あめ色に光る月
―― 中学時代、書くことのたのしさを知った。
自分の好きなように話を展開させることのできる、空想の世界。
自分はそのなかに自由に出入りし、自由に話をつくることができる。
それがたのしかった。そう多くの作品を書いたわけではないが、
空いた時間に好きなように、書きたいと思ったことを書いた。
そして思い悩むことがあると、抱く思いのすべてを作品のなかで
浄化しようとしてきた。主人公に自分の境遇を重ねて書くことで、
感情を鎮めることができた。
でもいつからか、そういう話を考えることが苦しくなった。
ついには何も書けなくなった。――


夏が、終わる……。
夜明けが近い。時刻は午前4時。
床についたのは、たしか昨日の10時くらい。暑さのせいで眠りは浅く、
何度か寝返りをうったのを覚えている。それからしばらくは
うつらうつらしていたが、日付が変わって午前2時ごろ、
堪えきれずにベッドをぬけだした。
そんなことを思い出しながら、改めてパソコンと向き合う。
もう少し書いておこう。たぶん、これが最後になるだろうから。
書きたいことは全部ここに書いておこう。

―― いつまでこんな話を書いていればいいのだろう。そう思うことが
増えた。行きづまることも多くなった。そして、自分と同じような境遇
をもつ主人公を書いていれば行きつくであろう結果に、書くことで
さんざん苦しんだ挙句ようやく気がついた。
自分を見ているようで嫌になる。

今までそんな単純なことにも気づけなかったのは、
たぶん夢中で書いていたから。どんな話にしようか、
と考えるのがたのしくてしかたなかった時期がたしかにあったのだ。
書きたい話を好きなように書いていたときはもちろん、マイナスの感情を
やわらげるために作品を書くようになっても、それは変わらなかった。
書くことによって、落ちこんだ気持ちを紛らわすことができる。
わたしは、それをたのしいと感じていた。いま思えば、
決して長くはつづかなかったが。

あくまでこれは趣味だ、と何度も自分に言い聞かせてきた。でも、
わたしはしがみつきたがる。書くことが好きだから。
ただ、いまは書けないだけで。――

眠気が思考を鈍らせる。誤字脱字をくりかえし、そのたびに打ち直す。
一段落すると、パソコンから目を離した。
作業を始めて、はや2時間。からだは相変わらず汗でべたついているが、
これでも真夜中のような暑さはだいぶ緩んだほうだろう。
カーテンの向こうが、ほの白い。夜明けはもうすぐだ。
ふとわたしは、外の景色を見たくなった。今日はいい空が見える、
そんな気がした。立ち上がり、カーテンをあける。
窓いっぱいに広がる空は微光をまとい、西の彼方には紺碧を忍ばせていた。
朝と夜のあいだの時間。徐々に押し寄せる光、夜を押しのけて浸透してゆく朝。

そうだ、窓をあけよう。そして移り変わろうとする時間の空気を、思いきり吸い込もう。
そうすれば、モヤモヤしたものを少しは取り除けるかもしれない。
わたしはベランダに出た。下をのぞきこむと、8階からの街並みに目がくらんだ。
とっさに上を見る。風が吹きぬける。パソコンのとなりの構想メモが宙に舞った。
かまわない。もう新しい作品を書く気などない。
ここから25メートル下に放り投げてやってもいい。
そんなわたしの目がとらえたのは、西に傾く月だった。
ほんの数秒見つめあうあいだ、風を感じない代わりにひとすじの涙が伝った。
わたしは室内に戻り、窓をしめた。床にこぼれぬうちに涙を拭い、
ふたたびパソコンに向かう。ほの暗い部屋に、キーボードをいじる音が響きは
じめた。

―― 書きたいときに書けないという状況は、いつのまにか書きたくない
気持ちを生んでいたようだ。
並べた文字はきれいごとにしかならない。いつか紙の切れ端にそう書いたこともある。
ほんとうに書きたいと思うまではこのパソコンをひらくのをやめよう。
物語をかくためにペンと紙をもつこと、それをやめよう。たぶんそれが
自分にとっていちばん気楽なのだろうから。
苦しくなるだけの創作なら
投げだせばよかったのだろうか。――

わたしは、ファイル名を最後の作品と入力し、保存してからパソコンの電源を消した。
その場で窓の外を眺める。夜と朝が入りまじる空はわたしの心のなかを映したようで、
うすい橙を残したまま水色に光っている。
月が残る西の空も徐々に明るみを見せはじめている。
夜は、もうまもなく終わりを告げるだろう。
パソコンを振りかえって、思う。
好きなことに「しがみつく」という表現は、たぶん正しかった。
心は、それさえも放棄してしまおうとしたのだから。
先ほど流れた涙は、書くことに「しがみつい」ていた
かつてのわたしに別れを告げるためだったのかもしれない。
わたしはまたベランダに出た。水色にぬったくられた空に、
雲の白さが際立つ。
空は、すっかり朝の景色に染まっていた。

朝は夜をかき消し、夜は光を奪う。そしてまた光が闇を呑みこみ、
輝きを取り戻す。毎日くりかえしても飽きないのか、
日々はそうして黙々とすぎてゆく。
きっとわたしの心に広がっていた世界も同じだったのだろう。
書くことに対して「飽きている」というべきかはわからないが、
「書きたい」と「書きたくない」をくりかえしていたわたしとそれは
似ている気がする。
ただ、創作に関してはもう二度と光がさすことはないだろうが。
たしかに書くことは好きだ。だが、つねに好きではいられない。ときどき嫌い
に思って、しかし気づいたらまたペンを握っていたり。そんな不安定な状態が
いやなのではない。書くことそのものが、いやになるのだ。だから「書きたく
ない」と思ったわけで、今までのような不安定さから抜けだそうと、「もう書
かない」と決めた。光しか見ていなかったかつてのわたしでは、決してたどり
つくことはなかっただろう結論。
涼やかな風が頬にあたる。心のなかにあったモヤモヤしたものは、もうすっかり消えていた。
すがすがしい気持ちで見上げた空は、どこまでも美しい。
そして、


朝の空気に満ちた西の彼方には、あめ色に光る月が小さく、
けれどもはっきりと浮かんでいた……。
はしずめまい
2011年08月02日(火) 22時57分45秒 公開
■この作品の著作権ははしずめまいさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 高校の文芸部時代に書いたものです。


読みやすいよう、改訂しました(8/4)

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No.7  はしずめまい  評価:--点  ■2011-08-11 10:12  ID:xws1y5z2M0U
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 お読みいただき、ありがとうございます。

 内容をあまり覚えていないというのは、
これが物語性がないためかもしれません。
小説としてどうなんだろうというご意見も
ありましたが、書き手としては、
これはこれでいいかなって気はしています。
 
 それでも、もう少し状況に変化をつけてゆけたら
よかったなあ、と反省しています。
 お読みくださり、ありがとうございます。
No.6  らいと  評価:40点  ■2011-08-10 23:34  ID:J44h6PeHayw
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拝読させて頂きました。
とても良かったと思います。
何か、若さが瑞々しく感じられて、清々しい気持ちになりました。
言葉の選び方も凝りすぎず、抜けすぎず、ちょうどいい感じがしました。
ただ内容的にどうかと言われると、この感想は読んで
数日後に書いているのですが、あまり印象に残っていません。
その辺りが、どうなのかな? とも思いました。
大変面白かったです。
拙い感想失礼しました。
No.5  山田さん  評価:0点  ■2011-08-06 16:23  ID:eqHRHy48SSc
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 再び山田です、ども。

 前回のレスの書き方が不適切だったので、少し訂正させてください。
「小説としてはどうなんだろう……という疑問は正直残ってしまうと思います」
 と書きましたが、あくまでも僕の個人的感想だと思っていただけると助かります。
 この書き方だと「当作品は小説の体を成していない」と考えていると受け取られそうですが、決してそういう考えはもっていません。
 もし作者さんに、この形態の小説を書き続けていくんだ、という意思がおありなのであれば、なんか水を差してしまったようで大変に心苦しいです。
 物語のある作品でないとだめだ、ということでは決してありませんので。

 ただし「当作品を書くことが出来る方の物語はどういうものなのだろう、という期待は僕の中ではかなり大きいです」という一文にも偽りはありません。

 ということで、自己弁護じみた再レスになってしまい、申し訳ありませんが、僕の真意としては上記のとおりだと受け取っていただけると幸いです。
No.4  はしずめまい  評価:0点  ■2011-08-06 00:44  ID:GWcRNeDnHto
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 はじめまして。お読みいただきありがとうございます。

お読みいただいた方からどんな反応が返ってくるか、ドキドキしながら投稿しました。
的確なお言葉に、小説としての投稿ですから、やはりきちんと物語性のある作品を出すべきと反省。次には「物語」を投稿しようと思います。

 お読みくださり、感謝いたします。
No.3  山田さん  評価:20点  ■2011-08-06 00:08  ID:K9/lh/KhZNQ
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 拝読しました。

 いきなり酷い書き方になってしまいますが「青臭いな」と感じさせる一歩手前で踏みとどまっているように感じました。
 それはあまりにも素直な気持ちを書き出しているからかも知れないですし、僕も物を書く人間の端くれとして、共感出来る部分があったからかもしれません。
 ただし「こういう気持ちを別なことで忘れたり、割り切って生きていく」術を心得ている人間でもあると自覚しています(だから片桐さんの推測は少なくとも僕に関してはあたってますよ)。
 まぁ、共感出来る部分が多少なりともある、ということ自体「なんだなんだ割り切って生きてないじゃないか」ということにもなるかも知れないですね。

 小説としてはどうなんだろう……という疑問は正直残ってしまうと思います。
 次は物語性のある作品を読んでみたいな、というのが偽らざる気持ちです。
 当作品を書くことが出来る方の物語はどういうものなのだろう、という期待は僕の中ではかなり大きいですよ。
No.2  はしずめまい  評価:0点  ■2011-08-04 20:57  ID:sDqO84/iyOU
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 片桐さん、お読みくださりありがとうございます。

そういえば自分、あんまり小説らしい小説書いたことないのではないかな。だいたいが私小説ていで、でも外に向けて発信するなら物語性を持たせたほうが、読む人には読みやすいよなとか、最近考えてます。
そうですね、次回は私小説風な体裁から離れてみることにします。

お読みくださり、ありがとうございました。
No.1  片桐秀和  評価:20点  ■2011-08-04 18:36  ID:n6zPrmhGsPg
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読ませてもらいました。
私小説という捉え方で問題ないでしょうか。作者さんの思いをダイレクトに表現したもののように感じました。心理描写が長く続くので、主人公の不安定な気持ちが迫ってくるようでした。また、自分の高校生時代を思い出し、あの頃自分が小説を書いていたとするなら、きっと似たような内容になっただろうなとも思いました。大人になるっていうのは、こういうことに答えを出せるようになることではなく、こういう気持ちを別なことで忘れたり、割り切って生きていくことなのかもしれない、などとも考えたり。
小説としてみた場合、ラストが弱い、筋が単調というような指摘も可能だと思います。しかしながら、こういった作品は、おそらく誰もが書いたり胸に秘めたりしてきたことでしょうから、この作品の主人公と同じ世代の方に読まれると、また違った価値が生まれるのかもしれません。

僕からはこんなところです。次は今現在のはしずめさんの作品を読めたらいいなと思います。
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