樹木人間
 
 インドネシアの樹木人間の映像を見た。まだ若い男で、顔にぼつぼつとイボができていて、頬からビロウの枯れた葉状のものが何枚か生え、とくに手足が原形を留めないほど葉状のものがウチワを重ねたように生え、本来の手足として使いにくい感じだ。奇病で、初めはイボから始まったようだ。現在、国を挙げて治療中だ。
 三十年ほど前、高田馬場の喫茶店「らんぶる」で、Aと会った時のことが思い出される。Aと親しいわけではなく、どちらかといえば苦手なタイプだった。私のまわりの連中は変わったのばかりだったが、Aの変わり方真にせまっていて気味が悪かった。ちゃんとした出版社に勤めはじめて、付き合っていた沖縄の女と結婚するということを伝え聞いて、よかったな、これで少しは落ち着くだろうと思っていたら、Aがその女をひどく殴りつけて逃げられたと、また伝え聞いた。その後、二回は会ったと思う。誘われて、Aが住んでいるアパートの扉を開けると、生臭い臭いがプンとする。その当時流行っていた、青く光る熱帯魚のグッピーが、一方の壁一面の水槽の中に飼われていた。部屋は暗かった。そして、突然「らんぶる」への呼び出しだ。
 何の前触れもなく、Aは唐突に言った。
「キニナルンダ」
「何が?オレは気にならない」
 日頃、Aのことをあまりよく言っていないことがばれたのかと、少しあわてた。
「イヤ、ソノキジャナク、ジュモクニナル」
「じゅもく?」
「樹木人間になる」
 人を呼び出しておいて、何をバカなことを言っているんだと、無性に腹が立った。
 十年ほど経って、突然Aから電話があった。
「沖縄の○○島にいる。遊びに来いよ。来てくれよ」
と言う。たまたま、沖縄には行く用があった。ほどなく、Aの家の詳細を極めた地図のFAXが届いた。
足を伸ばしてもいい気になったのがいけなかった。島まで飛行機で行って、駅前のタクシー会社でFAXを見せると、運転手たちがけげんな顔をしている。 
「お客さん、この辺は私らも行ったことがないところですよ。人家もないし、道があるかもわからんし」
 私はFAXを見たが、電話番号がどこにも書いていない。困ったが、このまま引き下がるのもしゃくで、運転手と行けるところまでという約束で、タクシーに乗った。
 山をどんどん登る。二時間ほどで車が止まった。午後三時過ぎていた。
「お客さん、これ以上は車が壊れる。地図だと、この道を二十分ぐらい登ればあるように書いてあります。ここで勘弁してください」
 見れば、獣道だ。運転手は細長い枝二三本切ったものと懐中電灯を渡して
「ハブが出るから、道の先をこれでたたきながら登ってください」
と言った。心細かった。
 車をバックさせながら
「あー、懐中電灯は帰りに会社に戻せばいいですから」
と、運転手は言った。私は獣道を登りながら、返事もできなかった。二十分経っても三十分経っても、まわりは草と木。ちょっと視界が開けることもあるが、開けた先も草と木ばかり。ときどき、名も知らない鳥や花に出会うだけだ。ふと、沖縄人の時間のめちゃくちゃさを思い出した。待ち合わせ時間に一時間遅刻しても、悪びれたところがかけらもない。
 気を取り直して、登って行って小一時間ほど経った時、前方に明かりが見えた。よく見ると、その明かりは動いている。電気ではなく、かがり火のような明かりだ。何にしても助かったとホッとして先を急ぐと、ガジュマルというのか、大きな木が三本ある平らな所で、焚き火をしている男がいた。背が高くやせていて髪も髭もぼうぼうだ。手を振っている。顔がわかるところまで来ると、男は破顔一笑して
「来た。来た」
と、叫んだ。Aだった。その時、Aの気味の悪さや嫌な感じや苦手なところが、きれいに消えているのに私は驚いてしまった。そして、Aがなぜこのような生活をしているのかが、何となくわかる気がした。
 大木の間に雨露を防ぐだけのバラックがあった。ひどい生活だ。電気も電話も風呂も何もない。Aは何のわだかまりもない笑顔だった。大分やせてはいたが顔色もよく、元気で焚き火と炊事場のようなところを行ったり来たりして、野菜の煮物のようなものを鍋ごとテーブルに使っている分厚い板の上に置いて、『喰え』と合図してにこにこしている。大きなロウソクを二本テーブルの端に置いて灯した。蚊にあちこち刺されてかいていると、すぐモグサのようなものをいぶして四ヵ所に置いた。アッという間に蚊が来なくなった。
「オレも、ここに来て二・三年は蚊や虫やハブに悩まされた」
と、笑った。今では、蚊に刺されなくなったし、たまに間違えて刺されてもかゆくないそうだ。ハブは今では貴重な現金収入の一つ、役場に持っていくと一匹二千五百円で買ってくれるそうだ。ハブを獲る、先が妙な格好の棒を見せてくれた。今では姿を見さえすれば百発百中だそうだ。役場といっても六`先なので、何匹かまとまると持っていくらしい。
「そこにFAXもある」
と、言った。ということは、私に地図を送ったのも、往復十二`歩いてのことだった。
「電話は近くだけどね」
近くといっても四`先の人家だった。Aに対する私の目が変わってくるのがわかった。私にFAXした後、一日も欠かさず、私が迷わないようにと思ってか焚き火を欠かさなかったらしい。
 酒がなさそうなので、私のバックからウィスキーの瓶を出してAにすすめると
「いや、飲まない。飲まないでもよくなったんだ」
と、笑った。連日浴びるように飲んでいた男が、だ。タバコものまないらしい。一日三箱のんでいた男が、だ。私は、妙にうまい野菜の煮物をサカナに、ウィスキーをちびりちびりとやっていたが、Aが全く食べないのに気づいて、訊いてみた。
「いや、朝食べたから」
朝、具沢山の野菜スープを一椀食べて、それで一日終わりだそうだ。全く問題ないし、それ以上食べると気持よくないそうだ。
 気になることが一つあった。前の沖縄の女と会ったのかと訊いてみた。
「沖縄に来て、すぐ会った。別れの挨拶は済ませた」
と、言った。改めて、何でこんな生活をしていると訊いてみた。Aは考えをまとめるために一拍置いて
「植物が人間よりはるかに上だとわかったから」
と、まじめな顔をしている。私はやはりAはかなり変だと思ったが笑えなかった。こんな不便で何にもない所は退屈だろう、いつもは何していると訊いてみた。
「ぼーっとしている。でも、段々忙しくなって、ぼーっとする時間が少なくなった」
畑の手入れ、バラックの補強、カゴ作り、ハブ売り。しかし、バラックのこの状態から見て、気を入れて手入れをしているとはとても思われない。ぼーっとしているのが何がいいんだと訊いてみた。
「気持いい」
明快だ。植物もぼーっとしているだろうかと訊いた。
「そうだ」
と、言った。冗談めかして、樹木人間になれそうかと訊いてみた。
「わからない」
と、Aはごくまじめに答えた。
 その後、Aからは一年おきとか二年おきに、忘れた頃電話がある。往復八`歩いての電話だからおろそかにはできないが
「たまには遊びに来いよ」
という誘いにはあの状態では気安くのれない。十年ほどの間に、またたびたび沖縄に行く用ができた。Aからの電話に来月行こうかと言うと
「待っている」
と、Aは言った。何か入用なものを持っていこうかと訊くと
「ない」
と、言った。
 十年前の、とくに帰りがひどかったので、今度は十分準備をした。足元のハブ攻撃を防ぐ特製の編み上げ靴、スプレー、携帯電話があるので帰りのタクシーのセッティングなど。
 Aはやはり焚き火をしながら待っていてくれた。何もかも草におおわれていた。バラックは緑の球と化していた。思ったとおり大工作業は進んでいなかった。バラックの中は作ったカゴであふれていた。
「面倒で町にあまり出ないから」
Aはしみわたるような笑顔を見せた。色が白くなっている。背が高くなったように見えるのは、少しやせたせいなのか。ろくに水浴びもしていないはずなのにいい匂いがするし、穏やかで静かな時間にかこまれていた。野菜と豆の煮物を作ってくれた。私はそれをサカナに酒を飲んだ。最近はガジュマロの木の根で、うつらうつらしていることが多いとAは笑った。私はいつの間にか眠っていた。
 朝起きると、素通しの窓の前で、Aがこちらに背を向けて、ストレッチか何かのつもりか、頭の上の大きな横木に両手を当てて、森を見ていた。朝の光を全身に浴びていた。ウマオイの下の羽根のように、Aの体がヒスイ色に透きとおって見えた。
 その後、Aからの連絡が途絶えてしまった。
 ある日、テレビでカンボジアかどこかで、大木の木の根にからまった仏像の頭の映像を見て、Aを思い出した。
 私への連絡は、Aの人間社会への最後の挨拶だったのかもしれないと、ふと思った。
                        (二〇一〇年七月五日)





内田 離
2011年05月15日(日) 10時29分13秒 公開
■この作品の著作権は内田 離さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
作者からのメッセージはありません。

この作品の感想をお寄せください。
No.6  内田 離  評価:--点  ■2011-06-12 11:40  ID:9X9J/2cR/gk
PASS 編集 削除
ご感想ありがとうございます。肩の力が抜けました、という感想がとても嬉しかったです。
No.5  ゆうすけ  評価:30点  ■2011-06-10 14:09  ID:1SHiiT1PETY
PASS 編集 削除
拝読させていただきました。

木のようにぼーっとしている。それは悟りの境地のようですね。孔子の言う、坐忘のようです。とかく余計な事を背負い込む現代人、それらを脱ぎ捨てることで得られる極致、哲学的な作品ですね。
忙しい仕事の合間にふと、この作品に出会い、ちょっと肩の力が抜けました。
No.4  内田 離  評価:--点  ■2011-06-08 19:09  ID:9X9J/2cR/gk
PASS 編集 削除
ご感想ありがとうございました。貴方のような素直な人に読んでもらえて、作品も本望と思います。
No.3  凶  評価:50点  ■2011-06-07 22:26  ID:H5kn4nBA6qA
PASS 編集 削除
はじめまして、読ませて頂きました。

すごく面白かったです。僕はへたくそですから文章についてアドバイスはできませんが、Aさんの変人さに興味津々で最後まで読んでしまいました。変人が仙人になって辿り着く先が植物だなんて素敵なラストだと思いました。
No.2  内田 離  評価:--点  ■2011-06-03 16:45  ID:9X9J/2cR/gk
PASS 編集 削除
ご感想ありがとうございます。1〜5は納得です。変更します。
No.1  闇の吟遊詩人  評価:20点  ■2011-05-28 20:25  ID:79GucnjyPpk
PASS 編集 削除
面白かったです。「インドネシアの樹木人間の奇病」から始まり、「大木の木の根にからまった仏像の頭の映像でAを思い出す」で終わる流れ。ダンテの『神曲』では「地獄の罰で樹木にされた者たち」が登場しますが、この短編では「樹木になる生き方を選んだA」は決して不幸ではないし、語り手も「Aの気味の悪さや嫌な感じや苦手なところが、きれいに消えている」ことに気づく。「植物が人間よりはるかに上だとわかったから」に関しては賛否両論あるでしょうが、Aは最後に「上も下もない悟りの境地」に到達したのかもしれません。

後は気になったことを書いておきます。

1.Aの変わり方(は)真にせまっていて気味が悪かった。→「は」入れた方がいいと思います。

2.沖縄人の時間の(めちゃくちゃさ)→「滅茶苦茶」は「名詞・形容動詞」なので「めちゃくちゃさ」という使い方はあまりしません。「沖縄人が時間にルーズであることを思い出した」など、他の表現を探した方がいいと思います。

3.六`先→このままでも問題はないのですが、横書きで読むと少し読みにくかったです。「キロ」でもよいのでは?

4.十年ほどの間に、またたびたび沖縄に行く用ができた。→「たびたび=何度も繰り返し行われる」なので、「『たまには遊びに来いよ』という誘いにはあの状態では気安くのれない」及び「十年前の」と矛盾します。さらに「十年前の」話があるため、「たびたび」を削除し、「十年ほどの間」も「十年後に」など他の表現を探した方がいいと思います。

5.「オレも、ここに来て二・三年は」→このままでも問題ないですが、「二、三年」と書くのが普通です。
総レス数 6  合計 100

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除