありがとうございました。
No.3  こむ  評価:40点  ■2016-04-05 13:49  ID:g3emUcYnoi6
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なかなかおもしろいと思いました。ぼくは結構好きです。ありがとうございました。
No.2  弥生灯火  評価:--点  ■2016-01-16 01:38  ID:dPOM8su8lqs
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YEBISUさんへ
感想ありがとうございます。

祖母のバックストーリーですか。
「桜の木の〜」だけでは印象が伝わらなかったということですね。
アドバイスありがとうございます。今後の執筆に役立てたいと思います。
No.1  YEBISU  評価:30点  ■2016-01-15 00:57  ID:tW2CCrGCAPI
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はじめまして、YEBISUといいます。読ませていただきました。
何だか抽象的な話でありつつ、けれど、現実離れしていないというか、意外と身近で起こりそうなというか、何だか不思議な感覚を覚えました。
楽しませていただきました。
ただ、全体的に判りにくいというか、例えば、「祖母」に関するバックストーリーが在ったりすると、もっと楽しめたかなぁ、などとも思いました。
総レス数 4  合計 70

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