ホームレス
 ふらふらと夜の道を歩く。何処に着くかは僕には分からない。秋特有の湿気た冷ややかな風は服を透過し、少し身震いした。満月の淡い光はゆったり下降し、僕の手前に影を伸ばす。その影を追いながら僕はどうしようかと考えながら、ゆっくりと歩いた。
 どれだけ歩いただろうか。腿の骨と肉は内側から外側へと少しの疲労を滲ませており、背中は汗によって服をピタリと吸い寄せているからすごく不快で、僕はどこかで身を休めようと思い始めていた。
 程なくして、鮮烈な白い光を留めた公園を見つけ、僕は少しの休憩のためにその公園に入った。暗闇に慣れた僕の瞳にはギラギラと眩しい公園は人の気配は皆無であり、やはり誰もいないように思われた。
 だがそれは違った。見つけたベンチには黒い人影が横たわっていた。黒い人影からは土と埃と湿気たアスファルトの臭いのかき混ぜられたような悪臭が、熱気のように立ち上っていて、僕の鼻腔に鋭く迫った。
 死体だ。と思った。僕が死体発見に狼狽していると、黒い人影はオイル切れの機械みたいに不自然な動きで上半身を起こすと
 「なんや?」
 と訝しげな調子で僕に問うた。
 僕は驚いて心臓がひくひくと高鳴り、それが収まるまでに時間を要して、やっとのことで
 「いや、散歩してました」
 と平然を装いつつ言った。
 「あぁ散歩か。警察かと思ったわい」
 その影は笑いながら言った。
 「はぁそうですか」
 「いやぁ。ここしか俺は寝るところがねえのに、糞警察は俺を怒りやがる」
 彼がホームレスであると分かった。そのとたん、影でしか認識できない彼の身なりを、僕は自分勝手に推測し始めた。きっと彼はボロボロのジャンバーを着、それにすり減って薄いサンダル、それに髪は白髪でフケだらけ…僕は胸の奥から熱い興味が押し迫るのを感じた。それは人外への興味であった。
 「ホームレスの方ですか?」
 僕が申し訳ないフリしながら聞くと
 「あぁ、そうだそうだ。」
 と彼は返答し、続けて独りでに話始めた。
 「俺はなぁ、社長だったんだ。昔の話な。会社は倒産して今は家もない。嫁にも逃げられた。お前は若いな?若いやつは夢を持ったらだめだ。俺みたいになっちまうよ。」
 そう言うと、彼は股関に手を当てて、ぼりぼり音をさせながら掻き、上を向いて大声で笑い出した。
 彼はまた話始めた。
 「社長の頃はよかったな。今は嫁も家もない。ちんぽだけがある。若いやつは夢を持ったらだめだ。」
 そう言うと、今度は首を上下させながら壊れたようにガタガタと笑った。奇怪に感ぜられ、僕は彼を侮蔑の目で見た。きっとこいつはまともな生き方をしていないんだろう。さっさと死ねばいい。とさえ思われた。
 「金!金くれ!持ってるんだろ?俺は死ぬ。金だ!昔はよかった。酒だ!嫁に逃げられた。倒産した!嫁居れば。嫁が」
 彼は錯乱したように言い、また笑い始めた。
 気違いだと思った。先程のまでの興味は喉に支え、代わりに少しの恐怖が胃から這い上がって来ている。関わってはいけぬと思い僕は言った。
 「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」
 「おい待て、お前は俺みたいなやつだな似てるぞ似てる」
 「似てません」
 「ほら似てるぞ似てるぞ」
 彼は鼻の穴を人差し指で掻き回しながら言うのだった。
 「お前も俺と同じ」
 彼は上下に律動させていた首を急にピタリと止め、しわがれた声でボソリと言った。
 身の底から出た恐怖が血管を流れて、ぞわっと鳥肌が立ち、風が恐ろしく冷たくなった。そして、気違いの悪臭がさらに臭い始め、胃の奥の奥から分泌された胃液が逆流してきた。
 「じゃあさようなら」
 僕は踵を返し歩き始めた。背後から視線を感じる。鋭く尖った重く冷たい眼光。僕は早足で公園から出た。
 携帯をポケットから取り出し、急いで電話をかけた。
 「もしもし」
 友人の声を確認すると、僕は安堵を感じざるを得なかった。
 「今晩泊めてくれないか?」
 「え、なんで?」
 「色々あってさー、家から放り出されたんだよねー」
 僕は笑いながら言った。
 「ばかだなあ。まぁ俺の家は別にいいぞ。待ってるからな」
 「おーありがとう。じゃあ行くから」
 そう言うと僕は電話を切った。
 友人の家まであと歩いて三十分程だろう。
 また僕は月の光が滞った静かな道を歩き続ける。ふと、気違いを思い出した。あいつの濁った目。それとしわがれた声。僕はまた全身の鳥肌に襲われた。虫は鉄が軋むような高い声を上げる。じゃりじゃりと土を踏む音が不快。友人の家までまだまだ。道が暗い。
 僕は走った。何者かに見られているように感ぜられ、そいつから逃げるように走った。肺は空気が漏れ出すように、ひゅうひゅうと音を立て苦しみ、たがそれでも僕は走った。決して後ろを振り返らないように。
 友人の家の光を見つけた。僕は安心し、友人の家のベルを鳴らした。
 玄関を開けると友人が、
 「おう、入れ入れ」
 と、笑顔で言うものだから、僕は安堵と嬉しさで友人に抱きつきたくなるのを必死に抑える努力をした。
 玄関先で友人は
 「なんで喧嘩したんだ?」
 と、さも興味ありげに聞いて来た。僕は冗談混じりに
 「糞ばばぁと糞じじぃが悪いんだから仕方ないさ」
 「お前ってひでぇやつだな」
 友人は笑う。そして、続けて言った。
 「はよ謝れよ」
 「いやだね、糞ばばぁ殴ったし、今更無理だよ。それにしても、糞ばばぁは鼻血でまくっててすごかったなー」
 「おまえなぁー。最低なやつだな」
 友人は苦笑した。いけないと僕は思い、
 「俺も心に傷をつけられたからな」
 と笑いながら言った。友人は何かを思い出したように、急に改まった口調で
 「それにしても」
 「ん?」
 「お前なんか臭うぞ」
 「え?」
 僕はぞっとした。友人は続けて言った。
 「臭いんだってば」
 「臭くない」
 「お前外でなにしてきたんだ?」
 「わからない」
 「え?」
 「俺じゃないよ?絶対に」
 僕は言った。
 「そうかなー」
 友人は言った。僕は改めた口調で言った。
 「絶対に俺じゃない。絶対」
com
2012年09月19日(水) 02時58分06秒 公開
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No.8  com  評価:0点  ■2012-09-26 03:33  ID:L6TukelU0BA
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>>蜂蜜さん
厳しい採点ありがとうございます。
ぜひ、感じさせる作品を目指したいと思います
ありがとうございました
No.7  蜂蜜  評価:20点  ■2012-09-26 03:30  ID:pCuxcbqH47Y
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誰もが一歩道を踏み外せばすぐそこにある「ホームレス」という道なき道の、別の人生……。
ええ、僕も今まさにそんな感じですよ、まさに。

そういったテーマ性は認識できましたが、その「恐怖感」や「底知れぬ嫌な感じ」を「読書体験」としてまざまざと、体感はできませんでした。

次回は、実体験のようにまざまざと身に起こる恐怖感や緊張感などの「読書体験」を、読者に理解して、ではなく、「感じて」いただけるような作品を目指すと良いかと思います。

僕からは、以上です。
No.6  com  評価:0点  ■2012-09-26 01:22  ID:L6TukelU0BA
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>>夕凪さん
最後の部分、分かってもらい嬉しいです。
主人公とホームレスの立場が近い事を示唆するために、もっといい表現方があったかもしれません。
そこを考えようと思います
No.5  夕凪  評価:0点  ■2012-09-24 19:04  ID:qwuq6su/k/I
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いや、後半の友達の現実的な反応の方が恐ろしかった。
「何で喧嘩した」とか「早く謝れ」とか
如何にも長くは置いてくれさうに無ささうだし、
「臭い」
と迄言い出し、先刻のホームレスと主人公が大して立場的に離れて無ささうだし。。
最初から、嬉しさの余り抱き付きたかったのも我慢し、、、友達の反応が終始態度と言葉が全く相反し、先程の骸と主人公が極めて同じなのがみるみる内に暴露されてるようで・・・
No.4  com  評価:0点  ■2012-09-21 20:47  ID:L6TukelU0BA
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>>夕凪さん
感想ありがとうございます
やはり後半落ちますね
反省します
ありがとうございました!
No.3  夕凪  評価:30点  ■2012-09-21 19:45  ID:qwuq6su/k/I
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 終いは最初よりか怖さ?が無かったかしれんが・・・現実的な友人の恐さが迫って来て良いんじゃないかと思った。
No.2  com  評価:0点  ■2012-09-21 00:13  ID:L6TukelU0BA
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>>おさん
感想ありがとうございます!
後半邪魔でしたね…
なんかいつもより長いものが書きたく、引き伸ばしたら薄くなってしまいましたね!

厨二小説イベント楽しそうです!
ぜひ参加させていただこうと思います!
ありがとうございました
No.1  お  評価:30点  ■2012-09-20 23:54  ID:L6TukelU0BA
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どもどもーっと。
前半分、いいかんじでしたねぇ。
怪しくて、捻れてて、いいかなと。
で、
後半、今の仕様なら、いらないんじゃ?
急におやすい感じになって残念でした。
個人的には、そんなかんじで。

いよいよ、ミニイベ板に厨二小説イベントの告知が立ちました。チェックよろしくです!
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