saltydog

 彼はずっと、リコという女性的な名前で呼ばれていた。だから、わたしは彼の事をずっと女の人だと勘違いしていた。
 知り合いから紹介で、自営業のダイニングバーで小遣い稼ぎのバイトを始めたのは、高校二年生の春先のころだった。一年生の時にもいくらかバイト経験はあったからかすんなりと面接を合格して、あまり不安な気持ちを持つこと無くそのアットホームな雰囲気の店をわたしは気にいっていった。
 初めてこの店の制服を着ていらっしゃいませと言ってから三週間かそこらが経った頃でも、わたしは未だにリコという人物を店長が手書きで作成するシフト表でしか知らなかった。そこに書いてあるシフト表の、アルバイトの人の名前は全員下の名前だけとか、あだ名などの呼び名だけで書いてあったから、その“リコ”というシンプルなカタカナ表記の名前からしか、わたしはリコのことを想像するしかなかった。なぜ想像をするしかないのか、というと、高校生のわたしはお店が開店する午後五時や六時から午後の十時まで働いていることが多く、リコは大抵わたしが上がった後の午後十一時や十二時からなんかにシフトが入っていたため、今まで顔を合わせたことが無かったのだ。
「お店は午前三時まで開いているからねえ」
 そう言って、にやあ、と笑う、八重歯の可愛い大学生のユキさんの髪型はいつもポニーテールだ。
「リコさんって、どんな人なんですか?」
 わたしが質問すると、ユキさんの艶のあるポニーテールが宙を舞った。ユキさんがすいっと横に首を傾げたからだ。
「こう、くちゃって笑う子だよ」
 ユキさんは両手の人差し指で両頬を差した。それによってちょうど、大げさな笑窪が生み出される。
「やさしそうなひとですね」
「やさしいよ、リコは。大丈夫、はじめましてって言って、よろしくねって言ったらもう仲よしだよ」
 ユキさんは、冷蔵庫に補充するために裏から持ってきたビンのソーダを二本と紙パックのグレープフルーツジュース一本を両手に抱えながら笑う。
 するとレジの方から「カシオレひとつー」と間延びした店長の声でわたし達を呼んでいることに気付いた。「はーい」と、わたしは間延びした声を返して、棚からコリンズグラスをひとつ取り出した。ユキさんはそのまま冷蔵庫を押し開けて、がたがたと音を立てながら冷えた箱にぬるい飲み物を突っ込んでいく。
 グラスに氷を入れながら、わたしは午後九時を楽しみに待っていた。先程ユキさんに、リコという人物について質問した理由は他でもない、今日はユキさんが都合で九時上がりにしてもらったということなので、いつもより早めの九時にリコのシフトが入っているのだ。緊張と楽しみが入り混じる。この店のひとは大体が楽しくてうちとけやすくいい人だから、期待の方がずっと大きかった。わたしは今朝からずっと、どんなひとなんだろう、仲良く出来るだろうか、と手に汗握るほどのわくわく感を噛み締めていた。
 ずっと、わたしの中の想像の中の“リコさん”は長身で、細くて、ショートカットの大人の女性だった。長身で、細くて、というのは“リコ”という名前の勝手なイメージで、大人の、というのは、深夜にシフトが入っている、という安直なイメージからだ。
 でも今夜、その描いていた想像上の“リコさん”は風のように吹き飛んでいった。
 リコが勤務時間のギリギリにタイムカードを切っているところに出くわしたのは、その日の午後八時五十九分のこと。
 わたしは下げてきたお皿を危うく取り落としそうになるくらいびっくりした。“リコさん”が長身で、細くて、ショートカットの、普通の男性だったからだ。
 彼と目が合った瞬間、咄嗟に上から下まであれ?あれ?と眺めた。彼はすこし垂れ目で、頬と唇が柔らかそうにぷっくりとしている。少し金に近いような色のその無造作な髪型はいわゆる普通の大学生っぽくて、わたしは怖気づいてしまった。なんたって、まさか男性だとは思ってもいなかったから。
 リコはそんなわたしを見て、ひょいと驚いた顔をしてから、わたしのことを指差して笑った。ユキさんが言っていた、くちゃっ、という音が聞こえた気がした。
「なに、そんな、おどろいた顔してんの」
 わたしはリコの無邪気な笑顔をみて、ぽかんと口を開けてユキさんの両人差し指で頬を突く所作を思い起こした。
「あ、笑窪」
「え?あ、ああ。そう。笑窪」
 リコはユキさんとそっくりそのまま同じようなポーズをとった。彼の細い指先で頬は可愛らしい女性のユキさんより柔らかくへこんで、それがなんだか可笑しくて笑ってしまった。
「なんだよ。あ、もしかしてお前か、新しく入ったコーコーセーは」
「そうですけど、なんですか」
 わたしはにやにやしながら上目づかいで強気に返した。なんだかこの人とはひどく仲良く出来そうな気がしたからだ。
「生意気。タメ口でいいよ、そんなに年変わらないでしょう」
 つん、とリコはわたしの鼻先をつまんだ。それがまるで綿を摘むかのようなやさしい手触りで、わたしはもっと楽しくなってしまった。
「わかった。リコくん」
「くん、も要らない。呼び捨てでいいよ」
「へんなの」
「そうかな」
 腰に手を当てて笑うリコの明るい髪色と制服の黒いワイシャツが格好良くて少しどきどきした。ぱああ、と胸に濃い色の花でも咲いたかのように、目に見えない輝きを手に入れたような気がした。蓋を開けたら金色の粉をまとった妖精がばさばさと出てきそうな、宝の箱を胸の奥底に埋め込まれたんだ。
 そうしてリコとは、はじめましてとよろしくねを言わずに、すっかり仲よしになっていった。


 リコのシフトが深夜帯に入っているのは、夕方の時間帯にも別のバイトをこなしているから、という理由だった。わたしとリコが知り合ってからも大してシフトがかぶることは無かったが、お互いのメールアドレスを交換してから、リコの夕方のバイトが終わったあとや、こっちのお店のバイトの時の、深夜帯の前の空き時間、またはわたしのバイトのあとなど、時間を見つけては会って話すことが多くなっていった。誘うのは大体いつもリコの方だったけれど、段々日を追うに連れてわたしの方からもリコへ積極的に連絡を取るようになっていった。
 会うたびにリコは、疲れた顔をしていたり楽しそうな顔をしていたり、大学の課題に追われて切羽詰まった顔をしていたりなど、いろんな表情を見せた。その、大学の課題の顔の日には、「わたしと遊んでいる暇はないんじゃないの」と気を使って聞いたものの、「息抜きも必要なんだよ」とまた笑ってあの笑窪をわたしに見せていた。
 一体何の波長が合ったのか、わたしとリコはとても相性が良かった。それは価値観だったり、考え方や、喋り方、歩き方やスピードだったり、食べ物の好みなんかもよく似ていて、少し恥ずかしいような言葉で例えるなら、まさしく運命に近い様なものをリコに感じていた。
 多分リコもわたしがリコに抱くような感情に似たものを持っていたんだと思う。彼がわたしといるときに匂う雰囲気はわたしが感じている感情を似ている気がしていたから。とにかく、そばにいると落ち着いてしまうのだ。温かくてほっこりするような心地では無かったけれど、楽しいことや面白いことをふたりで共有するのがあたりまえのような感覚に陥ってしまっていた。ここにいるのがとても心地よくて、たまらなくて、わたしはリコと出会ってからずっと、網膜の右から左へと行き交うきらきらが静まらなかった。
 わたしのバイトの時間に、リコが友達を連れてお店に来たこともあった。わたし達があんまりにも仲良さげに話すからか、兄妹みたいだ、とリコの友達に笑われてしまった。リコはなんだか嬉しそうにわたしの頭を乱雑に撫で回す。ぬくもりが嬉しくて、わたしも笑っていた。
 そんな日々が続いたからか、ある日ユキさんに「リコと付き合っているの?」と聞かれてしまった。
「べつに、そんな関係じゃないですよ。そもそもわたしなんて、釣り合いませんし」
 と、慌てて返したのだが、ユキさんは、リコとは違ったやさしい手つきでわたしの頭を撫で付けながら、
「そう?年の割にはしっかりしてるし、背筋のしゃんとした美人だし、リコと並んでいても全然不思議じゃないよ」
 と、にこにこしていた。このひと、楽しんでいるな、と悔しく思うのだが、「応援しているよ」なんて華やかな笑顔で言われてしまったので、ユキさんは可愛いとしか言えなくなった。
 わたしはユキさんにそんなことを言われてから、妙にリコを男の人として意識するようになった。それがいわゆる恋と言うものに分類されるものだというところまでは気付かずにいたけれど、ただわたしはなんとなく隣にいるリコのことをなんとなく好いていただけだった日々に疑問を抱くようになった。
 それは、リコのそばにいるのがなんでわたしなのか、という類のものである。知り合って間もない間柄だったころから、頻繁に顔を合わせて何をするでもなく話をしながら一緒にいる感覚に慣れていた自分自身に疑問が生まれてしまったのだ。
 そういったことで悩んでいることを学校の友達に相談すると、「女好き」「女慣れしている」「チャラい」という評価がリコにこびり付くことになった。わたしの中の、渋谷や原宿を網羅する派手好きな「女好き」「女慣れしている」「チャラい」のイメージとはかけ離れたリコの物腰柔らかな雰囲気を思い起こすと、よりわけが分からなくなっていった。
 それからも、どうしても、もしかしてわたしじゃなくてもいいんじゃないのか、なんて不安が消えなかった。わたしは元来ひとりでもやもやと考え込むのが嫌いな性質だったので、
「他の人とも、こうやって会っていたりするの?」
 とリコに直接聞いたのだ。するとリコはきょとんとしてから、声を出して笑った。
「そんなわけないじゃないか」
 リコの言葉を聞いて、ふっ、と、自分が一気に安心した心地になるのが分かった。
「他のひととも遊んでいたら、バイトする時間ないよ」
 リコはわたしの頭を撫でた。心の底で突っかかっていた鎖がじゅわりと泡になって溶けた感触がした。リコの言葉は、うそじゃない気がしたのだ。

 ある日、久しぶりにシフトがかぶっていた。しかし高校生のわたしは仕事を終える時間が早く、やっぱりほんの数時間しか一緒に仕事することはなかった。
「あ、ちょっと」
 わたしが先に仕事を終えて、着替えを済ませいよいよ「お疲れ様でした」と帰る直前、リコに呼び止められた。
「なに」
 言いながら振り返った先で、リコは壁に片肘をついて体重を寄りかけていた。こう見ると、リコは平均的な男子よりもちょっと高めの身長でいて、相反してわたしは平均的な女子よりそこそこ小さめの身長であったから、ぐっと見下される体勢になって、無意識にこころがどきりと鳴ってしまった。
 そういえば、年頃の女の子なら誰もが憧れるような、落ち着いていてやさしくて、長身細身の男性なのだ。でももう既に、そういうような色目を使ってリコのことをみるのも笑えるくらい、わたしはリコのことを知っていた。
 だからすぐに意識を戻して、いつも通りの顔でリコの目を見る。
「明後日の七時から、代わってもらえない?」
 リコがちょっと申し訳なさそうに首を傾げた。
「ああ、また珍しい時間から入っているんだね。そんで、いいけどどうして?」
 わたしもリコにつられて首を傾げる。そういえば、よく二人揃って同じ方向に傾いていることが多いって、店長に笑われたっけ。そんなことを思い出した。
「あっちのバイト、いま人手が全然足りなくてさ。店長には言っておくから、ごめん。よろしく」
「うん、平気」
 わたしはリュックを背負いなおしながら、さよならと一緒にこう言った。
「貸し、ひとつね」
 すると、なぜか、リコの顔が一気に強張った。冷水が一瞬の間に沸騰したかのような殺気を感じて、わたしはびくりと身体を震わせた。何か悪いことを言ったのだろうか。わたしは記憶を大急ぎで取り返して原因を探した。
「ああ、いや。なんでもないんだ。気を付けて帰るんだよ」
 手を振ったリコの瞳は笑っていたのだけれど、その笑顔に笑窪は生まれていなかった。
 わたしはその後あの瞬間の記憶を何度も再放送したけれど、リコのあの表情の心当たりが全然見つからなくて、ずっともやもやしていた。わたしにもリコの分からないことがあるのかもしれない、という嫌な気持ちをぽいっと投げつけられた気分だった。

 次の日は、雨が降っていた。わたしは大きな木が雨を防いでくれる公園のベンチで、夕方からのバイトをこなしているリコのことを待っていた。
 人を待つのは嫌いじゃ無かった。だからいつもちょっと早めに来て、ぼうっと草木のにおいを嗅ぎながら彼の事を待っていたけれど、今日は違った。昨日の事がずっと気になっているのだ。
 わたし自身に原因は無かったと思う。ただわたしの言葉がリコのなにかに引っ掛かってしまったんだ。それが何かを、わたしは知りたいと思った。これからリコを傷つけないためでもあるし、リコに対してただの独占欲に近い様なものを持っているのかもしれない。
 雨の音が耳に入らないくらいリコのことをよく考えていたら、時間はあっという間に過ぎていた。
 突然、後ろから頭を掴まれた。一瞬不審者かなにかという想像もするのだが、リコの手の大きさとか指の力の強弱とかを覚えてしまい、すぐにリコだと気付いた。リコは「よう」となんだかさわやかな顔してわたしの顔を見る。わたしは笑って「お疲れ様」と返した。
 ベンチの右隣を開けて、リコが腰を下ろすスペースを作った。リコは透明のビニール傘を閉じて、ベンチにちょこんと座った。高い身長ではあるけれど、筋肉が全然付いていないためか、ゆっくりした動きをするからか、リコの動作はいちいち控えめな感じがするのだ。
 リコは笑窪をたくわえながらこう言った。
「雨だから、お店は空いていたよ」
「なんだか、嬉しそうだね」
「うん」
「なんで?」
「雨、降っているから」
「雨が降っているから?」
「雨が好きだから、ちょっと楽しい」
「ふうん。へんなの。もう暗いから、雨なんて見えないよ」
「暗い夜に雨が降っているのは、隠れて悪いことをしているみたいで、好きだよ」
 こんな風に、淡々と言葉を交わすのがわたし達の日常だった。リコの言葉はやわらかくて、ちょっと気取っていて、そんなところが好きだった。すうっと、身体に染みる雨の音と、リコの匂いに意識を持って行かれたくなった。
 こんな漠然と会話を途切れさせてしまうのがいやだなあ、と思いつつも、わたしは昨日のことを話すことに決めた。リコの顔をぐっと見つめる。
「この間、“貸しをひとつね”って言ったじゃん」
 「ああ」と気の抜けた声でリコは答えた。
「あのとき、一瞬すごい怖い顔したから。なんだか気になって、さ」
 わたしはなるべく自然に言いきった。リコは変わらぬ表情で遠くを見ている。
「わたしの知らないことがあるんだろうかって思ったの」
 しばらくだまってから、「そっか」とリコは微笑んだ。そのあと、「ごめんね」と言うから、「なんで」と聞いたら「なんとなく」と答えた。わたしは鼓膜の割れ目で濁る音を聞いた。
「リコのこと、あんまり知らないのかなあ」
「知っているようで、知らないこともあるんじゃない」
 リコは右の手の平で首まわりを無造作に撫で始めた。わたしはその様子に気がついて、
「誤魔化そうとしているでしょう」
 と言った。リコは一瞬きょとんとしたけれど、自分の右手を見つめながら、ああ、これかという顔をする。リコはうそをついたり、話題から逃げようとするとき首を触る癖があるのだ。そのことに気付いてわたしが指摘したとき、リコは「なんでも知られているみたいだ」って言っていた。言っていたはずなのに、と思ってしまう。
 真実に擦りよるのが急に恐ろしく感じた。でも、引き返しちゃいけないような使命感も感じる。どっちにしろ、もやもやと考えつくすのは苦手だ。
「リコのことを教えてよ」
 わたしは強気な口調で言った。リコは笑う。右手で首筋を触りながら。
「俺のことはいいんだ。ずっと前からなんだっていいんだ」
 目を逸らすリコを、わたしが負けじと食いいるように見つめるからか、リコは観念したように右手を膝の上に置いて、ぽつりとひとこと、こう切り出した。
「俺んちの母さんと父さんは別居していてね」
 わたしは、家庭が上手くいっていないんだ、と勘付いた。
「多分もう何年も口を聞いていないと思う。実際、俺も母さんのことをよく覚えていない」
 知らなかったリコのことを吸収する身体が、疼いた。
「母さんは父さんに借金をしていたんだ。それを肩代わりしていた父さんは、返すときは利子を必ず、と伝えたんだって。そしたら母さん、父さんに借りたぴったりのお金と俺を父さんのところに置いてきちゃったんだ。母さんたら、ユニーク過ぎるよね」
 ぽけ、とわたしが理解出来ません、という顔をしていたからであろう、リコはちょっと笑って、こう答えた。――それは、わたしにとって壮絶にえげつない食べ物だった。
「俺の本当の名前は、“リコ”じゃなくて“リシ”なんだ。……たぶん、お前がいま思っている漢字と同じ字を書くよ」
 わたしはぐちゅうっとはらわたを手のひらで握りつぶされたような感覚に襲われた。変な声が出そうになったのと同時に、息が詰まる。
 ――わたしが思い起こした漢字は、“利子”――つまりは、リコのお母さんがお父さんに手渡した借金の“利子”が“リコ”なのだ。
 わたしはそれを理解した途端、憎しみや憤りを超えた言い知れぬ感情に胸を潰された。
「母さん、父さんと別居する前に、妊娠していたみたい。ひとりで産んだらしいけど、でも何度検査してみても俺はちゃんと母さんと父さんの子供だった」
 ちゃんと母さんと父さんの子供だった、を、どこか安心したようにリコが言うから、わたしはもどかしくて仕方が無かった。
「父さんは会社か何かの偉いひとだったから、世間体を気にしたみたいで、俺を無下に捨て置いたりしなかった。自分の子を借りた金と一緒に置いてきちゃう妻といまでも表面上は夫婦関係でいるくらいだからね、相当気にしているんだと思うよ。それでも同じ屋根のしたで暮らすのは嫌だったんだと思う。適当なマンションを与えられて、俺はそこで中学のときからずっと一人暮らしなの。
 生活費は父さんが必ず毎月振り込んでくれるし、学費だって援助してくれている。こんなにお金に関してはよくしてもらっていたから、俺は父さんにそこまで嫌われちゃあいないんじゃないかと思っていたけど、こないだ久しぶりに会って話したら全然違ったね。父さんは俺のことに掛けるお金なんて一晩で使い果たしちゃうようなおっ金持さまだっただけだった。俺に渡すお金なんてすずめの涙。煙草、これで買ってきてよ、ってぽんっとパシリにあげちゃうくらいの感覚なんだよね」
 わたしはリコが、自分自身を好き勝手弄んだ大人のことを母さん、父さんと敬意のような綺麗なものでくるんだ声音で呼ぶから、ぶわわと鳥肌が立って、ついには毛穴がじくじくと疼いてしまった。
「だから、“貸し借り”みたいな言葉につい反応しちゃっただけ。気にしてないとか、気にしないでとかも、なんつーか、言いづらいけどさ。――でも全部、今更なんだよね」
 と言って、笑った。そのあと深くため息をついてからも、リコは笑う。
「友達やバイト仲間には流石に“利子”なんて呼ばれたくないからさ。女の子みたいだけど、読み方を変えて“リコ”って呼んでもらってるの」
 リコがいう“利子”のふた文字はどうにも舌に絡まって上手く飲み込めなかった。ざらざらとした舌触りがするからだ。 
「名前って、両親から子供への最初のプレゼントだって誰かが言っていたけれど、とんでもない話だよなあ」
 リコはぐっと空を仰いで、まだ何かを探していた。湿っぽい空気を吸って、それから吐くと、わたしじゃない誰かに語りかけるみたいに話し始めた。
「――悔しくってさ。自分のことくらい自分で、と思ってバイトを増やしても、俺なんかが稼げる額なんてたかが知れているし、バイトで疲れて大学の単位も落しちゃうし。そもそも父さんのお金で大学に通わせてもらっている時点で、こんな意味の無いことは他に無いってもっと早く気付くべきだった――」
 リコは公園の外灯の白い光が眩しそうに目を細めた。そしてそのまま目を伏せてしまった。
「いや、たぶん、気付いていたけれど、でもなにもしないよりはましだったんだ。駄目なんだよな、お金のこととなると、どうしても過敏になってしまって」
 わたしはリコの話を聞きながら、胸の奥底からもじくじくしていた。熟れて腐っていくような感触と、冷えたプラスティックがひび割れて粉々になるような眩暈がしていたのだ。
 それからのちょっとの沈黙がたまならくなって、わたしはこう言った。
「どこか遠くに行こう」
 わたしはリコの骨ばった左の手のひらをぎゅっと掴む。
「どこに行くのさ」
 リコは笑った。窪みがいじらしいほどに浮かび上がる。
「……ここじゃないところ」
 わたしは下唇を噛んだ。こんな曖昧な返事しか出来ない自分の情けなさに背筋がぞくぞくと凍る。
「だれと」
 リコはぎゅっとわたしの手を握り返してくれた。もう季節は夏を目の前にしていると言うのに、リコの手は妙に冷たく感じた。
「わたしと」
 ぐっとリコの瞳を見つめた。リコの目の色は黒々としていて、潤っている。わたしはもう息が苦しかった。彼をどこか遠くに持って行っちゃいたかった。世界から、盗みたかった。
「無理だよ」
 ずきゅうん、と鼓膜の内側で射抜かれた音が聞こえた。わたしは目の前が真っ暗になる。
 今にも取り乱してしまいそうなわたしの表情を見たからか、リコは焦ったように、それでも芯は冷静に首を横に振った。
「そういうわけじゃない。多分、お前にはよく分からないことなんだ」
 そう言われるとわたしは何も考えられなくなった。なにより、その突き放した言葉が痛くって、口の中が不味い味でいっぱいになった。ぐっと拳を握りしめるわたしにリコは「――それに」と、言葉を続ける。
「出来れば、分かってほしくない。お前はずっと、そのままでいて欲しいから」
 笑うリコのその笑窪がついに憎たらしくなった。なんで、なんで彼は笑っているんだろうと、理解に苦しむ。わたしは両手でリコの頬を掴んだ。親指がちょうど笑窪にはまって、こういうパズルゲームでもあるのかもしれないと、関係ないことを考えた。リコはずっとそのままの笑顔だったから。
 そしてわたしの目を見ながら、彼はまだ、こう言うのだ。
「俺は大丈夫だよ」
 わたしはすっとリコの笑窪を手放した。それからぎゅっと握り拳を作ったのは、リコの温度を手放したくなかったからだ。でも、わたしじゃ駄目だと、足りないと突き付けられてから不用意に彼に触れることはわたしにもリコにも良いことじゃないことがついに分かってしまった。
 殺してくれと言われたほうがずっとよかった。
「――リコ」
 わたしの噛んだ唇から、なけなしの言葉が出てきた。
「過去は、過去だよ」
 言って、不甲斐ないと感じた。もっと、彼の事を救えるような言葉が言えたらいいのに。わたしがもっと大人だったらいいのに。心の中で同情の涙がじゅうっと溶けて無くなりかけてしまうほど、自分の事が悔しかった。
「ありがとう」
 リコは笑った。
「でも、事実は事実だ」
 笑窪が公園の街灯に照らされて普段より深い穴になって見えた。
「全部、全部うそだよっていうことだけは、絶対に、うそ、……だから」
 わたしはリコの異変に気付いてふっと顔をあげた。そして、リコの声が段々と震えてきた正体を見た。
「お前じゃ、駄目だ。かよわくて、……かわいくて、傷つけたく、ないから」
 リコは泣いていた。ぼろっかすになるくらい泣いていた。汚いくらいに泣いていた。液体がその唇を、頬を、目尻をだらだらと流れていく。わたしは慌ててポケットティッシュを取り出す。リコはそれからもいくつか言葉をわたしにかけていたのだけれど、あんまりにもぐじぐじに鼻水が垂れているし、垂れた目尻から大粒の涙がぼたぼた落ちる上、嗚咽が喉を滞らせるから、あの時リコが何を言っていたのかわたしは永遠に知れなかった。とにかく、もう一枚一枚取り出すのが追い付かなくなって、ポケットティッシュの中身をごそりと丸ごと取り出してそれをリコの顔に押し付けた。リコは流石に我に返ったようで、ぽかんと口を開けた。押し付けた幾枚のティッシュがはらはらとリコの顔から舞い落ちる。桜吹雪とか、粉雪とか、そんな綺麗なもんじゃないけれど、わたしはその光景にそんな錯覚を見た。
 リコはまたひとつ涙を落しながら、笑った。
 その顔を見て、息が詰まった。やっぱりわたしじゃ駄目なんだ、と思った。リコのことを包みこめない。泣かせてあげることも、笑顔にすることも、理解することも出来ない。わたしもリコと向き合って笑ったけれど、目頭が熱くなって、喉がぎゅっと熱くなったから、わたしは何も喋れなくなった。一言でも声を出すと泣いてしまいそうだった。
「俺はほんとう駄目だな、笑ってくれよ」
 リコはわたしの頬をぎゅうっとつねった。
「痛いよ」
 わたしはいつものように強い口調で言ったと思ったのに、思いのほか線の細い声が出てきてしまい、恥ずかしく思った。リコはまた笑って、わたしの両頬を人差し指で突いた。
「笑窪。ほら」
 リコの指先の力は、初めて会った時に鼻先を摘ままれたときより明らかに弱っていて、わたしは嗚咽が出てきてしまいそうになった。でも、笑わなきゃ、と思った。だから、笑った。わたし、リコが目の前にいて、しあわせだった。
 

 それからしばらく並んで座りながらぼんやりと星を眺めていた。といっても、都会の真ん中なので、星を眺めていたというよりは、ずっと、灰色の空の中に星を探していたと言った方が正しい。
 わたしがぽつり、喉が渇いたとこぼすと、リコは缶コーラをひとつすぐそばの自販機で買ってきて、「ティッシュ代」と言いながらわたしに手渡した。「配っているのを貰っただけだよ」と言ってもリコは聞かなかった。「じゃあ、利子付きで返して」なんてリコが自虐を言った瞬間、目尻からぽろっとまた涙を零したから、馬鹿だなあ、とわたしは笑った。


 この夜いつものようにさよならを交わしてリコと別れてからも、胸があんまりにも騒ぐから、胸ポケットにいれていた携帯電話がずっと鳴っていると思っていた。でも家に帰ってからその液晶を光らせてみると電話もメールも一通も届いてやしなかった。わたしはそこでやっと、ずっしり震えている正体はこの胸だったのだと理解した。
 夜中の毛布に包まりながら、リコのことを考えていた。じゅっと火傷しそうな温度のそれを、頬ずりしたくてたまらなくなった。
 わたしはリコが好きだ。そう思ったら泣けた。リコの女の子みたいに潤った唇とか、笑うと眉間にしわが寄るところとか、リコの垂れ目の先っちょから星屑がぽろぽろ落ちるような寂しさを思い出して、泣いた。涙が次から次へと溢れるわけでもなかったけれど、ただ胸がきしきしとしなびて、駄目になっていく音が気の遠くなる場所まで鳴り響いているのがたまらないほど痛くて、わたしは涙といっしょに溶かせるなら、と願って無理やり泣いていた。


 後日、リコは突然店から姿を消した。店長やユキさんは「引っ越した」だの「大学を辞めた」だのと曖昧な返事をするばかりで、正確な理由を知っているのかどうかも見当つかなかった。
 わたしの所為かも、という嫌な予感がしたけれど、どうやらあの日わたしが代わった日を最後にシフトは入れていなかったようだ。店長はしかめっ面をしながら、「勿体ない」とこぼしていた。店長もリコのことを大分好いていたのだ。
 リコがいなくなってから、わたしは相当高級な味を舐めていたのだと思い知らされた。がらんどうになった冷蔵庫の補充を手伝う彼の姿は無いし、たくさんのビールジョッキを運ぶか細い腕もどこにもいなくなった。それでも懲りずに、お店のドアからなんとなくひょろ長いリコが入ってくるんじゃないかと毎日期待していた。ちっす、なんてふざけた台詞でカランカラン、とドアを揺らす音を何度も想像していた。そしてリコのことを考えた後は必ず、無味な期待している自分に嫌気が差していた。
 わたしはリコにとって一体何だったのであろう。リコはわたしのことをどう思っていたのだろう。リコがいない間、そんなことをよく考えた。でも、何度考えてみても全然分からなかった。リコがどこにもいなくなったいま、わたしが出来るのは予想だけなのだ。考えつくしてしまったあと、そのことはついに白いアポリアとなって喉の奥に消えてしまいそうだった。
 それでもまだ、いなくなったリコのことをずっと好きでいたのは、真っ暗なお風呂場の浴槽にこぽこぽと溺れて深海魚ごっこをしているようだった。
 わたしはずっとリコの指が突いた両頬の感触が中々消えなくて困り果てた。わたしは自分の頬を自分の手のひらで撫でつけて、あの日のリコのことを何度も何度も思いだす。そして、なんで会えないんだろうと神様に訊いていた。いつまでも、神様からの返事は無かった。


 そして、いずれわたしも高校三年生の夏の前に大学受験を理由にバイトを辞めることになった。いつしか胸に咲いたあの鮮やかな花は枯れたとも萎んだとも言えないくらい粉々になっていて、わたしの手じゃ上手く埋葬出来そうに無かった。その星屑は舐めるとどんな味がするんだろう。わたしにとって、もう決して、刺激物では無くなってしまったそれを。 
 地平線は海面を湿らしたまま、わたしの知らない瞬間に太陽を吸いこんでいく。
 清い空気を吸いこんでいるいまも、脳味噌の穴の中ではリコのことの全部が神様に取り囲まれている。
 ずっと、涙が出ちゃいそうだった。

らた
2012年06月16日(土) 12時58分30秒 公開
■この作品の著作権はらたさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
勢いで書いたのですが最近書いたもので一番気に入っています……なんだか小説っぽいものが書けた気がするので。
足りない部分等ございましたら指摘してもらえると幸いです。

この作品の感想をお寄せください。
No.6  らた  評価:--点  ■2012-07-22 15:31  ID:9hhwgmk6ESY
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陣家さん

こちらこそ遅くなりました。申し訳ないです。
毎度感想ありがとうございます。たいへんなエネルギーになっております。

男心に通、というより、
私自身の考え方が男心にちょっと近いのかもしれません。
過去を払拭するには、明るい自分を作るけれど、
根っこの部分は黒ずんだまま、
そしてそれが最大の弱みであったり切り札でもあって。
その切り札を使った相手との関係は、
自分の中の一線を越えた関係になる、ような感覚。です。
深く信頼を置いたような、
でも裏切られたダメージを考えると恐ろしいような。
とにもかくにも、男のひとって尋常じゃないくらい
プライド高い生き物だと思っているので、
いままでのぺらっとした作り物の自分を好いた女の子は、
ほんとうの自分を受け入れるのだろうか、
受け入れられなくなる前に立ち去りたい、みたいな感情も……。
対人関係に敏感になってしまう、繊細な気持ちが女っぽくて嫌で
また自己嫌悪、みたいなループをするんだと思います。
「かよわくて、かわいくて、傷つけたくない」とは、
自分自身のことを言ったのかもしれませんね。
リコ目線でこの話を展開しても面白そうだな、と思いました。

また精進しつつもいいものを書き上げたいです。
ありがとうございました!




No.5  陣家  評価:40点  ■2012-07-14 13:34  ID:1fwNzkM.QkM
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遅くなりましてすいません。
感想書かせていただきます。

相変わらず、すごいっす。
この心理描写。
夢うつつに見る連想ゲームのようです。

自分自身のネガな部分を相手に受け入れさせる痛みを強制するのをよしとしない。
エゴだと断罪する。
どちらかというと男脳な感じですね。
それだけらたさんが男心に通なのだと感じました。
好きだから一緒にいたい、でも一緒になれたらそこからは好きでいるための努力が始まる。
好きだと言われたら、好きになってくれた自分を無くさないという大変な努力が絶えず必要になる。
相手の本当の幸せを願うなら自分が去ることと結論づけるのは男の美学です。
多分。

一種の賭けのなのかもしれないですね。
オールオアナッシング的な。

では次作も楽しみにしております。

No.4  らた  評価:--点  ■2012-06-23 19:13  ID:9hhwgmk6ESY
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Physさん

感想有難うございます。
リコを男の人にするか、女の人にするか迷ったのですが、
もし「わたし」が男の人だったら「自分がリコを養う」みたいな考えが
出てきてしまうからリコを男の人にした、というのもあるんですが
そういえばPhysさんわたしが書く男の人がすきっていってたなあ
というのを気にしなかったと言えばうそになります。笑
たぶん好きな異性のタイプでもかぶっているのではないでしょうか。
もしそうだとしたら一度語り合いたいものです。笑

このお話はなんだか書き終えて「小説書いた」って気になりました。
なので小説としての評価の言葉、とても嬉しいです。

この話は書き手の私自身も「わたし」の視点でいたので
リコが「わたし」のことをどう思っていたのか、どうしていなくなってしまったのか
真意はイメージだけですごくぼんやりしています。
「わたし」を突き放したのは、リコ自身に「わたし」を守れるような、もしくは付き合ってそれを継続していくような自信が無かった、
「わたし」にとって兄のような存在であった自分は「わたし」に甘えられるような立場ではない、というようなイメージです。
男の人のプライドとか、手放しに甘えられるひとが欲しいとか。
「わたし」にとってずっとただながれていく毎日のたった一片に、永遠みたいな恋をする、
振り返ってみて、一体何だったんだろうって思うような恋、
みたいなことを考えながら書いていました。
>わたしの所為かも、という嫌な予感がしたけれど――
の一文で、「わたし」にすべてを話したからいなくなったわけではない、ということを伝えたかったのですが読み返してみると伝わりづらいですね。
「わたし」にシフトを代わってもらった日には既にいなくなるつもりでいたということです。
好きな人にはすべて分かってもらいたい、という気持ちもありありとしながら、
すべてを伝えた上で嫌われたり突き放されたりするのが恐ろしい、
その前に自分から手早く逃げるのが私自身です。笑
ちょっと締まりが足らないのが反省点でしたね。指摘有難うございます。

大好き、と言っていただけて嬉しいです。いつも活力になっております。
ありがとうございました!



ぢみへんさん

感想有難うございます。
嬉しいお言葉をありがとうございます。
宙ぶらりん、という言葉はこの小説にぴったりですね。
昔から創作事がすきで色々なものに手を出しながら表現することを楽しんでいます。
こういうことをし続けて生活出来たらいいのになあとはよく思いますが、
いまのわたしでは実力不足ですね。笑
ネットの世界をみると、でたらめな人がたくさんいて
ご機嫌な自信がごっそり吹っ飛んでゆきます。
しかし負けじとまだまだ小説書くことを楽しんでいたいと思います。
ありがとうございました!



葉津京一さん

はじめまして。感想有難うございます。
切ないのは好きですね……。
どことなく後味や余韻の残る物語を書くのがモットーです。
考えてみれば私が書いてきたものはハッピーエンドが少ないですね。
いずれ、是非手を出してみたいと思います。
「ずっと」ではじまって「ずっと」で終わらせる、と狙ったので、余韻が残ってくれて嬉しいです。
でもこんな微妙な作戦はあんまり気付きませんよね。隠れミッキー的な。私が楽しいだけですね。笑
リコの名前展開は、この話を書くきっかけになったものです。引っ掛かってもらえて良かったです。
ありがとうございました!
No.3  葉津京一  評価:40点  ■2012-06-21 02:49  ID:VUwYl4dKtx.
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はじめまして。

とても引き込まれる文章で、一気に最後まで読んで
しまいました!
彼女の気持ちとリコさんの気持ちを考えるととっても
切ないですね。
リコさんの名前展開、これは意外性があって、なかなか
おもしろいなぁと感じました。

最後の文章、切ない余韻を残していくいいスパイスに
なっていますね。
できれば、ハッピーエンドで続きが読んでみたいです。

らたさんの文章は、読み手を引き込む力があるように
思います。
これからも読ませていただきますね。
No.2  ぢみへん  評価:30点  ■2012-06-18 15:44  ID:64MGDiR2nqY
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気持ちのいい、恋愛短編だと思います。らたさん特有の繊細さが滲み出てますね。最後の宙ぶらりんな気持ちのところも含めて。テンポもいいし。
もしこの路線で発展していったら、何かしら賞でも獲れるんじゃないでしょうかねぇ?
No.1  Phys  評価:40点  ■2012-06-16 19:17  ID:nkc8dwuPtc.
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拝読しました。

>彼はずっと、リコという女性的な名前で呼ばれていた

出だしからすごく良かったです。らたさんはただセンスがあるだけじゃなく、
読ませることに意識的な書き手さんだなあ、と再認識しました。小説の要諦を
上手く掴んでいるというか。

内容、スタンダードな恋愛小説で、すごく好みでした。ごちそうさまでした。笑
らたさんの書く主人公さんの内面描写は、読んでいてとても共感できるもの
ばかりですし、らたさんの書く男の人のイメージが、私は好きです。

>網膜の右から左へと行き交うきらきらが静まらなかった
>心の底で突っかかっていた鎖がじゅわりと泡になって溶けた感触
>母さん、父さんと敬意のような綺麗なものでくるんだ声音で呼ぶから
>いつしか胸に咲いたあの鮮やかな花は枯れたとも萎んだとも言えないくらい
粉々になっていて、わたしの手じゃ上手く埋葬出来そうに無かった

思わず手を叩いてしまうような、すぐれた比喩や表現に、分かりやすさも含め
磨きがかかっているように思いました。本当に、勉強になります。らたさんの
文章は読んでいて心地よく、リズムも子守唄のように耳に馴染みます。きっと
てんびん座の波長が共鳴するんですね。笑

>足りない部分等ございましたら指摘してもらえると幸いです。

とのことですが、とりあえず私は不足はないと感じました。構成も読みやすく
章区切りになっていて、質の高い短編だと思います。ただ、あえて言うなら、
リコさんがいなくなってしまったことが、私には理解できなかったという点
でしょうか。

劇中、主人公さんは、望まれない子供として生まれてきてしまったリコさんに
「ここじゃないところ」に行こうと提言します。リコさんは、主人公さんには
「よく分からない」だろうと決めつけ、「変わって欲しくない」と退けます。
そして、「かよわくて、かわいくて、傷つけたくない」から、主人公さんの元を
去ったわけですよね?

傷つけるという言葉の意味する事物が、より具体的になると分かりやすいかな
と思いました。リコさんの目線から見て、自分の何が主人公さんの何を変えて
しまうと思ったのか。よほどのことでなければ別れを決意する理由にならない
ような気がしました。

たぶんこれは、私なら……という置き換えが背後にあって、私は好きな人には
自分のことを分かってもらいたいと思うからです。個性も、過去も、すべてを
含めて知ってもらって、その上で一人の人間として認めてもらいたいです。

だから、リコさんみたいにある種の「逃げ」を選択したことに納得できないの
かもしれません。

いろいろ勝手なことを言ってごめんなさい。でも、らたさんの書く小説が私は
大好きなので、ファンの一人として注文(難癖?)を付けてしまいました。
また、読ませてください。
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