働きません死ぬまでは。
 2020年。俺はあまり政治についてはよく分からないが、日本政府の新たな政策として、無職者数削減が掲げられた。政府は国内の各家庭一つ一つを丁寧に調査し、手加減無しに無職を捕獲し始めた。一部の堕落愛者間では偽鬱病で法を逃れる「合法無職」なるものが登場したが、鬱病の完全なる客観的検査方法の発見に伴い、偽者鬱病患者も捕獲され、日本の無職者数は急激な減少を成したのだった。
 そして政府は追い討ちをかけるように、堕落をも禁止し始めた。狂っているのは性交を堕落の一部と扱い、子造り以外の性行為禁止は勿論のこと、他に週七日、十五時間労働を国民に義務付け、休日の概念は消え失せた。性行為をした国民は、その三日以内に国へ性行為税を収め、ニヶ月後、国立病院でもって妊娠検査を受ける事が義務付けられる。十回以上の性行為を行い妊娠しない者はなんとなく逮捕された。自宅でのセックスが脱法手段で挙がったが、その穴を塞ぐように、政府は家庭に監視カメラ設置を義務付け、各自治体がそれを監視したのだった。
 労働の激化により、日本の国内総生産量は急激に増加した。これが政府の狙いであったようだ。堕落を奪われた日本国民の間では自殺が蔓延し、娯楽施設の一切消えた街では、過労で青白い顔の者達が、ゾンビのように堕落を求め彷徨った。集団自殺をする団体もいた。「死は我々に永久の怠惰を約束する」そう言って彼らは死んでいった。
 反乱の声は一部で挙がるも行動に移す気力のある者は一人として、いなかった。
 
               ※※※

 俺は無職だった。昼間に見ていたヒルナンデスの音声が隣の家に届き、通報され、俺は捕獲された。無職を通報した者は国から報酬としての金が渡されるらしかった。
 捕獲された俺は強制労働の刑、あるいは嫌がらせに処された。そして孤島へと連行されたのだった。
 孤島へ向う船から無職時代を思い出した。俺は中学卒業と共に両親依存型の無職となった。それは労働が面倒だからではない。怠惰が好きであったからだ。夕方に起床し、それからネット、気紛れに女とセックスする日々。セックスでは、様々なプレイを堪能した。それにパソコンは最近買い換えたばかりではないか、あぁ、エロ画像を消し忘れていた。それにしてもなんて素晴らしい日々だったのだろう。堕落、無職は俺の人生だったはずだ。もう何も、何も出来ないのか。と思った。
 船は止まる事無く黒く淀んだ海を掻き混ぜ進む。俺は最後の一本の煙草をゆっくりと吸った。煙は虚しく冷たい風に連れ去られ、やがてどこかへ、知らぬところへ行った。
 孤島には大きな工場のような施設があった。工場の四方にコンクリートの厚く冷たい壁が覆い、脱走防止の有刺鉄線が壁の上部に張り巡らされていた。
 工場の鉄の門の前で、俺は二二一と番号の書かれた服を与えられた。それを着用し、監督に指図されるがままに工場内部へと歩みを進めた。
 工場内部は機械油の臭いで満たされ、機械の轟音が唸るように響き渡り、二百人程の人間が綺麗に整列し労働に勤しんでいた。
「ここにはお前のようなクズ無職、あるいは反乱因子が収容されている。お前が家で寝ていたぶん、死ぬまで働いて貰うからな」
 と監督は傲慢な態度で口にし、俺に嘲笑じみた笑いを投げかけた。 
 持ち場に付いた俺は嫌々ながらも、作業に取り掛かった。流れてくる鶏の糞が付着した卵を布で拭く作業であった。横を見ると卵と、人間が、ずらりと並んでいる。
「おい、二二一番、今お前はサボっていただろ?」
 鞭を持って歩きながら列を監督していた男が俺に言った。来い、と俺は命令され、後ろを向け、と言われ、そして鞭で打たれた。湿った音が辺りに響いたが誰も目も暮れずに作業をしている。
「くそ」
 と俺は小さく呟いた。不意に目の前の男が卵を落とした。さっき俺を鞭打った監督は、その男の元へ向って
「お前は卵をなんだと思っている?クズのお前より偉いんだぞ?」
 と怒鳴りながら男の首を掴み、床に落ちて潰れて散った黄身の前で土下座させ、舐めさせた。「このクズが」と鞭を持ったまま男は大笑いした。だがすぐに、
「お前はさっさと自分の作業へ戻れ!」
 この一幕を見ていた俺に向って、笑っていた男は叫んだ。俺はまた「くそ」と呟いた。
 
 重苦しいサイレンの撓んだ音で今日の労働は終わった。人生で初めての労働に俺の体は悲鳴を上げ、動かす度に骨が軋んだ。その日俺は十七時間もの間労働させられた。まだこれは楽な方らしい。
 そういえば鞭を持った監督は男色だったらしく、俺の後を通過する都度、俺の尻を舐めるように撫でた。
 小さな部屋、というよりも狭い檻を俺は支給された。天井に吊り下げられた石油ランプの炎が羽ばたき、狭い部屋の壁を微かな朱色に色付けている。
「お、新入りか」
 と俺と同じ歳ぐらい、二十歳ぐらいの若い男が話しかけて来た。彼は健二という名であった。しどろもどろしていた俺に健二が言った。
「まあ、ここでの会話は問題無いさ」
 俺は彼に問うた。
「ここにはいつからいるんだ?」
「さあ、わからんな。一年ぐらいだろうか、お前は今日からだろ?」
「あぁ」
「これやるよ」
 健二は俺に煙草を一本渡した。俺はランプの炎で煙草に火を点し吸った。ひどく苦い煙草に、俺は無職時代に吸っていた煙草の味を恋しく思った。
「まずいだろ。ここでは元の生活より全てが劣ってるんだよ」
「あぁ」と俺は辺りを見回した。無機質な色の壁、薄汚れた布団、壁のない和式便所。
「自分を恨むなよ。恨むなら国を恨め」
 健二は笑って言った。
「お前は無職でここに来たのか?反乱で来たのか?」
「反乱できる奴なんて滅多にいない。俺は無職だ。親が金持ちだから無職でよかったんだ。朝から夜まで女とセックスする毎日だった。今ではセックスも禁止になって、ここで強制労働。昔は太ってたんだが、今ではこの様だぜ?」
 健二は服を捲った。油と汗に黒ずんだ腹は貧弱な肋骨が浮き出、所々に鞭打たれてみみず腫れになった傷がある。それが健二が呼吸する度、生きているかのように身をくねらせた。
「糞!うるせぇよ!」
 健二はいびきを立てて寝ている生臭い中年の顔を蹴り飛ばした。
「無職の時代が恋しいね、俺は」
 健二が力なく言った。
「あぁ俺も」
「無職ってだけでこの扱いだ」

 看守の監視の元で俺は息苦しく夜を過ごした。背中の痛くなるほど薄い布団が、無職時代の甘美な生活をまた思い起こさせる。無職の時は柔らく白い布団で眠れた。それにいくらでも寝られた。何の因果でこうしているのだろうか。俺は布団の中で拳に、耐えぬ悲しみを握りしめた。
 早朝、じじいの唸り声に似たサイレンの音で俺達の労働は始まる。サイレンでも起きない健二は看守に殴られて目覚め「今に見てろよ糞」と叫んだ。
 やはり昨日と同じ作業をした。終始監督は怒鳴り散らし、皆を慄然とさせた。
絶え間なく出る卵を俺達は拭きまくった。まるで機械のように。少しでも手を止めると、機械に油を差すように監督が俺達を鞭打ち叫んだ。
 監督の目が離れた隙に、隣の優子と言う名の女が不意に
「大変だね」
 と話しかけて来た。優子もまた、健二と同じく痩せこけた体をしていた。
「あぁ」
 と俺は無愛想に返事をした。
 昼食の沢あんと握り飯を持って俺は、労働者に用意された大部屋に行く。大部屋は人で埋め尽くされ、ひどく臭い。握り飯の匂いと、ろくに風呂に入っていない労働者の匂いが混ざり合っている。
「ねぇ」
 と優子が俺の横に座って話しかけて来た。
「なに?」
「一人で食べるの暇でしょ?」
 そんな感じで俺達の会話は始まった。優子と会話しながら食う飯は幾分美味く感ぜられた。というよりも、不味さが和らいだ。
 この優子と言う名の女も、無職で捕獲された者であった。優子には金があったから、無職だったらしい。優子は沢あんを手でつまんだまま言った。
「労働はセックスやらの娯楽、堕落の為にするものだよ。あたし達は労働する為に生きているんじゃない。賃金で欲しいもの買って、それで堕落する為に生きているんだもの。だからお金のある人は労働する必要がないの。まぁあたしに、この現状はどうにも出来ないけどね」
「じゃあ死ぬまで働くのか?」
「うん、きっと」
 優子は力無く笑った。ここの者達は皆、気力が無さそうだ。俺もこうなるのだろうか、と思った。
「けれども、いつか、どうにかしてくれる人がいるかもしれない」
 優子は遠くを見つめるように小さく言った。
「一個あげる。あたしお腹いっぱい」
 笑顔で優子は、全部で二つの握りの一つを俺に渡した。

                ※※※    
 
 こんな風にして俺の強制労働生活は始まった。週七日間休み無しで毎日二十時間、油と轟音の唸る工場で嫌になるほど、卵に付着した鶏の糞を拭いた。工場での俺の友人は健二と、優子、ついでに長老的なおっさんしかいなかった。
 おっさんはこの工場においての労働期間が長く、監督からの信頼も得ていた。それがどう役立つかは俺は知らない。
 この白髪混じりの中年太りのおっさんは、健二の友人であった。俺は健二の紹介で彼を知ったのだった。おっさんは至極温厚な人であり、俺達若者へ優しい視線を絶えず送っていた。時たま、俺はこのおっさんに、強制労働の身の底からの不満をぶちまける。その時おっさんは「うんうん」と頷き、親身な回答をくれた。
 健二と優子と、おっさんと俺は時に昼飯を共に食った。昼飯時、俺達は他愛も無い会話を交し、労働の苦しみ、不満、怠惰へのそこはかとない愛を分かち合い、悲鳴じみたサイレンの音がすると、落胆し作業へと戻った。堕落していた生活での楽しみは実に様々であったが、今はもはや楽しみは会話だけだ。
「俺はなんの為に働いてるんだ?」
 ある日の雑踏の臭い大部屋での昼食時、沢あんを飲み込んだ健二がふと口にした。
「さぁ、生きる為じゃないの?」
 と優子が適当に返答し、握りに食らいついた。
「馬鹿、俺らは働かなくても生きてたんだぞ。それにお前、堕落の為に生きてるって言わなかったか?」
 と俺は滑るように浮かんだ言葉を口にしたが、途端に俺だけ真剣で恥かしくなった。
「じゃあ堕落を一切しないまま、毎日二十時間労働してる私達は、もう死んでるのかもね」
 と優子は冗談じみた様子で言った。 
 おっさんは一人、飯を食っている。
「あー監督ぶち殴りてえ」
 健二が思いついたように口にする。
「そんな事言ってたら犯されるわ、あのホモに」
 俺達はクスクスと笑った。そして不意に虚しくなって皆、その場に寝転んだ。
「やだな、あいつの小さそうだし」
 俺は言った。けれども誰も反応せずにいた。暫しの沈黙が蔓延った。
「がんばれよ、若いの」
 おっさんが俺達を励ます。だが誰も反応できなかった。
 
               ※※※

 一年経過した。俺はまさに血尿が出るほど卵を拭いていた。終いには血便が出た。
 俺達は歯車をひたすら無意味に廻すハムスターだった。人権は無視される。歯車廻しをやめると鞭打たれた。俺達は気違いとそう変わりない。だが本当に気違いになった者は、労働者を必要とするこの国に必要無いと、走れなくなった競走馬を殺すみたいに処刑された。
 勿論性的な行為を禁止されていたから、性欲の制御を出来なくなった者は、こっそり同じ部屋の男と、アナルセックスをした。感じやすい男が喘ぎ声を出し、それが看守に見つかった。その後、二人の男は共に、男色の監督によって馬のように去勢され、翌朝切断された二本の糞付きペニスが工場に見せしめとして、飾られた。そして次の日から各部屋に監視カメラが設置された。俺達は慄然とし、自分のペニスが萎縮するのを感じた。
 だが禁欲はひどく苦しい。ある日の俺は性的欲求を抑えきれず、部屋で自慰をした。監視カメラを見ていた監督が駆けつけ、俺はペニス切断までとは行かないものの、鞭打を翌朝まで食らった。
 この工場では一年の間に三十三の者が、労働中に卵をまるごと飲み下すなどして自殺し、二十五人が掃除用具片手に反乱を起こし、内、三人が処刑、内、二十二人がその場で銃殺された。穴の開いた頭部から脳味噌が流れ出、それを見た監督は「このクズが」と笑った。
 反乱者は見せしめとして、労働者の寝る一部屋ずつの天井に吊るされた。俺が労働を終え、部屋に帰ると布団に死体から血の粒がポタポタと床で弾けていた。
 俺はというと、過酷な労働の中、自殺やら反乱を妄想している。俺は妄想が現実逃避であると知っていて、つまり行動に移す気があまりないが、不満だけがあった。
 教官が俺の傍を通り過ぎた時、俺は卵を拭きながら思う。
『今、ここを走り去り工場外へと行き、そして糞門番をぶち殴って気絶させ、その間に逃げよう。この糞労働環境から逃がれよう。そして女と嬲り合うセックスをし、煙草を吸おう。そんな毎日を送ろう。逃げろ、逃げろ、今、今しかないんだ!もうチャンスは来ないかもしれないんだぞ!今だ!今!』
 そう思っている内に監督は俺の背後へとまた来ている。
『糞!逃げるんじゃ無かったのかよ!糞とんだ臆病ものだ俺は!』
 そんな自己嫌悪を繰り返す日々が続いている。だがこの俺の考えが俺自身に及ぼす感情は、自己嫌悪だけでは無い。逃げ出さないことで殺されなくて済んだ、という安堵の気持ちも同時にあり、
『俺は怠惰の為に生きているのではないのか、労働地獄の人生なら生を失っているのと同じではないのか。なのに、なぜ俺は労働地獄の環境にありながら、死んだ命を惜しんでしまうんだ!』
 と自己嫌悪は加速した。そうして少しの反抗にと、俺は床に唾を吐き散らせた。
「おまえ何してんだ!」
 とそれを目撃した監督にまた鞭打を食らった。俺は目の奥で血のように奔流する涙をぐっと堪えた。優子は俺の方をちらりと見、そして苦い顔をする。
 
               ※※※

 夏のある日の事だった。外では蝉の声が聞こえているだろうが、ここには、機械音しか無い。その夏の朝、月一度に支給される新聞を片手に
「おい、起きろ!おい!」
 と健二が俺を叩き起こした。
「これ見ろよ!これ!」
 俺は顔に投げられた新聞を寝転んだまま見る。目やにだらけの霞んだ視界に太字が浮かび上がった。そこには、
『怠惰を求め、各地で大規模デモ相次ぐ。首都では警官隊との衝突により死者も』
 確かに、そう記されている。ここでは業者が反乱の原因になる記事を切り取るから、それを忘れたんだな、と俺は思った。それだけだった。
「おい、なに呆けた顔してんだよ!」
 健二はやたら調子を上げている。
「皆、堕落を欲しているってこれ見たら分かるだろ?今までは気力が無かったかも知れないが、今は行動に移している!つまり俺達には仲間がいるって事だ。よし脱走しよう!」
「え?」
 と俺は安直すぎる健二の物言いで呆気に取られた。
「だから!脱走するんだよ!脱走して国が俺達にさせた悪辣な労働を、国内の仲間達にぶちまけんだよ!仲間はきっと国の弱みを握った事を武器として、どうにかしてくれる。堕落を、俺達の手に取り戻せるかも知れんぞ」
 脱走、脱走。俺は考えた。脱走、脱走、脱走、脱走、考えれば考える程、この部屋の天井から、吊下がって回転していた死体を思い出す。あの死体の脳味噌、垂れ流す糞尿、俺を見つめる濁った白目。
「いや、」
 と俺は俺を見下ろす健二を見上げた。
「俺はいいわ。このままで」
 健二の高らかな喜びは、急に怒り変化したようだった。
「は?お前今更ビビってんの?」
 健二は俺を罵る。憤慨、の他に侮蔑が垣間見えた。
 俺は何も答えられなかった。以前として機械音が響き渡る室内で俺達は口を開かない。唸り声のようなサイレンが不意に機械音に被さった。人々が慌しく目覚め始めている。
「俺は一人でも行くからな」
 健二は最後にそう言うと、部屋を後にした。
 

 永久に流れ出る糞付き卵を拭きながら、俺は脱走について考えぬよう努めた。
『俺は、俺はこのまま、こんな感じで生活していけばいい。この卵を拭きまくる暮らしにも馴染んで来ているし、わざわざ危険を冒す必要はない、絶対にないんだ。健二はアホだ』
 と、自分自身に反芻した。近くではまた誰かが鞭打たれ、悲鳴と叫びが耳を叩いた。
 昼食は優子と二人で食った。健二とおっさんはふけまみれの労働者の頭に隠れて、内密な話をしているようだった。俺はなぜだが、その会話が気になって仕方がない。
「どっか調子悪い?落ち着きないけど、おしっこ行きたいの?」
 と優子に問われ、俺は我に返った。部屋でも健二とは会話せずにいた。俺は健二と顔を見合わせて、上手く会話出来る自信が無かったのである。
 それから二日の時を経た。健二は未だ脱走こそしていないが、俺とは会話しない。俺はいたく憤りを感じていた。
 サイレンが鳴った。昼食の時間だ。俺はいつも通り、労働者の生臭さが充満する大部屋で優子と握りを食いながら、健二とおっさんの頭を見つめた。

「ねぇ、ねぇったら」
 と注意され、俺はまた我に返って優子を見つめる。
「聞いてくれてるの?あのね、話があるんだけど」
 優子は苛立ちの口調で俺に言った。
「あぁごめん」
 優子は俺の顔を見つめた。そして突然、自分の弁当箱に向って嘔吐した。辺りは一時ざわつき、すぐにまた戻った。
「おい、大丈夫かよ」
 聞くと、優子は咳き込みながら「大丈夫だよ」と返答した。
 優子はゲロ入りの弁当箱を自分の背中の後へ持っていき、
「ごめんね、汚いもの見せて」
 と涙ぐんだ目を笑顔で細くさせた。
「なんか体調悪いか?」
「いや、違うよ」
「なんか変わった事でもあったか」
 と問うと、優子の笑顔で膨らんだ頬は小さく痙攣した。優子はそのぎこちない笑顔のまま、左の掌で筒を作り、右手の一指し指を突っ込んだ。
「セックス?」
 優子は首を振る。
「無理やり?」
 優子は俯いて長い髪を垂らし、何度も首を横に振った。何度も何度も横に振る。優子の髪が乱交されたように乱れた。
「もういい」
 俺は堪らなく憤慨していた。
 優子は
「監督って両方いけたんだね」
 と赤い目で笑った。
 
 優子が強姦されたとあれば、俺はいたくひどく堪らなく憤慨した。今すぐにでも監督を殺してやりたくなった。いや、監督だけではない、国を惨殺して犯して精子の海に捨ててやりたかった。
 

 部屋に戻った俺は、健二に脱走したいと伝えた。健二は「オーケー」と言って、明日は俺と健二と、若者の未来の味方をするおっさんと優子を交えて内密な話をする事となった。
 三日かけて俺達は、昼食の時間に脱走の策を練った。俺は時たま優子を心配に思ってちらりと見ると、優子は快活に会話をする中で、たまに陰鬱な表情をしたのだった。
 脱走において俺達は武器を持たない事にした。邪魔だからだ。と言っても、監督の腰に装着された武器は強奪するつもりであった。
 脱走は夜、労働終了のサイレンが鳴ったと同時に決行される。監督からの信頼を得ているおっさんが、まず監督に話があると告げ、監督の部屋へと向う。そこで俺達はすぐさま監督の部屋を襲撃し、彼を拘束し、銃を奪って脱走する。簡単に言えばこんな計画であった。「問題が多くねえか?」と健二に言うと、「どうにかなるだろう」と答えた。
 
               ※※※
 
 サイレンが撓んだ音を上げた。強制労働を終えた者達は、疲れ果てた表情で散り散りになって部屋へと帰り始めている。
 おっさんが監督に話しかけた。そしておっさんは平然とした態度で、監督の部屋へと歩き出す。俺と健二は彼らをさり気無く注視した。
「お前は来ないのか?」
 その最中に俺は優子に尋ねる。
「あたしはここで、ずっと待ってるね」
「来てもいいんだぞ?」
「あたしが行っても邪魔になるだけじゃない。それに、あたしは待つ方が好き」
「おい、行くぞ!」と健二が小さく俺に言った。
「多分すぐ戻る」
 俺は優子にそう言い残して、健二と共に監督の部屋へと走り出した。
「くそ!おらあ!」
 健二は怒鳴ると同時に、監督の部屋をぶち蹴って襲撃した。監督が呆気に取られている隙に、おっさんが監督を羽交い絞めにし、「やれ!」と叫ぶ。俺は監督の鳩尾に飛び膝蹴りを食らわせて、次いで顔面に肘打ちを与えた。飛散した監督の鼻血がおっさん顔面にかかった。「どけ」と健二が言いながら傍らの花瓶を監督の頭部に叩き付けた。 
 呆気なく監督は失神した。俺達は血だるまの監督を鞭で縛り、腰から拳銃と警棒、ナイフを強奪した。
 ナイフを持った俺は急に気が大きくなった。そうして俺を虐げ、優子を犯した監督を殺してやりたいと日頃思っていたから、失神した監督のパンツをずり下げた。俺は監督の萎縮したペニスの根元にナイフの白い刃先を当て、一気にスライドさせた。優子の膣に入った監督のペニスは、精液と血液を撒き散らせて切断された。
 俺は次に何度も何度も、この憎憎しい監督の顔面を蹴り飛ばした。ボゴン、ボゴン、と蹴る度に音がし、血が飛び散った。だが。監督に殺された者の血の量には及ばない。俺はナイフを監督の太もも目掛けて、突き刺そうとした。
 不意に俺は殴られた。俺を殴ったのは健二であった。
「復讐は堕落の後でしろや馬鹿!こんなとこで時間食ってて捕まったら、優子も助けられんぞアホ!」
 健二は怒鳴った。殴られた頬が熱を持ち、膨張したように痛んだ。
 警報機の音がした。「監視カメラで見られてたな」とおっさんが呟く。そして健二は俺に迫った。「ここで復讐するか、逃げるかを選べ」
 俺達は監督の部屋を走り出た。
 長い長い薄汚い廊下には強制労働を終えた者達が、警報機に慌てふためいていた。俺達はその者達の間を縫うように駆け抜ける。
「クズが止まれ!」
 背後から看守やら警備の者の怒号が聞こえる。幸運な事に彼らの行く手に労働者が阻み、安易に発砲出来ないらしかった。
「もうすぐだ」
 誰かが叫んだ。工場の出口、出口が見えた。出口には二人の警備員が待ち伏せしている。銃がもったいないから、ナイフと警棒をそれぞれ携えた俺とおっさんが警備員に挑んだ。おっさんは駆けたままの勢いで、警棒を敵の顔面へ叩き付け、俺はナイフで敵の目玉辺りを切った。しゃりっという音がした。
 工場を出た。あの、鉄の門をくぐり抜けると外だ。
 鉄の門の前では四人の男が待ち構えている。中央の一人は銃を構え、俺達を殺す気でいる。背後から追いかけて来た男達が、ゴキブリのように工場の出口から溢れ出そうだった。
「銃貸せ!」
 おっさんが叫んだ。健二がとっさに銃を投げ渡した。
「俺の背後に付いてろ」
 そう格好良く言うと、おっさんは俺達の盾になるように走り、拳銃をぶっ放した。闇に閃光が迸った。一発外れ、二発外れた。おっさんの耳を敵の銃弾が掠め、血が噴出した。
 おっさんの脇腹に銃弾がのめりこんだらしい。おっさんは体勢を崩しながらも、拳銃を打ち放す。五発目ぐらいでおっさんの放った銃弾は、銃を持つ敵の眉間に穴を開け、三人の敵の手足は負傷させた。おっさんは吐血し、声が出ないのか、行け、行け、と血濡れの手で俺達に促した。
 俺達は、鉄の門を、抜けた。振り返れば、おっさんが背後からゴキブリのように溢れる敵に、パンパンと銃を乱射している。
「走れ、もっとだ」
 健二と俺は必死に駆けた。久しぶりの外だった。清々しい風が吹いている。もうあの糞工場を脱走し、一時間以上走った。警報機の音も今では耳に届かない。
「星綺麗だな」
 俺は息切れしながらも空を見上げ、その言葉を出さずにはいられなかった。
「あぁ」
「おっさん無事かな」
「俺が助けるよ」健二は自信あり気に返答した。月光が健二の頬を薄く流れた。
 俺達は追っ手を撒いて孤島内を走り続けた。
 
 やがて黒い夜の海が視界に開けた。海の向こう側では、街の明かりが燦然と燃え盛る炎のように広がり、堕落と生の予感の如く俺の目を輝かせた。
 俺はニニ一番と記された服を脱ぎ捨て、一層早い速度で海へと走った。
  
 
com
2012年11月29日(木) 15時11分54秒 公開
■この作品の著作権はcomさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
青春物のつもりで書きました。読んでいただきありがとうございます。

この作品の感想をお寄せください。
No.4  com  評価:0点  ■2012-11-30 23:17  ID:L6TukelU0BA
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大田村偉斗さん

感想ありがとうございます。
1984年、という小説を知らなかったので調べてみましたが、なるほど確かに同じような感じですね。
作品を意義深いっと言って頂き嬉しいです。誤字脱字はすみません。えー、僕も一時期強制労働をコンビニで課せられまして、それを元に書きました。強制労働、ほんと嫌ですね。辛いです。
すみません、今は続き全く考えてません。
ありがとうございました。

No.3  大田村偉斗  評価:30点  ■2012-11-30 22:55  ID:gZzZ3.de4jw
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拝読しました。
近未来の管理社会を描いていて、ちょうど最近読んだ1984年みたいだなと感じました。しかし、より強烈だった気がします。描写が肉薄していて。このエグさは書こうと思ってもなかなか書けないので、独自の力だと思います。
自分も、現代社会がすでに過度の管理社会であり多くの人が強制労働を課せられていると感じているので、このような小説はのめりこんで読んでしまいます。多少誤字脱字はありますが、随所で表現が鋭いし、真の人間性を問うようなcomさんの小説は意義深いと思います。続きがありそうな結末なので、書けたら書いていただきたいと思いました。
No.2  com  評価:--点  ■2012-11-30 18:58  ID:.FdyIjK459A
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昼野さん
感想ありがとうございます
あああああああああああああ、と思います。
僕はまだまだ思慮が浅いですね。レイプに憤りとか。
次はもっと思慮を深めて書けたらいいな、と思います。
No.1  昼野陽平  評価:30点  ■2012-11-30 17:33  ID:/M49zwFIFX6
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読ませていただきました。

労働が鶏の卵の糞を拭くとかだったり、ディティールが面白かったです。
文章のセンスも相変わらずいいな、と。
ただストーリー的には一本調子というか。起承転結でいえば転の部分が欠けてるのかなと。かならずしも起承転結に即したものがいいわけではないと思いますが。
あと監督がホモだったり、優子がレイプされたりとか、それに憤り感じたり、ちょっとベタかなと。堕落が好きなわりに安易なヒューマニズムがあるかなと。
総レス数 4  合計 60

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