日記
「朝倉君と付き合うことになったの」

 香奈先輩の口からその言葉を聞いたのは、じっとりと暑い初夏の頃だった。
 新垣香奈先輩。私と同じ弓道部の3年生で、学年でいつも上位にはいるほど頭が良くて、それでいて容姿端麗。思いやりと優しさを同居させている人。
 そして朝倉先輩は、弓道部のキャプテンで、爽やかでいつも屈託無く笑っている、大勢の中心にいる人。

 私、中島咲は、入学した時から朝倉先輩が憧れだった。仮入部で存在を知って、それから一年間突き進んだ。
 大して可愛いわけでもなく、弓道のセンスがずば抜けているわけでもない、成績も威張れるほどではない。元気なことだけが取り柄みたいな私が、朝倉先輩に釣り合う訳がないのは分かってた。分かっていたけど、好きになってしまったのは仕様がない。
 毎日姿を探して、何かと話題を見つけては話しかけて。そりゃあ頑張ったさ。

 その朝倉先輩と付き合うことになったと、香奈先輩の口から聞かされた。
 そのとき、私は香奈先輩と二人で駅まで一緒に帰っていたはずなのだけど、ショックのせいか記憶が薄い。気が付くと電車に乗って、一人壁にもたれていた。
「中島?」
 声を掛けられて、はっとして顔を上げると、翔がいた。私の一番仲の良い男友達。
「翔……」
 呟くような私の声を聞いて、彼は全てを察してくれたらしい。
「朝倉先輩と新垣先輩だろ。俺も今日聞いたけど、色んな所で噂になってる」
 今にも泣き出してしまいそうな私に、翔は宥めるように色々教えてくれた。
 昨日の部活帰りに、朝倉先輩が香奈先輩に告白したこと。朝倉先輩は前々から香奈先輩が好きだったらしいこと。全然気付かなかったと私が言ったら、翔は誰も知らなかったと思うと答えた。朝倉先輩は誰とでも仲が良いからって。その言葉に少し慰められたけど、やはり自分の鈍さが悲しくなった。
「変な奴に捕まるなよ。寄り道するなよ」
「うん」
 先に電車を降りる私に、翔は何度も念を押し、私が階段の下に消えるまで見ていてくれた。
 一人になってまた涙が出そうになったけど、何とか堪えて歩みを進める。翔と話したお陰で、幾らか楽になった。
 翔とは去年同じクラスで、最初に席が隣だったから良く話すようになった。部活も、家の方向も一緒だったから、どんどん仲良くなって、一番の相談相手。
 翔は、私の親友の遙ちゃんが好きで、微力ながら相談に乗ったりしている。
 彼は本当に良い奴だ。いつでも親身になってくれて、今日みたいに私が落ち込んでいるときも、優しく励ましてくれる。
 しかし、そんな翔にかかっても、今日の私は中々回復しなかった。どうにも気分が沈んで、何にもやる気が起こらない。夜も暫く眠れず、布団の中で汗をかいていた。

 次の日は私の心を映したような曇りだった。部活を終え、着替えて外に出ると風が肌に当たって少し寒い。
 校門で部活仲間と別れ、駅に向かって歩き出すと、後ろから肩を叩かれた。
「咲ちゃん」
 香奈先輩だった。部活中も先輩の顔を見るのが気まずかったし、正直話す気分ではないけれど、先輩が悪いわけではないのだから、そうも言ってられない。
「はい?」
「あのね、これを受け取って欲しいの」
 そう言うなり先輩は、ノートのようなものを押しつけるように私に渡した。桜色の表紙の、厚めのノート。
「何ですか、これ?」
「私の…日記」
 この時の私はどれ程間抜けな顔をしていただろう。比喩ではなく、固まった。
 先輩は、少し目線を逸らしながらそっと口を開いた。
「咲ちゃんに読んで欲しいの。色々考えたんだけど、それが一番良いと思ったから。読み終わったら捨てても良いから!」
 そう、焦ったように言って、先輩は逃げる様に去っていった。

 その夜、お風呂から上がった私は、机の上にさっきのノートを置いてじっと見つめていた。
 うん、悩んでいても仕方がない。思い切ってノートを手に取り、表紙を開いた。
 最初の日付は、去年の四月の中頃だった。

『折角の高校生なのに浮いた話の無かった私に、気になる人が出来たかも知れません。この気持ちを何時でも思い出せるように、日記を付けてみることにします。こんなにドキドキするのは初めて……。』

 教科書のように整った字で、一ページの半分が埋まるくらい書いている。
 次の日付は、その翌月。

『今日は部活が終わった後、彼が声を掛けてくれました。お疲れさまです、の一言がすごく嬉しかった。私の顔を覚えてくれたみたい。』

 日付は不規則だった。何日も連続で書いているときもあれば、暫く空いたり。だけど、どのページも丁寧に、大切に書かれていた。

『今日は私からお疲れさまって言えました。笑顔で返してくれて嬉しかった。』
『休み時間で廊下で会ったときに、彼が挨拶してくれました。今日ほど移動教室が嬉しいと思った日はないと思います。』
『一年生の子達が彼の話をしているのを聞きました。気さくで、優しい子だそうです。やっぱり、素敵な子だな。』

 一文一文から、香奈先輩の想いが溢れている気がした。普段見ている先輩とは少し違う。彼は幸せだなって微笑ましくて、人の日記だということも忘れて、読み進める自分がいた。
 その手が止まったのは、八月後半の日記だった。

『後輩の咲ちゃんが彼とすごく仲が良いようです。この間も一緒に遊びに行ったようです。嫉妬かどうかは分からないけど、その話を聞いて落ち込んでしまいました。咲ちゃんは可愛くて素直な子で、私も大好きなのだけど、だからこそ不安になります。』

 いきなり出てきた自分の名前に戸惑ってしまっているのが分かる。

『彼は人と壁を作らない子だし、やっぱり私なんて大勢の先輩の中の一人でしかないのかな。咲ちゃんと仲良く話しているのを見ると、何か特別な感じがして、何だか辛いです。』

 待った。この彼って?
 頭の中で今までの文章を整理する。…翔?
 それから読み進めていくにつれて、その予想は確信に変わっていった。香奈先輩の目から見た翔が、日記の上で爽やかに笑っている。先輩がこんな風に思っていたなんて、以外だった。
 翔が出てくる最後の日は、十月の最後の日だった。

『彼には好きな人がいるみたいです。咲ちゃんと話しているのを聞いてしまいました。好きな人がいるのも、それを咲ちゃんに話せるのも悲しかった。…仕方がないですね。彼には私では駄目だった。諦められるかは分からないけど、努力してみようと思います。』

 そこまで読んで、私は泣きそうになった。香奈先輩の気持ちが伝わってきて、胸が苦しかった。
 私はノートを閉じて、布団にくるまった。

 どれくらいそうしていただろう。落ち着いたところで、私はまた机に向かい、もう一度ノートを開いた。
 さっきの次の日付は、その三ヶ月後。一月だった。

『今日、朝倉君に映画に誘われました。正直言って、彼をそんな風に見たことは無かったから困惑してしまいます。自分の気持ちが分からない。でも、折角こんな風に言ってくれたのだから、気持ちに答えてみようと思います。少しづつでも、分かっていけるかな。』

 朝倉先輩の名前を見て、息が止まった。
 その日からはずっと朝倉先輩の名前が続いていた。

『朝倉君は大人な考え方の出来る人だと思います。話しているだけで成長できそうな、尊敬できる人です。』
『今日は熱を出して学校を休んでしまったのですが、朝倉君がメールをくれました。本当に心配してくれているようで、嬉しかったです。』

 それに、私のことも。

『もしかしたらなのだけれど、咲ちゃんは朝倉君が好きなのではないでしょうか。彼女も沢山の人と話しているけど、女の子の特別は何となく分かる。私もそうだったから。』
『今日、咲ちゃんと翔君が話しているのを聞いてしまいました。朝倉君のことが好きだ、と。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、どうしてもその場から離れられなかった。どうしよう。』

 春休みの頃からは、毎回のように私のことも書かれていた。
 朝倉先輩は積極的だったようで、その存在が香奈先輩の中で大きくなっていったのが手に取るように分かる。
 香奈先輩が朝倉先輩を意識すればするほど、近くにいる私のことが気になっていたようだ。朝倉先輩への気持ちと私への気持ち。その葛藤がページ一杯に綴られていた。
 最後の日付は、二日前。

『朝倉君に告白されたこと。今日咲ちゃんに話しました。笑顔で聞いてくれていたけど、絶対に悲しい思いをさせてしまった。見て見ぬ振りをするなんて、最低だと思う、どうすればいいのでしょう…』

 残りのページは完全に白紙。
 私は小さく息を吐いて、ノートを閉じた。香奈先輩は全部知ってたんだ。知っていて、それで悩んで、私にこれを託したんだ。
 先輩を苦しめていた申し訳なさが胸に広がって、涙が止まらなかった。

 その夜は、一人で一杯考えた。私は今まで自分のことしか考えてなかった。先輩がこんなにも私を気にしてくれていたってこと知らなかった。
 誰もが辛い思いをして、それでも必死に生きているんだってことを初めて知った。
 そんな自分が情けなかった。でも、それと同時に、何故かほっとした。

「翔!おはよう!」
 その次の朝、駅で彼の後ろ姿を見つけ、思い切り背中を叩いた。
「中島?おはよ……昨日とは打って変わって元気だな」
「うん。私ね、色々な事が分かった気がするの。だから、もう完全復活。前以上に明るく元気な中島咲になるね」
 笑顔でハイテンションな私を見て、翔は開いた口が塞がらなかったようだけれど、直ぐに、ニヤリと笑った。
「何があったかは分からないけど、ま、それでこそ中島だな」
 私には、支えてくれる友達が居る。
 それから、その日の部活終わり。外で朝倉先輩を見つけたので、駆け寄った。
「朝倉先輩、お疲れさまです」
「あぁ、中島も」
 相変わらず格好良い。でも、今の私は昨日とは違う。
 精一杯笑いかける。
「先輩、幸せになって下さいね」
「ああ……ありがと」
 はにかむ先輩を前に、私は勝手に清々しい気持ちになった。
 そうして帰り道。
 さらさらのロングヘアーに華奢な身体。彼女の後ろ姿を捕らえて、走り寄った。
「香奈先輩」
「咲ちゃん…」
 先輩の表情が強ばったのが一目で分かる。
 私は、鞄からノートを取り出すと先輩に差し出した。
「ありがとうございました」
 香奈先輩は震える手でそれを受け取り、力が抜けたように表情を和らげた。
 視線を落として、小さな声を出す。
「ごめんなさい」
「何も言わないで下さい。昨日全部読みましたから」
 そこで、一回深呼吸をする。
「一杯考えました。言いたいこともあります。でも、どれも私には言える事じゃなくて。――だから、これだけ言います」
 真っ直ぐに、彼女の目を捕らえる。
「ありがとうございました」
「うん……うん――」
 先輩はその瞳に涙を浮かべて、とても優しく笑ってくれた。
アオ
2011年09月07日(水) 16時04分52秒 公開
■この作品の著作権はアオさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
おそらく中学時代に書いたものと思われます。(加筆・訂正済み)

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No.4  アオ  評価:0点  ■2011-09-11 13:17  ID:TFjkHuTw3lc
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山田さん。
感想ありがとうございます。それと誤変換も。
小説は僕にとっては『理想の世界』なんでしょうね。もう少し現実味というか、起伏に富んだものが書ける様に頑張っていこうと思います。
No.3  アオ  評価:0点  ■2011-09-11 13:15  ID:TFjkHuTw3lc
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STAYFREEさん。
感想ありがとうございます。
前に、俗に中編とジャンル分けされるものを書いたことがあるのですが、自分で読み返してみて、どうにも伏線とかの作りが今一だなと言う感じがあったので、暫くは短編を書いて、少しずつ長いのが書ければ良いなと思っています。

No.2  山田さん  評価:20点  ■2011-09-10 17:05  ID:/VAIz84knYY
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 拝読しました。

 最後まで淀むことなくスムーズに読み進めることが出来ました。
 ただ、逆に言えば、スーっとなんとなく終わってしまったって印象です。
 登場人物はみんな好人物で健康的、描かれている恋愛もやはり健康的な感じですよね。
 僕のような「恋愛? だから?」的な不良おやじには、そのあたりとても物足りなかったりしました。
 ちょっと安全過ぎる、って感じなのかな。
 もうちょっと波風を立ててもよかったように思います。

 誤字がひとつ。
「先輩がこんな風に思っていたなんて、以外だった」
 ここは「以外」ではなく「意外」ですね。

 失礼しました。
No.1  STAYFREE  評価:30点  ■2011-09-10 00:11  ID:G8wATGL7G6k
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読ませていただきました。まず、とても読みやすかったです。会話文はとても素直に登場人物の気持ちを表した言葉になっていると思いました。悪く言えばありきたりなのかもしれませんが、僕には爽やかに感じました。それぞれの登場人物の性格や特徴を書き込んでいって、もっと長めの作品にしたものを読んでみたいと思いました。
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