女の名刺
 先週からお世話になっている携帯ショップに足を向けた理由は機種変更のためで、入店し、三十分ほど操作説明などを聞き、世間話を交えながら笑いあっていると、妙に頬を赤らめた女性販売員が、

『……あの、よろしければ……名刺を受け取っていただけませんか。』

 名刺を社交辞令的に手渡しするだけならば、……で示した恋愛感情を想起させるような空白は不要なのだが、明らかに、こちらへそういった『恋愛感情』を伝導させるに充分な『不器用な手つき』で名刺を差し出されたのだった。一輪挿しの花が、風も吹いていないのに、揺れている。女の怪しい緊張が、机を揺らしているのだろう。

 対面している俺は、書類を整理する手をやや止め、代わりに、女性販売員の感情を整理することにしようとしたが、名刺の渡し方が通常と逆だという、その緊張のぎこちなさを読み取ることだけで推理は不要に思われた。

 だから、

『……なるほど……もしかして裏面に、なにか書いてあったりします?』

 女性販売員は、口元に座する婉然としたホクロを上下に擦りながら、

『アッ……! そうです、そうです、メッセージを書いておいたので、よ、よんでください……』

 と、初めて小学生の答案用紙に花丸をつけようかつけまいかと迷っている小学教諭のように未熟な声で言うのだった。

 確かに、良い女性販売員のように感じられたし、女性販売員という職業代名詞から販売員を引き算して、女性という存在として考えてみても、『良い女』に思われた。
 けれども、俺は、女性の扱いに手馴れていないから、女性扱いの素人と悟られるのが、空恐ろしかったので、つい、こう言ってしまうのである。

 『……ごめんなさい。フィアンセが、僕の望むフィアンセは、昼の接客業に従事する女性ではないん……デスッ! できれば、夜の接客業……そう、バーの仄暗いネオンの中で妖艶な雰囲気を保ちつつグラスを拭く女性であるとか、バーのやっぱり仄暗いネオンの中で艶やかな黒髪を男にそれとなく魅せつける無言の色気をミラーボールなんぞよりも放ち続ける女性であるとか……』

 と、まだ喋り終わらないうちに、冷めきった表情の女性販売員は、

 『……閉店の時間でございます。本日は機種変更どうもありがとうございました。またのお越しを……アッ、イケナイ……ありがとうございました』

 俺が背中を向けようとする前に確認した、女性販売員の名刺は、工事中の坂道のように亀裂が入っていた。
八車
2011年07月02日(土) 00時38分02秒 公開
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No.1  夕方  評価:20点  ■2011-07-19 17:32  ID:Ee3yYWMigJ6
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主人公の『俺』や筆者の八車さんは夏ボケしたエロおやじなのだろうと思いました。
エロいおやじなのに頭の中では気取っているところに共感します。
世の中の女性たちは初々しくたどたどしくひたすら好色であってほしいものです。
セリフが「」ではなく『』の中にあることから、現実よりは書き手の妄想や願望に近いやりとりなのだと思いました。
そして願望の中でさえ幸せになりきれないところに筆者の諦めが見え隠れしています。
総レス数 1  合計 20

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